落ちぶれる勇者一行と滅びゆく世界
草木が焼け焦げ、村が炎に包まれていた。
──そこは、魔物に襲われた辺境の集落だった。
「おい!囲まれてるぞッ!」
ガルドが剣を振り回しながら叫ぶが、魔物の数は減らない。
「ミレイユ、早く援護を!」
「詠唱が間に合わないッ……くっ、なんでこんなに魔力が減るの!?」
以前なら気にならなかった魔力の枯渇。補助がない今、彼女は初めて“限界”という壁に直面する。
「セリナ、回復を頼む!」
「いま使ったばかりで、まだ……!」
詠唱時間の調整も、効果の底上げもない。ただの回復魔法では追いつかない。
「……なんで、だ。こんなの、今までなら楽勝だったはずだろ……?」
カイルの手が震える。
目の前にいるのは、ただの中型魔物――以前なら苦戦すらしなかった相手だ。
だけど、今は違う。
回復が間に合わない。魔力の補助もない。防御結界もない。攻撃の導線すら通っていない。
「っ、撤退だ!このままじゃ……全滅する!」
勇者の言葉に、仲間たちは動揺しながらも後退を始める。
敗走。勇者一行が、“逃げる”という選択を取った瞬間だった。
ギルドの扉を開いた瞬間、空気が変わった。
視線、囁き、嘲笑……そのすべてが、勇者一行を突き刺していた。
「──マジかよ、あの勇者パーティーが逃げ帰ったって?」
「信じらんねーよ、相手、中型の《獣骨魔》だろ?前なら秒殺だったのに……」
「なんか最近、後方の補助変わったんだろ? ほら、あの……なんだっけ、ピュリス?」
その言葉に、勇者カイルの眉がピクリと跳ねる。
怒りを隠そうともせず、ギルドの壁に拳を打ちつけた。
「チッ……あいつら、何も分かっちゃいねぇ。あんな戦い、本気出せば楽勝だったってのに……!」
ミレイユが、頬を張られたように目を伏せて言った。
「……でも事実、回復が間に合わなかったし、魔力供給も足りなかった」
「は? あれは私の魔法が複雑すぎたんだよ。誰が補助しても暴発しかけてたさ」
ガルドが両手を組んで首を鳴らす。
「まーまー、たまたまだろ?ピュリスの魔法は派手だし、観客ウケは抜群なんだからよ」
「……まったくだ」
セリナが、冷たく言い放つ。
「むしろあの程度で崩れるような陣形が悪い。補助が変わろうと、私たちの強さは変わらないわ」
誰も、言おうとしなかった。
“あいつ”――バニッシュがいなくなったから崩れたのだと。
誰も、認めたくなかった。
認めた瞬間、自分たちが彼の支えでしか戦えていなかったと認めることになるからだ。
その沈黙に、カイルが続ける。
「俺たちは最強なんだ。誰が抜けようが関係ねぇ。次こそ見返してやる。誰もが、俺たちが頂点だと理解するようにな……!」
ギルドの掲示板に貼られた、かつての《圧倒的勝利》の記録。
その横に、最新の《撤退》の報告が貼り出される。
誰の仕業でもない――自分たちの現実だ。
だが、勇者たちはそれを見ようとしない。
視線を逸らし、言葉で飾り、過去の“栄光”を盾にして、自らの空白をごまかし続けていた。
――空が、裂けた。
闇と炎が混じり合い、地平線を覆い尽くすように。
それは、静かに、だが確実に広がっていた。
北の辺境都市が陥落したのは三日前。
続いて、交易の要衝《ルグラム峡谷》が魔獣の群れに呑まれた。
そして今――
「……また、ひとつ、都市の灯が消えました」
情報官が呟いた言葉に、王都の会議室が沈黙に包まれる。
テーブルに並べられた地図には、赤く塗られた地域が刻一刻と増えていく。
その赤は“被侵食地域”――魔王軍の手に落ちた地。
誰もが知っていた。
この侵攻は止まらない。やがて世界の半分が、いや全土が染まるだろう。
「勇者一行は……まだ敗走の報告が?」
「はい。中型魔物との交戦で撤退。その後の再出撃は未定です」
「なんという……かつての英雄が、かくも脆いとは……」
嘆きの声の奥で、誰かがぽつりと呟いた。
「……影の男が、抜けたからか」
だがその名は、記録にも、報告書にも、刻まれていない。
影の支援者《バニッシュ=クラウゼン》の名は、どこにも残されてはいないのだ。
それでも、世界の裏側ではその“不在”が、ゆっくりと、確実に崩壊を呼んでいた。
それを知る者は、まだ少ない。
だが、魔王の進行は待ってはくれない。
砦が崩れ、街が焼かれ、家族が泣き、命が消えていく。
終焉の鼓動は、誰にも止められぬまま、刻一刻と加速していた――。
「……また、か」
王都の軍務庁から届けられた緊急出撃要請書。既に五通目。
それを机の上に無造作に放り出すと、勇者カイルは不機嫌そうに舌打ちした。
「うっせぇな。俺たちに頼るしかねぇくせに……」
勇者一行の名は、かつては希望の象徴だった。
しかし今や、王都の噂話には陰りが生まれている。
「あの程度の魔物に押し負けたらしいわよ」
「前の補助役がいなくなってから、戦果が全然……」
「ほら、あの地味なやつ。……名前、なんだっけ?」
「さぁ。でもいたわよね、いた気がする」
皮肉なことに、“いた気がする”程度の存在だった支援者が消えた途端、全てが狂い始めた。
「ピュリス!お前さ、また結界ズレてただろ!?てめぇのせいでガルドが怪我したんだぞ!」
「俺のせい……? あれはガルドさんが突っ込むの早すぎたから――」
ビシィッ――!
書類が叩きつけられる音が部屋に響く。
「言い訳すんな!前任のヤツはこんなミス一つもしなかったんだよ!!」
その言葉に、ピュリスの顔がこわばった。
薄汚れたローブをぎゅっと握りしめ、唇を噛む。
「……だったら、その“前任のヤツ”に戻ってきてもらえばいいじゃないですか」
静かに、だが明確な怒りが、その声に宿っていた。
「俺だって必死にやってますよ。無茶な突撃に合わせて結界張って、詠唱タイミングを読みながら支援して……でも、ミスすれば全部俺のせいですか?」
カイルが険しい目で睨みつける。
「文句あんなら出てけよ」
その一言で、室内の空気が凍りついた。
ピュリスは、ゆっくりとフードを下ろす。
真っ直ぐに、勇者の目を見る。
「……わかりました。出ていきます」
「はあ? 冗談だろ?」
「冗談なんかじゃありません」
彼は手にしていた腰の装備を机に置いた。
「俺を、あの人の代わりに使おうとした時点で、もうズレてたんです」
「――俺は、俺のやり方でしか戦えない」
ピュリスは振り返らなかった。
ドアを開けて、夕焼けに染まる廊下へと歩き出す。
足取りはまっすぐで、躊躇いはなかった。
扉が閉じられたあと、残された一行は沈黙した。
「チッ……あんなの、代わりはいくらでもいる」
カイルが吐き捨てるように言った。
カイルは拳で机を叩いた。
「クソッ!なんで俺たちが……!あの地味野郎のせいで、こんな目に!」
その叫びは、誰にも届かなかった。
否。届いていたとしても――
それを正す者など、どこにもいなかった。
勇者一行は、少しずつ、確実に崩壊へと歩みを進めていた。
己の無力を認められず、過去の栄光にすがり、代償を“弱き者”へと押しつけることでしか、誇りを保てない者たちへと成り果てて。
そして今日もまた――魔王軍の進撃報告が、王都へと届く。
勇者たちの出撃は、未だ音沙汰なし。
世界の終焉は、静かに、だが確実に迫っていた。