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選ばれざる勇者

 セリナが姿を消してから、数日。

 黒き勇者の居城は、荒れ狂う咆哮と血の臭いに染まっていた。


「――まだセリナは見つからないのかッ!!」


 玉座の間に、カイルの怒声が轟く。

 その声に怯えながら、報告の兵が膝をつく。


「も、申し訳ございません……! しかし、痕跡が一切なく……どこに消えたのか……」


「言い訳するんじゃねぇッ!!」


 カイルの漆黒の大剣が一閃した。

 報告を終える前に兵は真っ二つに裂かれ、冷たい石床に血が広がる。


 その時――。


「おやおや……本日は随分と荒れていらっしゃいますね」


 玉座の影から、フードの男が仰々しく現れた。

 その声はまるで、不気味な余裕を漂わせていた。


「貴様……!」


 カイルの鋭い眼光が突き刺さる。

 狂気の色を帯びた瞳で、彼はフードの男を睨みつけた。


「貴様じゃないのか……セリナをたぶらかしたのは……ッ!」


 吐き捨てるような声。唇が痙攣し、怒りに歪んでいる。

 フードの男は一拍置き、わざとらしく首を傾げた。


「はて……? 何のことでしょうか」


「とぼけるなッ!! 貴様がセリナをたぶらかしたんだろうがッ!!」


 狂乱に近い叫びが、玉座の間を震わせる。

 だがフードの男は微動だにせず、両手を広げる仕草で淡々と答えた。


「そんなことをして……私に一体、何のメリットがあるというのです?」


「くっ……!」


 カイルは歯を軋ませ、黒き大剣の柄を強く握りしめた。


「ならば――なぜ、セリナがいなくなったッ!!」


 その絶叫は、怒りと恐怖が入り混じった悲鳴にも聞こえた。

 玉座の間に重苦しい沈黙が落ちる。

 フードの奥から覗く笑みの気配だけが、静かに揺れていた。


「さあ――それは分かりませんが」


 フードの奥で、愉悦に満ちた声が低く笑った。


「ただ一つ確かなのは……彼女は“私たち”とは合わなかった、ということでしょうか」


「……何……?」


 カイルの瞳は狂気で血走り、フードの奥を睨みつける。


「彼女は最初から乗り気ではなかった。だから逃げ出したのだと考えるのが自然でしょう」


 フードの男はゆっくりと、一歩、また一歩と玉座へ近づいていく。

 その足音が、静寂の間にやけに大きく響いた。


「ふざけるなッ! あいつは俺の手を取り、この道を選んだだろうが!」


 カイルの叫びは獣じみていた。

 玉座に響き渡るその声に、燭台の炎すら揺らいだ。

 だが、フードの奥で不気味に笑みが歪む。


「……それは“あなたへの恐怖”からだった。彼女の意思ではなかったのです」


 ギリッ……!


 玉座の間に響き渡るほどの歯ぎしり。

 カイルの全身が怒りで震え、握る大剣が低く唸る。

 その瞬間、耳元に冷たい囁きが落ちた。


「――あなたは見捨てられたのです」


 気づけばフードの男は、いつの間にかカイルの顔のすぐ横に立っていた。

 その気配に狂ったように振り返り、漆黒の大剣を振り抜く。


「ふざけるなぁぁッ!!」


 大剣は確かにその身を両断したはずだった。

 だが、フードの男は霧のように掻き消え、切っ先は空を裂いただけ。

 次の瞬間、再び現れたのはカイルの背後。

 その耳元に、甘くも冷酷な囁きが落ちる。


「――あなたは“選ばれなかった”のです」


 その言葉は、刃よりも鋭く、カイルの心を切り裂いた。


「黙れええええッ!!」


 カイルの咆哮と同時に、灼熱の獄炎が奔流のごとくフードの男を呑み込んだ。

 轟音が玉座の間を揺るがし、炎と爆圧で壁が砕け、大穴が穿たれる。

 灼ける赤光が広間を照らし、焦げた空気が充満する。


 ――だが。


「……」


 そこに、燃え盛る炎を意にも介さず立つ影はなかった。

 気配に気づき、カイルが振り返る。

 すでにフードの男は背後へと移り、漆黒の裾をひるがえしていた。


「問題なのは――彼女がどこに消えたか、ということです」


 静かで、愉悦を孕んだ声。

 翻弄されたカイルは狂気のように目を見開き、睨みつける。


「ふざけるな……! 誰に救いを求めたっていうんだッ!」


 問いは叫びではなく、自らへの否定にも聞こえた。

 フードの男は愉しげに唇を歪める。


「……彼女は、求めたのです。救いの手を――誰かに」


 カイルの脳裏に、決して思い出したくない顔が過った。

 必死に振り払うように叫ぶ。


「誰だッ! そいつは! 言え!!」


 確信していながら、否定したくて仕方がない。

 その心を読み切ったかのように、フードの男はさらに甘美に囁く。


「それは……貴方のよく知る人物」


「やめろ……」


 カイルの声は震え、鼻息が荒くなり、狂気に満ちた目がさらに血走る。


「その男は、貴方と深い縁を結んでいる」


「だまれ……ッ」


「その男は、貴方のすべてを奪った」


「やめろおおおおッ!!」


 否定と狂気が入り混じる咆哮。

 フードの男は最後の刃を、耳元に突き立てるように囁いた。


「――バニッシュ・クラウゼン」


 カッと目を見開き眼光が鋭く光り、カイルの大剣が炎と一体化した。

 斬撃と獄炎が融合し、地を裂き、壁を抉り、外の空まで紅蓮の閃光が走る。

 玉座の間は轟音と衝撃で崩れ落ち、石柱が折れ、瓦礫が飛び散った。

 しかし、その破壊の只中に――


「……」


 フードの男は、まるで何事もなかったかのように再びカイルの背後に立っていた。

 霧のように掴めず、影のように寄り添いながら。


「あなたは――負けたのですよ。その男に」


 フードの奥で、見えぬ笑みがにやりと歪む。


「俺が……アイツより劣っていると言いたいのか!」


 玉座に響くカイルの怒声。

 その双眸は血走り、漆黒の鎧の下で筋肉が膨張するほどの怒気が迸っていた。


「いいえ」


 フードの男はゆっくりと首を横に振った。

 その仕草は舞台の役者のように大げさで、無駄に優雅ですらあった。


「貴方は――素晴らしいお方です。現に、これほど多くの者たちが貴方を慕い、この城に集い、勇者カイルの名を讃えている」


 カイルの眉間の皺が深まる。

 それでも耳に入ってくる甘美な言葉に、胸の奥で渦巻く黒炎がわずかに揺れた。


「……なら、なぜ……!」


 絞り出すような声。

 フードの男は、待っていたとばかりに両腕を広げてみせた。


「――そう、そこがおかしいのです」


 裾を揺らしながら、一歩、また一歩と玉座へ近づく。

 その声色には愉悦が滲み、歪んだ笑みの気配がフードの奥に覗いた。


「力ある貴方が、なぜ大切なすべてを失わねばならなかったのか。逆に、力なきあの男が、なぜ奪っていくのか。地位を、名誉を、仲間を、そして――愛する者さえも」


 芝居がかった言葉は、玉座の間を反響して呪詛のように木霊した。

 カイルの肩が小刻みに震える。

 血が滲むほどに拳を握り締め、歯を噛み砕かんばかりに軋ませる。

 怒りと屈辱が渦巻き、今にも爆ぜそうな狂気の熱を孕んでいた。


「そうだ! 俺は選ばれた人間……勇者カイルだッ!!」


 玉座の間で立ちカイルの叫びは、地鳴りのように広間へ響き渡った。

 血走った瞳は狂気に燃え、己の存在を誇示するかのように漆黒の大剣を床に突き立てる。


「フフ……」


 フードの男は、あくまで冷ややかに、しかし愉悦を滲ませた声で応じた。

 舞台の幕が上がったかのようにゆっくりと歩を進め、ついにカイルの真正面へと立つ。


「そう、貴方は至高にして、絶対の存在――。この世の誰もが膝を折り、その名を畏れるべき英雄」


 言葉は甘美でありながら、毒を含んでいた。

 だが、次の言葉がカイルの心に深く突き刺さる。


「――しかし、それでもまだ足りない」


「……足りない、だと?」


 カイルの眼が針のように細まり、フードの奥を睨みつける。

 その怒気を浴びながらも、男は一切怯まず、むしろ舞台役者のように両腕を広げてみせた。


「ええ。力が――足りないのです」


 低く、しかしよく通る声が玉座の間を満たす。


「世界を覆う不条理をねじ伏せるだけの力。民を欺き、仲間を奪い、嘲笑う“弱者”を叩き潰す力。神すらも超え、すべてを支配する絶対の力を」


 フードの奥から、愉悦と狂気を孕んだ笑みの気配が覗いた。

 カイルの胸に、かつてない衝動が芽生える――もっと力を。

 全てを屈服させる、圧倒的な力を。

 その黒い欲望の炎は、既に彼の中で燃え広がりつつあった。


「貴様は……それを手に入れる方法を知っているのか!」


 カイルの怒声が玉座の間に反響する。

 血走った眼は狂気に揺らぎ、大剣を握る手は震えていた。

 対するフードの男は、静かに笑う。


「ふふふ……もちろんです。いえ、正確には――もう間もなく、手に入るでしょう」


 淡々とした口調。しかしその声音は、期待と愉悦を含んでいた。


「だが、その前に。貴方にはさらなる《《戦力》》をつけていただきたい」


「戦力だと……?」


 カイルは鋭い視線を投げる。


「ええ……鬼人族です。奴らは、法も秩序も嫌う荒くれ者。群れながらも王を持たぬ、野獣の群れに近い存在。ですが――貴方の力ならば必ずや屈伏させ、従わせることができるでしょう」


 その言葉に、カイルの眉間がさらに深く歪む。

 自分に命令のように告げる態度が気に入らない。

 だが同時に、その挑発に胸の奥がざらつく。


「……いいだろう」


 立ち上がるカイルの声は、玉座を震わせる低音だった。


「すぐにでも、そいつらを屈伏させてやる……! 俺の力でなッ!」


 その言葉と共に、漆黒のマントを翻して玉座の間を出ていく。

 その背は炎のような狂気に揺れ、かつて「勇者」と呼ばれた面影は、もはや微塵もなかった。

 残されたフードの男は、裾を揺らしながらゆるりと笑う。


「ふふふ……よろしい。あとは、時を待つだけです」


 フードの奥から放たれる声は、不気味な愉悦に染まっていた。


「そう……彼女(セリナ)の時が来るのを――」


 その囁きは、玉座の間の闇に溶け、悪夢のように広がっていった。

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