お菓子で世界は救えますか
煌めく白亜の柱が連なる女神の会議堂。
その扉を、統括する女神にずるずると引きずられるようにして、セラが姿を現した。
「セラ! あなたは何でいつも時間通りに来れないの!」
「これで何度目だと思っているの?」
「少しは十二柱の自覚を持ちなさい!」
「まったく……なぜこんな娘が十二柱なのかしら」
高座に並ぶ女神たちから、一斉に叱責の声が飛ぶ。
その声は雷鳴のごとく会議堂を震わせ、荘厳な空気をさらに重苦しいものにしていた。
しかし、叱られている当のセラは――頬をふくらませて、ぷいっと顔を背けていた。
「……」
尖らせた口元。
それは反省からではない。
「お昼ごはん、食べ損ねたんだもん……」
小声でぼそりと呟き、すねているのだ。
――なぜ、この娘が十二柱なのか。
叱責を飛ばす女神たちが胸の内で同じ問いを繰り返す。
答えは、単純にして明白。
セラフィ=リュミエール――通称セラ。
その神力は、他のどの女神をも凌駕し、時に創造神に匹敵するのではとさえ噂されるほど。
だからこそ、誰も彼女を外すことはできない。
そして――だからこそ、彼女の天然ぶりに女神たちはやきもきしているのだ。
「まったく……力ばかりは桁外れなのに」
「……惜しいどころの話じゃないわね」
呆れとため息が、会議堂の高天井に溶けていく。
そんな声も、セラの耳にはほとんど届いていない。
彼女の頭の中には、ただひとつ――
(お腹すいたなぁ……)
そんな言葉だけが、ぐるぐると回っていた。
統括する女神は、すねた顔をしているセラをなんとか席に座らせ、自らもゆっくりと中央奥の席へ腰を下ろした。
重々しい沈黙を切り裂くように、その声が響く。
「……会議を再開します。現状のままでは、いずれ世界は滅びてしまうでしょう」
場にいた女神たちの表情がさらに険しくなる。
やがて、眼鏡をかけた知性派の女神が、クイッとフレームを押し上げながら発言した。
「では……新たに勇者を探すのはどうでしょうか」
だが、すぐに別の女神が首を横に振る。
「それには時間がかかりすぎるわ。この混乱の中で、そんな悠長なことをしていては……」
「では、誰か候補はいないの?」
「いま世界は混迷を極めている。勇者の適性を持つ者など……」
議論が飛び交い、会議堂は騒然となる。
各々が声を張り上げる中で――ただ一人、セラは。
ぼーっと宙を見上げていた。
頭の中に浮かんでいるのは、勇者の話題でも世界の滅亡でもなく――
(……お菓子、食べたいなぁ)
甘い焼き菓子。
はちみつをたっぷりかけたクッキー。
ふわふわのケーキ。
そんな光景がぐるぐると脳裏を巡っている。
「――セラ」
不意に、統括する女神の鋭い声が飛んだ。
セラはびくりと肩を揺らす。
「……貴方の意見は、ありますか?」
会議堂の視線が一斉に、セラへ注がれる。
女神たちの瞳は緊張に揺れ、誰もが息を飲んでいた。
世界の命運を左右する発言を、この力ある女神がどう導くのか――。
セラは、にっこりと笑った。
「――みんなで、お菓子を食べればいいと思うわ♪」
静寂。
その瞬間――会議堂の空気が一斉に凍り付いた。
女神たちは一斉に額へ手を当て、呆れ果てたように深いため息を吐いた。
「また……」
「本当に十二柱なのかしら……」
「世界の命運を、そんなことに委ねるだなんて……」
ざわめきと失望が広がる中、ただ一人――統括する女神だけは、静かにセラを見つめていた。
その瞳は厳しくも温かく、真実を見抜こうとするように見据えている。
「……セラ。貴方は下界を覗き見るのが好きでしたね」
セラはキョトンとした顔をして首を傾げる。
統括する女神はゆっくりと言葉を続けた。
「今、世界が滅びれば――貴方がいつも見ている料理や祭り、人々の生活……その全てが二度と見られなくなります」
会議堂に再び静寂が落ちた。
女神たちも口をつぐみ、セラの返答を待つ。
「それを踏まえて、もう一度聞きます。……貴方に、意見はありますか?」
統括する女神はセラの心理を確かめるように、ゆっくりと問いかける。
セラは宙空へと視線を彷徨わせ――考えているのか、何も考えていないのか、判別がつかない沈黙を続けた。
やがて。
彼女は再び顔を戻し、にっこりと笑った。
「やっぱりね――みんなでお菓子を食べればいいと思うわ♪」
……またか。
女神たちの肩が、一斉に脱力する音が聞こえるようだった。
しかし、統括する女神だけはしばし黙し、目を伏せて考え込んだ。
そしてゆっくりと目を開き、深く息を吐いた。
「……今日はここまでにします」
その声が響くと同時に、会議は解散となった。
女神たちは口々に不満を漏らしながら退室していく。
一方、セラはお昼ご飯を思い浮かべるように小さく鼻歌を歌い、足取りも軽く会議堂を出て行く。
会議堂を後にしたセラは、鼻歌交じりにルンルンと足取り軽く自宅へ向かっていた。
白い衣を揺らし、桃色の髪を陽光にきらめかせながら――まるでお散歩帰りの少女そのもの。
その肩に、ひらりと影が舞い降りた。
先ほど彼女を起こした神鳥――パグである。
「セラ様、会議はどうでしたか?」
パグが首を傾げて問うと、セラは人差し指を顎にあて、にこりと笑った。
「う~ん……わからなかったわ」
あまりにも無邪気な答えに、パグはかくんと頭を垂れる。
(……やはり、この方は……)
溜め息を堪える神鳥をよそに、セラは小道を進んでいく。
やがて――視界が大きく開けた。
天界の高台。遥か彼方まで空が広がり、地上の光景が淡く霞んで見下ろせる場所。
セラの足が、そこで止まった。
「……セラ様?」
怪訝そうに首を傾げるパグ。
だが、セラはただじっと、遠い空を眺めていた。
「……パグ」
小さな声。
けれど、その響きはいつもと違っていた。
笑みでも愚痴でもない、心の奥に浮かんだ“問い”そのものだった。
「私は、わからないの」
風に揺れる桃色の髪。淡い碧眼が、地上の彼方を映している。
「どうして……争わなきゃいけないのか」
それは、無邪気な子供のような問い。
だが同時に、この世界を統べる十二柱のひとりとしての“核心”を突く問いでもあった。
パグはその横顔を見つめ、しばし沈黙した。
そして――小さく目を細め、静かに言葉を落とす。
「……それが“理”だからです」
風が渡る。
空と花畑の境で、女神と神鳥の影が重なった。
「私ね、食べるのが好き。お散歩するのも、お昼寝するのも」
セラは振り返り、無邪気な瞳でパグに告げた。
その声は春のそよ風のように柔らかく、どこまでも澄んでいる。
「――それは、みんな同じだと思うの♪」
にっこりと笑う。
その笑顔は、未来を見据えているようにも、ただ夢を見ているだけのようにも見えた。
誰にもわからない。
ただ一つ確かなのは――その言葉が、誰もが心の奥底で求める理想の光景を映していた、ということ。
「セラ様……」
パグが名を呼びかける。
だが、その声を遮るように――
きゅるるるるる……
静かな天界に、可愛らしいお腹の音が響いた。
「あっ!」
セラは自分のお腹を押さえて、ぱっと顔を明るくした。
「そうだ!お昼ご飯を食べなくちゃ!」
次の瞬間、彼女は風に舞うように駆け出していく。
肩に乗っていたパグは思わず飛び上がり、羽ばたいてセラの背を追いかけた。
「ま、待ってくださいセラ様!」
慌てて追いかけようとしたその瞬間。
――スッ。
パグの横に、気配もなく影が立った。
パグは振り返り、その姿を見て慌てて羽をすくめた。
「こ、これは……姉君様」
白銀の衣を纏い、冷たさと威厳を兼ね備えた気配を放つその女神――統括の女神、 ルミナ=リュミエール。
彼女こそ、セラの姉であり、十二柱を束ねる存在だった。
ルミナはすっと手を差し出す。
その指先は白磁のようにしなやかで、けれど確かな力を宿している。
パグは羽を震わせながら、その手にちょこんと止まった。
「……セラは?」
ルミナが問いかける。
その声音には冷徹さよりも、どこか柔らかな響きが混じっていた。
「変わりありません。……いつも通りです」
パグが小さく答えると、ルミナはふっと笑った。
それは、統括者の顔ではなく――妹を思う姉の、優しくあたたかい微笑みだった。
「……あの子は、この世界の楔のひとつです」
ルミナの視線は、遠く駆け回るセラの背に注がれている。
その眼差しには、世界を守る統括の女神としての使命と、妹を守りたいという姉の想いがないまぜになっていた。
パグは言葉を失い、ただその横顔を見つめる。
「――貴方は、ずっとあの子のそばにいてくださいね」
穏やかな声でルミナは告げる。
命令ではなく、願い。
けれどそれは女神の祈りに等しい響きを帯びていた。
「……わかりました」
パグは深く頭を垂れ、その想いを受け止めた。
その時――
「パグー!置いてっちゃうよー!」
遠く、花畑の向こうから無邪気な声が響いてきた。
振り返れば、スカートをひらひらさせながら手を振るセラの姿。
ルミナは小さく微笑み、パグの背をそっと押すように言った。
「……さあ、お行きなさい」
パグは一瞬だけ、去りゆく背を振り返った。
そこにあるのは、静かな決意と……どこか寂しさを滲ませた姉の後ろ姿。
羽を震わせ、パグは再び空へ舞い上がる。
「セラ様! 待ってくださいっ!」
澄んだ声が天に響き、神鳥は妹女神のもとへと飛び去っていった。