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黒き勇者カイル

 静まり返った白い室内に、怒号が響き渡った。


「なんでだよッ!! なんで俺たちがこんな目にッ!!」


 ベッドの上で、勇者カイルが荒れ狂うように吠える。

 腕には包帯、脚にはギプス。片目を腫らし、血のにじんだ包帯の隙間から、狂気じみた瞳がのぞいていた。


「全部、あのジジイのせいだ……! グラド=ハンマルが協力してりゃ、俺たちは……!」


 鉄製の点滴台を蹴り飛ばす。ゴンッと鈍い音がして、隣のミレイユが顔をしかめた。


「やめなさいよ……。暴れたって、何も戻ってこないわよ……」


 ミレイユの声も掠れていた。彼女の体にも、複数の魔傷と火傷の痕が残る。美しかった長い髪は、炎に焼け焦げて肩までしか残っていない。


「くそっ……くそっ……!」


 ガルドは腕に巻かれた包帯を噛みながら唸っていた。

 彼の片脚は、もう“義足”になっていた。

 転移石の暴走による爆発で吹き飛んだのだ。


「全部――あいつのせいだ!!」


 勇者カイルの怒声が響く。

 枕元の水差しが壁に叩きつけられ、鈍い音とともに砕け散る。


「バニッシュさえ……あいつさえいなけりゃ……っ!」


 包帯を巻かれた腕が震え、怒りのあまりギシギシと歯が軋む。

 その目は血走り、敗北の現実をどうしても認められない。


「クソ……クソォッ!!」


 そのときだった。


 ――ギィ……


 誰も開けていないはずの扉が、音もなくわずかに開いた。


「……誰だ!?」


 カイルが怒鳴る。

 だが、返答の代わりに――ゆらり、と。

 白衣の医師でも、看護師でもない、黒いローブをまとった“何か”が、病室の奥へと足を踏み入れていた。

 フードを深く被り、顔は見えない。

 音もなく、気配もなく、まるで影のように――そこにいた。


「……てめぇ、どこの誰だ……!」


 カイルがベッドから半身を起こし、睨みつける。

 だが、その“フードの男”は、静かに、朗らかな笑みを帯びた声で答えた。


「……怪しい者ではありませんよ、勇者殿」


 その声は、笑っていた。

 優しげに。だがどこか、ぞっとするほど無機質に。


「あなた方のお力になれるかもしれないと思いまして――ふふ、こうしてご挨拶に」


「誰に許可を得て入ってきやがった……!」


 ガルドが怒鳴るが、男はまるで意に介さぬまま、空気のように病室へ入り込んでくる。


「噂は聞いております。……かつて栄光に包まれた“勇者一行”が、今や世の嘲笑の的――まるで、英雄の仮面が剥がされたように」


「……言いたいことがあるなら、はっきり言え」


 カイルが睨みながら吐き捨てる。

 フードの男は一歩踏み出すと、手のひらをゆっくりと上げた。


「あなた方は、まだ“力”を持っている。ですが……“機会”を奪われた」


 白い病室に染み込む、不気味な沈黙。

 その中で、フードの男はゆっくりと言った。


「――あなた方に、“機会”を与えましょう」


 被ったフードの奥。

 その口元が、歪んだ笑みを刻んでいるのがわかる。


「……機会、だと?」


 カイルが低く問い返す。

 怒りに濁った瞳が、男の顔を射抜こうとする。

 だが――


「ええ、“輝かしき栄光”を再び手に入れるチャンスです」


 その言葉に、ミレイユがピクリと反応し、ガルドも一瞬だけ目に光を取り戻す。

 フードの男は続ける。


「あなた方はかつて称賛され、国に、世界に崇められた。だが、今は違う。民衆の目は冷たく、王都ですらあなた方を“処分対象”と見ている。……その現実、受け入れがたいでしょう?」


 カイルの指が、ぐっとシーツを握りしめる。


「クソッ……ッたく、みんなわかってねぇ……!」


「――ならば、選ぶのです。このまま“落ちた勇者”として、恥と共に死ぬか。それとも、すべてを取り戻すか」


 その声は、まるで絹を撫でるように甘く、しかし確実に毒を仕込んでいた。


「“機会があるなら”……よこせ」


 カイルが、悪魔に契約を結ぶ者のように言い放った。

 男は微かに頷き、さらに囁く。


「――そのためには、“決断”をしなければなりません」


「……決断?」


 カイルが眉をひそめる。

 その時、フードの男の視線が、病室の一角に向いた。

 そこにいたのは――義足となり、包帯でぐるぐる巻かれたガルド。


「再び、勝利を手に入れるには……“使えぬ道具”は、切り捨てるしかありません」


「な……?」


 ガルドが表情を引きつらせる。


「冗談だろ、カイル……? なぁ……お、俺たち、仲間じゃ……!」


 だが。

 カイルとミレイユは、まるで感情のない目で――

 まるで“人形”のように――

 ただガルドを見下ろしていた。


「……世界のためだ」


 カイルが低く呟き、右手をゆっくりと、ガルドの胸元に置く。


「や、やめろ……! 頼む、カイル……!」


 ガルドが必死に手を振り払おうとするが、義足の身体ではうまく動けない。

 ミレイユは一歩引いて、目を背けるが――止めない。

 ただ一人、セリナだけが震える声で叫んだ。


「やめてカイル!! 何を――!」


 その声を遮るように、カイルの口元が、ぞっとするような笑みに歪んだ。


「――“犠牲”になってくれ。英雄の未来のために、な」


 次の瞬間――カイルの掌に魔力が集中する。

 火属性・高熱収束魔法――《爆炎陣》が起動。


「やめ――」


 セリナの声が届くより早く、

 轟音と共に、ガルドの身体が炎に包まれた。


 ――ゴォオオオオオッ!!


 咆哮のような爆発音。

 焼け焦げた肉の匂い、鉄の焼ける音、血飛沫。

 すべてが一瞬にして病室を“地獄”に変えた。


「――っ、あああああああああッ!!」


 セリナの悲鳴がこだまする。

 ガルドの叫びも、断末魔すら――掻き消されるように、赤い火に呑まれて消えた。

 数秒後。

 炎が収まり、そこには黒焦げた鉄の塊と、焼け爛れた肉片だけが転がっていた。

 病室の床に、血と灰が広がる。

 そしてその中央に立つカイルの瞳は、すでに正気ではなかった。

 ――勇者カイルは、その瞬間、“人”であることをやめた。


 「ふふ……素晴らしい、“決断”でした」


 フードの男が、満足げに拍手を打つ。

 その背後に、黒い影が、音もなく渦巻いていた。

 爆炎の余韻に焦げた血と肉の匂いが混じり、病室はまるで拷問室のように変わり果てていた。

 その中心で、勇者カイルは、ただ震えていた。

 己の手で、仲間を――いや、“友”を――屠ったその事実に、呆然とし、指先がわずかに痙攣している。


「……あ……あ、あ……」


 唇が乾き、喉がひくつく。

 胸の奥から何かがせり上がる。嘔吐か、後悔か、それとも快楽か。

 そのとき――


 「――さあ、こちらへ」


 フードの男が、まるで舞台の幕を引くように一歩、横にずれた。

 その背後に、空間が“割れて”いた。

 紫と黒の禍々しい魔力が蠢き、無数の紋章と鎖がうごめくように揺れる、異界の転移ゲートが出現していた。

 ――おいで、地獄の入口へ。

 その佇まいはまるで、神すら忌避する何かの胎内のようだった。


「……っ、何……これ……」


 ミレイユがかすれた声で呟きながらも、その足は自然とゲートへと向かっていた。

 理性よりも深く、もっと原始的な“渇き”が、彼女を吸い寄せていた。

 そのとき――


 ――ドンッ! ドンッ!!


「どうした!中で何があった!?」


「応答しろ!開けろ!」


 病室の外で衛兵たちが騒ぎ始める。

 セリナの悲鳴とカイルの魔法の爆音が響き渡った今、彼らが気づかぬはずもなかった。

 しかし、扉は開かない。


 「結界だ……これは、外部遮断の高位結界……っ!」


 必死に扉を叩く音が続くも、フードの男の仕込んだ封印術式がすべてを拒絶していた。


「急ぎましょう」


 男の声は静かに、しかし確実にせかしていた。

 そして―― カイルが、禍々しき転移ゲートの前で、ゆっくりと振り返る。

 ――その目に、もう“理性”はなかった。

 燃え残る血と灰を背負い、彼は言った。


「……セリナ。共に来い」


 右手を、差し出す。

 手のひらには、先ほどまで仲間だった者の血がまだ――生々しくこびりついていた。


「や……やめて……私は、私は……!」


 セリナの瞳が大きく見開かれ、肩が震える。

 涙があふれ、脚が震え、それでも――逃げられなかった。

 病室の外は封鎖され、勇者の“同胞”はもう目の前の者たちしかいない。

 逃げ場は、ない。


「セリナ……お前は“選べる”側の人間だ。もう一度、世界を救いたいんだろ?」


 カイルの声は、かつての彼とは似ても似つかぬ、悪魔の囁きに変わっていた。


「……っ……」


 セリナは、差し出されたその手を見つめ、崩れそうな膝を震わせながら――ゆっくりと、その手を取った。


「……よく、決断してくれました」


 フードの男が、静かに微笑むようにうなずく。

 そして三人は、その地獄のゲートへと、足を踏み入れていった。

 ――ぼんっ、と静かに空間が収束する音がして、異界のゲートは何もなかったように消え去った。

 ただ、破壊された病室と、焼け焦げた肉の匂い、そして誰にも救われなかった“咆哮”だけが、その場に残されていた。


 重く閉ざされた政庁の大扉が、異様な緊張をはらんで開かれる。

 各国の使節、王国騎士団、情報局、警備隊――王都の中枢に関わる者たちが一堂に会し、沈黙と怒声が交錯する中、中央の玉座席に座る執政長官が、低く、重く、言い放った。


「――勇者カイル一行を、王都への反逆者と認定する」


 その言葉が放たれた瞬間、場の空気が一変する。


「正気か!?」


「勇者だぞ!?」


「あの者たちが何を――!」


「……すでに証拠は十分だ」


 補佐官が淡々と書類を掲げる。

 転移院の記録、水晶窓の魔術映像、破壊された治療室――


「同胞殺害、病院施設破壊、脱走、消息不明。さらに“空間転移による国外逃亡の疑い”……」


 執政長官の声は冷たく、容赦がない。


「――以上の事実をもって、勇者カイルおよびその一行、ミレイユ・セリナを含め、“指名手配”とする」


 会議場がざわつく。


「懸賞金を設定せよ。生死問わず、だ」


 瞬間、どよめきと戦慄が広がる。


「勇者に懸賞金……!?」


「これは前代未聞……!」


 だが、誰も反論はできなかった。

 王都に残されたのは、焼けた病室と死体。

 そして――逃げ去った者たちの血塗られた記録のみ。

 その日の午後、王都全域に“指名手配の布告”が張り出される。


王都 特別告知


以下の人物を国家反逆罪・重大殺人・王都治療施設破壊の容疑により指名手配する。


◆【第一級危険対象】

カイル=エルドラント(元・勇者認定)

・容疑:殺人・国家反逆・脱走・禁術使用

・懸賞金:300万グレム


◆【第二級危険対象】

ミレイユ=グレイス(魔導士)

・容疑:脱走・国家指名施設の破壊補助

・懸賞金:100万グレム


◆【注意対象】

セリナ=アステリア(元聖女)

・容疑:同伴脱走の疑い

・懸賞金:50万グレム


※発見次第、速やかに王都警備隊または近隣ギルド支部へ通報のこと

※民間人による拘束は推奨されない(極めて危険な魔力を有す)


《王都・街角》


 人々は、その張り紙を見て、言葉を失った。


「……これ、嘘だよな……? 勇者が……?」


「いや、でも……治療院、ほんとに燃えたって聞いた……」


「ガルドが殺されたって……本当なの……?」


 誰もが知っていた。

 希望を与えてくれた、あの“光”の存在を。

 だが今、王都の街角に掲げられたその名は、“裏切り者”だった。

 誰もが口を噤む。

 誰もが顔を伏せる。

 そう、世界は――もはや、誰を信じていいのか分からなくなっていた。


 勇者カイルの指名手配が布告されてから数日。

 その情報は、魔導通信網によって各国へと広まり、瞬く間に大陸全土を駆け巡った。

 ――勇者が、仲間を殺して逃亡した。

 ――希望の象徴が、最悪の反逆者となった。

 その事実は、ただの事件ではなかった。

 それは、人々の中に巣食っていた“信頼の前提”を、根こそぎ破壊したのだった。



《中立都市》


 「物資を渡せ! 俺たちは“自警団”だ!」


 剣を抜いた男たちが、街道沿いの物資運搬車を取り囲んでいた。

 かつては市民を守るために組織されたはずの彼らが、今では“治安の名を借りた強奪集団”と化していた。


「……勇者が国を裏切る時代だ。俺たちが多少、奪ったところで誰も文句は言えねぇよ」


 笑いながら袋を背負っていく男の声に、被害者の商人は、ただ呆然と地面に崩れ落ちていた。


《辺境村》


 村の広場で、一人の老人が語る。


「……もう、誰も信用できん。あの勇者でさえ、人を殺したのだぞ……」


 それを聞いた若者が、低く吐き捨てた。


「だったら最初から、自分の身は自分で守るしかねぇだろ」


 彼は仲間を集め、“武装民兵団”を作り始めた。

 しかしその武器は、魔物ではなく――隣人を威圧し、略奪を可能にする“抑止力”へと変わっていく。


《聖教圏》


 かつて勇者に神の祝福を授けたとされる教会ですら、信徒の数が激減していた。


 「神は、なぜ勇者の堕落を許したのか」


 「我らの信仰は嘘だったのではないか」


 動揺した民衆は、次々と聖堂に火をつけ、神官を追い出した。

 信仰と秩序の象徴だった神殿は、いまや廃墟と化していた。


《王都・中央情報局の報告》


 報告書を手にした情報管理官は、眉を寄せた。


「……各地で暴動、盗賊化、武装自警団の増加、教会への襲撃……」


 補佐官が言う。


「魔王軍の侵攻は今も続いていますが、それ以上に――“人間同士の衝突”が急増しています」


「……最悪の事態ね」


 彼女は静かに言い放つ。


「このままでは、魔王が動かずとも、人間の手で世界が滅ぶわ」




 ――コツ、コツ、コツ……


 石造りの廊下に、革靴の乾いた足音だけが響いていた。

 壁には無数の蝋燭が灯っているが、どれも淡く、不気味な紫色の火を揺らめかせていた。

 そこに差し込む陽の光はなく、空間そのものが“昼夜”という概念を失っているようだった。

 天井は高く、石柱には禍々しい装飾が施されている。

 その荘厳さと、どこか底知れぬ静けさが、まるで王城の一室のような威厳を放っていた。


「……どこだ、ここは」


 勇者カイルが眉をひそめながら周囲を見渡す。


「まさか、異界?」


 ミレイユも肩をすくめながら杖を握り直す。

 セリナは黙って、落ち着かない視線であたりを伺っていた。

 フードの男は、彼らの前に立ちながら振り返る。


「――我が主の館の一室です。ようこそ、おいでくださいました」


 その声は、まるで歓迎の言葉でありながら、どこか儀式の始まりを告げる鐘のようでもあった。


 「ふん……だから何だ。結局、俺たちに“何をさせるつもり”なんだ?」


 カイルが不機嫌に鼻を鳴らす。

 するとフードの男は、薄く笑った“気配”を滲ませながら、静かに手を差し出した。


「……その前に」


 彼は、手のひらを三人に向けると――ふっと、淡紫の光が舞った。

 その光が、傷ついた身体を包むと――瞬く間に、ミレイユの裂けた肌が滑らかに再生し、セリナの焦げた法衣が元に戻り、カイルの裂傷が跡形もなく癒えていく。

 まさに、神の奇跡とすら思える“瞬間完全治癒”。


「……ふ、ははは……! これは……!」


 カイルが腕を動かし、傷の跡が完全に消えているのを見て笑った。


「王都のクズ治癒師どもとは違うようだな。使い物になるじゃねえか」


 ミレイユもほっとしたように手を見つめ、セリナは表情を曇らせたまま、何も言わなかった。


 「滅相もない。私ごときの術など……我が“主”の力に比べれば、塵のようなもの」


 フードの男は丁寧に一礼し、踵を返す。

 その背中から漂う気配は、礼節と恐怖、敬意と支配、すべてが混ざり合った異様な重みを持っていた。

 カイルたちは知らなかった。

 この一歩が、人としての一線を、完全に越える道へと続いていることを――


 薄暗い石造りの部屋に、わずかな淡光が灯っていた。

 その光の中心に――それはあった。

 まるで生きているかのような黒鉄の鎧と剣、そして盾。

 どれも魔力の波動を脈打つように放ち、見る者の胸奥をざわつかせる。

 それは武具であるにもかかわらず、まるで獲物を待つ獣のように、じっと彼らを見つめていた。


「……なんだ、これは」


 カイルが一歩前に出て、眉をひそめる。


「まさか、“魔族の遺物”じゃねぇだろうな」


 その問いに、フードの男は穏やかに笑った“気配”をにじませながら、静かに頭を下げる。


「いいえ、貴方のためだけに誂えた、“新たな武具”でございます。貴方が再び、世界に名を轟かせるための――“覇道の鎧”。」


 カイルはその言葉に鼻を鳴らし、皮肉に口元を歪めた。


「……なるほどな。俺に魔王にでもなれってのか。ずいぶん面白ぇ冗談だな」


 だが、フードの男は即座に否定する。


「とんでもない。貴方は“勇者”です。ただ、誰よりも真実を知り、欺瞞に染まらず、真の力でもって――この腐った世界を“正す”勇者となるのです」


 その言葉に、ミレイユは期待の笑みを浮かべ、

 セリナは一歩だけ後ずさった。

 カイルはフードの奥を見定めるように睨んだが――やがてその目が、ゆっくりと変わっていく。

 覚悟。受容。欲望。


 「……いいだろう」


 短くそう言うと、彼はゆっくりと、鎧に手を伸ばした。

 ――その瞬間だった。


 ゴッ……!!!


 鎧と剣が、突如生き物のように蠢き、巻き付き、吸い寄せられるようにカイルの身体に融合していく。


「ッ……くぅぅう……!!」


 黒い帯のような魔力が彼の腕から背へ、脚へ、胸へと這い、爪のような金属が皮膚を喰らうように装着されていく。

 その光景に、ミレイユは息を呑みながらも、目を輝かせた。


「……カイル……すごい……!」


 セリナは、青ざめた顔で身を縮めた。


「……やめて……こんなの、こんなの違う……!」


 だが、止まらない。

 魔力の嵐が吹き荒れ、部屋全体を圧倒する。

 それは魔物の咆哮のようであり、神を冒涜する鼓動のようでもあった。


 そして――


 光が、収束する。

 黒く鋳造された禍々しい鎧、肩には角を模した装飾、マントのように揺らめく黒炎。

 右手には巨大な大剣。左腕には漆黒の盾。

 その姿は、かつて“希望”と呼ばれた勇者の影も残さぬ、闇を纏った王のような威容だった。


 そして――


「……フッ」


 その口元に、笑みが浮かんだ。

 低く、静かに、だが間違いなく――カイルはその瞬間、「何か」を手に入れた。


 「ようやく……これで、俺は世界に“本当の意味で必要とされる存在”になれる……」


 その声は、かつての“勇者の言葉”ではなかった。

 だがその背にあるのは、まぎれもなく“世界を変える力”だった。


 陽は陰り、灰色の雲が街を覆っていた。

 道端の石畳には、焦げた痕と割れた窓ガラス。

 商人たちは店を閉ざし、家々の扉には板が打ちつけられていた。

 暴徒たち――かつて善良だったはずの民たちが、「正義」という名の喪失により、秩序の檻を壊していた。


「奪え!生き残るには、力しかねぇんだよ!」


「どうせ国は守ってくれねぇ! 勇者すら嘘だったんだ!」


 叫びながら店を襲い、民家を破壊する彼らに、唯一立ち向かう者たちがいた。


「やめろ!武器を捨てろ!王都の名において命じる!」


 近衛兵たちが盾を掲げて道を塞ぐ。

 彼らは、未だ誇りを失っていない最後の守り手だった。


 だが――


 その瞬間だった。


 バリバリバリィッ――!!


 黒き雷鳴が、空を裂いた。

 その中心に、黒きマントを翻した男が降り立つ。

 鈍く光る漆黒の鎧、鬼のような肩装飾、手にしたのは、闇を喰らうごとき禍々しい大剣。

 その隣に佇むのは、艶やかな黒と紅のローブを纏った魔導士――ミレイユ。

 そして、その後ろに、顔を伏せて立つ聖女――セリナ。


「――お前は……指名手配中の……!」


 近衛兵のひとりが言葉を発しかけた刹那。


「……遅い」


 カイルの大剣が一閃。

 空間を裂くような黒い残光とともに、近衛兵の盾が真っ二つに砕け、

 返す刃にミレイユの雷撃魔法《堕雷の鎖鎌》が叩き込まれる。


 「があああああっ!!」


 叫ぶ暇もなく、数人の兵が宙を舞い、石畳に叩きつけられた。

 セリナは、両手で顔を覆い、必死に目を逸らした。

 それでも、耳から聞こえてくる断末魔は止められない。

 暴徒たちは、その光景に一瞬たじろいだ。

 ――だが、次の瞬間。


 カイルが、剣を血に濡らしながら振り返った。

 その瞳は狂気に染まり、笑みは醜悪に歪んでいた。


「よお――お前ら」


 振り上げた黒剣が、鈍く空を裂く。


「俺がお前たちの“希望の光”――勇者カイルだァ!!」


 怒号のような笑い声が街に響いた。

 それは、かつて民を救った勇者の声ではない。

 だが、混乱と絶望に慣れ果てた彼らには、そんなことはどうでもよかった。


「ゆ、勇者……?」


「本物だ……あれが、“堕ちた勇者”……!」


「でも……すげぇ……強ぇ……!!」


 瞬間、暴徒たちの中に火が灯る。


 「ウオオオオオオッ!!」


 「カイル様万歳!!」


 「黒き勇者に栄光あれ!!」


 暴徒たちは剣を掲げ、声を枯らして叫び始めた。

 彼らは理性よりも“力”に飢え、救いではなく“支配”に縋ったのだ。

 カイルは、それを見下ろしながら――笑う。


「俺が……この腐った世界の“新しい秩序”だ」


 その姿は、英雄ではない。

 救世主でもない。

 だが確かに――新たな“象徴”だった。

 この日、世界は目撃した。

 絶望に導かれ、誕生した黒き勇者を。

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