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灯された炎、理想を追うバカたち

 倒れていたグラドを拠点へ運ぼうと、そっと肩に手を伸ばしたバニッシュだったが──


「さわるんじゃねぇッ!」


 荒々しい声とともにグラドの手が振るわれる。しかし、その反動でグラドの体はよろめき、もろくも地に尻もちをついた。


「……まだ回復してないんだから、無理すんなって」


 落ち着いた声でバニッシュが言う。だがグラドは顔をしかめ、歯を食いしばってこう吐き捨てた。


「てめぇの世話になるくらいなら、魔獣にでも噛まれて死んだほうがマシだ……!」


 言葉とは裏腹に、立ち上がろうとする脚は震え、足元はおぼつかない。


「何強がってんのよ。ケガ人なんだから、大人しくしなさいっての」


 腕を組んで呆れたように言うリュシアに、グラドははっと目を見開く。


「……なんで魔族が、こんなところに……?」


 明らかな警戒と混乱。その問いに答える前に、セレスティナが一歩前に出て静かに微笑んだ。


「とにかく、まずは治療を。無理は禁物です」


 すっと近寄るその姿は、まさしくエルフのそれ。

 そして、その隣には人間──

 エルフに魔族に人間。その三者が、共に並んでいる。この組み合わせが、信じられるはずがなかった。


「……ありえねぇ……」


 結界に背を預けるように、グラドはさらに一歩、後ずさった。

 その直後だった――


 グゥオオオオオオッ!!


 地響きと共に響く咆哮。結界の外、すぐ背後を巨大な魔獣が歩いていた。岩のような体躯に無数の棘、常人ならば視界に入れただけで絶望するであろう魔の獣。


 「っ……!」


 グラドの背筋が凍りつく。反射的に槌を構えようとするが、腕はまだ震えて動かない。まずい。今の自分では到底、戦えない。

 だが――

 魔獣は結界のすぐ外を、まるで何もないかのようにゆったりと通り過ぎていった。こちらを一瞥することすらない。気配にも反応しない。咆哮をあげ、森の奥へと去っていく。


「……気付かなかった……?」


 グラドの顔には、明らかな動揺が浮かんでいた。あれだけの距離、視線に入っていたはず。だというのに、完全に“無視”された。


「ここは、結界の内側だからな」


 バニッシュが言った。


 「……結界の内側……?」


 グラドの口が、乾いた呟きを漏らす。

 あの魔獣が気付かなかったのではない。《《存在を認識》》できなかったのだ。


 「この結界は、遮断と迷彩、感知の反転、それから認識阻害も組み込んである。魔獣どころか、魔族にもここは見えない」


 まるでさらっと言ってのけるバニッシュの言葉に、グラドは一瞬、言葉を失った。


「そんなこと、できるわけが……!」


 グラドの怒鳴り声が結界の静寂を破るように響いた。


「こんな結界、聞いたこともねぇ! それこそ――」


 彼の言葉が途中で途切れる。


 ぐらり、と体が揺れた。


「っ……あ、れ……?」


 足元がたちまちぐにゃりと歪み、視界は滲む。突如襲いかかる睡魔と混濁する意識。頭が働かない。

 その直後、グラドの体はガクリと崩れ落ち、地面に膝をついた。

 その背後、リュシアが無言で手を下ろした。

 彼女の指先には、ほんのりと淡紫の魔力が揺れている。


「おいおい……今、何したんだよ」


 バニッシュが眉をひそめてリュシアを見やる。


 リュシアはふんと鼻を鳴らし、腕を組んだまま言い返す。


「だって、こうでもしないと大人しくならないでしょ? あの爺さん、意地っ張りで体ボロボロなのに無理ばっかりしようとするんだもん」


「まぁ……確かに、あのままだと暴れてまた悪化させてたかもしれませんね」


 セレスティナが苦笑しながらも歩み寄り、グラドの脈を取る。


「大丈夫、眠っているだけ。すぐに治療しましょう。拠点に運べますか?」


「ああ、大丈夫だ。任せろ」


 バニッシュは補助魔法を自分にかける、片膝をついてグラドの体を抱え起こす。


「重っ……じいさん、もう少し痩せろってんだ……」


「ほら、早く行くわよ」


 リュシアが先に立ち、結界の内へと歩き出す。

 その後を、バニッシュとセレスティナがグラドを運びながら追っていく。


 重たいまぶたがゆっくりと開き、視界に映るのは木の天井だった。

 節のある上質な木材が使われており、決して豪奢ではないが、丁寧に組まれた梁や、壁に刻まれた細工模様から職人の手が込められていることがうかがえる。


「……ここは……?」


 グラドは額に手を当てながら、ぼんやりと頭を起こした。鈍く重たい痛みが全身に広がり、まだ満足に力が入らない。

 だが、次第に意識が戻るにつれ、さっきの出来事が脳裏に蘇る。

 ――森の中。見慣れぬ結界。そこで出会った三人。

 人間の男、エルフの女、そして……魔族の娘。


「……ったく、妙な連中だったな……」


 自分がここにいるということは、あいつらの手で運ばれたに違いない。周囲を見回すと、室内は意外にも整っていた。

 壁は厚く、外気を遮断する構造で、窓には魔鉱石の薄板がはめ込まれ、ほんのりと内側に暖かな光を放っている。棚には薬瓶や道具類が整然と並べられ、炉の奥には香草を吊るした乾燥棚まである。

 ──生活のためだけでなく、研究や治療のための設備まである。


「ここ……本当に森の中なのか……?」


 グラドはゆっくりと床に足をつけ、重たい身体を引きずるようにして立ち上がる。わずかにふらつきながらも、出口に向かって歩き出す。


「とにかく……こんな場所に、長居するわけには……」


 だが、通路を曲がった先で、半開きの戸に手をかけた瞬間、不意に足元がふらついた。

 ――ドスン。


「っくそ……!」


 呻きながら倒れ込んだ先は、まるで工房だった。

 ──そこは、まるで戦場だった。

 乱雑ではない。だが、そこに残された痕跡は明らかに、血のにじむような試行錯誤の果てを物語っていた。

 壁一面には、手書きの魔法術式が無数に貼られていた。擦れて薄くなったインク、破りかけた跡、何度も重ねて書かれた修正。床にも、机の上にも、重ねられた紙束が山となって積まれ、その一枚一枚に膨大な計算と構築式が刻まれていた。

 傍らに並ぶ魔鉱石や術式装置の残骸には、燃え焦げた跡や、内部爆発の痕すら残っている。おそらく失敗したのだろう。何十回、いや、何百回も。


「……こ、れは……」


 グラドは息を呑んだ。

 ふと、目に入った一枚の紙を拾い上げる。

 そこに描かれていたのは、彼が今まで見たこともない構造だった。

 震える指先で拾い上げた紙には、びっしりと魔術式が書き込まれていた。精密な構文と、多重層の転写式。明らかに古代魔法の理と、魔族式の詠唱概念、そして見慣れぬ人間式の補助式が絡み合っている。

 まるで――三つの魔法理論を組み合わせようとした痕跡だ。

 三つの魔法理論を組み合わせただけではない。

 それぞれが互いを打ち消し合わぬよう、寸分のズレも許されぬ構造で“融合”しようとしたものだった。

 まるで細工職人が千本の糸を一本の線に編み込むような、繊細で狂気じみた仕上がり。


「こんな……バカな……!」


 グラドは震える手で紙を見つめた。

 これは、夢物語だ。

 実現できるはずがないと、世界中の誰もが笑ってしまうような理論だ。

 それを、森の片隅で、本当にやろうとしている人間がいる。

 術式の端に残された無数の修正痕。

 重ねられた紙束。

 燃えた魔鉱石の残骸。

 ──それは、紛れもなく、現実だった。


「……なんだよ、これ……誰が……誰が、こんなもんを……」


 背後から、ギィ……と木の床を踏みしめる音が聞こえた。

 続いて、ゆっくりと開いた扉の向こうから現れたのは、あの冴えない中年男の風貌――バニッシュだった。


「おい、大丈夫か? 結構な音がしたが……」


 手には土だらけ布を持ったまま、彼は眉をひそめてグラドを見下ろしていた。どうやら仕事の手を止めて来たばかりらしい。

 グラドは、未だ紙束を手に持ったまま、床に座り込んでいた。

 だがその視線は紙ではなく、バニッシュに向けられている。


「……これは、一体なんだ?」


 低く、重みのある声でグラドが問う。

 紙束を握るその手には、かすかに震えが走っていた。

 バニッシュはふぅとひと息つくと、腕を組み、壁に貼られた幾重もの術式を見上げながら言った。


「それか?それは今の結界を……強化するための術式さ」


「結界を……強化……?」


 グラドの声には、疑念というよりも、理解が追いつかないという混乱が滲んでいた。

 無理もない。

 バニッシュが組み上げた術式は、三つの異なる魔法理論を内包し、かつそれぞれを補完し合うように緻密に設計されていた。

 普通ならば相容れぬ構造同士が、まるで歯車のように噛み合っていたのだ。


「今の結界は……完璧じゃない。外からの視認を遮り、魔物の気配にも干渉しない、極めて精密に作った結界だが、万能じゃない。だから俺は、それをもう一段階進化させようとしてる」


「ふざけるな……こんなもん……正気の沙汰じゃねえ」


 グラドはつぶやいた。

 だが、目は紙束から離れなかった。

 ──これが、本当に稼働すれば。

 たった一つの結界で、国ひとつ、いや世界の命運すら変えるかもしれない。


「なあ、アンタ……何者だ?」


 震える声でグラドが問う。

 それは、すべてを捨てた鍛冶師としてではなく、かつて伝説の鍛冶師として呼ばれた職人としての問いだった。

 バニッシュは少し肩をすくめると、曖昧に笑ってこう答えた。


「ただのしがないおっさんさ。ただ、今はここで暮らすみんなを守りたいと思ってる」


 その声には、力はない。だが、不思議と重みがあった。

 静かな炎のように、胸の奥に刺さる言葉だった。

 グラドは何も言えず、紙束を握りしめたまま、ただ黙って座り込んでいた。

 常識を覆す理論を、森の中の拠点で実践している男が、今、目の前にいる。


 突然――


「……ハハッ……ハハハハハッ!!」


 工房に、まるで雷鳴のような豪快な笑い声が響いた。

 木壁が震えるほどの声量に、バニッシュは思わず肩を跳ねさせる。


「な、なんだよ……!? おい、大丈夫か?」


 引き気味に一歩後ずさるバニッシュ。

 だが、床に座り込んだままのグラドは、腹を抱えて笑い続けていた。


「大丈夫だとも、大丈夫すぎて涙が出そうだぜ……はっはっはっ!」


 ようやく笑いが落ち着いたのか、グラドは目尻を拭いながら、くしゃりとした笑みを浮かべてバニッシュを見た。

 その表情は、どこか寂しげで、それでも――嬉しそうだった。


「いやな、お前みたいな奴が……まだいたとはな」


 笑いながら、グラドはぽつりと呟いた。

 かつて、彼は“伝説の鍛冶師”とまで呼ばれた。

 夢と理想を追い求め、まだ見ぬ技術に挑戦し続けた。

 ともに笑い、熱く語り合った仲間たちもいた。

 将来を誓った弟子たちもいた。

 だが、現実は残酷だった。

 理想は、無謀と呼ばれた。

 不可能だ、無意味だ、無駄だと吐き捨てられた。

 気がつけば、誰も彼のそばにはいなかった。


「全部、腐っちまったと思ってた。世界も、国も、人もな……。理想なんて綺麗事、現実には通じねえって、酒でごまかして……逃げてたんだ、俺は」


 グラドの手が、膝の上で静かに握られた。

 その手は、年季の入った鍛冶師の手。だが今は、震えていた。


「けどな、お前は違った。無茶だろうが、不可能だろうが……お前はまだ、前に進んでやがる」


 その目は、今や完全に覚めていた。

 揺るぎない職人の眼差しだった。


「はは……ああ、そうか。そうだった。バカでいいんだよな。俺たちゃ“職人”だ。夢見て、理想語って、何度失敗しても、叩いて、作って、それでも前に進む――それが、俺の生き方だったはずだ」


 ぐっと拳を握るグラド。

 その頬には、うっすらと涙が滲んでいた。

 バニッシュは呆気に取られたような顔をしていたが、ふと優しく笑って答える。


「……そうだな。“夢を追う馬鹿”は、ここにまだいるぜ」


 グラドの肩が、小さく震えた。

 それが笑いなのか、嗚咽なのか、誰にも分からなかった。


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