約束を乗せて、馬車は王都へ
街は祝福の喧騒に満ちていた。
日が暮れかけた空の下、通りには露店の灯りがふたたび灯り、人々は祭りの中止を英雄たちのお祝いの宴へと作り変えていた。
中央では――カイル、ミレイユ、セリナの三人が囲まれ、感謝の言葉と握手を求められていた。
子供から大人まで、次々に三人へ駆け寄り、言葉をかけていく。
「ありがとうございました!」
「あなたたちのおかげです!」
「ごの御恩一生忘れません!」
三人は誇らしげに、そして少し照れながら笑顔で応えていた。
一方――喧騒の外れ、露店の片隅でバニッシュは一人、串焼きを齧りながら静かに人々の笑い声を眺めていた。
その時――
「あら、こんな所にいたねぇ」
聞き覚えのある、柔らかく年季の入った声がした。
バニッシュが振り返ると――そこには、白髪をまとめ、皺だらけの顔いっぱいに笑みを浮かべたコニーおばあさんが立っていた。
「あ、あなたは……コニーおばあさん。体は、大丈夫なんですか?」
「おかげさまでねぇ。ほら、こんなに元気よ」
腕を軽く広げて見せるおばあさん。
その仕草に、バニッシュも思わず口元をゆるめる。
「それで、何か用が……?」
「ふふ、助けていただいたお礼を言いに来たのよ」
おばあさんは、まっすぐバニッシュを見つめて言った。
「いや、俺は大したことは――。それに街を救ったのはカイルたちで……」
だが、コニーおばあさんは優しく首を振った。
「いいえ、私はね、あの教会にいたのよ。女神様の光が届く前……あなたが、必死に何かをしている姿、見ていたの」
「……!」
「何をしていたのか、詳しいことはわからないわ。おばあさんだもの、むずかしいことはちっともねぇ。でもね――」
おばあさんは、ふっと微笑み、そっとバニッシュの手を取った。
「私たちのために、あの時、あなたは戦ってくれていた」
その言葉は、静かに、しかし確かにバニッシュの胸に染みこんでいく。
「……ありがとう、あなたのおかげで、私はこうしてまた今日を迎えられたわ」
バニッシュは、一瞬言葉を失い――そして、照れくさそうに目をそらした。
「……ああ、無事で何よりだよ。おばあさん」
「ええ、あなたもねぇ」
コニーおばあさんはにこにこと笑い、そっと手を離した。
――その瞬間、遠くでまた歓声が上がる。
カイルたちは光の中心におり、その影で、小さな「ありがとう」を拾い集める男がいる。
コニーおばあさんは一度だけ振り返り、優しい光を宿した目でバニッシュを見つめた。
「あなたも、立派な英雄さんよ」
そう言い残し、ゆっくりと人混みの中へ消えていった。
バニッシュは、しばらくその背中を見送り――
「……ははっ」
そう笑って、手に残った温もりをそっと握りしめたのだった。
夜の静けさが落ち着きを取り戻す宿の一室。
バニッシュは椅子に腰を掛け、テーブルの上に広げた巻物を眉間に皺を寄せながら覗き込んでいた。
「う~ん……まったく、読めん」
呟いたその時、ギィ、と扉が開く。
「た、ただいま戻りましたぁ……」
ふらふらとした足取りでミレイユが部屋に入り、続いてカイルが疲れを隠すように無表情で入ってくる。
「お、お疲れさん」
バニッシュは顔を上げて苦笑しながら声をかけた。
「うう……疲れました……」
ミレイユはそのまま椅子に座り込むようにして項垂れた。
「ああ、先に戻ってたのか」
カイルは肩の埃を払いながら部屋に入る。
その顔には明らかに疲労の色があったが、本人は平然としたふりをしていた。
「お前ら、人気者だったからなあ」
からかうように笑うバニッシュ。
「は、初めてです……あんなに人に囲まれたの……」
ミレイユはまだ耳まで赤くなっている。
「まあ、今回のは街どころか王族や貴族まで巻き込む騒ぎだったしな」
カイルは軽く肩を回しながら言う。
ふと、カイルの視線がテーブルに留まった。
「……で、お前は、何見てるんだ?」
「ああ、これか」
バニッシュは苦笑しつつ巻物をくるくると丸め直した。
「例のエルフからもらったモンだよ。なんか勉強しろみたいなこと言われて渡されたんだが……」
巻物を軽く持ち上げ、表面の見慣れぬ文字を指でトントンと叩く。
「さっぱり読めなくてな。文字なのか模様なのかすらわからない」
カイルは身を屈めて覗き込むが――
「ふーん……」
心底どうでもよさそうな声でそう言っただけだった。
「おい、もうちょい興味持てよ……」
「いや、だって……俺にはただの古臭い模様にしか見えんしな」
「ミ、ミレイユさんはどう思う?」
「えっ……? あ、あの……わ、私も……よ、読めません……」
ミレイユは申し訳なさそうに首を横に振る。
「だろうな……」
バニッシュはため息をつき、巻物を丁寧にしまい込む。
「ったく、あのエルフ……素質がないなんて言いやがる癖に、こんなモン押しつけていきやがって……」
ぼやきつつも、その口調にはどこか楽しげな色が混ざっていた。
巻物をしまい込みながらバニッシュが椅子にもたれていると、カイルがふいに姿勢を正した。
「まあ、いい。それより――明日、王都に向かうことになった」
「明日か。ずいぶん急だな」
バニッシュは椅子の背に腕を乗せながら片眉を上げる。
「今回の件で、正式に褒賞を与えるそうだ」
「なるほどねぇ……まあ大事件だったしな」
バニッシュが感心した風に頷く。
しかし次の瞬間、バニッシュの表情が曇った。
「……いや待て。王都までの金がないぞ。そもそも依頼だった祭りの警備も、結局うやむやで終わったし」
「それについては大丈夫だ」
カイルは短く息をつき、肩の力を抜いた。
「騒ぎの主犯がギルド長だったこと、そしてその収束に俺たちが関わったことで――ギルド側から金が支払われることになった。それに、王都までは馬車を手配してくれるそうだ」
「おお……なるほどね」
バニッシュは納得したように腕を組む。
「それと――」
カイルは一度ミレイユを横目で見てから、真剣な瞳で続けた。
「今回、聖女としての力が目覚めたセリナさんを……俺たちの仲間として迎えることにした」
バニッシュは目を丸くした。
「それはいいが……何でまた?」
素朴な疑問を投げかけるように首を傾げる。
「理由は簡単だ」
カイルは低く、力を込めて言った。
「あれだけの力だ。いつ、どんな奴に狙われるかわからない。なら、今回成果を挙げた俺たちが――責任を持って彼女を守る」
カイルは覚悟と責任を宿した目でいう。
「これはタリズさんとも話し合って決めたことだ。セリナさん自身も、迷った末に……俺たちと行くことを決めてくれた」
「……そっか」
バニッシュはゆっくりと息を吐き、微笑んだ。
翌朝、澄んだ空気の中、まだ祭りの名残をわずかに残した街道を、四人は荷物を抱えて歩いていた。
街の入口には、王都から手配された立派な馬車が停まっていた。
御者台には王都兵、そしてその横には――セリナと、彼女を見送るタリズの姿があった。
「みなさん、よろしくお願いします」
セリナはぺこりと深々、お辞儀をする。
「よろしく。歓迎するよ」
カイルはいつもより柔らかく、慈しむような表情で言った。
セリナはタリズの前に向き直り――
「タリズさん……今まで、本当にお世話になりました。行ってきます」
タリズは母のような優しい目でセリナの頬に触れた。
「ええ。身体に気をつけてね。――この方たちなら、きっと貴方を守ってくれます」
セリナは唇を噛んで頷き、涙をこらえる。
その時――
「セリナ姉ちゃーーん!!」
街の奥から、弾丸のような足音で駆けてくる小さな影――教会の子供たちだ。
「みんな……!」
セリナが振り返った瞬間、子供たちは勢いよく飛びつき、セリナの身体にしがみつく。
「元気でねぇぇ!」
「また絶対会おうね!!」
「姉ちゃんの歌、また聴きたいよぉ!」
ぽろぽろと泣きながらしゃべる子供たちに、セリナの目もすぐに潤んだ。
「うん……ありがとう……! また絶対、会いに来るから……!」
小さな背中を一人ずつ抱き寄せながら、セリナもそっと涙を落とす。
その間に、カイルとミレイユ、そしてバニッシュは荷物を馬車に積み込んでいった。
「じゃあ、行こうか」
カイルが馬車に乗り込み、ミレイユも隣に続く。
セリナは名残惜しそうに子供たちと手を離し、馬車へと乗り込んだ。
そして最後にバニッシュが乗ろうとした、その時だった。
「――おっさん!!」
子供たちが一斉に叫ぶ。
「セリナ姉ちゃんをちゃんと守れよ!!」
「泣かせたら承知しないからな!!」
まだ涙の跡が残る顔で、それでも必死に強がって叫ぶ子供たち。
バニッシュは一瞬きょとんとした後――ふっと優しく笑い、親指を立てて応えた。
「任せとけ」
その言葉は、決して大げさな英雄の約束ではなく。
静かで、どこまでもまっすぐで――子供たちの心にまっすぐ届くものだった。
馬車がゆっくり動き出す。
手を振る子供たち、タリズも新たな旅立ちに出る四人に祈りを捧げるように見送る。
――新たな仲間、聖女セリナ。
王都での褒賞と、それをそれぞれ胸に抱えながら、四人は王都に向かうのだった。




