温泉大作戦!!
翌朝、空は晴れ渡り、心地よい風が森を抜けていた。
拠点の一角、作業机を挟んで向かい合うのは、バニッシュとグラド。
二人は早朝から真剣な表情で、術式図と部品の設計案を並べながら話し合っていた。
「三つの魔法理論を同時展開して、それを中央装置で結合・統合か……流れの中間に媒体としての緩衝材をどう組み込むかが肝だな」
「おう、ただの金属や魔鉱じゃ駄目だ。流れを“受け止めてから整える”ような性質を持つ構造体が必要になる。そこは俺が色々と探してくる」
互いの専門を活かし、構想は着実に形になり始めていた。
――と、そこへ。
「バニッシュ、ちょっといいかしら?」
控えめなノックとともに、リュシアが姿を見せる。後ろにはセレスティナとライラの姿もあった。
「三人してどうしたんだ?」
「うん……ちょっと、お願いがあるの」
バニッシュが首を傾げると、ライラが前に出て口を開いた。
「以前、バニッシュさんが作ってくれた水浴び場のことなんですが……最近、人が増えたせいで、順番待ちが出ていて……」
「特に昼間、畑仕事や力仕事のあととか……汗や泥で身体が汚れていると、さすがに待ち時間は辛くて……」
セレスティナも少し困ったように微笑む。
「そっか、なるほど……確かに、ここではみんな役割分担してるし、体を動かすことも多い。年頃の子には気になるかもな……」
バニッシュは腕を組んでうなるように考え込む。
そのとき、脇で聞いていたグラドがぽんっと手を打った。
「だったら――いっそ、浴場を作ったらどうだ?」
「……浴場?」
リュシアが聞き返す。少し訝しげな目つきだ。
「ああ、俺の故郷じゃな、大きな風呂を作って、みんなで一緒に入るってのがあったんだ。でかい湯船に、たっぷりのお湯。汗も泥もぜ~んぶ流して、のんびり浸かる。最高の贅沢よ」
グラドは目を細めてどこか懐かしげに語る。
その言葉を聞いた瞬間、リュシア、セレスティナ、ライラの三人が同時に声を上げた。
「いいじゃない、それ!」
「私も賛成です。浴場なんて夢みたい……」
「浴場って……どんなのなんですか?」
目を輝かせる三人に、グラドはどこか名残惜しそうに肩をすくめる。
「本当はなぁ……温泉のほうがずっといいんだが、そう簡単に見つかるもんじゃねぇしな」
そう言いながらも、口調にどこか懐かしさが滲む。
「温泉? 聞いたことないけど……どこかにあるの?」
リュシアが首をかしげると、セレスティナがやんわりと微笑んだ。
「ええ、私は知っています。地中の熱で温められた地下水のことですよね。鉱物や成分が溶け込んでいて、肌にも体にも良いって言われてます」
「おぉ、そうそう。それだ」
グラドが指を鳴らして頷く。
「効能もいろいろあってな、疲労回復はもちろん、美容にも効果がある……って言われてる」
「……美容?」
その単語に、一人、リュシアがピクリと反応した。
「ふーん……美容、ねぇ……」
腕を組み、なぜかゆっくりと頷く。
「それ、私に必要って意味じゃなくて? いやいや、でもせっかくなら体に良いに越したことはないわよね」
リュシアはごにょごにょと呟いたかと思うと、バンッと手を叩いた。
「よし! なら温泉を掘りましょう!!」
「ちょ、おい待て待てリュシア。温泉ってのは“掘れば出る”ようなもんじゃねえんだって」
バニッシュが両手を上げて止めに入るが――
「ふふん、そこはご心配なく!」
胸を張って、リュシアは自信満々に言い切った。
「こう見えても、私は魔族の娘。魔眼のひとつやふたつ、使えるに決まってるじゃない」
「……えっ、魔眼?」
「それって、もしかして……」
「すごそう……!」
セレスティナとライラが感嘆の声を上げるなか、バニッシュがやや引き気味に口を挟んだ。
「……魔眼で温泉って見つかるもんなのか?」
「見つかるわよ。……たぶん!」
最後の一言にやや不安が残るが、リュシアのやる気はすでに天井知らずだった。
「どのみち、浴場の建設場所はまだ決まってない。どうせなら、夢の温泉を目指しましょう!」
リュシアが拳を掲げると、なぜか周囲から小さな拍手まで起きた。
「……ま、出たら出たで儲けもんか」
バニッシュが肩をすくめ、グラドも苦笑しながら腕を組んだ。
「さて、そんじゃ――温泉掘り、大作戦の始まりってわけだな」
「じゃ、行ってくるわねー!」
リュシアが手をひらひらと振りながら、足取り軽く拠点を出ていく。その後ろにはセレスティナ、ライラ、そして一番小柄なフォルの姿。
「結界の外には出るなよー! 絶対に、だ!」
バニッシュが背後から声をかけると、リュシアはチラリと振り返ってニッと笑った。
「分かってるってば! ただの温泉探しよ? 遊びじゃないんだから!」
……その笑顔は、完全に遊びに行く顔だった。
「まったく……」
バニッシュは手を頭に置き、苦笑する。
その表情はどこか父親のようだった。娘たちを遠足に送り出す親のような、少し心配で、でもどこか嬉しそうな、そんな顔だ。
「さてと……」
バニッシュは腰を伸ばし、手をパンと打つ。
「俺たちも始めるか。浴場の設計、頼むぞ、グラド、ザイロ」
「おう。そう来なくっちゃな!」
グラドが腕をぐるぐると回し、ザイロは黙ってうなずいた。
三人は焚き火跡の近くに木製のテーブルを持ち寄り、紙と墨、測量用の道具を並べて、温泉浴場計画がスタートするのだった。
***
一方その頃、森の中では、リュシアたちが探索を開始していた。
「このあたりはまだ歩いたことがないですね。地熱が高い場所があれば、あたたかい風や湯気が出ているはずですが……」
セレスティナが地面に手を触れ、魔力で温度を探りながら呟く。
「魔眼ってどう使うの? ねえねえリュシアお姉ちゃん!」
フォルがはしゃぎながら横から覗き込むと、リュシアは自慢げに腰に手を当て、ドヤ顔で言った。
「いい質問ね、フォル。私の魔眼の一つ熱視の眼! 地中の温度差や魔素の流れを視覚的に捉えるのよ! 温泉なんて余裕よ!」
「お姉ちゃんすごーい!」
無邪気に拍手するフォルを見て、後ろのライラがぽつりとつぶやいた。
「……調子に乗らなきゃ、いい人なんだけど」
「ん? なにか言った?」
「いえ、なんでもないよ」
そんな会話を交わしながら歩いていると、ライラがふとフォルの背中を見て声をかけた。
「そうだ、せっかくだからこれもやっておきましょう」
そう言って、自分の肩から小さな編み籠を外すと、ぽん、とフォルの背中に乗せた。
「わっ!? な、なにこれ!? 重い~!」
「木の実を取っていきましょう。夕飯の準備にもなるし、何より自然の恵みってやつよ」
「えええー!? なんで僕が持つの~!?」
「男の子でしょ?」
ライラがピシャリと返すと、フォルはうう~と唸りながらもしぶしぶ歩き出す。
「ぼく、こういうの向いてないと思うんだけどなあ……」
「ほら、文句言ってないで探すわよ。少しでも成果が出れば温泉入浴の優先権をあげるから」
「ほんと!? やるやるやるっ!」
途端にやる気スイッチが入ったフォルは、森の中をきょろきょろと見回し始めた。
「……単純ね」
ライラが呆れながらも、口元に笑みを浮かべた。
カサリ、カサリと落ち葉を踏みしめる音が、森の静寂に柔らかく溶けていく。
リュシアは足を止めて、頭上に広がる木漏れ日を見上げた。
「それにしても……変な森よね、ここ」
「変、というと?」
セレスティナが首を傾げ、すぐそばの巨木にそっと手を当てる。年輪を感じさせる幹は太く、幾重にも苔が這い、生命の深さを語っていた。
「こんなに木々が生い茂ってるのに……周囲が暗くないのよ。むしろ明るいくらい」
「……確かに。普通ならもっと鬱蒼としているはずなのに、不思議と光が届く。樹齢は……数百年、いやもっと古いかもしれませんね」
セレスティナの淡い声が、葉の間を吹き抜ける風のように優しく響いた。
後ろからフォルが「木の実、あったー!」と無邪気に声を上げ、ライラが「こっちも見て」と応じる声が聞こえる。
平和な空気に包まれたそのひととき。
――しかし、突然。
「あの……ところで」
いつもは落ち着いたライラが、どこか落ち着かない様子で二人に声をかけた。
リュシアとセレスティナが同時に振り返ると、ライラは顔を赤らめながら視線を落とし、ぎこちなく言葉を継いだ。
「お二人って……その、バニッシュさんのこと、どう思ってるんですか?」
その瞬間。
「なななっ!? なによ急にっ!!?」
リュシアの顔が見る見るうちに真っ赤になり、肩をビクンと震わせた。
「ど、どうって……」
セレスティナも同じように目を見開き、耳まで真っ赤に染まっていく。視線は定まらず、手はそわそわと服の裾をいじっていた。
「い、いや別に深い意味はないんです。ただ……二人とも、いつもバニッシュさんと一緒にいるから……何かあるのかなって……」
ライラの声はあくまで自然で、興味半分、気遣い半分だった。だが、それが逆に突き刺さる。
「べ、べっつに私は! あいつのことなんて……その……っ」
言葉を濁すリュシアの口調は、いつになく弱々しい。普段の堂々たる態度はどこへやら、目を泳がせてゴニョゴニョと呟く様子は、少女そのものだった。
セレスティナは少し俯いたまま、しかし、ゆっくりと口を開いた。
「私は……そうですね」
胸元にそっと手を添え、何かを確かめるように。
「……素敵な人だと思います」
静かで、けれど迷いのない言葉。
それは飾り気のない、彼女の真っ直ぐな想いだった。
リュシアがちらりとその横顔を見て、少しだけ頬を膨らませる。
「……っ、私だって……」
「え?」
「なんでもないわよっ!」
そう言い捨てて、リュシアはバッと前を向き、大きな足音を立てて歩き出した。
セレスティナはそんな彼女の背中を見ながら、小さく笑った。
そしてライラもまた、二人の反応にくすりと微笑む。
(……バニッシュさん、まったく罪な人ですね)
そう、心の中で呟きながら――。
ぎこちない空気のまま、森の中を進んでいたそのときだった。
リュシアが、ふいにピタリと足を止める。
「……っ、来たわ」
その声に、セレスティナとライラ、そしてフォルが立ち止まる。
リュシアの瞳が、ほんの一瞬だけ淡い光を帯びる――それは、魔眼、熱視の眼が発動した証。
彼女の視界に映るのは、周囲の魔力の流れ。それが一本の筋となって地下深くへと伸びているのが見えた。
「……地下水脈よ。それも、かなり深いけど……高温層と交わってる。間違いないわ」
リュシアはにやりと笑みを浮かべ、ぐっと指差す。
「あっちよ! 温泉、見つけたわ!」
「ほんとうですか!?」
セレスティナが目を見開き、ライラとフォルもぱあっと顔を明るくする。
「よっしゃー! さすがリュシアお姉ちゃん!」
フォルが思いきり腕を振り上げると、背負っていた木の実入りの籠がずれて、派手な音を立てて落ちた。
「ちょっ……! 木の実が潰れちゃうでしょ!」
「いってぇ~」
ライラに怒られながらも、フォルは嬉しそうだった。
一行は、リュシアの魔眼が示した方向へと足を進める。
やがて森の奥、岩肌が露出した小高い丘にたどり着いた。岩の隙間からは、ほんのり湯気のようなものが立ち上り、周囲には硫黄のようなかすかな匂いが漂っている。
「間違いない……これは温泉よ!」
リュシアが確信をもって言い放つと、セレスティナもそっと地面に手を当てて魔力を流し込む。
「ええ、熱源が近くにある。地下二十メル程度の深さに、豊富な湯量の温泉層……素晴らしいです!」
「よし、帰って報告しましょ!」
ライラが張り切って声を上げると、フォルも「ばんざーい!」と飛び跳ねた。
四人は笑いながら、来た道を引き返していく。
その背中には、まるで春風のように明るく朗らかな空気が流れていた。
少女たちの瞳には――すでに温泉に浸かってリラックスしている未来の自分たちの姿が、はっきりと浮かんでいた。