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獣人の国を目指して

 翌日。

 工房の中央に据えられた試作装置の前で、バニッシュとグラドは並んで立っていた。

 机の上には、昨日持ち帰ったばかりの精霊石――深い碧色の輝きが、室内の明かりを反射している。


「……こいつが、古代魔法の核を担う“媒体”だ」


「精霊召喚の理と制約を……か。三つの魔法理論の融合、その要だな」


 バニッシュは精霊石を両手で持ち上げ、装置中央の台座へと慎重に嵌め込む。

 刃物が鞘に収まるような感触とともに、精霊石は装置にぴたりと収まった。


「……さて、行くぞ」


「ああ、壊すなよ」


「そっちこそ」


 二人は同時に操作盤へ手を伸ばし、魔力を流し込む。

 低く唸る音とともに、装置の内部で複数の術式が回転を始めた。

 やがて精霊石が淡い光を帯び、その輝きは呼吸のようにゆるやかに脈動する。

 ……数分後、光はゆっくりと弱まり、やがて完全に消える。

 装置は静寂に包まれた。

 一瞬の沈黙の後――


「……これなら、いけそうだな」


「ああ。多少の加工と調整は必要だが……悪くねぇ」


 二人はにやりと顔を見合わせ、まるで少年のような笑みを交わした。

 装置の光が完全に消え、工房に静けさが戻る。

 バニッシュは装置から精霊石を外し、布で丁寧に包んで机に置いた。


「……加工と調整は後回しにして、次の課題に取りかかるか」


「ああ。今度は“魔族の魔法理論”の媒体だな」


 グラドは作業台に肘をつき、顎に手を当てる。

 その眉間には、精霊石の時とは違う深い皺が寄っていた。


「古代魔法は石や器具といった“形あるもの”を媒介にできるが……魔族の魔法は違う。魔素の流れを感情や環境によって直接展開する、形のない術だ」


「つまり、“物”として固定できない……」


 バニッシュは装置の空いた枠を眺めながら呟く。

 そこには何も嵌っていない――まるで存在しない何かを待ち望むかのように。


「感情を“物”に変換する……難題だな。精霊石みたいな核は存在しない」


「だが、媒介なしじゃ装置に組み込めん。感情も魔素も流動的すぎる。固定するには……」


 グラドはしばし黙り込み、手元の図面に視線を落とす。

 インクのしみが広がる中、荒削りな線で何度も描き直された円環の図形があった。

 図面の上で指を組みながら、グラドが口を開く。


「……一つ案がある。魔素を循環させ、それを増幅させる仕組みはどうだ?」


 バニッシュは眉をひそめ、しばし黙考する。

 机の上で指先がリズムを刻み、やがて小さく頷いた。


「理論的には可能だろう。循環させれば消費は抑えられるし、増幅で出力も補える……だが――」


 バニッシュは窓の外に広がる“魔の森”へと視線をやる。

 夜の帳の向こう、濃い霧のような魔素が漂っている。


「この森は通常より魔素が濃い。だが、それでも継続的に使えばいずれ枯渇する。循環だけじゃ、限界が来る」


「……そうか。やはりそうなるか」


 短く吐息をつき、グラドは再び図面へと目を落とす。

 しばらくペン先で紙を叩いてから、口を開いた。


「となると……“心”の代わりになるものが必要になるな」


「心、か……感情の源を代替できる何か……」


 二人は無言で考え込む。

 グラドは図面の上に手を置き、ぼそりと漏らす。


「……やっぱり、この森の素材だけじゃ限界があるな」


「だが、“心”の代わりになるものなんて……他でもそう簡単に手に入らねぇだろ」


 その言葉に、グラドは小さく首を横に振った。


「……獣人の国になら、もしかしたらあるかもしれねぇ」


「獣人の国?」


 怪訝そうな顔で問い返すバニッシュに、グラドは腕を組みながら続ける。


「ああ。俺も詳しいことは知らんが……獣人の中には、“心理”を読み解く能力を持つ奴らがいるらしい」


「心理を……?」


 興味を引かれ、身を乗り出すバニッシュ。

 グラドは遠い記憶を探るように眉をひそめた。


「それは一部の獣人だけだ。確か……狐の獣人だったような気がする。感情や思考を魔素に変換する、不思議な術を使うって話だ」


 その言葉を聞いた瞬間――バニッシュの脳裏に、艶やかな姿がよぎった。

 エルフの里で出会った、花魁のような格好をした狐女の獣人。

 緩やかに微笑みながらも、底の見えない金色の瞳でこちらを見透かしていたあの視線。


(……まさか、あいつが)


 バニッシュは腕を組み、しばし黙ったあと口を開いた。


「……しかし、獣人の国に行くにしても、エルフの里から帰ったばかりだ。流石にリュシアとセレスティナには、これ以上無理はさせたくない」


 その言葉に、グラドは顎に手を当てて小さく頷く。


「……確かにな」


 短く考え込んだ後、グラドはぽんと手を叩いた。


「なら、今回は俺が一緒に行こう」


「お前が?」


 意外そうな顔をするバニッシュに、グラドはにやりと笑う。


「ああ、まだまだ若い奴には負けんわ」


 その豪快な言いぶりに苦笑を漏らすバニッシュだったが、ふと思い出したように尋ねる。


「……で、行くのはいいが、転移なしで行くのか?」


「それなら任せとけ」


 自信満々な口調でそう言うと、グラドはバニッシュを工房の奥へ案内した。

 扉を抜けると、そこには見慣れぬ巨大な装置が鎮座していた。


「……なんだこれは?」


「これはな、お前たちがエルフの里に向かうとき、セレスティナが使った転移魔法を俺なりに解析して作ったもんだ」


 グラドは胸を張り、どこか少年のように誇らしげな顔を見せた。

 装置の基盤には複雑な魔法陣と金属フレームが組み合わされ、中央には小さな魔鉱核が脈動している。


「……お前、本当に何者なんだよ」


「鍛冶師は道具だけじゃねぇ。使う者の道も切り開くもんだ」


 その言葉に、バニッシュは思わず口元を緩めた。


 バニッシュは怪訝そうに眉をひそめた。


「……解析って言っても、お前、俺たちがエルフの里から戻るまでの時間なんて、たかが知れてるだろ。大丈夫なのか?」


 グラドはまるで気にも留めず、ニヤリと笑う。


「ま、細けぇことはいいんだよ。とりあえず試してみようぜ」


 そう言って装置のスイッチを入れ、中央の魔法陣を淡く輝かせる。


「ほら、そこに立て。……よし、とりあえずあそこの木まで転移だ」


 バニッシュは渋々、装置の真ん中に立った。

 淡い光が足元からせり上がり、セレスティナが使っていた転移魔法とよく似た感覚に包まれる。


「おっ……これは」


 そう思った瞬間――。


バシャンッ!


 全身を包む温かな感触。水……いや、ぬるりとしたお湯だ。

 慌てて顔を上げると、視界いっぱいに湯けむりが広がっていた。

 そして――視線の先に、湯に浸かるリュシアとセレスティナの姿。

 ……女湯だった。

 数秒間、時が止まる。

 バニッシュの血の気は一瞬で引き、顔が引きつる。


「ま、まて、これには理由が――」


 言い訳を始めようとしたその瞬間、


「変態ッ!!」


 両頬に衝撃が走る。

 左右から同時に放たれたリュシア&セレスティナの平手打ちは見事にシンクロし、バニッシュはそのまま湯船に沈んだ。


 転移装置がお蔵入りとなった翌日。

 まだ空気がひんやりと澄んだ作業場の奥で、バニッシュとグラドは広げた地図を囲んでいた。

 分厚い羊皮紙には、森を抜けた先の街道、川沿いの集落、そして目的地である獣人の国の国境線が、細かく描かれている。

 バニッシュが指先で道筋をなぞりながら、眉間に皺を寄せた。


「……エルフの里と違って、距離は大したことないな。三日もあれば着くだろう」


 地図を覗き込んだグラドは、口の端を上げて頷く。


「ああ、道も比較的整ってる。山越えもねえしな。ただし、“心の代わりになるもの”を見つけられるかどうかは、行ってみないとわからんぞ」


「そうだな」


 バニッシュは視線を地図から外し、少し考え込むような表情を浮かべた。


「……今回は、リュシアとセレスティナには伏せて行こう」


 グラドはその意図をすぐに察し、豪快に笑う。


「ははっ、確かにな。あの二人の性格からして、“一緒に行く”って言い出しかねん」


 話がまとまると、バニッシュは地図を丁寧に巻き取り、腰の革袋にしまう。ザイロとメイラに翌朝の早出を告げた。

 薪を運び込んでいたザイロは、バニッシュの言葉を黙って聞き終えると、太い腕を組んで静かに頷く。

 一方、台所で干し肉を切っていたメイラは、すぐに手を止めて笑顔を向けた。


「じゃあ、道中の食料は私に任せて」


 そう言うと、彼女は手際よく干し肉と黒パン、干し野菜を詰めた保存袋をいくつも用意し始める。

 バニッシュはその様子を見て、口元をわずかに緩めた。

 同じ頃、グラドは自分の工房で、出発の準備に取りかかっていた。

 壁際に吊るされた革袋や道具箱から、旅に必要な品を次々と引き抜いては、机の上に並べていく。


「テントよし、水袋よし、地図……っと。こっちはバニッシュに持たせるか」


 ぶつぶつ呟きながら、彼は愛用の鉄槌を両手で確かめるように握り、重みと手触りを確かめてから腰のホルダーに収めた。

 さらに小型の工具セット、油差し、火打石まできちんと用意するあたり、職人としての性分がにじみ出ている。

 昼頃には、二人の荷は整っていた。

 机の上には、革の背嚢、保存食の詰まった袋、折りたたみ式のテント、そして旅の必需品が整然と並んでいる。

 外では、強い日差しが木漏れ日となって地面を照らし、遠くで鳥の鳴き声が響いていた。


 夜も更け、焚き火の明かりが弱まり始めた頃。

 工房での作業を終えたバニッシュは、机に広げた地図をもう一度手元へ引き寄せた。

 指先で獣人の国までの道程をなぞり、曲がり角や川の位置を頭に入れる。

 目を細め、心の中でおおよその所要時間を繰り返し確認すると、ゆっくりと地図を巻き取り、革紐で結わえた。


 「……よし、準備は万全だな」


 そう呟き、明日の早朝に備えて寝床に向かおうと立ち上がった、その時だった。

 薄暗い廊下の奥、ランタンの明かりがゆらめく中から、足音もなく現れた影。

 リュシアだった。

 長い髪が夜の光を受けて揺れ、その瞳は鋭く、じっとこちらを射抜いてくる。


 「どうしたんだ?」


 突然の訪問に、バニッシュは足を止めた。


リュシアは腕を組み、じとりとした視線を向けたまま、ゆっくりと口を開く。


 「あんた……私に内緒で、裏でこそこそ何かやってないでしょうね?」


 その問いかけに、バニッシュは一瞬肩を強張らせたが、すぐに作り笑いを浮かべる。


 「いやいや、何もやってないぞ。本当に」


 しかし、リュシアの目は鋭いままだった。

 じーっと睨みつけるように見つめ、バニッシュの視線の逃げ場を奪う。

 その瞳には、「どうせ何か隠してるでしょ」と言いたげな光が宿っていた。


 「……ふぅん。そう、ならいいわ」


 あっさりと言い残し、リュシアはくるりと背を向ける。

 そのまま長い髪を揺らしながら、自分の寝床へ向かって歩き去っていった。

 廊下に一人残されたバニッシュは、ぽかんとその背中を見送る。


 (……あれ? もっと突っ込んでくると思ったんだが)


 予想外に引き下がったことに、妙な違和感を覚えながらも、バニッシュは首をひねりつつ自分の寝床へ戻っていった。


 まだ夜明け前の冷たい空気が漂う拠点。

 空はわずかに白み始めているが、住人たちはまだ深い眠りの中にあった。

 バニッシュとグラドは物音を立てぬよう荷を背負い、工房裏からそっと歩き出す。

 結界を抜けた瞬間、森の空気が一段と濃くなる。

 魔素を含んだ湿った風が肌を撫で、草木が夜露を纏って微かに光っている。

 バニッシュは足を止め、指先に魔力を込めて小さく呟く。


 「導きのルミナ・ガイド


 淡い光の粒が、彼の足元から立ち昇り、空中に点々と浮かび始める。

 それらは一定の間隔を保ちながら森の奥へと伸び、まるで目に見える“帰り道”のように輝いていた。


 「これで、帰るとき迷わずすむ」


 「便利なもんだな……魔の森じゃなきゃ観光用に使えそうだ」


 グラドが感心したように笑う。

 魔の森は魔素の濃度が異常に高く、深い木々が昼間でも日差しを遮る。

 方角感覚を狂わせる霧や幻影が現れることも珍しくないため、道しるべを残すのは必須だった。

 ふたりは慎重に足を進めながら、森を抜ける道を選んでいく。

 やがて木々が途切れ、視界が開けた。

 足元に広がるのは、よく整備された街道。

 硬く踏み固められた土の道がまっすぐ先へと伸び、遠くの丘陵地帯まで続いている。

 バニッシュは荷物を背負い直し、深く息をついた。


 「ここまでくれば、ひとまず安全だな」


 「ああ。あとは獣人の国までまっすぐだ」


 ふたりは一定のペースで街道を歩き続ける。

 森の湿った空気から解放され、風が頬を撫でる心地よさに思わず肩の力が抜ける。

 午前の陽光が少しずつ強まり、道端の草花を黄金色に照らし出していた。

 半日ほど歩いた頃、バニッシュは先の地平を見やって口を開いた。


 「この先に小さな村がある。今日はそこに泊まろう」


 「そうだな。あまり無理しても体がもたん」


 グラドは軽く笑いながら、肩に担いだ槌を揺らす。

 こうして、ふたりは穏やかな街道を進みながら、村へと向かっていった。

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