25dB ◆ 革命の設計図
凪の記者会見から、数週間。
【SILENT BEAT】の計画は、世間の熱狂的な注目を浴びながら、静かに、しかし猛烈なスピードで動き出していた。
都内某所の大会議室。
凪とマネージャーの久我、そして事務所の精鋭スタッフたちが、巨大なホワイトボードを囲んでいる。
議題は──「どうすれば、本当に〝誰でも〟参加できるライブを実現できるか」
「まず、入場は〝完全無料〟これは揺るがない。その上で、どうやって本人確認をするかだ」
広報担当が切り出した。
「基本は、事前予約制を考えています。公式サイトから、障害者手帳の画像をアップロードしていただく形で登録を」
「待ってください」
凪が静かに手を上げた。
「手帳の取得は任意だ。手帳を持っていない難聴者もいる。
それに、プライベートな情報をネットに上げることに抵抗がある人もいるはずだ」
「……じゃあ、どうするんだよ」
「予約なしの、当日入場枠も必ず設ける。
確認は当日、専門のスタッフが手帳や診断書を目視で行う。
プライバシーに配慮して、個室ブースで」
「健常者の不正入場対策は?」
「……それは、性善説を信じるしかない。でも、俺は信じてる。それに──」
凪は、少しだけ不敵に笑った。
「このライブは〝聴こえる〟人間にとっては、少しだけ『不便』かもしれない。
音響よりも、振動や光、他の感覚が優先されるから。
不正入場してまで『楽しい』と感じる人間は、たぶん少ないと思う」
「なるほどな……」
スタッフたちが頷く。
「介助者が必要な方には、もちろん同伴を許可します。介助者の方も、1名まで無料です」
「車椅子用のスペース、医療スタッフの常駐、多目的トイレの増設……。会場側と、もう一度細かく詰める必要があるな」
次々と出てくる課題に、スタッフたちは頭を抱える。
だが、その中心で凪の瞳だけは、燃えるように輝いていた。
***
その日の午後、凪は別のスタジオで、数人の男女と向き合っていた。
1人は、手話を使って音楽の感情を表現する、手話パフォーマーの第一人者。
そして他の3人は、凪が自ら連絡を取り協力を仰いだ、聴覚障害を持つインフルエンサーたちだった。
「──というのが、俺が考えているライブの全貌です」
凪が話し終えると、インフルエンサーの1人、生まれつき耳が聴こえないという若い女性が、ゆっくりとスマホに文字を打った。
通訳を介さず、直接凪に見せる。
《凪さん、ありがとうございます。……私たちに、声をかけてくれて》
彼女の瞳が、少しだけ潤む。
《今まで、ライブに行くなんて考えたことすらありませんでした。
どうせ、私たちには関係ない世界だって。
……壁を作っていたのは、社会だけじゃなくて、私たち自身だったのかもしれません》
別の男性も、頷きながら文字を打つ。
《健常者のための音楽に、僕たちが〝お邪魔する〟ことはあっても、僕たちの〝ためだけ〟の音楽なんて、誰も作ってくれなかった。
……凪さんがやろうとしていることは、革命です》
その、声にならない、けれどあまりにも切実な言葉たちに、凪は胸を締め付けられた。
「……違う」
凪は、静かに首を振った。
「俺は、革命家なんかじゃないんです。
……ただ、俺の音楽が、たった1人に届かなかった。
それが、許せなかっただけなんだ」
***
【SILENT BEAT】の準備が本格化してからも、凪と詩音の時間は、穏やかに流れていた。
凪はどんなに忙しくても、詩音との連絡を絶やさない。
週に一度は、詩音が凪の家に泊まりに来るのが、2人の間の新しい日常になっていた。
凪からプレゼントされたクマがちょこんと座る枕元で、詩音は凪の腕の中にすっぽりと収まる。
その夜も、二人はベッドの上でノートパソコンを覗き込んでいた。
画面の向こうには、高知の永倉家が映っている。
『詩音ちゃん、元気にしゆう?
この前、凪が送ってきた写真見たけど、詩音ちゃん、料理上手ながやね〜。
いつもご飯作ってくれゆうがやろ?ありがとね〜。
あの子、絶対助かっちゅうと思うき』
豪快に笑うおかんの言葉を、凪がスマホで詩音に伝える。
『凪兄、詩音ちゃんにばっか料理作らせちょらんよね?』
『だって、料理せん男はクソやもん。詩音ちゃん、凪兄のこと好きに使ってええからね!』
「お前ら……人のこと言えんやろ」
詩音はくすくすと笑いながら、凪の胸に顔を埋めた。
双子の妹たちとの、いつもの軽口の応酬。
そのすべてが、温かくて愛おしい。
詩音は、この時間が永遠に続けばいいと、心から願っていた。
***
「……できた」
ある日の深夜、凪はついに、完成したデモ音源を再生した。
詩音はベッドの上で静かに寝息を立てている。
凪はそっと骨伝導ヘッドホンを詩音の頭につけ、触覚スピーカーのスイッチを入れた。
そして、再生ボタンを押す。
音はない。
ただ、静かな振動が、彼女の身体を包み込んでいく。
それは、凪がこの数ヶ月、詩音と共に過ごした日々の記録。
彼女の心音の波形。
彼女の呼吸のリズム。
彼女が美しいと感じた、雨の気配、光の揺らめき。
そのすべてが、一つの音楽になっていた。
眠っていたはずの詩音の目元から、ふと、一筋の涙がこぼれ落ちる。
彼女は夢の中で、凪の音を聴いていた。
凪はその涙をそっと指で拭うと、愛おしそうに、彼女の額にキスをした。
(もう少しだからな、詩音)




