青白き炎、解き放たれしの願い
――地下の石段を降りていくと、拍の音は次第に重みを増し、鼓動のように大地全体が脈を打っているかのように感じられた。
バニッシュとグラドは互いに無言で頷き合い、火の灯りを頼りに最奥へ進む。
そこにあったのは、黒くひび割れた大きな石鼓――拍の正体だった。鼓面は石とは思えぬほど艶やかで、無数の手跡や爪痕のような傷が刻まれている。
近づくたび、理性を侵すような律動が胸の奥に響き渡る。
「……これが、鳴土路の拍の源か」
「ただの石じゃねぇな。何かが封じられ、まだ生きてやがる」
グラドが低く唸る。
そのとき、石鼓の横に半ば崩れ落ちた棚のようなものが目に入った。
朽ちかけた木箱、破れた巻物、そして一冊の厚い日誌。
羊皮紙の束を革で綴じただけの粗末な作りだが、不思議と視線を引き寄せられる。
バニッシュは慎重に拾い上げ、埃を払って開いた。
そこには整った文字で、丁寧に、しかし時に震えを含む筆跡が連なっていた。
――我は此の環を“鳴心環”と名づく。
人の心は弱きもの、恐れと憎しみに囚われ易し。ゆえに、調べを以て心を整え、群を繋ぐことを願う。
初めの数頁には、鳴心環を作り上げた理由が綴られていた。
人々の間に蔓延る不信と争い、それを収めるために「心を和らげる調べ」を与える装置として作られたのだ、と。
「……争いを止めるための道具、か」
「だが、いつの間にか拍は人を狂わせる呪いになっちまった」
ページを繰るたび、作者の葛藤が滲み出る。
人のためを思って作ったものが、時と共に異なる形で人を縛り、蝕んでいった。
その苦悩と罪悪感が、行間からにじみ出る。
やがて、バニッシュの目がある一文に釘付けになった。
――願わくば、獣の民と人とが共に食卓を囲み、子らを育み、未来を築くこと。
その環は道を繋ぐものであれ。やがてエルフも、ドワーフも、そして魔族すらも――皆が同じ空を仰ぎ、同じ歌を口ずさむ日のために。
その一文を目で追った瞬間、バニッシュの胸に熱が込み上げた。
――これは、まるで自分たちの旅の意味を先取りするかのような願いではないか。
「……グラド。これを書いた奴は……本当に、先を見てたんだな」
「そうだな。争いを越えて、皆が一緒に生きることを願った……か」
拍が空気を震わせ続けている。
だが今は、その響きが少しだけ違って聞こえた。
人を狂わせる呪いではなく、かつて願われた「調べ」の名残が、まだここに残っているように。
石鼓の奥、さらに地下へと続く階段が口を開けていた。
そこからはより濃い異様な気配が漂い、拍の源がさらに深みにあることを示している。
「……行くしかねぇな」
「ああ。この願いを無駄にしないためにも」
二人は日誌を大切に収めると、背後で扉を叩く廃拍人の音を振り切るように、さらに地下へと足を踏み入れていった。
地下へと続く石段を下り切った瞬間、二人の目に飛び込んできたのは、ただただ圧倒的な光景だった。
――大空間。
岩盤を無理やり穿ち抜いたようなその地下の広間は、天井が見えぬほどの高さを持ち、広がる空気は湿り気と鉄の臭気で重く淀んでいた。
青白い光苔が所々に浮かび、そのわずかな光が、空間の中心に鎮座する巨体を淡く照らしている。
それは石鼓だった。
高さは十メートルを優に超え、円筒形の巨石を刳り貫き、外周には無数の古代紋様が刻まれている。
その表面は血のような赤黒い光を帯び、どくん、どくんと脈打つように震動していた。
――心臓だ。
そう錯覚するほど、石鼓は生き物めいた律動を放っていた。
拍が鳴るたび、空間全体が揺さぶられ、骨の奥まで共鳴する。
「……こいつが、本体か」
グラドが低く呟いた。
その声音には恐怖も畏怖も混ざっていたが、何より職人としての昂揚が濃かった。
バニッシュは眉をひそめる。
石鼓の一打ち一打ちが、胸の奥を握り潰すような圧迫となり、思考をかき乱してくる。
補助魔法を重ね、精神を守らねば、すぐにでも呑み込まれてしまうだろう。
そのとき――
「……ォ……」
低いうめき声が、四方から響いた。
闇の奥から現れたのは、人の形を保ちながらも、既に骸と化した存在たち。
皮膚は乾き、眼窩は落ち窪み、骨と皮を無理に繋ぎ止めるような異様な姿。
だが、彼らの体は拍に合わせてぎこちなく動き、石鼓を守ろうとするかのように二人へ迫ってきた。
「廃拍人……!」
バニッシュの心臓が縮む。
ここまで来れば、もう助けようがない。
拍に魂を侵され、ただ石鼓のために動く屍。
それでも、かつては誰かの家族であり、友であり、仲間だったはずの人々――その事実が胸を抉った。
「バニッシュ! 来るぞ!」
グラドの叫びと同時に、骸の群れが一斉に飛びかかる。
骨ばった手が爪のように伸び、口腔から濁った悲鳴が迸る。
「ぐっ……!」
グラドは咆哮を上げ、手にした大槌を横薙ぎに振り抜いた。
雷鳴のごとき衝撃音と共に、骸の体が数体まとめて吹き飛び、壁に叩きつけられて砕ける。
骨が砕ける音が響き、粉塵が舞った。
「まだまだぁっ!」
さらに踏み込み、振り下ろした槌で床を叩き割る。
石床が揺れ、亀裂が走り、骸たちが足を取られて崩れる。
グラドは迷わない。
もはや彼らを救う術はないと悟っているからこそ、その剛力をもって次々と骸を叩き潰していった。
バニッシュは歯を食いしばる。
理性では理解している。助けられない。けれど心は悲鳴を上げる。
かつて人だった者を斬り伏せる現実に、胸が裂けそうだった。
「……くそっ!」
彼は両手を掲げ、補助魔法を展開する。
グラドの体を光が包み、筋肉の出力を増幅し、槌の速度を加速させる。
「任せろ!俺は砕くのみだ!」
獣の如き雄叫びと共に、グラドの槌が骸の群れを次々と粉砕していく。
血ではなく灰が舞い、拍の音に溶けるように消えていった。
だがそのとき――
石鼓の上に、青黒い炎が灯った。
ぼうっ……と揺らめきながら広がった炎は、やがて人の形を象り始める。
長身、だが腕は異様に長く伸び、背からは炎の尾が幾重にも分かれて揺れている。
瞳は虚ろに光り、全身が炎の鎖に縛られた異形。
「……これは……」
バニッシュの脳裏に、あの日誌の記録がよぎる。
鳴心環を作った巨匠――彼の魂。
だがそれは理想を語った人の姿ではなかった。
拍と石鼓に囚われ、やがて異形の怨念へと変じた残滓。
青黒い炎が唸り、異形の腕が二人に向かって振り下ろされる。
「来やがれッ!」
グラドが槌を振り上げて受け止める。火花と轟音が迸り、地面が割れる。
「はあああッ!」
バニッシュは魔力を練り上げ、光の矢を放つ。
矢は異形の胸を貫くが、まるで霧を突き抜けたかのようにすり抜け、何の手応えもなかった。
「効かねぇ……!?」
異形の巨匠は低く唸り、青黒い炎を撒き散らす。
炎は骸の残骸をも巻き込み、再び動く廃拍人を生み出していく。
「くっ……無尽蔵かよ!」
グラドは汗を滴らせながらも槌を振るうが、異形の腕は重く鋭く、打ち払うたびに全身が軋んだ。
バニッシュは再び魔法を放つが、光も炎も雷も通じない。
「どうすれば……!」
打つ手を封じられ、敵はなおも圧を増す。
鳴心環を作った巨匠の魂は、理想を裏切るかのように、ただ破滅をもたらす鬼神と化していた。
なおも拍に合わせて揺れる大空間の空気を、骸の群れが掻きむしる。
骨と皮だけになった手が、獣の爪のように伸び、グラドに、バニッシュに、石を叩く死鼓のリズムで襲い掛かってきた。
「うおらァッ!」
グラドの大槌が唸り、三つ四つと骸を薙ぎ払う。
粉砕音とともに骨片が舞い、拍の隙間へ吸い込まれるように消えていく。
だが潰しても潰しても、青黒い炎の残滓が床の影から起き上がり、新たな廃拍人がふらつきながら前へ出る。
石鼓の上、青黒い炎で象られた異形が低く笑った。
鳴心環の巨匠――その魂が歪み、怨嗟の鬼神に変じたもの。
腕は焔の鞭となって振り下ろされ、床が抉れ、拍が一際強く鳴る。
「バニッシュ! ――お前に以前、渡した刀、使え!」
骸の肩胛骨を砕きながら、グラドが怒鳴る。
喉に砂を噛ませるような拍の震動の中で、声だけが澄んで届いた。
腰には一振りの刀。エルフェインへ向かう朝、グラドが「もしもの時用に」と手渡してくれた魔剣。
――あの時は《枷》に魂を縛られ、魔力を封じられて使えなかった。
「相手は“魂”だ。たとえ魔剣でも――」
言い切るより早く、巨匠の怨霊が飛んだ。
焔の腕が弧を描き、空間ごと押し潰すような圧が迫る。
バニッシュは石床を蹴り、紙一重で身を捻った。髪先を焦がす熱、頬を裂く風圧。
背後で床石がえぐれ、火の粉が弾けた。
グラドは歯を剥き、骸の首級を叩き落としながらニヤリと笑う。
「――だからこそだ。魔剣ってのは、使う者の“想い”と“魂”に呼応して姿を変える。伝説に名が残る鍛冶師、俺の打った魔剣は伊達じゃねぇ!」
響きに負けぬ自負。
槌を握る腕が震え、その震えは恐れではなく、鍛冶場の火と同じ昂りだ。
バニッシュは、腰の刀に触れた。
冷たさの奥に、静かな脈がある。拍とは別の、ひとつぶひとつぶ確かな鼓動。
「……俺の魂に――」
ぽつりと呟き、柄を握り直す。
グラドが廃拍人の肩を弾き飛ばしながら叫ぶ。
「お前ならできる!前に出ろ!」
腹の底で、誓いが鳴った。守るために剣を取る。
倒すためではなく、護るために。
バニッシュは鞘に添えた親指で、静かに“鳴らす”。
一拍の鞘鳴りが、死鼓の拍を裂いた。刃が走る。
――抜き打ち。
銀が閃き、だがそれは銀ではなかった。
抜き放たれた刀身は、空気に触れた瞬間、淡光を帯びて形を変える。
鍔の意匠が花弁のように開き、刃文に細かな古紋が走り、光の筋が血筋のように刃中へ流れ込む。
音もまた変わった。
金属の澄音ではない。風鈴のような、祈りの鈴のような、胸腔の奥を清める音。
巨匠の怨霊が気づく。焔の仮面がこちらを振り向き、低い呻きが空間を震わせる。
拍が一段高まった。
「来い――!」
一歩。足裏が石床を掴む。
二歩。拍の隙の、半呼吸。
三歩目で裂帛の気合いを噛み殺し、刃を横一文字に放つ。
光が走った。
交差の一瞬、怨霊の焔の腕がこちらを叩き潰そうと迫る。
だが刃は怨念の軌跡より速く、青黒い炎をするりと割り、核に触れた。
切先が触れた途端、硬質な手応えではなく、絡め取られかけた糸がぷつりと切れる感触が指に伝わる。
「――ッ!」
すれ違う。
遅れて焔が炸裂し、背で光の散る音がした。
青黒い炎が霧に変わり、細い光の粒へほどけていく。
巨匠の怨霊は声を上げない。
ただ、刃に触れたところから順に、憑きを剥がされるように淡く、淡く消えていった。
同時に、石鼓の脈が止む。
どくん、どくん、と鳴っていた圧が途切れ、地下の大空間を満たしていた重い息がふっと軽くなる。
拍に操られていた廃拍人たちが、揃って糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちた。
骨の擦れる乾いた音。倒れた骸の眼窩から、薄青い霧がすうっとほどけていく。
静寂。洞の奥で水滴が一つ落ちる音だけが、やけに大きく響いた。
バニッシュはゆっくりと息を吐き、手の中の刀を持ち直す。
刃はなお光を宿していた。
鋭利であるのに、刺すような冷たさがない。
焼けただれた心を撫でる掌のぬくもりに似た、優しい光。
刃渡りに沿って光の紋が呼吸し、そのたびに胸の奥のざわめきが洗われていく。
――護るために、斬る。
その矛盾を、矛盾のまま抱きしめているような刃だった。
グラドは大槌を肩に担ぎ直し、皮肉げに、けれど誇らしげに口の端を上げる。
「……見たかよ、こいつを。邪を払う剣――破邪の剣ってやつだ。名を付けるなら……そうだな」
彼は近づいてきて、光の刃を覗き込み、鍛冶師の目で刃中の“流れ”を読む。
鍔に浮かぶ花弁の意匠、刃文に走る古紋、そして光の呼吸。
そのすべてが、ただ滅するためではなく“鎮める”ために整っている。
「――『誓明剣』。誓いを明らかにし、闇を祓う。……みんなを守ろうとする、お前らしい剣だ」
胸に、名がひとつ落ちた瞬間、刃の光がかすかに澄んだ音を立てる。
呼び名を得た生き物のように、剣はわずかに重心を合わせてきた。
手が馴染む。腕の長さ、肩の張り、呼吸の置きどころ――すべてが、この刃とひとつになる位置へ自然におさまっていく。
バニッシュは刀を胸の前で水平に掲げ、刃を見つめた。
光は強くも弱くもならない。ただそこに在り、周囲の闇を押しのけるでもなく、静かに後退させる。
さっきまで支配していた拍の残響が、遠雷のように遠のいていった。
石鼓は沈黙を守る。
巨大な鼓面の古紋が、どこか安堵したように見えたのは、錯覚かもしれない。
だが、青黒い炎はどこにもなく、怨嗟の気配も消えていた。
「やったな……!」
グラドが拳で軽く石床を叩き、埃っぽい空気の中で笑う。
肩で息をしながらも、その目は少年のように輝いていた。
「お前の“魂”に、剣が応えた。――なぁ、バニッシュ。こいつは俺が火床で打った鉄だ。だが今の一太刀で、完全に“お前の剣”になった」
バニッシュは小さく頷き、柄を握る手に力を込める。
あの怨霊の中に残っていた“願い”の残滓――人も獣も、いずれはエルフもドワーフも、魔族すらも、共に生きることを願ったあの文字列が、脳裏にちらついた。
「……守るよ。みんなを。願いを、繋ぐために」
呟きは剣に吸い込まれ、薄く澄んだ音になって返る。
誓いは言葉であり、呼吸であり、拍である。
死鼓が止んだ今、ここで鳴っているのは自分たちの心拍だけだった。
足元で、倒れた骸の腕がコトリと落ちた。
拍の糸が切れ、ただの骨へ戻ったのだ。
廃拍人――もはや助けられなかった者たちに、バニッシュは静かに目を閉じて祈る。
刃の光が、わずかに彼らの上に降りては消えた。
静まり返った地下の大空間に、二人の足音だけが響く。
骸はすでに動かず、まるでただの骨くずに戻ったかのように散乱していた。
拍は完全にやみ、あれほど脈動していた石鼓も、まるで眠りに落ちた巨人のように沈黙している。
バニッシュとグラドはゆっくりとその前へ進む。
崩れかけた祭壇のような台座の上に鎮座する石鼓は、先ほどまでの禍々しさを失い、ただの巨大な石の塊のように見えた。
だが、近づくごとに胸の奥に奇妙な感覚が広がっていく。
憎悪ではない。むしろ静かな――哀しみに似た気配だった。
バニッシュは石鼓の面に手を当てた。
ざらついた石肌が掌を通じて冷たさを伝える。
けれど、その冷たさの奥には、確かに微かな温もりが残っていた。
まるで長き時を経ても消えぬ想いがそこに宿っているかのようだった。
「……果たせなかったんだな」
ぽつりと呟く。
かつて鳴心環を作り、人も獣人も、さらにはエルフもドワーフも、そして魔族すらも共に歩む未来を願った巨匠。
その志は歪められ、怨念となり、この石鼓に縛られてしまった。
そのとき。
――ふっと、青白い炎が灯った。
掌の下、石鼓の中央に小さな火がともり、それは瞬く間に広がっていく。
青白い炎は揺らめきながら、静かな息のように膨らみ、やがて人の形を成した。
「ま、まさか……また来やがったのか!」
背後でグラドが槌を握りしめ、身構える。
反射的に怒号のような声が出たのだ。
だがバニッシュは手を挙げてそれを制した。
「……いや、違う」
その声は確信を帯びていた。
目の前に現れた炎の人影は、先ほどの怨霊のような狂気を纏ってはいなかった。
澄んだ青白い光は、穢れを焼き払い、ただそこに立つ者を温かく照らす。
それは一人の男の姿。鍛冶槌を手にし、鋭い眼差しと深い皺を刻んだ顔。
頑固で、だが優しさを隠しきれない――かつての巨匠の面影そのものだった。
炎の巨匠は言葉を発さない。
ただ、じっとバニッシュたちを見つめていた。
バニッシュは無言でその視線を受け止める。
やがて、巨匠はゆっくりと首を垂れるように顔を下げ、そして……石鼓が、音もなく崩れ始めた。
石の表面に細い亀裂が走り、次々と砕けていく。
轟音もなければ、地を揺らす衝撃もない。
ただ静かに、砂が零れるように、長い時を終えるかのように石鼓は解けていった。
同時に、炎の巨匠の姿が淡くなる。
青白い炎は天井へと昇り、洞窟の暗闇を照らしながら消えていく。
束縛から解放され、ようやく願いを胸に天へ帰っていく――そう感じられた。
「……逝ったな」
グラドの声は低く、けれどどこか安堵を含んでいた。
石鼓がすべて崩れ落ちた後、その中心に小さな光が残った。
バニッシュはそっとそれを拾い上げる。
それは環だった。
飾り気のない、しかし確かな存在感を放つ環。
見た目はただの金属の輪に過ぎないのに、手に取った瞬間、胸の奥に響くような脈動を感じる。
「……これが、一番最初の――鳴心環」
指先で触れると、淡い光がにじみ、心の奥に温かな拍が広がる。
決して人を惑わせるものではない。
むしろ、安らぎと勇気を与える正しき音。
巨匠が本来込めた願いが、この環には宿っているのだと理解できた。
グラドがそれを覗き込み、眉をひそめた。
「こんなもんが、あんな災いを生んだってのか……皮肉な話だな」
「いや。違うさ」
バニッシュは首を振った。
「これは本来、人を惑わすものじゃない。誰かの欲望が歪め、巨匠を縛りつけただけだ。……だから今度こそ、正しく使わなきゃならない」
手のひらに残る環の温もりを確かめ、バニッシュは決意を込めて言った。
「ツヅラ御前に報告しよう。この環と、巨匠の想いを」
炎の残光がまだ洞窟の天井に揺れていた。
それは、彼らの進む先を静かに照らす道標のように見えた。