変えられた男
王都に足を踏み入れた瞬間――バニッシュの視界は、色彩と豪奢さで一気に塗り替えられた。
石畳は磨かれ、建物はどれも背が高く威厳に満ち、目につく通行人の多くが煌びやかな装いをしている。
「はぁ~……さっすが王都……右も左も金持ちだらけだな……!」
バニッシュは馬車の窓にほぼ張り付きながら、落ち着きなく首を左右に振っていた。
道端の噴水、宝石のように装飾された屋敷、通りを歩く貴婦人の豪奢なドレスに、商人たちの派手な屋台――どれも初めて見る光景に、まるで子どものように目を輝かせる。
そんなバニッシュを見て、隣のセリナがふふっと微笑む。
「本当に楽しそうですね」
「いや、実際楽しいぞ……!見ろよあそこ、馬車の車輪が金ピカだぞ……」
「はぁ……落ち着けっての」
向かいに座るカイルは腕を組み、完全に呆れた顔をしていた。
だが、その隣のミレイユも――控えめに窓から外を覗き込み、興奮を隠しきれず目をきらきらと輝かせている。
「あ……あんなに大きな噴水、初めて見ました……!」
カイルは額を押さえ、ため息をつくしかなかった。
馬車が王都の中心街を抜けると、視界に一際大きな影が現れた。
街を見下ろすように白くそびえ立つ――王城。
まるで神殿のように荘厳で、圧倒的な存在感を誇るその城を見上げ、バニッシュは息を呑む。
「……でけぇ……!」
城壁は高く硬く、巨大な門がどっしりと構えている。
その白銀の壁は太陽を反射して輝き、まさに王国の権威と力そのものだった。
馬車がゆっくりと停まり、御者が声をかける。
「――皆さま、王城に到着いたしました」
王都の中心、権威と力の象徴。
そして――この場所で、彼らに正式な褒賞が与えられるのだと、胸の奥が、自然と高鳴ってくる。
白亜の城門をくぐろうとした、その瞬間だった。
――カシィンッ!
鋭い金属音とともに、バニッシュの目の前で槍が交差し、道を塞ぐ。
「……へ?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
城内に向かうカイルたちの背がすぐそこに見えているというのに、バニッシュはその場に釘付けにされた。
門番が無表情のままバニッシュを睨みつける。
「失礼ですが――王城に招かれたのは三名と伺っております。……あなたは、どなたです?」
「え、いやいやいや! 俺は……カイルの仲間で……!」
慌てて両手をぶんぶん振りながら説明するバニッシュ。
しかし門番は眉一つ動かさず、不審者を見るような視線を送ってくる。
この場違いな姿――腰の安物のポーチ、ちょっとくたびれた革鎧、見るからにオッサンという風貌。
疑われても仕方ない、と言われれば涙が出る。
その時――
「――彼はれっきとした俺の仲間です。中に入れてもらえませんか?」
城内へ入っていたはずのカイルが振り返り、静かに言い放った。
その声音は落ち着いていて、だが芯のある強さを帯びていた。
門番の二人は一瞬で背筋を伸ばし、槍を下げる。
「そ、そうでしたか!大変失礼いたしました!」
軍人らしい素早さで頭を下げる門番たち。
対してバニッシュは――
「い、いやぁ……どもども……」
居心地の悪そうに、妙な角度で手をひょいと上げ、苦笑いしながら通り抜ける。
白亜の階段を上り、重厚な扉をくぐった先――王城のエントランスホールは黄金のシャンデリアと磨かれた大理石が眩しいほどに輝いていた。
ホール中央で待ち構えていた大臣が、威厳をまとった動きでカイルへと歩み寄った。
「おお……! あなたがロウメリアでご活躍された冒険者、カイル殿ですな!」
にっこりと外交用の笑みを浮かべ、カイルの手を両手で包みこむように握手する大臣。
その後ろでミレイユとセリナが並び、大臣は同じように笑顔で握手を交わしていく。
──しかし、最後尾にいたバニッシュの前で、大臣はピタリと足を止めた。
目が、あからさまに「???」になっている。
「……はて?」
大臣は眉をひそめ、じいっとバニッシュを見つめた。
「ご活躍された冒険者は三名のはずですが……アナタは?」
門番に続く二度目の存在確認。
心の中でバニッシュは頭を抱え、外では引きつった笑みを浮かべて頭をかく。
「え、えーっと……その……俺はカイルの仲間でして……」
「ふむ。お仲間ですか」
大臣は顎に手を添え、観察するように顔を近づけてくる。
「ちなみに、どのようなご活躍を?」
バニッシュは視線を泳がせ、なんとか言葉を紡ぐ。
「お、俺は……その……カイルたちの補助を……」
控えめどころか、ほぼ無音のような返答。
大臣は眼鏡の位置を正し、ふむ、と一つ唸った。
「補助、ですか。なるほど、補助。……まあ、よろしいでしょう」
「褒賞をお渡しするのは、こちらの三名――カイル殿、ミレイユ殿、セリナ殿になりますが」
と言って、大臣はスルリとバニッシュを視界から外す。
「今夜の会食、そして明日の式典への参加は認めましょう」
「……あ、ありがとうございます」
苦笑いしながら頭を下げるバニッシュ。
「それでは、まもなく会食が始まりますので。遅れないようにお願いいたします」
大臣は満足そうにうなずき、手をパンパンと二度叩いた。
その瞬間、ホールの奥からふわりとスカートを揺らしながら、几帳面な動作のメイドたちが一列で現れた。
「ご宿泊の部屋へご案内いたします」
柔らかな声が一斉に響き、メイドたちは迷いなくバニッシュたちの荷物を手際よく回収していく。
遠慮しようとするバニッシュよりも早く、荷物はメイドの腕の中に収まり、まるで軽い小包でも扱うようにスムーズに運ばれていった。
そして――
「それでは、こちらへ」
メイドたちは手際よく二手、三手に分かれ、それぞれの部屋へとバニッシュたちを誘導しはじめた。
「バニッシュ様、こちらへどうぞ」
戸惑いを隠せぬまま、バニッシュは豪奢な廊下へと足を踏み出す。
高級絨毯の上を歩く度、普段のブーツの音がやけに沈んで聞こえる。
壁には名だたる画家が描いたであろう油絵、並ぶ甲冑はどれも金銀の装飾が施され、廊下の端には香が焚かれ、微かに花の匂いが漂っている。
一室の前でメイドが立ち止まり、静かに扉を開いた。
「こちらが本日のお部屋でございます。正装はクローゼットにご用意しております」
メイドが丁寧に一礼し、扉を開ける。
案内された部屋の扉が開かれた瞬間――バニッシュは思わず息を呑んだ。
「……なんだここは……」
王城の客室。
その響きだけで身構えていたが、目の前の光景は想像のさらに数段上だった。
とにかく広い。
普段泊まる安宿の三倍はある。
床には上質な赤い絨毯が敷かれ、窓際にはふかふかそうなソファーが二つ。
ベッドは人一人なら余裕で転がれるほどの幅と厚み。
棚に並ぶ酒瓶はどれも高級品らしく、薄く光を反射するグラスはまるで宝石のように透き通っている。
そして――何より驚いたのは部屋の清潔さだった。
毎日、清掃がされているのであろう。
部屋の隅々まで掃除が行き届き、誇り一つ見当たらない。
床も壁も、飾られた花瓶や燭台まで輝いてみえる。
それは、安宿の薄暗い木目と軋むベッドが恋しくなるほどだった。
しばし呆然と部屋を見まわしたあと、バニッシュは「正装」という言葉を思い出して、クローゼットの前に立つ。
――ギィ。
扉をそっと開けると、そこには規則正しくズラリと並んだ正装。
「な、なんだこのキラキラした布……!」
色とりどり、金糸銀糸、宝石がこれでもかと飾りつけられ、袖だけで値段が宿代数年分はしそうな衣装ばかり。
どれも貴族が舞踏会で着るような華美な服装で――バニッシュは本能的に後ずさった。
「……どっかに……地味なの……地味なのはないのか……?」
祈るような気持ちで奥へ奥へと手を伸ばし、派手すぎる金色のロングコート、白の燕尾服、赤と黒の紋章が入った軍服のようなもの、宝石で胸が埋まる礼服――次々と後ろにかけ直しながら探していく。
「頼む……! せめて普通なのを……」
必死に漁り続けるバニッシュ。
――そしてついに。
「おっ……これは……!」
クローゼットの奥の奥、ひっそりと紛れ込むようにして掛けられた一着。
深い紺の上着に、控えめな銀糸の縁取り、装飾も最小限で、どこか落ち着いた雰囲気がある。
派手ではあるが、他の衣装があまりに怪物級だったせいで、比較すればほとんど平服に見える。
「これしかない……!」
胸を撫で下ろしながら、バニッシュはやっとの思いでまともそうな正装を取り出した。
「――とりあえず着替えるか……」
正装を手に取り、ため息交じりに呟いた、その瞬間だった。
「お決まりになられたようですね。それでは、お召し替えのお手伝いをさせていただきます」
「うおあッ!?!?」
背後から、まるで影のようにスッと現れたメイド。
完璧すぎる気配の消し方に、バニッシュは肩を跳ね上げて飛び退く。
「い、いや、着替えくらい自分で……!」
慌てて両手を振るバニッシュ。
しかし――。
「まずはお風呂に入っていただきますね」
メイドは一切の躊躇なく話を進めた。
断りの余地など一ミリもない。
もはや王城メイドの前では、冒険者の自由意志など無意味だった。
「えっ、ちょ、まっ――」
「失礼いたします」
気づけば、バニッシュは腕を取られ、あれよあれよという間に浴室へ連れ込まれ、背中まで丁寧に洗われ、風呂から上がるとすぐに髪を整えられ、ヒゲを剃られ、肌に香油まで塗られ、深呼吸する暇もなく正装に袖を通される――。
「こちらへどうぞ。鏡の前に」
「……え、あの、ちょっと……」
反論は許されず、気がつけば、バニッシュは鏡の前に立たされていた。
そして――。
「……だ、誰だコイツは……?」
本気でそう思った。
鏡に映る男は、いつもの旅塵と疲労の色を纏ったおっさんではない。
深紺の上着は身体のラインに合わせて自然に整えられ、銀糸の縁取りが控えめに光を反射し、整えられた髪は艶を帯びて大人びた雰囲気を纏い、無精ヒゲは綺麗に剃られ――瞳は、どこか精悍で。
まるで、どこかの貴族の執事か、老舗の主人のような風格が漂っている。
「……これ、俺か?」
バニッシュは鏡に近づき、右に傾け、左に傾け、思わず頬をつねる。
そこに立つのは間違いなく自分だった。
呆然と鏡を凝視するバニッシュの背後で、メイドは満足げに一礼する。
「とてもお似合いでございます。それでは会食のお時間まで、少々お待ちくださいませ」
静かに退室するメイド。
取り残されたバニッシュは、未だ鏡の男を信じられないまま、ぽつりと呟いた。
「……いや、ほんとに俺なのか……?」




