光の祈り、炎の決着
朦朧とした視界の中――まだ幼い子供たちは、自分たちを苦しめる呪いに耐えながら、血まみれで術式を書き換えるバニッシュを見つめていた。
「……おっさ……ん……?」
「…………がんば……って……」
弱々しい声で絞り出す子供たちに、バニッシュは振り返り、苦しげな顔を押し隠すように――にっと笑った。
「安心しろ……」
「絶対に助けてやる。お前らも、街の人たちも……みんな」
その言葉に、子供たちの瞳が少しだけ潤み、わずかに震えていた指が伸びるように彼へ向けられた。
バニッシュは再び床へ向き直り、ふらつく体を押さえつけるようにしながら術式の最後の一画へと指を走らせる。
グレオの声が頭をよぎる。
――正義などでは何も救えない。
――犠牲なくして何も変わらない。
「……何も……救えない……?」
バニッシュは、血で滲んだ術式の線を握り潰すようにして、歯を食いしばった。
頭の奥から湧き上がる怒りと悔しさが、最後の一筆へと力を宿す。
「違う……」
「正義は……必ず勝つんだよッ!!」
――カッ!
その瞬間、術式が眩い閃光を放った。
「お、おい……! こいつ、本当にやりやがったのか……!」
エルフが驚愕の声を上げる。
描き換えられた結界は、まるで生き物のように形を変えはじめた。
床から、壁から、天井から――光の線が走り回り、すべてが一点へ収束していく。
その中心は――祈りを捧げ続けるセリナ。
女神像の前で膝をつくその細い肩に、輝く線が次々と重なり、五つの光が交差し、一つの形を描き上げる。
金色の光に脈打つ、聖なる魔法陣。
まるで天から降りた聖紋のように、セリナの祈りと完全に同調して震えていた。
魔法陣は、セリナに宿る聖女の力を吸い上げ、いや、その力を増幅し――教会全体へ、街全体へ放出していく。
「な……なんだ、これは……!?」
グレオが呪鍾の前で叫ぶ。
呪鍾の黒い瘴気は押し返され、光に溶かされるように薄れていき――浄化の光が呪いを上回る。
闇の鐘すらも震えさせるほどに光が強く、強く輝いた。
バニッシュの五芒星と、セリナの祈りが共鳴した浄化光が、教会内の人々へ、街全体へ波紋のように広がっていく。
光はさらに強く、激しく――呪鍾から噴き上がる黒い瘴気を丸ごと呑み込む奔流となって押し寄せた。
「ば、馬鹿な……! この呪鍾が……押し返され……る……だと……!?」
グレオがたじろぎ、後ずさる。
その瞬間――背後から、ゆらりと影が立ち上がった。
「……ッ!」
グレオが気配に気づき振り返る。
そこに立っていたのは、つい先ほど壁へ叩きつけられ、もうまともに動けないはずの――カイル。
血に濡れ、足元もふらついていながら、それでも両足で確かに地を踏みしめていた。
セリナの光の浄化――その中には微かな癒しが混じっていた。
一撃分。
たったそれだけの奇跡。
だが――今のカイルには十分だった。
「これで……終わりだッ!!」
カイルが咆哮と共に大剣を構える。
その刃に、セリナの光が――金色の粒子となって収束していく。
「ふざけるなァァァァ!!」
白髪まじりの髪を振り乱し、グレオは残されたトンファーを高速回転させ、地面を砕くほどの勢いで突進する。
二人の地響きが重なり――
ドッッッ!!
両者は一直線に駆け出した。
その瞬間、後方から――
「カイルさん!!」
ミレイユが震える手で杖を掲げ、残った最後の魔力を絞り出すように火球を放つ。
その火球は、まるで意思を持つかのように、一直線にカイルへ吸い込まれ――炎が金色の大剣を包み込んだ。
光と炎の融合。
祈りの祝福と、少女の想い。
そのすべてが一つの刃へと宿った。
「いけぇぇぇぇ!!カイル!!!」
バニッシュは上階にいるカイルに向けて叫ぶ。
次の瞬間―― カイルとグレオが激突した。
眩い閃光が爆ぜ、金色の炎を纏った大剣は、グレオの特製トンファーを――真っ二つに断ち切る。
「ッ……な……っ……!?」
折れたトンファーを握ったまま、グレオの体が炎斬の余波に巻き込まれ―吹き飛んだ。
そのまま背後の呪鍾へ叩きつけられ――
ゴアァァァァァン!!
不吉に響いていた呪鍾は、衝撃と炎光に耐えきれず――粉々に砕け散る。
呪鍾が砕けた瞬間、そこに蓄積されていた禍々しい呪いは行き場を失い消滅し――同時に、セリナの祈りの光が
街全体へと一気に解き放たれた。
光は波紋のように広がり、呪いを消し去り――人々の苦悶の表情が安堵へと変わっていく。
鐘楼にも、街にも、あれほど満ちていた瘴気はもうどこにもなかった。
すべてを浄化しきった光は、やがて静かに色を薄め、温かな残光となって空へ戻っていく。
粉々に砕け散った呪鍾は、もはや一片の瘴気すら残していなかった。
呪いの脈動は止まり、鐘楼の空気は嘘のように静まり返る。
そして――セリナの祈りの光がふっと消えた瞬間。
「セリナ――っ!」
タリズの叫びが教会全体に響く。
パタリと崩れ落ちるセリナを、タリズは震える手で支え、床へ座り込むように抱きしめた。
タリズの全身は汗に濡れ、息も荒い。
セリナの祈りが届くまで、彼女は一人で人々への解呪と介抱に奔走していたのだ。
その疲労は限界をとうに超えている。
だが――
「……よかった……」
眠るような安らかな表情のセリナを見て、タリズは胸を撫で下ろす。
その目尻には、安堵の涙が滲んでいた。
一方その頃、血にまみれたバニッシュは、呪鍾の気配が完全に消えた瞬間――
「カイル……やったのか……」
ぽつりと呟いた。
長い激闘の緊張が、ようやくほどけた。
その途端、全身から力が抜け、視界が揺れる。
「……はは。よかった……」
安堵と疲労、そして痛み。
三つが一気に押し寄せ――
バタリ。
バニッシュはその場に倒れ込んだ。
「おい! しっかりしろ!」
エルフが慌てて駆け寄り、バニッシュを抱え上げる。
だがその腕の中で、バニッシュは静かに息をしており、意識は薄れつつも危険ではなかった。
エルフはふっと笑みをこぼす。
彼はバニッシュを肩に担ぐと、下階――タリズの元へ向かって歩き出す。
大剣は、カイルの指先からついにこぼれ落ち――ガラン…… と鈍い音を立てて床に転がった。
片膝をつき、肩で息をする。
胸の奥が焼けるように痛む。
筋肉の一本一本が悲鳴を上げ、握力すら残っていない。
そんな彼の隣に、ふらつく足取りで近寄ってくる影があった。
「カイルさん……!」
ミレイユが杖を支えに立つのがやっとで、頬には汗と涙が入り混じっている。
それでも、彼の元へと必死に歩み寄った。
カイルが顔を上げる。
視線の先――炎斬の余波で燃え上がる呪鍾の残骸。
焦げた鉄が軋む音と、爆ぜる火花。
その中心で、ぼうっと揺れる影がひとつ。
「ふ……ふふ……はは……はははは……」
――グレオの声だった。
「グレオ……!」
炎に包まれながらも、彼は立っていた。
いや、正確には、燃え落ちる呪鍾に寄り掛かるようにしていたのだが――その口元には歪んだ笑みがこびりついている。
白髪混じりの髪は焼け落ち、額の傷は血に濡れ、全身は焦げ、もはや動く力も残っていないはずなのに。
それでもグレオは、カイルを真っ直ぐに見ていた。
「……確かに……今回は……君らの勝ちだ……」
その言葉は乾いた声で、しかし確かに響いた。
光のない眼差しで、
焼け落ちる自らの命を前にしながら、
それでもグレオは揺らがない。
「だが……いずれ君も知るだろう……この世界の……理不尽というものを……」
炎が彼の足元を舐めるように燃え広がる。
「そして……君は……いずれ……私と……同じ道を辿る……」
カイルは歯を食いしばり、拳に力を込めた。
しかし、その拳は震え、言い返す言葉すら出てこなかった。
グレオは口角をゆっくりと吊り上げる。
「……私には……わかる……なにせ……君は……私と同じ目をしているからな……」
――それが、彼の最後の言葉だった。
燃え上がる炎が彼を包み込み、笑い声と共に灰へと変えていく。
「……ッ!」
カイルは声にならない声を漏らし、唇を強く噛む。
ミレイユはそんな彼の横顔を見上げ、震える声で問いかけた。
「カイルさん……だいじょうぶ……ですか……?」
カイルはしばし炎を見つめ――悔しさと、怒りと、どこか拭えない寂しさを胸に飲み込み、静かにミレイユへと振り向いた。
「……行こう」
優しい声だった。
だがその奥に揺れた影は、誰よりも深く、重かった。
二人は燃え落ちる鐘楼を背に、ゆっくりと歩き出した。




