表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/20

堕ちゆく勇者一行

 その頃――

 世界は、既に静かなる崩壊の最中にあった。

 魔王の侵攻は止まることなく進み、南方の自由都市連合は瓦解。東の聖教圏では三つの大聖堂が燃え落ち、西の砂漠王国は、地図からその名を消していた。

 滅びの炎は、人々の暮らしを蝕み、希望を焼き尽くす。

 ――今や、世界の三割が魔王の手によって塵と化していた。

 しかしその最中にあって、誰よりも世界を救うべき者たち――勇者一行は、未だに動こうとはしなかった。


 「この鍛錬剣、重すぎるな。もっと軽くて丈夫な金属はねぇのかよ」


 ドワーフ王国・ヴォルグラントの鍛冶工房。勇者カイルは渋い顔で巨大な片刃剣を試し振りしながら、鍛冶職人に文句をつけていた。


「ふふ、こっちの新素材はどう?軽くて火力も通るわよ。魔王相手にもイケるんじゃない?」


 ミレイユは装飾過多な魔法の杖を手に取り、炉の輝きに笑みを浮かべる。


「なー、腹減った。焼きたての岩トカゲ肉、もう出ねぇかな」


 ガルドは隅で椅子に座り、爪をいじりながら鼻を鳴らした。

 騒がしくも平和な空気のなか、誰一人、遠くで今も滅びゆく人々の悲鳴に耳を傾ける者はいなかった。

 幾度となく送られた王都からの出撃要請は、未開封のまま放置され、机の端に積まれている。


 「……ねぇ、本当にいいの? また街がひとつ、落ちたって聞いたけど」


 唯一、不安そうに口にしたのは、聖女セリナだった。

 だがその声は、鍛冶の槌音にかき消されるように、誰の耳にも届かない。

 ――勇者たちは、確かにそこにいた。

 だが、その剣は振るわれず、杖は掲げられず、彼らの時間だけが、平穏な日常の中で鈍く、鈍く、過ぎていった。

 地下の溶岩炉が唸りを上げる鍛冶工房で、勇者カイルの怒声が響いた。


 「なんだよこれ……ガラクタばっかじゃねぇか!」


 カイルは鍛えかけの剣を無造作に床へと放り投げた。カン、と甲高い音を立てて刃が石床に転がる。


「高尚な鍛冶職人がいるって聞いてわざわざ来てやったのによ……これじゃ王都の鍛冶屋と変わらねぇじゃねぇか!」


「……貴様、今なんと?」


 顔に煤をつけた老ドワーフ職人が、音もなく立ち上がった。白髭を震わせながら、怒りに拳を握る。


「その剣は《熔神鋼》を鍛えたもの……我らドワーフの誇りじゃ。貴様のようなガキにガラクタ呼ばわりされる覚えはない!」


「はっ、誇りだ?その程度のモンで世界救えるなら、誰も苦労しねぇんだよ!」


 カイルがにやりと挑発的に笑い、工房の空気が一気に険しくなる。

 そのときだった。

 工房の入り口がバンッと勢いよく開かれ、砂塵にまみれた一人の男が駆け込んできた。


「勇者カイル殿! 一刻を争う報せです!」


 王都の紋章を刻んだ使者が、息を荒げて跪く。


「魔王軍が北域へ侵攻を開始……第三辺境砦が陥落しました。王よりの緊急要請です。至急、出撃を……!」


 工房の空気が、ぴたりと止まる。

 だがカイルは、使者の言葉を一蹴するように鼻で笑った。


「は? 見てわかんねぇのか? 今、装備整えてる最中だっつーの」


 腰に手をあて、面倒くさそうに視線を逸らす。


「戦場に出る前の準備すら許されねぇのかよ。俺たちに死ねって言ってんのか?」


「ですが……このままでは、本当に世界が滅びます!」


 使者が必死にすがるように叫ぶ。

 だが、その懇願が逆鱗に触れた。

 カイルが歩み寄り、使者の胸元を掴みあげた。


「……この俺に、指図してんじゃねぇぞ?」


 その声は、低く、冷たい。


「世界が滅ぶ? 知らねぇよ。だったらテメェらで止めてみせろ。俺たちを便利な道具みてぇに扱ってんじゃねぇ」


 怯える使者の顔を一瞥すると、カイルは無造作に手を離した。

 使者は床に崩れ落ち、声を失ったまま震える。


「さあて……次はどの素材を試すかな」


 何事もなかったかのように、カイルは工房の奥へと歩いていく。


 ドワーフ国ヴォルグラント。火と鉄の王国。

 勇者一行は、今日もまた――怒鳴り声を上げていた。


「ったく、どこ行ってもガラクタばっかじゃねぇか!」


 カイルの怒声が鍛冶工房の石壁に反響する。

 研磨途中の剣を壁に投げつけ、火花が散る。


「鍛えが甘ぇんだよ、こんなんじゃ魔王の皮もかすらねぇ!」


「……それは“お前の腕”の問題だろうが」


 職人の一人が吐き捨てるように呟くと、ガルドがすかさず胸ぐらを掴みにかかる。


「テメェ今なんつった!」


「やめなよもう!」と、ミレイユが間に入るが火に油を注ぐだけだった。


 結局、その日も揉め事だけを残し、勇者一行は工房を後にした。


 

 夜――。

 ドワーフ街の片隅にある石造りの酒場。

 酔客の笑い声と、燻製肉の香りが充満する空間で、勇者たちは酒にまみれていた。


 「ドワーフのクセに……腕のいい鍛冶屋が一人もいねぇとはなァ……」


 カイルがジョッキを乱暴に置く。


「期待外れもいいとこよ。おれたちが世界救ってやってんだぜ? もっと誠意見せろってんだ」


「まあまあ……あんたちょっと飲みすぎ――」


「うるせぇよ!飲まなきゃやってらんねぇんだよ!」


 険悪な雰囲気が漂うなか、セリナがぽつりと呟く。


「……やっぱりさ、バニッシュに戻ってもらった方がよかったんじゃ……」


 その瞬間、空気が凍った。

 カイルがガタンと席を立ち上がる。


「――あいつの名前を出すな」


 その声は低く、重く、怒りと何か別の感情がにじんでいた。


「俺たちの足を引っ張ってたのは“あいつ”だ。戦えもしねぇのに、後ろから偉そうに術式ばっか並べて――!」


「でも、あの人がいなくなってから……」


 ミレイユが小声で言いかけるが、睨まれて口を噤む。

 場の空気は最悪だった。

 重たい沈黙が、酒と煙に溶けていく。

 ――そのときだった。

 ふと隣の席から聞こえてきた、年配ドワーフたちの囁き声。


「……グラドって名前、久々に聞いたな」


「アイツぁもうダメだ。鍛冶場どころか酒に溺れて寝床も焼きかけたらしいじゃねぇか」


「伝説の鍛冶職人だろ? 今じゃ伝説の酔っ払いだ」


 その名を聞いた瞬間、カイルの目がぎらりと光る。


「グラド……ハンマル?」


 椅子を蹴るように立ち上がり、隣のドワーフに詰め寄る。


「今、なんつった? グラドって、まさか《巨槌の焔王》グラド=ハンマルのことか?」


「な、なんだよお前らは!」


「いいから場所を言え!」


 店中の視線が注がれる中、カイルは凄んで言い放つ。


「ようやく……見つけたぜ、“伝説の鍛冶屋”をな」




 道中、ドワーフたちの工房街の外れ――人気のない谷あいに、ぽつんと建っていた一軒の古びた鍛冶小屋。

 看板は傾き、扉は半ば崩れ落ち、外壁は煤けて黒ずんでいた。周囲には鉄屑と灰が転がり、野犬すら寄りつかない。


「……これが“伝説の鍛冶職人”の住処かよ」


 カイルが眉をひそめ、鼻を鳴らす。


「汚っ……足、ぬかるみにハマったんだけど」


 ミレイユがブーツを不快げに振るう。


「鍛冶場っていうより、ゴミ屋敷じゃねーか……」


 ガルドがため息混じりに呟いた。

 ギィィ――と、軋む音を立てて扉を押し開ける。

 中には、煤と鉄錆の臭いが立ち込めていた。かつて鍛造に使われていたであろう炉は冷え切り、壁際には使い古された槌や鋼材が積まれている。

 その中心。

 ぐだりと崩れた椅子に座り、片手に酒瓶を握ったまま、ひときわ大きなドワーフがいた。

 白くなりかけた髭は乱れ、かつて豪快だったであろう肩幅は今や背を丸めている。顔は赤く、目は虚ろ。


「……んだぁ? また借金取りか……それとも、昔の弟子のガキか?」


 かすれた声が転がる。

 火酒の瓶を煽るその男――グラド=ハンマル。

 かつて《巨槌の焔王》と称えられた、伝説の鍛冶職人の成れの果てだった。


「チッ……こいつがホントに、あの伝説の?」


 カイルが軽蔑の目を向ける。


「冗談でしょ……ただの酔っ払いじゃない」


 ミレイユが眉をひそめる。

 だが、その目の前で――

 グラドは、空になった酒瓶を鍛造炉に向かって放り投げた。

 カッシャン!と鋭い音が鳴り、酒瓶は寸分違わず炉の中央に突き刺さる。


「――うるせぇな。職人を値踏みすんなら、その目じゃなくて“仕上がり”で見やがれ」


 重く、低く、どこか芯のある声。

 一瞬、空気が震えた気がした。

 そしてカイルは、思わず息を呑んだ。

 グラドの足元には――砕けかけた炉の中に、“未完成の一振りの大剣”があった。

 それは、今まで見てきたどの工房のものよりも――

 美しく、鋭い“意志”を感じさせる剣だった。


 グラド=ハンマルの鍛冶小屋。煤けた炉の前で、火酒の瓶を煽る男に、勇者カイルは一歩踏み出して言った。


「……お前が伝説の鍛冶職人、グラド=ハンマルだな?」


「だったら?」


「――剣を作ってほしい」


 その言葉に、グラドの手が止まった。

 ふぅ、と酒の匂いを吐き出しながら、ゆっくりと顔を上げる。

 赤黒く濁った目が、勇者一行をひとりずつ見ていく。

 カイル、ミレイユ、ガルド、セリナ――そしてまたカイルへと視線が戻った。


「……断る」


「は?」


「だから断るっつってんだ。帰れ」


 静かな拒絶の言葉に、空気がぴんと張り詰める。


「金ならいくらでも払うぞ?」


 カイルが懐から金貨袋を取り出して、ドンと机に置く。


「いらねぇよ。興味ねぇ」


 「ならお酒?それとも女?」


 ミレイユが腰に手を当て、呆れたように眉をひそめる。


「……金も施しもいらねぇ」


 グラドはふいと顔をそらし、火の消えた炉を見つめた。


「俺は――気に入った奴にしか、槌を振るわねぇ主義なんでな」


「なら、俺たちは勇者パーティーだ。人類最強の精鋭ってやつだぜ?」


 カイルが自信満々に胸を張る。

 だがその言葉に、グラドは鼻で笑った。


「……はっ、笑わせんな。お前たちが“勇者パーティー”だぁ? なら、世も末だな」


「な……んだと?」


 ガルドがずいっと前に出て、椅子を蹴った。


「喧嘩売ってんのか、ジジイ!」


「買ってやるよ。だがな、俺ぁ目を見りゃ分かるんだ」


 グラドは椅子からゆらりと立ち上がる。

 ドワーフとは思えぬほどの威圧感が、酒臭い空気を突き破って放たれた。


「お前らの“目”は腐ってる。誇りも覚悟も、見る影もねぇ。――特にお前だ」


 グラドの太くて節だらけの指が、真っ直ぐカイルを指差した。


「お前の目は、最悪だ。誰かの命の重さを見ようともしねぇ。仲間すら駒にしか見えてねぇ」


「……っ!」


 カイルの表情が引きつる。

 ミレイユもセリナも、口をつぐんだ。

 ガルドは怒りで拳を震わせるが、グラドの眼光に一歩も動けなかった。


 「“伝説の職人”だなんだって持ち上げられてた頃にゃ、腐った野郎の剣なんざ、一本たりとも打った覚えはねぇんだよ」


 グラドは再び椅子に腰を下ろし、酒瓶をラフに煽る。


「――帰れ。俺の火は、そう簡単には燃えねぇ」


 工房を出た時、空気はどこか重たかった。

 いや、重いのは空気じゃない。

 ――グラド=ハンマルという男の、背中に刻まれた“覚悟”そのものだった。


「……チッ、何が気に入った奴にしか槌は振らねぇ、だよ」


 カイルが舌打ちしながら拳を握る。


「アンタがいつもみたいに金でゴリ押ししようとするからよ」


 ミレイユがふてくされたように言うが、カイルは聞き流していた。


「でも、仕方ないですよね……あの人、たぶん色々あったんだと思う」


 セリナがぽつりと呟くが、それに返事する者はいなかった。

 ガルドが鼻を鳴らして言う。


「気に入った奴じゃなきゃ作らねぇ?じゃあなんだ、気に入られなきゃ武器もくれねぇのかよ。クソみてぇな職人気取りだぜ」


「また来ようぜ。説得し直すとか、弱み握るとか、何かあるだろ」


 カイルがそう言って、勇者一行は工房を後にした。


 ドワーフの酒と空気が、重く濁っていた。

 酒場《鉄樽亭》の片隅、勇者一行は散らかったテーブルを囲んで座っていた。


「……チッ、あのクソジジイが」


 カイルが空のジョッキをテーブルに叩きつけるように置いた。


「気に入った奴にしか槌は振らねぇ? バカかよ、世界が滅びそうだってのに――!」


 ミレイユは小さくため息をつく。


「まあ、気持ちはわかるけどさ。でもあの感じ……あたしたち、完全に舐められてたよね」


「くっそ腹立つ……!」とガルドも拳を握りしめてうなった。


 しばしの沈黙。

 テーブルに頬杖をついたカイルが、ゆっくりと笑った。


「――なあ、ちょっと“いい方法”思いついちまったんだけどさ」


 その声に、ミレイユが顔を上げる。


「は?」


 カイルはニヤリと笑い、指を一本立てて言う。


「ドワーフ国と王都、両方にちょっと“圧”をかけるんだよ」


「……はぁ? 何言ってんの?」


「つまりよ、俺たちは“勇者パーティー”だ。世界の希望。国の顔。な?」


 言いながら、カイルは手元の酒を一口煽る。


「そんな俺たちが、“ドワーフ国は協力を拒んだ”って情報を流したら、王都はどう思う?」


 ミレイユの顔色が変わる。


「まさか、それで――」


「ああ。王都から『協力しないなら国交見直し』の圧力が来る。そんで国としては手打ちにするために“問題児”のグラドを――」


「追放、か……」


 ガルドが思わず呟いた。


「そうなりゃ、あのジジイ、居場所を失う。仕事もねぇ、家もねぇ、信頼もねぇ――」


「そこに俺たちが“偶然”現れて、拾ってやるわけよ。勇者パーティー様がな」


 ミレイユが声を潜めて言う。


「……それで武器を作らせる? 捨てた国と仲間の代わりに、ってこと?」


「そういうこった。プライドをへし折って、俺たちの犬にするのさ」


 カイルの目が、酔いとは違う光を帯びていた。


「で、武器が完成したら――」


「ポイ、っとな」


 ガルドが笑う。


「ゴミみたいに捨ててやろうぜ」


 その言葉に、テーブルの周りの空気が、底冷えするように静まった。

 唯一、セリナだけが苦い顔で言う。


「……そんなことして、本当に武器が手に入ると思ってるんですか?」


「信じさせればいいだけだろ? 希望とか絆とか、ジジイが好きそうな言葉を並べてやりゃ、勝手に信じるさ」


 酒場のざわめきの中で、勇者たちの“作戦会議”は静かに、だが確実に歪んでいた。

 誰も止めなかった。

 ――世界を救う者たちのはずなのに。

 その言葉が、どこまでも空々しく響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ