無自覚の才能、そして新たな試みへ
焚き火のゆらめきが、温かな光が夜の拠点を照らしていた。
手作りの長机に皿が並び、湯気の立つご馳走がそこかしこに。
薬草のスープ、香ばしく焼いた獣肉、リュシアが魔法で調整した温野菜、メイラ特製の野草パン――
ささやかだけれど、温もりに満ちた宴だった。
「改めて……セレスティナが仲間になってくれたことに、かんぱい!」
バニッシュの声とともに、木のカップをみんなで合わせる。
焚き火に照らされたセレスティナは、少しだけ顔を赤くしながら、控えめにカップを上げた。
「……いただきます」
その一言に、周囲がぱっと明るくなるような笑みを浮かべる。
(まだ緊張してるけど……うん、少しずつでいい)
そんな空気の中、バニッシュがスープをすすりながら呟いた。
「さて……セレスティナの家も建てないとな。場所は……」
「……今の部屋で、いい」
セレスティナの言葉は静かだが、はっきりしていた。
一瞬、空気が止まった。
今、彼女が暮らしているのは――バニッシュとリュシアの家の空き部屋だ。
「えっ?」
リュシアの眉が、かすかに動いた。
表情は崩さず、穏やかに微笑みながら言う。
「別に遠慮しなくてもいいのよ? 寝床くらい、すぐに用意できるわ」
「遠慮じゃないの。……あの部屋が、いいの」
ぴたり。
焚き火のぱちぱちという音だけが、周囲に響いた。
リュシアとセレスティナの視線が、静かに交錯する。
どちらも笑顔のまま、しかし目だけが言葉以上に語っていた。
(……この女……)
(引かないわよ……)
じわりじわりと、見えない火花が散る。
それを――
「ふふ、若いっていいわねえ」
と楽しげに見つめるのは、メイラだった。
「やれやれ、こういう時の空気は読まないほうがいい」
と苦笑するザイロ。
そんな大人たちの視線の先で、ほんの少しムッとした顔をするのは、ライラ。
(……別に、気にしてないし)
その顔に気づいたフォルが、にやりと笑ってからかう。
「ライラお姉ちゃんも、あのお姉ちゃんに負けたくないんでしょ~?」
「なっ……! ち、違うからっ! なに言ってんのよアンタ!」
ばたばたと弟を小突くライラに、フォルはげらげら笑って逃げ回る。
「ほらほら~! つかまえてごら~ん!」
「待ちなさいこのっ!」
楽しげな笑い声が、焚き火の灯りとともに夜空へ溶けていく。
その様子を、スープをすすりながら眺めるバニッシュは、
やれやれ、と肩をすくめた。
「……にぎやかになったもんだ」
でも――その声には、どこか嬉しさがにじんでいた。
焚き火のゆらめきが、静かな夜の空気に溶け込んでいた。バニッシュ、セレスティナ、リュシアの三人は、拠点から少し離れた場所で腰を下ろしていた。
「――協力を頼みたい。結界を広げたいんだ」
バニッシュはそう言って、ふたりに深々と頭を下げた。
セレスティナとリュシアは、顔を見合わせる。
「あなた……あの結界を、まだ広げるつもりなの?」
リュシアが呆れたように言うと、セレスティナも静かに続けた。
「そもそも、これほどの結界を張れる人間がいること自体、信じがたいわ。いくら結界といっても……人も、魔物も、魔獣でさえも一切寄せ付けず、外からの干渉すら通さないなんて――そんな結界、理論上あり得ないわ。私が知っている限り、あの《三重魔障結界》ですら、隙間は存在する。完璧じゃない」
「魔王クラスでも難しいわよ、あんな精度。維持しながら生活してるとか、ちょっと頭おかしいレベル」
リュシアが額を押さえて呻くように言った。
しかしバニッシュは、まるでピンときていないような顔でぽつりと答えた。
「え、そんなにすごいのか? いや、まあ……基礎を積んでいけば、あれくらいは出来るもんだと思ってたんだが」
「基礎って……何の基礎よ?」
セレスティナが目を細めた。
バニッシュは焚き火の炎を見つめながら、淡々と語り始めた。
「この世界にある魔法の基盤……五大元素。火、水、風、土、雷。加えて、光と闇。人は誰しも、その中のどれかに適性を持つ。普通はその一つか二つを伸ばしていくのが一般的だ」
それは二人にとっても常識だった。だが、次の言葉に目を見開くことになる。
「でも俺は、全部を基礎だけ極めた。応用は捨てて、ただ基礎だけをな」
「……全部?」
「七属性、すべての基礎……?」
セレスティナの声が震えた。
「おかしいでしょ! 人の脳や魔力回路はそんな器用じゃないのよ!? 一属性極めるのですら十年以上かかるってのに、七属性すべてって……!」
リュシアも完全に頭を抱えている。
だが、バニッシュはあくまであっさりと言った。
「だって、全部“俺たちが生きてるこの世界”を構成するものなんだろ? それなら、それぞれの基礎くらい、理解しておいて当然だと思ってな」
あまりに自然体な言葉に、二人は完全に沈黙した。
リュシアは眉をひそめ、怒気を抑えた声で言い放った。
「……たとえ理屈が通ってても、そんなこと出来るわけないでしょ。七属性すべての基礎を極めるなんて、頭の中だけの空論よ!」
その言葉に、バニッシュはふっと笑みを浮かべ、静かに立ち上がった。
「……じゃあ、証明してみせる」
そう言って、夜空を背に、宙へと右手をかざす。
「まずは、核となる――火の魔法」
彼の掌から、ふわりと温もりを帯びた光が灯る。燃え盛るのではない。安定した熱量を持ち、淡く紅蓮にゆらめく、直径30センチほどの火球。それはまるで、小さな太陽のようだった。
「次に――外殻となる土の魔法」
地面の砂粒が宙に舞い上がり、火球の周囲を包み込むように集まり、形作る。岩盤のように硬く、だが綺麗な球体を維持したまま、火球をその内側に封じ込める。
「さらに――水の魔法」
その土の外殻から、淡く蒸気が吹き出したかと思えば、瞬く間に冷却され、透き通った水が球体を覆っていく。まるで大洋のような水の層が、重力も無視して浮遊しながら形を保つ。
「風と雷だ」
バニッシュが指を弾くと、水面の上空に小さな風の渦が現れ、雲をつくり始める。そこへ微細な放電が走り、雲が生きているかのように光る。気流が吹き込むと、風圧で雲がうねり、まるで天候が回る“空”が生まれる。
「そして――光と闇」
指先で陽光のような光球を生み出し、反対の手で闇の結界を纏わせる。光と闇が周囲を交互に照らし、浮かぶ球体に昼と夜を再現する。極小の“惑星”が、宙に浮かんだ。
「……完成だ」
その言葉と共に、浮かぶ球体は、地球儀のようにゆっくりと自転を始める。火を内に秘め、大地を持ち、海を抱き、雲が浮かび、空が広がり、太陽と夜が巡る――世界の縮図だった。
「全部、基礎だけで組んだ。応用なんて何も使ってない」
バニッシュは肩をすくめて言った。
「基礎さえ極めりゃ、これくらいは誰でも出来るだろ?」
リュシアとセレスティナは、言葉を失っていた。
セレスティナの唇が震え、ようやく呟いた。
「……こんなの、見たことない……」
リュシアは額を押さえて、しばらく黙っていたが、次の瞬間、叫ぶ。
「できるわけないでしょバカああああああああっ!!」
焚き火の音が、その叫びにかき消される。
そんなリュシアを見て、バニッシュは少し得意げに鼻を鳴らした。
「……でも、できただろ?」
セレスティナは呆然と、バニッシュの掌から浮かぶ“小さな世界”を見上げていた。内に赤々と輝く火球、その周囲を包むように構成された土壌、溢れる水が海となり、雷によって生まれた雲と風が微細な気流を生み出す。そして光と闇が交差し、小さな空間に朝と夜が巡る──まるで、完璧な調和の中に構築された“世界の原型”だった。
「……これは……」
かすれたように呟いたセレスティナが、一歩前に出る。
「どうして……あなたが古代魔法を使えるの?」
その言葉に、バニッシュは小さく首を傾げた。
「いや、俺は古代魔法なんて使えないぞ? 俺が使ってるのは、ただの基礎魔法を組み合わせたものだ。」
「はあ? これのどこが“ただの基礎魔法”よ……!」
リュシアがあきれたように呟いたが、セレスティナは真剣なまなざしのまま、バニッシュの“世界”を指差す。
「これは……古代魔法の原理に限りなく近いわ。」
バニッシュとリュシアが、同時に彼女を見た。
「古代魔法は、私たちが扱う現代魔法と根本的に理論が違うの。通常の魔法は“属性を操作する”ことに主眼が置かれているけど……古代魔法は“世界の法則を模倣する”ものなの。」
「世界の……法則?」
「ええ。魔法元素を核として、一つの循環構造を“展開”していくの。複数の属性を同時に、しかも連動させて扱う必要がある。だから、現代では再現不可能だとされてきた……けれど、あなたの魔法は──その原理に限りなく近い。」
そう語るセレスティナの声音には、驚愕と、ほんのわずかな……敬意が混じっていた。
「俺は……ただ、全部の基礎をやってたら、こうなっただけなんだけどな。」
その言葉に、リュシアが頭を抱えた。
「“だけ”って言えるのが、もうおかしいのよ……!」
ふと、バニッシュが空を仰いでぽつりと呟いた。
「そういえば……昔、駆け出しの頃の話なんだけどな。」
その口調は、どこか懐かしむような温かさを帯びていた。
「ある冒険者に言われたんだ。『お前は素質がない……でも、“素質がある”』ってな。訳の分からないことを言って、最後にこれをくれた。」
そう言って腰のポーチを探り、小さな巻物を取り出す。くすんだ茶色の皮に覆われ、擦り切れた糸で結ばれたその巻物には、見たこともない古い印が刻まれていた。
「ずっと持ってただけで、正直あまり読めなかったけど、基本の魔法構成や元素の理論、練習法が図解で載っててな。全部基礎ばっかりだけど……こいつが、俺の原点だよ。」
セレスティナは、その巻物を一目見た瞬間、息を呑んだ。
「……それ……!」
指先が震え、声がかすれる。
「それ……それは……お父様の……!」
思わず近づき、巻物を手に取り、そっと広げる。そこに記されていた古代語の魔法記述、ページの端に記された「C.E.=Eルグレア」のサイン……。
「間違いない……これは、私の父が書いた“古代魔法の原書”……!」
その言葉に、バニッシュもリュシアも息を呑む。
「えっ……ちょっと待って、それって……」
セレスティナは涙を浮かべながら、微笑んだ。
「お父様は……世界を旅して、古代魔法の理論を後世に残そうとしてた。だけどエルフの里じゃ異端者とされて……この巻物も、処分されたって……」
バニッシュはしばし黙って巻物を見つめた。
「そいつ……俺には名前を教えてくれなかった。ただ……“誰かの役に立てばいい”って言って、笑ってたよ。」
セレスティナの胸に、父の面影がよみがえる。
──見た目はぶっきらぼうで、でも優しくて、不器用な笑みを浮かべながらいつも言っていた。
『セレス……世界は広い。いろんな種族と、いろんな考えがある。でも、お前はお前のままで生きていけばいい。』
その記憶が、温かく蘇る。
「……まさか、こんな形で……また、出会えるなんて……」
小さく、ぽろりと涙がこぼれた。
夜気に浮かぶ小さな“世界”が静かにかすみ、バニッシュの掌で消えた。火の粉がぱらりと散り、ふたたび闇と星明りだけの森に戻る。
「――とにかく、あんたの魔法理論はよくわかったわ」
溜息混じりに腕を組むリュシア。
紫の髪が月光で揺れ、その瞳は呆れと興味の狭間をさまよっている。
「古代魔法の原理を寄せ集めた“めちゃくちゃ”な代物だけどね。そこがまた腹立つくらい凄いわけだけど」
セレスティナも巻物を抱えたまま、深くうなずく。
――この男は、知らず知らずに古代魔法を模倣していた。理解しきれていないくせに、だ。
リュシアは顎に指を当て、真剣な表情で結界の拡張を思案した。
「これ以上の範囲で、あの精度……正直、片手間じゃ無理ね」
そこへバニッシュが静かに口を開く。
「……だからこそ頼みたい。セレスティナ、君には“古代魔法”の理論を。リュシア、お前には“魔族の魔法理論”を教えてほしい。全部融合して、俺たちだけの結界をつくろう」
焚き火がぱちりと爆ぜる。
ふたりは同時に目を瞬かせた。
「ちょ、ちょっと。魔族理論を人間と共有? あんた、自覚ある? それ、とんでもない機密よ」
「古代魔法だって同じよ。軽く扱える知識じゃないわ」
そう言いながらも、ふたりはバニッシュの真剣な眼差しを真正面から受け止めていた。
そこには野心でも打算でもない。ただ“守りたい”という、まっすぐな意志だけが灯っている。
――瞬間、胸に走る小さな熱。
リュシアはふっと笑い、肩をすくめた。
「……ま、いいわ。やるなら徹底的にやりましょ」
セレスティナも静かに巻物を握り直し、微笑を浮かべる。
「私も……協力するわ。お父様の魔法が、ここで生きるなら」
バニッシュは力強くうなずき、右手を差し出した。
セレスティナがそっと重ね、リュシアがぱん、と上から叩くように添える。
三つの手が重なり合い、焚き火の赤が柔らかく照らす。
種族も過去も理論も違う――だからこそ、可能性は無限だ。
「よし。まずは明日の朝から、基礎式の突き合わせだ」
「……了解。後悔しないでよね、人間」
「あなたこそついてこられるかしら、魔族」
掛け合いは早くも火花を散らすが、どこか楽しげだった。
夜空には星が瞬き、森を渡る風は静かに頬を撫でていく。
こうして――世界でまだ誰も見たことのない“融合魔法結界”の研究が、三人の手で幕を開けた。
焚き火の明かりが揺れるなか、ふとリュシアの視線がバニッシュに向けられる。先ほどまでの和やかさが一転、彼女の顔に素朴な疑問が浮かんでいた。
「――ねえ、ひとつ聞いていい?」
バニッシュは目だけで応える。リュシアは少しだけ間を置いて、首を傾げた。
「……あんた、これだけの魔法理論と技術がありながら、なんで“勇者パーティー”を追放されたのよ?」
その言葉に、セレスティナもぴくりと眉を動かす。
バニッシュは少し目を伏せ、焚き火を見つめたまま苦笑した。
「ああ……それは簡単なことさ。――俺が“おっさん”だったからだよ。若い連中のノリに、どうにもついて行けなかった」
「…………は?」
ぽかんとした顔のリュシア。
セレスティナも無言でバニッシュを見つめている。
「なんだよ、実際そうだったんだ。年齢も性格も浮いててさ。周りはみんな才能溢れる若者。俺みたいなの、場違いだったんだよ」
言葉に棘はないが、それが事実であることを物語っていた。
リュシアはしばらく唖然としていたが、やがて大きく深呼吸して――
「……そんなわけないでしょ、バカーーーっ!」
バンッと地面を踏み鳴らして立ち上がる。
「基礎を極めて、古代魔法の原理を無意識に再現して、結界だって前代未聞のレベルで張れるってのに、追放理由が“おっさん”!? そんな理不尽ある!?」
「いや、まあ……理不尽かもしれんけど、現実だったからなぁ……」
バニッシュは頭をかきながら、困ったように笑った。
その姿を見て、セレスティナも小さく笑う。
「でも今は、その“おっさん”が、世界にまだない魔法を作ろうとしてるわ」
リュシアはぷいと横を向きながらも、顔がほんのり赤くなっていた。
「……ったく、しょうもない理由で追い出したわね。勇者パーティーは、全員見る目なさすぎ」
夜風が少しだけ、焚き火の炎を揺らす。
そしてその中心に立つ“おっさん”の背中は、どこまでも頼もしく映っていた。