ドルガの恋心
奇跡の収穫は、拠点に新たな息吹をもたらした。
半ば絶望しかけていた食糧問題も、来る冬への不安も――すべてが一瞬で解き放たれたのだ。
「すごい……! 本当に実りが止まらない!」
「これだけあれば……もう――」
驚愕と感嘆の声をあげながら、獣人もエルフも人も一体となり、畑に溢れる作物を収穫していく。
笑い声と歓声が響き渡り、土と果実の香りが空気を満たしていた。
「ふふっ、私たちも負けてらんないわね!」
腰に手を当て、リュシアが張り切った声を上げる。
「そうですね。飾り付けの制作、もっと頑張りましょう!」
セレスティナが笑顔で頷き、隣のセリナ、ライラ、フォルも「おーっ!」と元気に腕を掲げる。
その輪に、ころりと転がり込むようにセラが顔を出した。
「私もやるー!」
天真爛漫な声に場が一層明るくなり、皆は笑いながら装飾づくりに取り掛かる。
色鮮やかな花や葉を編み込み、光る石や布切れを飾りつけ、まるで祭りの舞台を彩るように拠点が少しずつ華やぎを増していった。
――そして夕暮れ。
西の空が茜色に染まる頃、拠点の広場では温かな香りが立ち込めていた。
収穫したばかりの野菜をふんだんに使った煮込み料理、果実酒や焼き菓子。
いくつものテーブルを囲み、皆が笑顔で肩を寄せ合いながら夕食を楽しんでいた。
「いやぁ、今日という日は一生忘れられねぇな! 女神様に乾杯だぁ!」
既にグラドは、獣人やエルフの面々と共に豪快な酒盛りを始めていた。
ジョッキを高々と掲げ、顔を真っ赤にして笑う姿は、まるで戦場帰りの英雄のようである。
「ちょっと! アンタ、ほどほどにしておきなさいよね!」
リュシアが呆れ混じりに嗜めると、グラドは「たははっ」と頭をかき、気まずそうに笑った。
その姿に、周囲からどっと笑いが起こる。
セラは果実をかじりながら目を輝かせ、セリナやフォルと一緒に「明日はどんな飾りをつけようか」と盛り上がっている。
セレスティナは「もう少し効率的に配置を考えた方が……」と真剣に飾り付けの設計を語っていた。
温かな灯りと笑い声に包まれた夜。
「はははっ! やっぱメシは最高だなぁ!」
グラドがリュシアに「飲みすぎよ!」と嗜められている光景を横目に、ドルガは笑いながら豪快に煮込みを平らげていた。
「おかわりをくれ!」
空になった皿を掲げ、大声で叫ぶ。
その声に「はい、どうぞ」と、給仕を手伝っていたライラが駆け寄ってきた。
穏やかな微笑みを浮かべ、熱々の煮込みをよそった皿を両手で差し出す。
「おう! すまねぇな!」
いつものようにガハハと笑い、皿を受け取ろうとしたその瞬間――。
――カランッ。
手元から皿が滑り落ち、煮込みの中身が盛大に床へ散らばった。
隣で静かに食事をしていた朧の膝にも飛び散り、熱々の汁がかかる。
「――あづッ……!」
普段は寡黙な朧が珍しく声をあげ、思わず立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか? 今すぐ拭くものを持ってきますね!」
ライラが慌てて布巾を取りに駆け出す。
場が一瞬ざわめき、朧は怒気を帯びた目で隣を振り向いた。
「……何をする、ドルガ!」
しかし、そこにいたのはいつもの豪快な戦士ではなかった。
ドルガは皿を落としたまま、呆けたように固まっている。
目は虚空を見つめるでもなく、ただライラの去っていった背中を追いかけ――。
「……?」
怪訝に思った朧は、手をひらひらと目の前で振ってみせる。
「おい、どうした。聞いているのか?」
その時、不意に――。
「……き、綺麗だ……」
独り言のように、呟きが漏れた。
朧は目を瞬かせる。
布巾を手に戻ってきたライラは、まだ呆然とするドルガの前に立つと、にこりと微笑んだ。
「ごめんなさい、すぐに拭きますね」
そう言って屈み込み、こぼれた煮込みを拭こうとしたその瞬間――。
――ガシッ。
「……え?」
ライラの手が、不意に掴まれた。
顔を上げると、真っ赤に頬を染めたドルガがこちらを見据えている。
「……アンタに惚れた! 俺と一緒になってくれ!」
突如放たれた直球すぎる告白に、ライラは目を瞬かせ、混乱した。
「え……? え、ええっ!?」
戸惑いの声を上げる彼女を前に、ドルガは止まらない。
「俺は腕っぷしも強ぇし! 不自由なんざ絶対させねぇ! だから俺と――」
その勢いはまさに猪突猛進。
ライラは思わず半歩下がりながら、「あ、あの……ちょっと……」と引き気味に言葉を漏らす。
「頼むっ!」
さらに一歩迫るドルガ。その顔は真剣そのもの。
しかし次の瞬間――。
背後から朧が音もなく近づき、トンッと軽い当て身をドルガの首筋へ。
ガクン、と大きな体が崩れ落ち、地響きを立てて気絶した。
「……すまぬな」
ライラは布巾を握ったまま呆然とする。
そんな彼女に朧は恭しく頭を下げた。
「怯えさせてしまったな。此奴は……不器用な馬鹿ゆえ」
「い、いえ……大丈夫です……」
ライラは、小さく首を振る。
朧は無言でドルガの巨体を担ぎ上げると、肩に背負い、仮設住宅の方へと歩み出した。
「此奴のことは拙者が引き受ける。……心配はいらぬ」
その背中を見送りながら、ライラは布巾を握った手を見つめ、ぽかんと呟いた。
「……な、何だったの……?」
夕餉のざわめきの中、一幕の騒動はひとまず収束を迎えた。
翌日。
収穫祭の飾り付けを作りながら、色とりどりの布や花を手にしたリュシアが、にやりと口角を上げた。
「聞いたわよ。昨日、ドルガに告白されたらしいじゃない」
「う……! な、なんで知ってるのよ……!」
ライラは慌てて布で頬を隠す。
しかし、リュシアは勝ち誇ったように笑った。
「何でって、拠点中で噂になってるからに決まってるでしょ」
「うぅ……恥ずかしい……」
ライラは小さく肩をすくめ、真っ赤な顔で俯いた。
その隣で飾り紐を結んでいたセレスティナが、ふわりと微笑む。
「でも……ドルガさん、とても誠実そうでしたよ? ああいう真っ直ぐな気持ちは、羨ましいくらいです」
「そうそう! この際付き合っちゃいなさいよ!」
リュシアは悪戯っぽく笑い、肘でライラをつつく。
「そ、そんなっ……! あ、会ったばかりだし……だ、第一……わ、私には……」
言い淀み、最後は声が小さくなり、ライラの言葉はゴニョゴニョと濁ってしまう。
「……え? 何? 気になる人がいるの?」
セリナが首を傾げ、純真な瞳で問いかけた。
その瞬間――空気がふっと止まる。
リュシアもセレスティナも、誰のことを指しているのか……心当たりがあった。
だが、あえて口には出さない。
「そ、それは……っ」
ライラは顔を真っ赤に染め、指先をもじもじと絡める。
視線を逸らして俯く彼女の様子は、答えを言わずとも明らかだった。
――バニッシュ。
心の奥に隠した名前が、少女たちの間に沈黙と共に漂った。
「お前たち、飾り付けの方は順調か?」
不意に背後から声が飛んできた。
バニッシュの低い声に、リュシア、セレスティナ、ライラの三人は――ビクリッと肩を跳ね上げる。
「ひゃっ……!」
「なっ……!」
「えっ……!」
三人の反応が見事に揃い、空気が固まった。
次の瞬間――リュシアが勢いよく振り返り、ビシッとバニッシュを指差す。
「アンタ! 急に“女の園”に入ってくるんじゃないわよっ!」
「……は?」
呆気にとられるバニッシュ。
「いやいや、女の園って……フォルも一緒に飾り付けしてるじゃないか」
指さす先では、無邪気に花飾りをいじるフォルが「できたー!」と笑っている。
「フォルとアンタは別でしょ! いいから外! とにかくここは今、男子禁制なの!」
リュシアはバニッシュの胸をぐいぐいと押しながら、外へ追い出そうとする。
「えっ、ちょ、ちょっと待て! 俺はただ……」
「言い訳無用っ!」
有無を言わせぬ勢いで背中を押され、バニッシュはあっという間に外へ放り出されてしまった。
「……ええ……」
ぽかんと立ち尽くすバニッシュ。
中からはまだ少女たちの笑い声と、ライラの慌てた声が聞こえてくる。
「はぁ……仕方ない。先に仮設住宅の方でも確認してくるか……」
頭をかきながらため息をひとつ。
バニッシュは踵を返し、ツヅラの元へと足を向けていった。
バニッシュが仮設住宅の区画に足を踏み入れると、扇を片手に全体を見渡していたツヅラが金の瞳を細め、にやりと笑った。
「なんや、浮かない顔しとりますなぁ」
「……ああ。さっき飾り付けの進み具合を見に行ったんだが――『女の園がどうのこうの』って言われて、追い出されたんだ」
そう言って肩を竦めるバニッシュに、ツヅラはぱちんと扇を閉じ、ころころと鈴のように笑った。
「ははぁ、そらぁ災難やったなぁ。まあ、なんとなく察するけどな」
からかうように目を細めるツヅラ。
その傍らでは、丸太に腰を下ろしたドルガがうなだれるように座り込み、深いため息を吐いていた。
その様子に気づいたバニッシュは、声を潜めてツヅラに尋ねる。
「……あれは? 何かあったのか?」
「んふふ。昨日、色々とやらかしたみたいやさかい。気にせんといてええよ」
ツヅラは扇で口元を隠しながら、あくまで楽しげに笑う。
バニッシュは「そ、そうか……」と視線をドルガに向けたが、声をかけるにはあまりに気まずい雰囲気に頭をかくしかなかった。
「それで、こっちの方はどんな状況だ?」
話題を変えるように尋ねると、ツヅラは扇をくるりと回しながら答えた。
「バニッシュはんたちが大方整地してくれたおかげで順調やで。仮設住宅も形になってきたわ」
「そうか。こっちはザイロに任せっきりだったからな……間に合って良かった」
「ふふっ、なかなかに出来る男やわぁ。ほんま、優秀な人材が揃っとる。さすがはバニッシュはんや」
「いや、別に俺がすごいわけじゃ……」
「そういう人が集まってくるってことも、一種の才能やで」
「……そういうもんかね」
頭をかきながら曖昧に返すバニッシュに、ツヅラは金の瞳を楽しげに細め、涼やかに笑った。
「はぁ~~~~~……」
仮設住宅の丸太に腰を下ろしたドルガが、地鳴りのような大きなため息を吐いた。
その空気はあまりに重く、周囲の者たちも気まずそうに視線を逸らす。
バニッシュも「触れない方がいい」と思っていたが、とうとう我慢できずに声をかけた。
「……どうしたんだ、ドルガ?」
返ってきたのは再度の深いため息。そして――
「……バニッシュ。俺は……お前が羨ましい」
「……な、何のことだ?」
突然の言葉に戸惑うバニッシュ。
ドルガはぎゅっと拳を握り、涙目で吠えるように言った。
「なんでお前はそんなにモテモテなんだよ!」
「……は?」
「とぼけんな! お前、今まで何人から好意を寄せられてると思ってんだ! ああ!? 俺なんか……俺なんかぁ……っ!」
涙をボロボロ流しながら、膝を抱える大男。
あまりの光景にバニッシュは「い、いや……」と困惑し、返す言葉を失った。
そんな空気を裂くように、重い丸太を肩に担いだ朧が通りかかり、冷ややかに言い放つ。
「此奴がやらかしたのは自分のせいだ。気にするな」
「……なんだと、テメェ!」
ドルガが顔を上げ、涙で濡れた目を見開いて睨みつける。
だが朧は鼻で笑い、吐き捨てるように続けた。
「そこでうじうじと項垂れているより、仕事をして少しは誠実な姿を見せたらどうだ」
そう言い捨てて、丸太を軽々と運び去っていく朧。
その背中にぐっと言葉を詰まらせたドルガは、顔を真っ赤にして拳を握りしめる。
「う、うるせぇ! わかってらぁ!」
叫ぶと同時に、ドシドシと大地を揺らす足音を響かせて現場へと向かう。
残されたバニッシュは状況が理解できず、ただ頭をかくだけだった。
「……何だったんだ、今のは……?」
その横で、ツヅラは扇で口元を隠しながら金の瞳を愉快そうに細める。
「ふふふ、男ってのはおもろい生き物やなぁ……」
ころころと笑うその声音は、重い空気を和らげる風鈴の音のように軽やかに響いた。




