女神の聖歌――《ディヴィナ・カンティクム》
「それよりバニッシュ~、収穫祭はまだなの~?」
セラがひょこっと顔を出し、両手を後ろで組みながら小首を傾げる。
その横でパグが尻尾を揺らしながら見上げていた。
「収穫祭……か」
バニッシュは顎に手を当てて少し考え込む。
「今は人が一気に増えたからな。もう少し先になるかもしれん」
「ふ~ん。じゃあ、楽しみにしてるね♪」
セラはにぱっと笑みを咲かせ、ひらひらと手を振りながら遊びに行ってしまった。
小さな足音が遠ざかり、後を追うようにパグがひらりと飛んでついていく。
残されたバニッシュはやれやれと頭をかき、深いため息を吐いた。
「……収穫祭って、何のことや?」
ツヅラが金の瞳を細めて問いかけてきた。
「ああ、畑で採れた作物を持ち寄って収穫祭をやろうって話だったんだが……」
バニッシュは肩をすくめる。
「でも、こんなに人が増えるとは思ってなかったから……出来るかどうか」
「そうですね……」
セレスティナも眉をひそめる。
「ただでさえ食料の計算がぎりぎりなのに、祭りまで開くのは……」
「そぉいうことなら――」
ぱん、と音を立てるようにツヅラが立ち上がった。
金の瞳が獣のように輝き、扇をひらりと開いて笑う。
「うちらに任しぃや! 祭り事は獣人の得意分野や!」
言葉に熱がこもり、周囲の空気が一気に明るくなる。
「そういう行事は――途絶えさせてはダメね」
フィリアもすっと眼鏡を押し上げ、毅然と立ち上がった。
普段は掟を口にする彼女が、珍しく祭りに乗り気な姿に皆の目が丸くなる。
「エルフの誇りは森と共にある。森の恵みに感謝を捧げる祭り……むしろ本分だ」
静かな声に、どこか情熱の火が宿っていた。
「お、おう……」
なぜか収穫祭に燃える二人の迫力に押され、バニッシュは言葉を詰まらせながら曖昧に頷いた。
拠点は、これまでにない活気に包まれていた。
新たに加わった獣人たちとエルフたちが、朝日と共に立ち上がり、声を掛け合いながら作業に精を出していたのだ。
「よーし、こっちは畑をやるぞ! 鍬を持て!」
「おう! 任せろ!」
土を耕す音が響き渡る。
掘り返された大地は、セラのお祈りの影響か、まるで陽光を宿したように瑞々しく輝きを帯びていた。
その光景に、獣人もエルフも、皆口々に感嘆の声を漏らす。
「これは……すごい……!」
「ただの畑とは思えない。まるで、聖域のようだ……」
汗をぬぐいながら、誰もが手を止めてその土の力強さに見入った。
一方その頃、拠点の広場では――。
「ここは花で飾り付けた方がいいと思うの」
「えー、でもこっちは果物を吊るしたら美味しそうだよ?」
「フォル、それは食べ物だから飾りじゃないよ!」
リュシア、セレスティナ、ライラ、フォル、そしてセリナが集まり、収穫祭に向けた飾り付けを作っていた。
5人の笑い声が絶えず響き、緊張感に覆われていた拠点に柔らかな温もりをもたらす。
セリナは折り紙のように布をたたみ、照れくさそうに笑いながらリュシアに手ほどきを受けていた。
そのすぐ傍らでは、逞しい影が仮設住宅を組み上げていた。
「よっ、と……! ザイロ、梁を押さえてくれ!」
「……ああ」
グラドとザイロが無骨な腕で木材を担ぎ上げ、組み合わせていく。
額から滴る汗は止まらないが、二人の息はぴたりと合っていた。
周囲の獣人たちがその姿に感化され、次々と加勢していく。
食堂ではメイラが大忙しだった。
鍋をかき回し、焼き台に次々と食材を並べ、ふうふうと息をつきながらも手を止めない。
「ほらほら! 切った野菜をこっちに持ってきちょうだい! みんな頑張ってるだ。私達もがんばるよ!」
増えた住人の食事を準備するため、他の獣人やエルフたちが手伝っていたが、指揮を執るのは完全にメイラだった。
その手際の良さに、皆ただただ従うしかなかった。
そして――。
「そっちは任せたぞ、フィリア」
「了解した。既に、拡張する規模は計算している」
「ツヅラ、仮設住宅の進捗はどうだ?」
「ええ感じや。今夜には寝床が足りるくらい揃うやろ」
畑の拡張の指揮を執るのはフィリア。
仮設住宅の指揮を担うのはツヅラ。
その二人の間を、バニッシュが走り回り、指示を飛ばしていた。
「よし、資材が足りなくなる前に次の伐採班を送ってくれ! ……こっちは、肥料を分けて頼む!」
額の汗を拭う暇もなく、両方を行き来するバニッシュの姿に、仲間たちは自然と笑みを浮かべていた。
彼が走れば、誰もがその背を追い、声を上げ、手を動かす。
気づけば拠点全体が、ひとつの大きな歯車のように動き出していた。
活気に満ちた拠点の中、セラは鼻歌を口ずさみながらその光景を眺めていた。
種族を超えて互いに肩を並べ、汗を流し、笑い合いながら作業を進めている。
土を耕す音、木槌の音、子供の笑い声――それらすべてが混じり合って、一つの大きな旋律のように響いていた。
「……ふふっ♪」
セラは楽しげにステップを踏み、畑を耕すエルフたちをのぞき込み、仮設住宅を組み立てる獣人たちを見学する。
その瞳には懐かしい光が宿っていた。
――これは、かつて女神として見た「理想の景色」とよく似ている。
鼻歌は自然と旋律を形づくり、やがて澄んだ歌声へと変わっていく。
静謐で、清らかで、美しい。
その歌声は、まるで大地そのものが奏でる祈りのようだった。
「……っ」
作業の手を止め、誰もが耳を傾ける。
獣人の斧も、エルフの鍬も、ザイロの無骨な腕も、グラドの大声も――すべてが止まり、ただ歌に魅せられていた。
セラの身体が淡い光を纏い、ふわりと宙へと舞い上がる。
その姿は人の少女でありながら、誰もが息を呑む「女神の御姿」そのものだった。
「……女神の聖歌……!」
誰かがそう呟いた。
光が粒となり、夜明けの星々のように拠点全体へと降り注ぐ。
冷えた心を溶かすように温かく、傷を癒やすように優しく。
「こ、これは……」
思わず声を洩らすバニッシュ。
その横で、リュシアもセレスティナもライラもセリナも、ただ見惚れて「綺麗……」と囁いた。
フォルだけは我慢できず、両手を広げて走り回る。
「すごい! 光がいっぱい降ってきてるーっ!」
子供の歓声が響く。
光は彼の頭にも肩にも降り注ぎ、まるで祝福するように弾けた。
――その瞬間、拠点全体が一つになった。
皆が忘れていた希望を思い出したかのように、微笑み、涙し、祈るように手を胸に当てる者もいた。
セラの歌はなおも響き、夜明けの鐘のように大地を震わせる。
それは、この拠点が「ただの寄せ集め」ではなく、「未来を築く共同体」であることを告げる聖なる旋律だった。
美しい歌声が静かに終わりを告げた。
セラはゆるやかに地へと降り立ち、纏っていた光もやがて淡く消えていく。
その瞬間、彼女が見せたのは――少女らしい、何気ない笑顔。
「……っ!」
張り詰めていた空気が一気に弾け、拠点を満たすように歓声が湧き上がった。
皆が声を上げ、拍手し、目を潤ませてその姿を讃えた。
だが――その直後。
「な、なんだ……?」
誰かの驚愕の声。
次の瞬間、種を撒いたばかりの畑の土が盛り上がり、緑の芽が顔を出す。
芽はすぐさま茎を伸ばし、葉を広げ、蕾をつけ、花を咲かせ――。
一瞬にして、たわわな実を実らせた。
「う、嘘だろ……!」
「こんな早さで……収穫が……!」
驚愕と感動の声が畑を囲んだ人々の間に広がっていく。
それだけではない。
拠点の周囲に生い茂る草木までもが一斉に青々と輝き、幾重もの果実を枝に実らせていた。
「いったい、どうなってるんだ……」
思わず呟くバニッシュ。
その耳に、澄んだ声が届いた。
「これが――セラ様の力です」
気づけば、彼の隣にパグが舞い降りていた。
黒い瞳を光らせながら、重々しく言葉を続ける。
「セラ様は“希望”を司る女神。その力はまさに――奇跡を起こす力なのです」
「……奇跡を、起こす力……」
バニッシュの胸に熱いものがこみ上げる。
目の前に広がるのは、死にかけていた土地が息を吹き返し、溢れんばかりの実りを宿した光景。
誰もが目を見張り、涙を浮かべながら手を合わせている。
「すごい……」
思わずそう呟いたバニッシュの横顔を、パグはじっと見つめていた。
(――正に奇跡。だが、それは単なる神力の発露ではない。希望に満ち溢れたこの場所だからこそ、成された奇跡。そして、その希望の中心に立っているのは――)
パグの瞳に映るのは、感嘆の吐息を漏らすバニッシュの姿だった。




