星空に交わす――約束
「……それからだ」
バニッシュは、暖炉の火ではない、もっと遠いものを見つめていた。
「俺が魔法理論をみんなに見せてから、少しずつ、だ。カイルは……いつの間にか傲慢になっていった。勇者としての誇りが、いつしかプライドに変わった」
その声音は、まるで夢の続きを話すように淡かった。
「ミレイユは化粧が派手になっていった。あいつなりに、不安を隠したかったんだと思う。セリナはあの頃から笑わなくなっていった」
薪がパチリと爆ぜる。
静寂が広がる広間。
「それでも俺は、ずっと補助の立場で一緒にいた。あいつらを支えるのが、俺の役目だと信じてた」
バニッシュの声は低く、しかし確かな悔恨を孕んでいた。
「そこへガルドが仲間になった。勇者一行の名声を聞きつけてな」
拳を握るでも、涙を流すでもなく――ただ、平然と。
「違和感はあった。けど俺は、ずっと一緒にいた。でも結局、俺は追放された……」
言い終えると、バニッシュは長く息を吐く。
まるで、それは自分の身に起きたことではなく、誰かの昔話を読み上げているだけのような――そんな淡々とした口調だった。
だが、その言葉の重みは、聞く者の胸に沈み込んでいく。
広間には、重たい沈黙。
リュシアは拳を握り締め、唇を噛む。
セレスティナは瞳を伏せ、長い睫毛が影を落とす。
フィリアはそっとカップを手に取り一口飲む。
グラドは黙って顎髭を撫で、ツヅラは扇を口元に当てて金色の瞳だけが揺れていた。
ライラとフォル、ザイロとメイラも、息を呑むように耳を傾けている。
セラだけが、静かなままバニッシュを見つめていた。
「……それがアンタと黒の勇者の物語っちゅうわけやな」
ツヅラは扇をぱたんと閉じ、柔らかく笑う。
その声色には、嘲りも同情も、哀れみもなかった。
ただ、真実を受け入れた者の声音。
「物語ってほどじゃないさ」
バニッシュは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「これが――俺とアイツのすべてだ」
その言葉はとても静かで、しかし誰よりも重かった。
そして、ゆっくりと目を伏せる。
「……今日はここまでだな」
バニッシュの言葉に、広間にいた全員が黙って立ち上がった。
それぞれが胸に何かを抱えたまま、静かに歩き出す。
グラドが一番に近づいてくる。
ごつい手のひらでバニッシュの肩をぽん、と叩き。
「お前の話を聞けて、俺は良かったと思ってるぜ」
それだけ言い残して、歩き去る。
ザイロは無言で頷いた。
それだけで十分だった。
メイラ、ライラ、フォルも気遣うように一度だけ振り返ると家へと帰っていく。
セレスティナは小さく礼をし、廊下へ消えた。
リュシアは一瞬だけ、強い光を宿したまなざしでバニッシュを見る。
何かを言いかけ――だが、言葉にはせずに部屋へ向かった。
ツヅラ、フィリア、セラも、音もなく夜に溶けるようにそれぞれの家へ戻っていく。
気づけば、広間にはバニッシュひとり。
静寂だけが残っていた。
外に出ると、空はやけに澄んでいた。
星々が冷たい光の粒を散らしている。
「綺麗な空だな……」
苦笑しながら見上げる。
あの頃は――ただ仲間で、笑い合っていた。
肩を並べ、同じ未来を見ていた。
だが、道は分かれた。
ミレイユは魔人と化し、自らの手で斬った。
今でもその時の感触が手に残っている。
セリナは悲しみの中で、自ら命を絶った。
救えなかった。
守りたいと思った者ほど、守れなかった。
それでも、その選択が多くの命を救った。
それだけは間違いじゃなかった。
ゆっくりと、バニッシュは手を見つめた。
この手の血と迷いの重さも、全部背負ってきた。
だからこそ、次は――と願う。
「……カイル」
夜風の中、名前が静かに零れる。
「お前だけでも――救いたい」
バニッシュは拳を握りしめる。
その拳は震えていた。
悔しさでも恐れでもない。
ただ、祈りに似た願い。
そして、決意だった。
星空の下で、静かに――未来に向き合う。
夜気が静かに流れる中、背後から柔らかな気配が寄ってきた。
「……バニッシュ」
振り向くと、そこにリュシアが立っていた。
月の光がその髪を月明かりに照らす。
普段よりも、ずっと神妙な顔だった。
「どうした、リュシア」
問うと、リュシアは無言で隣に並んだ。
しばらく夜空を見上げ、そして――静かに口を開く。
「アンタの話、聞いて。黒の勇者との関係も、それで……アンタが救いたいって言う理由も分かった」
リュシアの声は震えていた。
「だけど私は……アイツを許せない」
その瞳に、怒りと悲しみの色が宿る。
「ルガディアを、エルフェインを、そして――セリナを」
唇を強く噛みしめ、小さな肩が震える。
握りしめた手は白くなるほどに力がこもっていた。
バニッシュは、ゆっくりと微笑んだ。
「それでいい。リュシア」
優しく、温かく。
「アイツを救たいってのは俺のワガママだ。お前の怒りも、悲しみも……全部大切な気持ちだ」
リュシアの目が揺れる。
「でも、それじゃアンタは――」
堪えていた想いが、滲むようにこぼれた。
守りたい拠点、守りたい仲間、そして――救いたいと願うバニッシュの心。
その全てが、彼女を縛っていた。
バニッシュは再び、満天の星へと視線を向けた。
その横顔は、どこまでも穏やかで――どこか懐かしささえ滲ませていた。
「俺は追放されて、ここに来て……お前らと出会った。色んなことがあって……いつの間にか、守るものが増えてたんだ」
静かな声だった。
誰に誇るでも、誰に弁明するでもない。
ただ、真実だけを語るような声音。
「俺はまだ迷ってる。正しい答えなんて分からない。だけど――」
バニッシュはゆっくりと瞼を閉じ、セラの言葉を思い返す。
『あなたと黒の勇者は、縁で繋がっているの』
「もし本当にアイツと俺に深い縁があるっていうなら……そのケジメは、俺自身がつける」
そして、ゆっくりリュシアに視線を移す。
その瞳には迷いではなく、静かな決意が宿っていた。
「アイツと対峙しても……まだ俺が迷ってたら」
一拍置く。
「その時はリュシア――お前が俺の背中を叩いてくれ」
バニッシュはにっと笑い、リュシアの頭に手を伸ばし、ぽんと置いた。
それは父のようでも、兄のようでもなく――仲間としての信頼の証だった。
「――っ!」
リュシアの顔がみるみる真っ赤になっていく。
耳まで染まる勢いだ。
「ば、バカ……!」
震える声で吐き捨てながらも、手を払い落とすことはできなかった。
「……でも、わかった。アンタが立ち止まったら、その時は――私が叩き直してあげる」
夜風が吹き抜ける。
星が揺れ、森がざわめき、世界が見守っているようだった。
バニッシュはその言葉に小さく頷いた。
「頼んだ」
その言葉は、確かな絆の証だった。
バニッシュは、視線を夜空の向こうに向ける。
その先に、カイルがいるような気がして、そして、同じように視線を向けているだろうとそんな予感がした。
夜風がバニッシュの頬を撫でるように吹き抜ける。
まるで、バニッシュの想いを届けるかのように、深い深い縁の糸をたどりカイルの元へと――。




