表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/69

掟を越えて、最後の願い

 ファルンは振り返り、門番のエルフたちへ鋭く声を飛ばした。


「お前たちは防壁濠の内側で守りを固めろ! 絶対に侵入は許すな!」


 門番たちが緊迫した面持ちで頷き、内側へ下がるのを確認すると、今度はバニッシュたちへ怒鳴る。


「お前たちも、さっさとここから逃げろ!」


 バニッシュは一歩も退かず、ファルンを見据えた。


「……君はどうするんだ?」


「俺はこの里の戦士だ。この里を守るのが俺の使命だ。……早く行け!」


 しかし、バニッシュも、リュシアも、セレスティナも、その場から動く気配を見せない。

 互いに短く視線を交わし――三人同時に頷くと、迷いなくファルンの隣に並び、構えを取った。


「……お前ら、何をしている」


 驚きと困惑の入り混じった声を上げるファルンに、バニッシュは肩をすくめて笑う。


「なーに、君には昼飯をご馳走になった借りがある」


「その借りを返すだけです」


 セレスティナは柔らかく、しかし凛とした声で言う。


「そんなことで……」とファルンが言いかけた時


「ごちゃごちゃうるさいわね! これは私たち流の“掟”よ!」


 リュシアが腰に手を当て、強気な笑みを見せた。

 そのやり取りを受け、ファルンの胸の奥に、これまで感じたことのない温かな感覚が広がる。

 ――他種族との信頼。

 その言葉を意識した瞬間、口元が自然と緩み、わずかに口角が上がった。

 その様子を見ていたオークが、不快そうに鼻を鳴らし、耳障りなほど高い笑い声をあげる。


「ケッ……虫けら共が群れたところで、俺に勝てるわけねぇだろォ!」


 黒鉄の斧を肩から下ろし、地面に叩きつけるように構えると、足元の土が震えた。

 セレスティナとファルンが、互いに短く合図を交わすや否や、左右に広がり同時に弓を引き絞った。

 空気がピンと張り詰め、二本の矢が同時に放たれる。

 矢は鋭い唸りをあげながら一直線にオークへと迫るが、奴は怯むどころか口元を吊り上げ、黒鉄の斧を振り上げると同時に分厚い鎧で正面から受け止めた。

 ガァンッ、と金属と金属がぶつかる甲高い音が響き、火花が散る。


「効かねぇなァ!」と不快な笑みを浮かべるオーク。


 その瞬間、背後で低く呟く詠唱が聞こえた。

 詠唱を終えたリュシアが、掌に赤熱の魔力を凝縮させていた。


「――燃え尽きなさい!」


 轟音と共に、直径3メートルほどの大きさの火炎球が放たれる。

 真紅の火球が一直線にオークへ迫り、奴は咄嗟に斧を縦に構え――一閃。

 火球は真っ二つに斬り裂かれ、爆ぜる火の粉が四方に散った。

 しかしその一瞬、オークの視界は爆炎と煙に覆われる。

 その煙を裂くように――上空から鋭い影が迫った。

 バニッシュだ。

 高く跳躍し、全身の勢いを刃に乗せて、オークの頭目掛けて刀を振り下ろす。

 振り下ろされる刃の気配に、オークは反射的に斧を持ち上げてガード。

 金属同士がぶつかり、重い衝撃音が響く。

 「ぐぅっ……!」とバニッシュが歯を食いしばった瞬間、オークは斧を横に薙ぎ払う。

 バニッシュは後方へ跳び退き、間合いを取った。

 その一連の連携攻撃を受け、オークは一拍置いてから、口元を不気味に歪め、喉の奥から嗤い声を漏らす。


「ククク……なかなかやるじゃねぇか……虫けらの分際でよォ!」


 その双眸が、今度は獲物を愉しむ肉食獣のようにぎらついていた。


「魔族の女――俺の矢に魔法を乗せろ!」


 短く鋭い声と共に、ファルンが地面を蹴り、瓦礫を踏み台にして一気に高所へ駆け上がった。


「命令しないでよね!」


 そう吐き捨てながらも、リュシアは素早く両手を構え、掌の間に雷の魔力を集束させていく。紫電がバチバチと迸り、周囲の空気が焦げるような匂いを放つ。

 その動きに気付いたオークが、ギロリと赤い瞳を向けた。


「させるかよォ!」


 咆哮と共に斧を振り上げ、一直線にリュシアへ突進する。

 だが、その進路を塞ぐように――


「させない!」


 セレスティナが弦を引き絞り、矢を番えたかと思えば、信じられない速さで連射を開始した。

 十本、二十本……矢の雨がオークを包み込み、鎧や斧に当たっては火花を散らし、足元や腕を牽制して動きを封じる。


「チッ、この野郎!」


 苛立ったオークが斧を振り上げ、矢を弾きながら反撃に移ろうとした瞬間――


「こっちは通さない!」


 バニッシュが踏み込み、斜めから刀を叩きつけるように振り下ろす。

 鋼と鋼がぶつかる衝撃音と共に、オークの斧の軌道が抑え込まれた。

 その間に、ファルンは戦場を見下ろせる位置へと到達していた。


「――行くぞ!」


 弓を大きく引き絞り、一気に複数の矢を番える。そして、その全てを一斉に放った。


「食らいなさい!」


 リュシアが叫び、集めた雷の魔力を放出する。紫電は瞬時にファルンの放った矢に乗り移り、全ての矢が雷光を纏って凶悪な輝きを放った。

 稲妻を帯びた無数の矢が、唸りを上げてオークへ殺到する。

 バニッシュはその殺到の直前に体を引き、間合いを外す。

 次の瞬間――閃光と爆音が重なり、雷撃の矢がオークの全身を貫いた。

 紫電が鎧の隙間を走り抜け、肉を焼く焦げた匂いと共に、オークの体が大きく痙攣する。

 土煙がもうもうと立ちこめる。

 視界は茶色くかすみ、焦げた匂いが鼻を刺した。

 だが――その土煙を切り裂くように、重い足音が響く。


 現れたのは、傷だらけになりながらもなお屈強な体を誇るオークだった。

 鎧は部分的に焼け焦げ、肌は雷に焼かれて黒ずんでいる。

 だがその眼光は、怒りと憎悪で赤黒く染まり、今にも爆発しそうな殺気を放っていた。


「このクソどもがァァァ!」

 怒号と同時に、オークの全身から禍々しい黒いオーラが吹き出す。

 空気が重く淀み、背筋を凍らせるような圧が戦場を覆った。 

 その瞳は赤と黒が入り混じった不気味な光を宿し、獣ではなく悪夢そのもののように見えた。

 次の瞬間、その巨体からは到底考えられない速度でオークが消える。

 視認できた時には、もうバニッシュの眼前にいた。


「ッ――!」


 バニッシュは反射的に刀を横薙ぎに構え、防御の体勢を取る。

 刹那、斧と刀がぶつかり、耳をつんざく金属音と火花が散る。

 しかし、その一撃の質量と速度は常軌を逸しており、バニッシュの足が地面を滑る。

 踏ん張る間もなく、背中から壁に叩きつけられるように押し込まれ、衝撃で壁石がひび割れた。


「バニッシュ!」


「バニッシュさん!」


 リュシアとセレスティナが同時に叫ぶ。


 オークは押し込みをやめ、ねっとりとした笑みを浮かべながら舌なめずりをした。


「へっ……まだ壊れねぇか……」


「離れなさいッ!」


 リュシアが雷の魔力を瞬時に槍状へと変え、雷槍を一直線に放つ。

 しかしオークは軽く身をひねって回避し、その雷槍は背後の地面を抉り、石片と土を爆ぜさせた。

 その一瞬の間に距離が空き、オークの圧力から解放されたバニッシュは、片膝を地面につく。


「……っは……」


 セレスティナとファルンは間髪入れず矢を放つが、オークは残像を残すほどの速さで動き回り、一本たりとも命中しない。


「バニッシュ、大丈夫!?」


 駆け寄るリュシアの声が近づく。


「ああ……大丈――」


 立ち上がろうとした瞬間、胸に鈍い衝撃がずぐんと走る。

 枷の呪縛によるものか、激しい痛みに息が詰まり、思わず胸を押さえた。


「……っ、こんな時に……!」


 その様子に気を取られたリュシアの表情が曇る。

 ――その隙を、オークは見逃さなかった。


「もらったぁ!」


 低く笑い、地面を爆ぜさせるほどの踏み込みで一気に距離を詰める。

 赤黒い残光が一直線にリュシアへ向かう。


「リュシア――ッ!」


 バニッシュが叫ぶも、間に合わない。

 次の瞬間――ザンッ、と鋭い切り裂き音が響き、鮮血が宙に散った。

 リュシアのすぐ目の前で、その身を盾にしたのはファルンだった。

 肩から脇腹にかけて深々と斬られ、鮮やかな赤が服を染めていく。

 歯を食いしばりながらも、ファルンはリュシアを庇い続け、オークを睨み返していた。


 鮮血を撒き散らしながら、ファルンの体が力なく地面へと崩れ落ちた。

 その瞬間、リュシアの瞳が大きく見開かれる。

 耳鳴りが鼓膜を打ち、呼吸の仕方さえ忘れるほどの衝撃が胸を貫いた。


 だが、立ちすくむ暇など与えられない。


「終わりだァ!」


 オークが、獰猛な笑みを浮かべて斧を構え、容赦ない追撃を繰り出す。


「――ッ!」


 バニッシュが枷の呪縛による激痛に顔を歪めながらも、歯を食いしばってその軌道に割って入った。

 斧と刀が激突し、鈍い衝撃音と共に腕が痺れる。

 しかし、今の彼の体には力が入りきらない。

 膝が沈み、刀身が押し下げられる――。


「ぐッ……!」


 次の瞬間、オークの渾身の薙ぎ払いがバニッシュの体を横殴りに弾き飛ばした。


「バニッシュ!」


 セレスティナの叫びと共に、彼の体が土煙を上げて地面を転がる。

 その衝撃で石片が弾け、リュシアの頬にも土が跳ねた。


 オークは勝利を確信したかのように、ゆっくりと首を巡らせ、獲物を見据えるような眼差しでリュシアを見下ろす。

 口元は獰猛な笑みを浮かべ、巨大な斧を高く掲げた。


 その時、リュシアの世界は色を失い、すべてがスローモーションのように見えた。

 視界に映るのは――傷つき倒れる仲間、自分を庇い立ったまま崩れ落ちたファルン。

 胸を締めつける感情は、怒り、悲しみ、そして深い後悔。

 その全てが、心の奥底にまで染み渡っていく。


 そして――眠っていた“災厄の継承者”としての力が、限界を破って溢れ出した。


「……ッ!」


 オークが斧を振り下ろそうとした、その瞬間。


 空気を爆ぜさせるような轟音と共に、リュシアの体から莫大な魔力が解き放たれた。

 赤く燃え立つ炎のようなオーラが彼女の全身を包み込み、その瞳には紫色の炎がゆらめきながら宿る。

 髪が熱にあおられるように舞い上がり、その圧倒的な威圧感にオークの足が一歩、無意識に後ずさった。


「……なんだ……こいつ……」


 先ほどまで猛り狂っていたオークの表情に、初めて怯えの色が浮かんだ。

 赤い炎と紫の魔力が渦を巻き、圧倒的な力と威圧感を全身から放ちながら、リュシアはゆっくりと立ち上がった。

 その足取りは重くも確実で、一歩踏み出すたびに地面がひび割れ、焦げた空気が漂う。


 射抜くような眼光がオークを捉えた瞬間、その巨体が僅かに震える。

 本能が告げていた――この少女は、もはや先ほどまでの獲物ではない。


「ひっ……!」


 獣の直感で危険を察したオークは、斧を捨て、背を向けて全力で駆け出した。


 だが――逃がさない。

 リュシアはすっと片手をかざし、口元から低く呟きが漏れる。


「――燃え尽きろ、そして崩れ落ちろ」


 炎の奔流と、空間を震わせるほどの破壊の衝撃が同時に生まれ、渦のように絡み合って前方へと放たれた。

 それはまるで燃え盛る彗星が地上を滑るかのように走り、逃げるオークを一瞬で飲み込む。

 轟音と爆炎が視界を白く染め、周囲の樹木ごと地形を抉り飛ばす。

 衝撃波が過ぎ去った後、そこにオークの姿はなく、残ったのは黒焦げの大地と漂う灰だけだった。

 だが、勝利の安堵は訪れなかった。


「……っ、がはっ!」


 背後から聞こえた、血を吐く音。

 振り返れば、ファルンが地面に倒れた、胸元を鮮血で染めていた。


「ファルン!」


 リュシアは駆け寄り、その肩を抱き起こす。


「なんで……なんで庇ったのよ!」


 震える声で問い詰めるリュシアに、彼は薄く笑みを浮かべる。

 そこへ、荒い息をつきながらバニッシュとセレスティナも駆けつけた。


「おい、しっかりしろ!」


 バニッシュの声にも、ファルンはわずかに首を振る。


「……わからない……」


 今にも途切れそうな声で、ファルンはゆっくりと答えた。


「ただ……体が勝手に動いたんだ。あの時……」


 その言葉の奥には、彼の変化があった。

 彼の言葉には、これまで頑なに掟を守り続けてきたエルフが、ほんの僅かな時間でも仲間として分かり合えた証が滲んでいた。

 それが、迷いを越えて命を懸けさせた。

 視線をバニッシュに移し、かすれた声で続ける。


「……俺が死ねば……お前の枷は外れる……頼む……里を……皆を……救ってくれ……」


 その最後の願いと共に、ファルンの瞳から光が消え、静かにまぶたが閉じられた。

 風が吹き、灰を舞い上げる。

 掟しか信じなかったエルフが、仲間として、ひとりの戦士として変わった瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ