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群律の威

 地上に出たとき、空は群青から白金へと溶けはじめていた。

 夜を縛っていた闇が少しずつ薄れ、東の空に細く淡い光の筋が差し込む。

 疲労困憊の身体を抱えながら、バニッシュとグラドはしばし廃墟の入り口に佇んだ。夜の拍に翻弄され、廃拍人に追われ、石鼓と巨匠の怨念と戦い抜いた長い夜がようやく終わったのだ。

 風が冷たい。けれど、どこか甘やかに心を撫でるようだった。

 バニッシュは胸に抱えた鳴心環をそっと確かめる。光を帯びた輪はひどく静かで、まるで嵐の後の湖面のように澄んでいた。


「……行こう。まずは休まないとな」


 グラドの声に、バニッシュは頷いた。

 二人は街へ戻り、宿の寝台へ身を投げた。布団に落ちた瞬間、意識はすぐに沈み、どれほど眠ったのかも覚えていなかった。

 昼下がり。

 軒から差し込む陽光は柔らかく、外の喧騒が夢の名残を溶かす。

 体を整えたバニッシュとグラドは、再び心具屋へ向かった。

 簾を潜り、奥の座敷に案内される。そこには、やはり妖艶な姿のツヅラ御前がいた。

 花街を思わせる豪奢な調度、甘い香に包まれた空間。座布団にゆるやかに腰を預け、扇を口元に添える彼女は、昼の光を浴びてもなお影のような深みを纏っていた。


「おかえりやす。昨夜は……随分と骨を折ったやろう」


 金の瞳が細められる。その眼差しに射抜かれると、どれほどの戦場を経た男でも思わず背筋が正される。

 バニッシュは膝をつき、懐から包みを取り出した。

 瓦礫から掘り出した最初の鳴心環。古びていながら澄んだ光を帯びるそれを両手で捧げ、低く告げる。


「報告いたします。夜の拍の正体は、あの地下に眠っていた巨大な石鼓でした。拍に囚われた人々は廃拍人となり、心を奪われながらも神殿を守っていた。石鼓は崩壊し、巨匠の魂は解き放たれました。その瓦礫の中から、この環を見つけました。――最初に造られた鳴心環です」


 室内に静寂が降りる。

 ツヅラは手を伸ばし、鳴心環をそっと受け取った。指先でなぞり、金の瞳を伏せる。


「……そう」


 その声音は、まるで既に全てを知っていたかのように響いた。

 驚きも嘆きもなく、ただ「然るべきことが起きた」と言わんばかりの落ち着き。

 バニッシュは疑念を胸に抱きながらも、あえて問わなかった。

 真実を知っていながら口にしない――彼女にはそういう底知れぬ深さがある。

 やがてツヅラは瞳を上げ、環をバニッシュに差し出した。


「約束通り、これをあんたにやる」


 思わずバニッシュは息を呑む。


「……しかし、これは国にとって大切なものでは?」


 ツヅラはふっと笑みを浮かべた。

 その笑みは甘くも鋭く、ひとの心を見透かすような艶やかさがあった。


「せやけど、これはあんたのようなもんが持つべきや。英雄の目を持ち、巨匠の願いに心を寄せる者がな」


 言葉の意味を、バニッシュは痛いほど理解した。

 鳴心環はただの宝具ではない。それを持つ者の在り方によって、未来を照らす光にも、破滅を呼ぶ闇にもなる。

 ならば、自分が選ばれた理由は一つ。

 巨匠が夢見た「共に生きる未来」を、繋ぐ役目を果たせということだ。

 深く頭を垂れる。


「……承ります」


 隣でグラドも低く頷いた。


「こいつなら、大事にしてくれるさ」


 ツヅラは満足そうに扇を閉じ、立ち上がる。

 艶やかな衣がさらりと床を撫で、金の瞳が煌めいた。


「さて……あたしもお上に報告せなあかん。石鼓の件も、廃拍人のことも、全部な」


 そう言い残し、彼女はゆるやかに背を向ける。

 去り際、振り返りざまに紅を引いた唇をほころばせた。


「あんたらは……しばらく、ゆっくりしていきなはれ」


 柔らかに放たれたその一言は、不思議と重く、そして温かく胸に響いた。

 戦いの果てに抱いた鳴心環の重みを改めて感じながら、バニッシュは深く息を吐いた。

 報告を終えて店先に戻ると、暖かな昼の匂いが路地を満たしていた。

 獣脂で揚げた何かの香り、香草を刻む青い匂い、焼かれた穀餅の甘さ――それらが混ざって風に乗り、胃袋をたやすく刺激する。


「……腹、減ったなぁ」


 グラドが腹を押さえて伸びをする。

 夜通しの地下戦から仮眠、そしてツヅラ御前への謁見まで駆け抜けて、ようやく張りつめた糸が緩んだのだろう。バニッシュも頷いた。


「そうだな。どこか腰を落ち着けよう」


 二人は露店の列に入った。

 ここルガンディアの昼は人の市と違うリズムで脈打っている。

 呼び込みは短く、値切りの駆け引きも無駄がない。

 獣人たちの耳と尾がよく動き、言葉よりも身振りで多くが通じてしまうからだ。

 広場の隅に、丸木を半分くり抜いた長椀で煮込みを売る屋台があった。

 鍋では角獣の腱と根菜がとろとろに煮え、表面を走る脂に粉砕した香角の実が浮いている。

 隣では灰色の毛並みの老婆が、薄く伸ばした尾根麦の生地を石の上に叩きつけて焼いていた。


「二人前、濃いめで頼む」


 グラドが指を二本立てると、店主の熊面が無言で頷き、柄杓を豪快に振る。

 長椀から立つ湯気に、鼻先が自然と緩む。付け合わせの野菜は生で、塩と果汁で和えられている。

 初手の一口で、疲労に張り付いていた鉛がほどけて落ちた。

 腱のとろみは舌の上で崩れ、香草の清涼さが喉の熱を洗い流す。

 尾根麦の薄餅で煮込みを挟めば、熱は指に伝わって心地よく、歯で噛むたびに香りが広がる。


「……うんめぇ」


 グラドが素直に感嘆した。

 大鍋の脇には、鮮やかな緑の汁が瓶に入っている。

 店主が顎で示すので、バニッシュが少し垂らしてみた。

 香角樹の若葉を叩き潰したものらしく、脂を切る酸が舌に弾ける。


「この国は、食い方も工夫も、ぜんぶ“体”で覚えるんだな」


「耳と鼻がいいからだろうな。味も匂いも、言葉の前に通じる」


 器が半分ほど空になったとき、広場の向こうから低いざわめきが走った。

 最初は風かと思う。

 しかし音は徐々に広がり、尾を立てる者たちが一斉に同じ方向を向く。

 太鼓が一つ、二つ、短く鳴った。牙門――国境の街門だ。


「騒ぎか?」


「……嫌な言い方だが、もう“嫌な予感”ってのは当たることが多すぎる」


 耳の良い犬種の青年が走り過ぎ、その口から「魔族だ、牙門に魔族が現れた!」と飛び出した言葉が、広場を一気に硬くした。

 スプーンが器に当たる音が乾いた。

 グラドとバニッシュは顔を見合わせ、器を空にして立ち上がる。


「行くぞ」


「おう」


 市の通りは自然と牙門に向けて潮のように流れはじめる。

 獣人の群は驚くほど秩序立っており、走る者が通ればさっと道が開く。

 二人はその流れに逆らわず、しかし埋もれぬよう肩で押し分け、門前へ出た。

 前に見た同じ門だが、昼の牙門は表情が違った。

 幟が風に鳴り、門楼の上では警告の太鼓が刻みの早さを上げている。

 木のトーテムたちは陽を浴びて濃い影を落とし、その影の上に人だかりが重なっていた。

 門前の空地の中央が渦のように空いている。

 その中心に、見知った灰毛の門番が立っていた。

 片耳の端が古傷で欠けた、あの正直な眼の男だ。

 槍を持った仲間が左右に控え、背後には書記役の狸面が木簡を手にうろたえている。


「だからっ――“人を探しに来た”って言ってるでしょ!」


 長い髪は濡れた夜のような深紫。リュシアだ。

 腰に手をあて、爪先で地面をカツン、カツンと踏み鳴らすたび、周囲の獣人たちの耳がぴくぴくと動く。


「リュシア、落ち着いて」


 隣でセレスティナが袖を引いた。

 風に揺れる金の髪、琥珀色の瞳はいつも通り静かなのに、視線の奥でひそやかな焦りが燃えている。

 彼女らの前に立ちはだかるのは、灰毛の門番。

 片耳の端が古傷で欠けた狼種の戦士だ。

 鼻梁は利き、眼は細い。

 先刻、バニッシュから微かな“魔”の匂いを嗅ぎ分けた男でもある。

 彼は槍を地に立て、抑えに徹する低声で問うていた。


「名と目的をもう一度。ここはルガンディアの牙門だ。規に従え」


「リュシア=……リュシアよ!目的は“バニッシュとグラドを探す”!あの鈍くさ……じゃなくて、変なことに首突っ込むおっさんと鍛冶師の髭のよ!ここに入ったでしょ!」


「……言葉を選んで」


 セレスティナの苦笑が、わずかに緊張をほぐす。

 灰毛は無言で鼻先をわずかに上げ、二人の匂いを測る。

 人の匂い。森の匂い。……そして、明確な“魔族”の匂い。

 周囲の獣人たちも、それを感じ取ってざわついた。

「魔族だぞ」「持ち込みか?」「いや、連れか?」


 その人垣の背後、門楼の陰から一歩、すべるように現れた影がある。

 金の瞳に花魁の装い――ツヅラ御前だ。

 昼の光でも艶やかな黒髪はつやつやと、金環の飾りが涼やかに鳴った。

 扇を唇に添え、灰毛の手前に立つと、空気がすっと澄む。


「何の騒ぎやろ?」


 抑えた京言葉が、場の温度を一段下げた。

 灰毛が一礼し、簡潔に答える。


「客二名――一人は魔族、一人はエルフ。入国の目的は“人探し”と主張。対象は……」


 男の鼻先がわずかに動く。

 その先――人垣の外縁に辿り着いたバニッシュとグラドを、ぴたりと捉えた。


「――俺たちのことだな」


 バニッシュは額に手をやり、軽くため息をついた。心の底の苦笑は隠せない。

 ツヅラと灰毛の間へ一歩、出る。


「二人は、俺の仲間です」


 その言葉が落ちた瞬間、リュシアの顔がぱあっと明るくはじけた。


「――やっと見つけた!」


 周囲の視線など意に介さず、数歩で間合いを詰める。

 抱きつく勢いで駆け寄ってきたが、最後の一歩で踏みとどまり、むくれて指を突き付けた。


「もう!置いてくなんて、なしなんだから!」


「……無事でよかったです」


 セレスティナは胸に手を当て、安堵の吐息を落とす。

 瞳に溜めていた緊張がゆっくり解け、長い睫毛がふるえた。

 灰毛は槍を支え直し、苦い顔で二人とツヅラを交互に見た。

 職掌としては拒むべき案件――魔族の入城。

 けれど、目の前で明確に“仲間”として迎えられている。

 規と情が綱引きをし、決裁の重みが彼の肩にのしかかる。

 視線は、自然とツヅラへ向かった。

 判断を仰ぐ、静かな合図。

 ツヅラは扇を畳み、金の瞳でバニッシュとリュシア、セレスティナを順に見やる。

 わずかに目許を和らげ、口角を上げた。


「――あんたの仲間なら、入れてええよ」


 やわらかな声で、断言する。


「しかし――」


 灰毛が反射的に言葉を継ぎかけた。

 その「掟に照らせば」の前置きを、ツヅラはやんわりと遮る。


「この人は信用に値する。何かあれば、うちが責を負うえ」


 その一言に、空気がわずかに張り詰めた。

 狐の女が“責を負う”――それは軽い言葉ではない。

 ルガンディアでツヅラ御前が持つ立場を知る者なら、その重みを理解する。

 灰毛ははっと瞳を揺らし、次の瞬間には姿勢を正していた。


「……承知」


 短く返し、槍の石突で地を二度、コツ、コツと叩く。

 門番たちの動きが連動し、人垣が左右に割れた。

 狼のトーテムが見下ろす道が、四人のために開かれる。

 ざわめきは消えない。

 だが、誰も逆らわない。

 金の瞳に見据えられ、灰毛が決した以上、牙門の流儀は決まったのだ。


「お前たち……どうしてここに」


 バニッシュが駆け寄って問いかけると、リュシアは振り向きざまに指を突きつけた。


「あんたがこっそりいなくなるからでしょ!ザイロから(無理矢理)聞きだしたの!グラドと二人でルガンディアに行ったって!」


「……すまない。心配をかけた」


「わ、私は……止めるべきか迷いましたが、心配で。――ごめんなさい」


 セレスティナが小さく身を縮める。

 バニッシュは「やれやれ」と肩をすくめた。

 グラドは横で呵々と笑い、豪快にバニッシュの背中を叩く。


「いい仲間じゃねぇか。怒って追いかけてくるのは、結局、信じてるからだ」


 ツヅラがくすりと笑った。


「仲睦まじいなぁ。――ほな、入城の刻だけ押していき。規は規やさかい」


 扇の先で書記役を促すと、狸面の書記が木簡と刻刀を抱えて走り寄ってきた。

 名と目的、滞在の目安を記し、灰毛が匂い籠で最低限の検めを済ませる。

 その間、ツヅラは何事もなかったように立ち居振る舞い、周囲の好奇と警戒の視線を引き受けていた。

 刻印が終わるや、灰毛が槍を斜めに構え直し、一行に向き直る。


「規律に従う限り、客人として遇する。許可なき区域に踏み込むな。問題があれば――」


「あたしに通してええ」


 ツヅラが先に言って、金の瞳を細めた。


「できれば、何も起こらんのが一番やけどな」


 リュシアは頬を膨らませたままバニッシュに寄り目をする。


「最初から言っておきなさいよ、もう」


「悪かった。……だが来てくれて助かった」


 短い言葉に、彼女はほんの一瞬、耳まで赤くした。

 入国の手続きが終わり、緊張がほどけたその矢先――。

 門楼の上で別の合図が轟く。太鼓が連打され、角笛の音色が低く長く伸びる。

 守備隊がざわめき、灰毛が顔を上げた。


「第二合図……外周に異常……?」


 見張り台の兵が叫ぶ。


「外輪林の外、黒旗! 黒衣の騎兵、砂煙多数、こちらへ接近!」


 黒旗――その言葉に、周囲がざわめき立つ。

 ツヅラの扇が止まり、金の瞳が細くなる。

 バニッシュの背筋に冷たいものが走った。

 やがて、土煙を割って騎影が現れた。

 黒ずくめの外套、黒皮の胸甲、盾には倒立する太陽の紋――黒の勇者カイルの印だ。

 先頭の騎士が馬首を揺らし、牙門の前で手綱を引く。

 灰毛が一歩進み出て、槍を斜めに構えた。


「名を名乗れ。目的と素性を明かせ」


 黒衣の騎士は顎を上げ、鼻で笑う。


「新しき秩序を生む黒の勇者、その先遣。――お前たちを制圧し、ここを足掛かりとする」


 ざわり、と空気が揺れる。騎士は続けた。


「抵抗すれば、粛清だ」


 蛇のような冷たい声。

 灰毛の尾がぴたりと止まった。


「……やめておけ。ここは俺たちの国境だ。お前たちに従うつもりはない」


「くくく、ならば、黒の勇者の秩序の前で塵になるがいい!」


 先遣隊が一斉に武器を抜いた。

 黒塗りのクロスボウが持ち上がり、弦が鳴る。背後の兵は奇妙な黒布を地に広げ、影が滲むように広がった。

 門番たちは盾を前へ、槍を突き出し、横陣を築く。


「下がってろ」


 灰毛の声が短く鋭い。

 バニッシュも一歩踏み出す。


「手を貸す」


 グラドは槌を肩に担ぎ、リュシアは掌に熱を灯し、セレスティナは詠唱の前音を紡ぐ――その刹那。

 しゃなり、と絹の衣ずれ。

 ツヅラ御前がひとり、門前の広場の真ん中へ歩み出た。

 金の瞳が、黒衣の先遣隊を一瞥する。扇が閉じられ、白い指が空気を撫でた。

 静寂。

 そして――艶やかに、しかし氷のような冷たさで一言。


「――跪き」


 音が落ちた。

 次の瞬間、地面そのものが重くなったかのように、黒衣の兵が一斉に膝をついた。

 いや、膝だけではない。肩が、背が、頭が、石に押し潰されるみたいに地へ叩きつけられる。


「……がッ……な、何だ、この重さ……!」


 馬ごと潰れ、騎士の口から呻きが漏れる。

 クロスボウは甲高い音を立てて落ち、蟻塚のように崩れて影を失った。

 門番たちは一瞬目を丸くしたが、灰毛が即座に吠えた。


「縛れ!」


 狼、犬、熊――獣人の兵たちが流れるように動き、縄を投げ、腕を取り、関節を固めていく。

 抵抗しようとした兵は、さらに強く地面へ貼り付けられ、頬を石畳に擦りつけられた。

 あっという間だった。

 緊張が弾け、広場にざわめきが返る。

 あっけにとられていたのは、バニッシュたちのほうでもある。


「……今のは」


 バニッシュが息を吐き、ツヅラを見る。

 扇の裏で小さく笑い、彼女は肩をすくめた。


「獣人特有のスキルや。わたしのは『群律』……群れを束ねる理。――“伏”の節、言の一つで地へ伏させる。群としての従属反射を引き出すんや」


「従属反射……?」


「群れには序がある。強い尾の前では、本能が先に膝を折る。そこへことばと理で楔を打つ。――人の軍勢は訓練で“従う”ことを覚えさせられてるさかい、よう効くわ」


 なるほど、とグラドが感心の唸り声を漏らす。


「重力魔法じゃねぇ。心に“重し”を乗せる類か」


「まあ、そう思てくれてええ。けど効かぬ相手もおる。孤狼、狂犬、あるいは“王”や。今の連中は……ただの(こけ)やさかいな」


 灰毛が手早く指示を飛ばし、縄をかけ終わった兵を門内の詰所へ運ばせる。

 黒衣の隊長格が歯を食いしばり、ツヅラを睨み上げた。


「……黒の勇者……我らは必ず――」


 言葉は灰毛の槍尻で遮られた。


「口は詰所で利け。ここは市場の前だ」


 喧騒が徐々に退き、見物の群れも薄れる。リュシアがぽかんと口を開け、じりじりとツヅラににじり寄った。


「……すご。ねえ今の、どうやったら私にもできる?」


「アンタは系統が違うなぁ。魔族やろ。群律は“群”に宿る理や。けど――」


 ツヅラはいたずらっぽく目を細める。


「人を惚れさせるより、まず怒りで暴れへんことを覚えなはれ。理は器に宿るさかい」


「む……努力します」


 セレスティナは胸に手を当て、微笑んだ。


「今の干渉、抵抗呪で薄められますか?」


「できる。けど、数の理や。群れが“従う”空気になったら、抗うのは難しい。せやから、長は長たる振る舞いを欠かしたらあかん」


 ツヅラが扇を鳴らして話を締める。


「とりあえず一件落着や。黒の勇者の使いは詰所で訊ぃ出す。――あんたらは、わしの屋敷へ来な。今夜は城下の空気が荒ぶ。群れの長は“守る影”を厚ぅする時分や」


 金の瞳が、ふっと和らぐ。


「それに、鳴心環のことも、続きがある」


 バニッシュは頷き、腰の新しい剣の柄にそっと触れた。

 巨匠の怨念を裂いたとき、刃は自ら形を変えた。今も薄く、澄んだ光を宿している。

 破邪の剣――グラドがそう呼んだ。

 名はまだ定めていないが、剣の芯に宿る温かさは、持ち主に意志を明かしている。

 守るために振るう。群れのために、約束のために。

 風が、市壁の幟を鳴らした。

 黒の勇者の影が近づいているのは確かだ。

 だが、この国には獣の理がある。膝を折らせる言葉と、群れを守る掟がある。

 そして――それに背持ちする者たちがいる。

 ツヅラがひとつ、艶やかに笑った。


「ほな、行こか。――賓客は、長の影に入ってもろたらええ」


 日差しはまだ高い。だが牙門の石畳には、黒い影が一本、長く伸びていた。

 その影をまたぎながら、バニッシュはほんの少しだけ空を仰ぐ。

 遠く、雲の端で光がきらりと揺れた。まるで「次が始まる」と合図するように。

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