精霊石を求めて、エルフの里へ
精霊石を模した構造体は、術式上では理想通りに組まれていた。だが、いざ魔力を流し込むと――装置は軋み、術式が微かに悲鳴を上げた。
「――ダメだ。またズレてやがる」
苛立たしげに額を押さえるグラド。その手元では、小型の試作装置が微かな煙を上げていた。
「精霊召喚の中核、つまり“理”と“誓い”を担うはずの核が……ただの魔石じゃ負荷に耐えきれねぇ」
「やっぱり……」
バニッシュは腕を組んで唸る。
「古代魔法は“意志”の魔法。精霊との契約を再現するには、ただ魔力を蓄積するだけの魔石じゃ意味がない。意思の通る“器”じゃなきゃだめだ」
「……つまり、精霊石が必要ってことか」
グラドは歯を食いしばり、低く呻いた。
「だが、その精霊石ってのは、どこにでも転がってるもんじゃねぇんだろ?」
「滅多に採れない。今の在庫には……ない」
バニッシュが無言で首を振ると、工房には重い沈黙が落ちた。
バニッシュ達は3つの魔法理論を融合展開する装置の作成を進めるうちに、いくつかの問題点にぶつかっていた。
その問題点とは、一つは古代魔法の原理の中の精霊召喚に関わる部分で、理と制約を担う触媒だった。
精霊との契約の“意志”を保てる媒体として、通常の魔石では耐えられない。
魔力の流れに“誓い”の情報(精神的エネルギー)を載せるには、精霊石という希少鉱石が必須。
それは“精霊域”や“精霊の加護を受けた土地”でしか採れない。
「精霊石ってのはな、鉱石じゃねぇ。精霊との“共鳴”ができる《魂の導管》みてぇなもんだ。そりゃあ、普通の石じゃ代わりになるわけねぇさ」
とグラドは言う。
更に、もう一つの問題点もある。
バニッシュが別の図面を広げる。そこには魔素の感応流路を模した回路構造が描かれていた。
「次の問題は、こっちだな……魔族魔法理論の“心”の代わりをどうするか」
グラドも覗き込み、しばし考え込んだあと、ぽつりと呟く。
「心の代わり、ねぇ……そんなもん、どう作るんだ。心を模倣するってのは、感情と環境に“反応”する何か……ってことだろ?」
「魔素に反応し、感情や魔力波形を拾い、それに共鳴する装置……」
二人は思考を巡らせる。そして、バニッシュがぽつりと呟く。
「擬似的な“心”……魔族の魔法って、感情に呼応するだろ。なら、その“感情波形”を受け止める……共振体が必要かもしれない」
工房の中、図面と鉱石のサンプルに囲まれながら、バニッシュとグラドが唸っていた。
「……精霊石か。やっぱ、どうしても必要だよな」
バニッシュが図面の端を指でなぞりながら呟く。
「おう。古代魔法の“誓い”を支えるのは、精神性に反応する核が必要だ。普通の魔石じゃ、どう加工しても理と誓約の両方は保てねぇ」
グラドも腕を組みながら、重たい声で答える。
「精霊石が手に入る場所って、限られてるんだろ?」
「ああ……確か、遥か西方にある“エルフの里”――精霊郷エルフェインなら、採れる可能性がある」
「エルフの里……ってことは、この辺からだと……」
バニッシュが地図を広げ、指で現在地から西へ辿る。
「……まっすぐ行っても、徒歩だと二ヶ月以上はかかる距離だな」
「馬でも三週間。街道も整備されてねぇから、物資と護衛を考えると遠征レベルの準備がいる。ましてや、あっちはエルフ領だ。入国審査やら関係者の紹介状がなきゃ……」
「うーん……」
「……んん~~~~~……」
唸る声が、二人分重なって響く。
そのとき――コン、コン、と軽やかなノック音が工房の扉に響いた。
「入るわよー」
明るく通る声とともに、戸が開く。
入ってきたのは、リュシアとセレスティナ。
手には、湯気の立つティーポットと、香ばしいクッキーの盛られた木皿が載っていた。
「はい、これ。メイラさんが淹れてくれた特製ハーブティーです。ちょっと休憩をとりましょう」
「作業の邪魔はしないから、一口だけでも飲みなさいって。クッキーは私が手伝って焼いたのよ」
リュシアが小さく得意げに胸を張ると、セレスティナもほほ笑みながらテーブルにカップを並べる。
その香りが、張り詰めていた工房の空気をふわりと和らげた。
「……ああ、ありがてぇ。頭が焦げそうだったところだ」
グラドは一息ついて、紅茶の香りを鼻で吸い込む。
香ばしいクッキーを一口かじり、紅茶を啜ったグラドが、ふぅと一息ついた。
「……しみるな、こりゃ」
工房にほっとした空気が流れる中、リュシアが小首を傾げて尋ねた。
「で? 二人とも、さっきからずっと唸ってたけど、何に悩んでたの?」
問いに応じたのは、バニッシュだった。
図面の上に手を置き、真剣な顔つきで答える。
「……装置を完成させるには、精霊石が必要なんだ」
「精霊石?」
リュシアが目を瞬かせ、セレスティナはその単語に、わずかに瞳を揺らした。
バニッシュは、傍らの地図を指でなぞりながら言った。
「ああ。この辺じゃ採れない。手に入るとしたら……遥か西方、ここだ」
地図の一角、深い緑で覆われた一帯に、丸印をつける。
「“精霊郷エルフェイン”――そこだけが、現存する精霊石の鉱脈が確認されてる場所だ。問題は……遠い。街道もまともじゃないし、行くだけで数ヶ月コースだ」
ふ~ん、とリュシアは感心とも興味ともつかない声を漏らす。
だが、隣で地図を覗き込んでいたセレスティナが、ふっと息を吸い、静かにバニッシュへと向き直った。
「……そこは、私の故郷です」
バニッシュは驚いたように目を見開いたが、すぐに納得したように頷く。
「……そうか。考えてみれば当然だな。君は……エルフなんだもんな」
セレスティナは、小さく笑った。だがその目元には、どこか影が差していた。
「古代魔法の一つ、“転移術式”なら……そこまで私が案内できます。拠点から直接、里の近くへ跳ぶことも可能です」
「マジかよ! それなら話が一気に早くなるな!」
グラドが身を乗り出し、リュシアも驚いたようにセレスティナを見る。
「ほんとに? それって、すごくない?」
「ええ。ただし……」
セレスティナの言葉に、わずかに重さがにじんだ。
その瞳には、揺るがぬ意志が宿っていた。
――だがその奥には、誰にも触れられたくない痛みがあった。
(私は……本当は、あの里には戻れない)
精霊の加護を最も尊ぶと言われるエルフの里。
だが、彼女はその教えに異を唱え、異端の術――古代魔法のに傾倒した。
精霊との契約を絶対とする一族の中で、彼女は“禁じ手”に手を出した者と見なされ、いつしか――里を去った。
(それでも……)
彼女は目を閉じ、そっと手を胸元に添える。
(今、ここで手を貸せるのなら――それが、私にできる償い)
静かに目を開き、真っすぐにバニッシュを見た。
「私は……本来、あの里に戻ってはいけない立場です。異端者として、あの地を離れた私が、再びその地に足を踏み入れるということは――許されないかもしれません」
グラドが驚いたように目を細める。
だが、バニッシュは黙って、彼女の目を見ていた。
その沈黙が――何よりの“理解”だった。
そして、彼は静かに、だが真剣な声で言った。
「……それでも、頼む。君の力が必要だ」
その言葉に、セレスティナの胸が熱くなる。
誰もが恐れ、距離を取った過去。
だが今、自分を“必要だ”と言ってくれる者がいる。
――それだけで、どれほど救われることか。
彼女は少しだけ俯き、微笑んだ。
「……はい。必ず、お連れします」
その笑みは、どこか少女のように嬉しそうで、それでいて、決意に満ちていた。
――と、そのとき。
空気を切るように、リュシアが勢いよく声を上げた。
「――私も、行くわよ」
バニッシュとセレスティナが振り返る。
リュシアは腕を組み、むくれたように唇を尖らせながら続ける。
「……あんたたち二人だけで、遠くまで行くなんて……そ、それこそ心配よ。なにがあるか分からないし!」
頬が赤いのは、照れか怒りか。
バニッシュが少し呆れたように笑いながら聞き返す。
「いや、誰も二人で行くとは言ってないぞ?」
「う、うるさいっ! でも行くの! わたしだって、この拠点の一員なんだから!」
勢いよく言い放ったその表情は、どこか焦り混じりで――けれど、真剣だった。
セレスティナが目を細め、やわらかく頷く。
「ふふ、心強いわ。ありがとう、リュシア」
「べ、別に礼なんかいらないし……ただ放っておけないだけなんだから」
そう言いつつも、リュシアの耳はすっかり赤くなっていた。
バニッシュは、そんな二人の姿を見ながら、ふっと肩の力を抜いて呟いた。
「……まったく、頼もしい仲間に恵まれたもんだな」
エルフの里へ。
それぞれの想いを胸に、旅立ちの準備が静かに動き出していた。
翌朝。
空は晴れ、風は静か。拠点全体が、何かを送り出すような、張り詰めた空気に包まれていた。
広場の中央に立ったバニッシュは、最後の確認として結界の周囲を歩き、指先から淡い光を放つ。
「……これでよし。転移中に俺の魔力が途切れても、結界は維持されるはずだ」
結界に強化術式を重ね、さらに特定の条件で発動する“警告魔法”を備え付ける。その中心となるのは、工房の片隅に置かれた、透明な水晶だった。
バニッシュは皆に向き直り、静かに言う。
「……この水晶は、結界が壊れたとき、魔力の波動で変色する。もし赤く染まったら、それは――俺の結界が消えた証だ」
水晶に視線を落としながら、続ける。
「そのときは、みんな……できるだけ安全な場所に身を隠してくれ。無理はしないでほしい」
沈黙の中、最初に声を上げたのはグラドだった。
「へっ、心配するな。たとえ結界が崩れても、俺が何とかしてやらぁ。老いたとはいえ、まだまだ現役よ」
そう言って、ぶんぶんと腕を回すグラド。
バニッシュは思わず笑った。
「……頼もしいな」
その横で、ザイロが無言のまま、深く頷いた。
いつも通り、言葉より行動で示す男だ。
「頼んだぞ、みんな。……必ず、戻ってくる」
バニッシュの言葉に、全員がそれぞれの想いで応える。
一方その頃、リュシアはライラとフォルの前に立ち、小さく息を整えてから、スッと掌をかざした。
「私の眷属、預けておくわ」
柔らかな光とともに、彼女の掌から現れたのは、手のひらサイズの小さなドラゴン。
透き通る薄紫の鱗、くりくりした瞳、翼はまだ小さく、飛ぶというよりはふわふわと浮いている。
「わぁ……可愛い……!」
ライラが思わず声を上げ、フォルも目を輝かせる。
「名前は“ミルル”。感情に敏感で、危険が近づくと鳴いて教えてくれるの」
ミルルは「がうー」と可愛らしく鳴きながら、二人の足元にすり寄った。
「うわっ……な、撫でていい?」
「もちろん。ミルルも、人が好きなのよ」
微笑むリュシアの顔には、どこか母のような優しさがあった。
一方、セレスティナは静かに転移陣の準備を進めていた。
拠点の外れ、小高い丘に転移用の術式陣を描き、古代文字の刻印を一つひとつ丁寧に浮かべていく。
その背中には、覚悟があった。
過去と向き合うための、心の準備――そのすべてを込めて。
やがて術式が完成すると、セレスティナはバニッシュたちに振り返り、そっと頷いた。
「準備ができました。……行きましょう」
バニッシュはもう一度、水晶と皆の顔を見て、ゆっくりと歩き出す。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてね」
「ミルルがいるから、こっちは大丈夫だよ!」
「……必ず、無事で戻ってきてください」
声を背に受けながら、三人は転移陣の中心へと立った。
セレスティナの詠唱とともに、空間が淡く光り、風が渦巻く。
そして――眩い光の中、バニッシュ、リュシア、セレスティナの三人は拠点を後にした。
旅の目的は、ただ一つ。
《精霊石》を手に入れ、装置を完成させるために――
その先に、待ち受けるのは過去か、因縁か、それとも新たな出会いか。
今、物語は再び動き出す。