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赤きペンダントは友の証

 どうやってここまで来たのか――それは、リュシア自身もよく分からなかった。

 気付けば足は、怒りと混乱に任せて森を歩き続け、辿り着いた先は――澄み切った泉のほとり。

 そこは、かつてセレスティナがフォルに手を引かれ、秘密の場所であった。

 リュシアは水面を覗き込む。

 映った顔は、怒りと苛立ち、そしてどうしようもないもどかしさに歪んでいた。


「……ひどい顔ね」


 自分で呟き、唇を噛む。

 泉の前に腰を下ろし、膝を抱えて顔を埋める。

 胸の奥から、黒いもやのような思考が湧き出す。

 ――バニッシュがどういう男かは分かっている。

 かつて自分を追放した仲間であろうと、傷ついた者を見過ごせる人じゃない。

 けれど、もしセリナが黒の勇者の仲間なら? いずれここが襲われるのでは?

 もし戦いになったら――。

 ラグナとの戦いのときのように、自分の中の“災厄の力”が暴走してしまったら。

 今度こそ、誰も止められないかもしれない。

 ――大好きなこの拠点を。

 ――大切な仲間たちを。

 自分の手で壊してしまうかもしれない。

 その恐怖に、そしてバニッシュの優しさを否定したくない気持ちに、頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱される。

 リュシアは強く腕に力を込め、膝を抱きしめる。


 そのとき――。


「……リュシア」


 背後から、そっと呼びかける声がした。

 振り返るまでもなく、それが誰かは分かる。

 セレスティナ。

 彼女の声は、水面を揺らす風のように柔らかく、しかし芯の強さを秘めていた。

 セレスティナの声に、リュシアは何の反応も示さない。膝に顔を埋めたまま、肩だけが小さく震えていた。

 その姿に、セレスティナはクスリと微笑む。

 そして、音を立てぬようにそっとリュシアの隣へ腰を下ろした。

 泉の水面を映す陽光が、二人の沈黙を包み込む。

 やがて――。


「ここ、フォルの秘密の場所だって知ってました?」


 唐突な問いかけに、リュシアの肩がわずかに揺れる。だが顔は上げない。

 セレスティナは気にする様子もなく、泉に視線を向けたまま語り続ける。


「私がここに来て、まだ日が浅かった頃……みんなと打ち解けることができずに、どうすればいいのか分からずにいたんです。そんなとき、フォルがここに連れてきてくれました」


 遠い記憶を見つめるように、セレスティナの瞳が細められる。


「あのときは、魔獣に襲われて傷の回復していない私では……転移魔法を使っても、フォルを守るので精一杯で……結局、自分は遥か上空に転移してしまったんです。このまま落ちて、死んでしまってもいい。――そう思ったくらいでした」


 リュシアの指が膝を掴む力を強める。

 だがセレスティナは柔らかく微笑み、リュシアの横顔をそっと見やった。


「でも、それを救ってくれたのは……バニッシュと、貴女でした」


 陽光を受けたその微笑みは、泉の水面に映る光よりも優しく、静かにリュシアの胸に届いていった。


「私は、この拠点(ここ)が好きです」


 セレスティナは静かに言葉を紡ぎながら、天を仰ぐように視線を上げた。

 陽光がその横顔を照らし、まるで女神のような気配を纏わせる。


「皆が好き……ザイロも、メイラも、ライラも、フォルも。グラドも、最近来たセラも……それにパグも。もちろん、バニッシュも――そして、リュシア。貴女もです」


 それは飾り気のない、心からの告白だった。

 リュシアの肩が震える。

 抱え込んだ膝に回した両手へ、ぎゅっと力がこもる。


「……アイツは、分かってないのよ」


 もどかしさに満ちた声が、膝に顔を埋めたまま泉に落ちる。

 リュシアの胸に溜め込まれていた熱が、少しずつ零れ出す。


「皆が……どれだけ拠点(ここ)を好きなのか。皆が……どれだけアイツを慕ってるのか。……私が、どれだけアイツを――」


 そこで言葉は途切れた。

 顔を上げられず、膝に埋めたまま。

 けれど声の震えが、胸の奥に秘めた感情の大きさを何よりも雄弁に語っていた。

 泉を渡る風が二人の間を抜け、陽光に揺らめく水面がさざ波を描いた。

 セレスティナはただ静かに、その隣で寄り添うように微笑んでいた。


「本当に……鈍感な人ですよね」


 セレスティナは泉の水面を見つめたまま、ふっと小さく笑った。


「私や貴方の気持ちになんて気づかずに……そのくせ、肝心な時ほどそばにいて。傷ついたり、困っている人を決して見過ごせない。……でも、だからこそ、私達は――あの人を好きなんだと思います」


 その横顔は柔らかく、頬がほんのりと赤く染まっていた。

 リュシアは膝に顔を埋めていたが、覗く耳の先が赤くなっているのをセレスティナは見逃さなかった。

 少しの沈黙が流れる。

 やがて、セレスティナは膝に手を置き、静かに言った。


「リュシア……これを」


 差し出された手のひら。

 リュシアは驚いたように顔を上げる。

 その掌にあったのは、小さな赤いペンダントだった。

 陽光に照らされ、宝石のようにきらめくその赤は、どこか温かく、そして強い想いを宿しているように見えた。

 リュシアは目を瞬かせ、思わずその赤に見入る。


「これは……?」


 問いかけるリュシアに、セレスティナは静かに微笑んだ。


「昔、冒険者だった頃に……立ち寄った街で見かけた魔鉱細工なんです」


 セレスティナは懐かしむように言葉を紡ぐ。


「これは……その細工を思い出しながら、私が作ったものです。多少、グラドに手を貸してもらいましたけれど」


 そう言いながら、セレスティナはリュシアの手をそっと取り、小さな赤いペンダントをその掌に握らせた。


「……私と、お揃いなんですよ」


 胸元に手をやり、セレスティナは自らの首から下げている同じペンダントを見せる。

 陽光を浴びて、赤い光が二人の間に優しい彩りを落とした。

 ニコリと笑うセレスティナ。その笑顔は、泉に咲いた花のように柔らかい。

 リュシアは目を丸くし、視線を落とした。


「ど、どうして……? それだったら、バニッシュにあげたほうが……」


 声が揺れる。

 セレスティナはゆるやかに首を振り、微笑みを絶やさず答えた。


「――貴方に、持っていてほしいんです」


 その言葉は穏やかで、けれど確固たる意志が込められていた。

 リュシアの胸に、熱く小さな炎が灯るような感覚が広がっていった。


「――エルフェインの枷を、覚えていますか?」


 セレスティナが静かに口を開く。

 リュシアは眉を寄せ、少し考え込んでから小さく呟いた。


「確か……あの時、バニッシュが受けた……エルフが使う制約の呪い、だったっけ」


「そうです」


 セレスティナは優しく頷くと、リュシアの手に握らせた赤いペンダントを見つめた。


「これは……私が、貴方に贈る“枷”なんです」


「……えっ?」


 リュシアは驚いたように顔を上げる。

 セレスティナはまっすぐにその瞳を見返し、柔らかく、しかし揺るぎない声で続けた。


「赤い魔鉱は――永遠の絆を意味します。私は……もう、何も失いたくない。だからこそ、貴方に贈るんです」


 リュシアの胸の奥に、熱いものが込み上げてくる。

 セレスティナは微笑んで、言葉を結んだ。


「だって――貴方は、私の親友(ライバル)なんだから!」


 澄んだ泉に映る月光が二人を照らし出す。

 リュシアはペンダントを強く握りしめ、言葉を失った。

 胸がじーんと熱く、心の奥を打たれる。


「……アンタ、バカじゃないの」


 リュシアは零れそうになる涙を必死に堪え、震える声で強がるように言い放つ。

 けれど、その頬は赤く、潤んだ瞳は否応なく彼女の心を物語っていた。

 そして――にっと口元を吊り上げる。


「……ほら、ちゃんと受け取ってあげるわよ」


 そう言いながら、リュシアは赤いペンダントを首にかけた。

 陽光を受けて揺れるペンダントは、セレスティナの胸元のものと重なり、鮮やかな赤い光をひとすじ走らせる。

 それはまるで、二人の心を強く結びつける絆そのもののようだった。

 リュシアは立ち上がり、胸を張って言う。


「さあ――もう一人の悩めるバカのところに行きましょう! アイツは私たちがいないと、ほんっとダメなんだから!」


 そのいつもの調子に戻った姿を見て、セレスティナは思わずふふっと笑みを零す。

 重苦しい空気を振り払った二人は、視線を交わし合い、小さく頷くと並んで駆け出した。


 ――拠点へ。

 悩める彼を支えるために。

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