外見よりも、大切なもの
昼下がり。
ぽかぽかと陽光が差し込む湯気立ちのぼる温泉に、リュシアは一人、肩まで浸かって鼻歌を奏でていた。
「ん~……こんな時間から温泉ってのも、悪くないわね」
頬を紅潮させながら足を伸ばし、ゆったりと湯を楽しむリュシア。
そのとき――しゃなりと戸が開き、艶やかな声が響いた。
「おや、お先に失礼してはったんか」
「ツヅラ……? あんたもこの時間に?」
湯気の向こうから現れたのは、獣人の長ツヅラ。
扇を外し、さらりと解いた金糸のような髪を背に流して湯へと滑り込む。
「せやなぁ。ゆっくり入れるから、こういう時間もええやろ?」
笑うツヅラの肢体に、リュシアは思わず凝視した。
モデルのようにしなやかな曲線、その大人の艶めかしさ――同性であるリュシアでさえゴクリと息を呑むほどだ。
「……なんや、そんなに見られると恥ずかしいわぁ」
金の瞳を細めて笑うツヅラ。
リュシアは顔を真っ赤にし、慌てて「そ、そんなんじゃないわよ!」と叫ぶや否や、ばしゃりと湯に潜り、鼻先まで浸かってごまかした。
そのとき、ぱたぱたと足音が近づき――
「あら、皆さん、もう入っていたんですね」
「奇遇ですね」
セレスティナとセリナが、湯気の中へ姿を現した。
高身長で抜群のスタイルを誇るセレスティナ、そして小柄ながらも意外に豊かな胸を持つセリナ。
その姿にリュシアは「ぐぬぬぬ……」と小声で呻いた。
さらに続いて、すっ、と眼鏡を外したフィリアと、満面の笑顔でタオルを掲げたセラも現れる。
「なんだ、先客がいたのか」
「わーい! みんなでお風呂だー!」
女神セラの無邪気な笑顔と、理知的で控えめなフィリアの肢体を見て――
リュシアは内心で小さくガッツポーズを取った。
(よし、ここなら勝ったわ……!)
その瞬間、フィリアの視線がぴたりと突き刺さる。
「……お前、何か失礼なことを考えていないか?」
「い、いえ? 別にー」
慌ててそっぽを向くリュシア。
温泉の湯気に紛れ、彼女の頬の赤みはますます濃くなっていた。
リュシアは一人、自室で腕を組みながら考え込んでいた。
「……ツヅラに、セレスティナに、セリナまで。どうしたらあんな身体になるのよ……」
温泉で見た三人の姿が脳裏に蘇る。
大人の色気と均整の取れたプロポーション――女の子として、どうしても意識せずにはいられなかった。
ふと、鏡に映る自分の姿に目がいく。
腰をひねり、胸を張り、足を組み替えてみる。
「わ、私だって……それなりにスタイルはいいんだから!」
自分に言い聞かせるように、色々なポーズをとり始めるリュシア。
腰に手を当てたり、髪をかき上げたり、果てはモデル風に片足を前に出してみたり――。
鏡の中の自分に「どう? イケてるでしょ?」と小声で呟いた、そのとき。
「おーい、リュシア。ちょっと聞きたいことが――」
ガチャリと扉が開き、ひょっこり顔を出したのはバニッシュだった。
「え……」
ポーズを決めたまま固まるリュシアと、ばっちり目が合うバニッシュ。
部屋には気まずい沈黙が落ちた。
「い、いや、これは……その~、違うんだ!」
慌てて両手を振りながら弁解しようとするバニッシュ。
しかしリュシアは顔を真っ赤にして、拳をプルプルと震わせた。
「アンタってやつはぁぁぁぁぁ~~!!」
振り上げられた手が稲妻のように閃き――
「ちょっとはデリカシーってものを持ちなさいよ!」
バチィィン!
強烈なビンタが炸裂し、バニッシュは後ろへ吹き飛ぶ。
「ぐぇっ!」
その情けない声は、家中に響き渡り、皆が何事かと顔を出すほどだった。
――後に「リュシアのデリカシービンタ事件」と呼ばれ、拠点の笑い話に加わることとなる。
昼下がり。
拠点の通りを、リュシアは気のない足取りで歩いていた。
頭の中は、例の“スタイル”の悩みでいっぱいだ。
「はぁ……」
ため息をつきながら、丸太を削った簡易の椅子に腰を落とす。
その瞬間――。
「はぁ……」
同じようなため息が、すぐ隣から重なるように響いた。
リュシアは驚いて横を見る。
そこにはライラが、頬杖をつきながら眉を寄せて座っていた。
「ど、どうしたの?ライラ」
声をかけると、ライラはちらりと視線を向け、少し恥ずかしそうに唇を噛んだ。
「……うん。ドルガさんのことで、ちょっとね」
再び吐き出される深いため息。
リュシアは「あっ」と小さく声を漏らした。
そうだ、先日のこと――ドルガが突然、ライラに告白したという話を思い出す。
「アイツ……顔は怖いけど、いい奴よ?」
少しでもフォローしようと、努めて軽い口調で言ってみせる。
だがライラは曖昧に首を振り、膝の上で手をぎゅっと握りしめた。
「それは分かってるの。でも……あの大柄な体格が、どうにもね……」
「え、でもさ。ライラのお父さん――ザイロだって結構大きい体じゃない」
「そうなんだけど……」
ライラは視線を伏せ、困ったように眉をひそめる。
「お父さんは寡黙で無理に迫ってくる人じゃないでしょう? でもドルガさんは……あの体格でグイグイ来られると、ちょっと怖くて……」
リュシアは顎に指を当てて考え込む。
「……確かに」
「そうなの。だから、どう接していいか分からなくて」
ライラの声は細く、頼りなく揺れていた。
リュシアは小さく「そっかー」と相槌を打つ。
そして気づかぬうちに自分の胸の奥までズキリと響いていた。
――誰かに想われる悩みと、自分のスタイルの悩み。
形は違えど、女の子として抱える葛藤は重なるものがあるのだろう。
「リュシアはどうしたの?」
ライラが首をかしげて尋ねてきた。
「わ、私は……その……」
リュシアは一瞬言葉に詰まり、慌てて視線を逸らす。
「か、飾り付けのことでね。ちょっと、色々考えちゃってさ」
ごまかすように笑ってみせたが、ライラは怪訝そうに瞬きをして――だが深くは追及しなかった。
二人の溜息は、拠点に吹き抜ける柔らかな風に紛れて溶けていった。
「ライラー、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
不意に声がかかり、顔を上げるとメイラが立っていた。
その目は柔らかくも、すぐに娘とリュシアの浮かない顔に気づく。
「どうしたんだい? 二人とも」
優しい問いかけに、ライラは視線を泳がせながら小さく口を開いた。
「……ドルガさんのことで、ちょっと」
そして悩みを話し終えると――。
「あははは!」
メイラはお腹を抱えて笑い出した。
「お、お母さん! 笑いごとじゃないよ!」
ライラが頬を膨らませて抗議する。
「ああ、ごめんごめん」
手をひらひらさせて笑いをおさめたメイラは、目元に笑い皺を寄せながら言葉を続けた。
「ただね……お父さんだって、昔は結構グイグイ来たのよ」
「えっ……そうなの!?」
ライラとリュシアが同時に声をあげる。
「ああ。昔はいっつも私の家の前に来ててね」
メイラは懐かしむように遠い目をする。
「でも、あの人、あの通り口下手だろ? 挨拶の一言しかしゃべらなかったんだ。最初は私も怖くてね……」
ライラはぽかんと口を開けた。あの寡黙な父が、そんな風に?
「でもね、ある時、勇気を出して『今日はいい天気ですね』って返してみたんだ。そしたらあの人、ものすごく嬉しそうに笑ったの。……それがきっかけで、少しずつ色んな話をするようになったんだよ」
メイラはふっと笑みを浮かべた。
その横顔には、温かい愛情と懐かしさが滲んでいる。
「へぇー……意外」
リュシアとライラは思わず声を揃えた。
「だからアンタもね、ライラ。勇気をもって話しかけてみな。そうすれば、きっと違う一面が見えてくるよ」
メイラの言葉に、ライラは唇を噛み、そして小さく首を振った。
「でも……ここにはリュシアやセレスやセリナさんみたいな綺麗な人ばっかりなのに……。なんで私なんだろうって」
視線を落とし、弱気な声を洩らす娘に、メイラは「何言ってんだい」と豪快に笑い、ぽんっと背中を叩いた。
「女はね、外見だけがすべてじゃないんだよ」
その一言に、ライラの瞳が揺れた。
しばし考え込み、やがて顔を上げる。
「……うん、分かった! 私、勇気を出してみる!」
その力強い声に、メイラも目を細める。
リュシアもまた、胸の奥がふっと軽くなるのを感じていた。
「……そっか。そうだよね。外見だけがすべてじゃない……ありがとう、メイラ!」
立ち上がったリュシアの声は、いつになく晴れやかだった。
メイラはそんな二人の姿を見て、母らしい柔らかな笑みを浮かべる。
「やれやれ……やっと元気になったみたいだね」
陽光が差し込む中、娘と少女の笑顔は、一層輝きを増していた。




