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17dB ◆ 君の隣

詩音が眠ったあとも、凪はその寝顔を見つめ続けていた。


静かな寝息を立てながら、胸の上に置かれた手が、呼吸に合わせてかすかに動く。

頬にかかる髪をそっと撫でれば、指先に残ったのは熱の名残り。

彼女の身体も、心も、全部がちゃんと俺を受け入れてくれた証だった。


(まだ2度目なのに──がっつきすぎた……)


最中の詩音の顔が、どうしても頭をよぎる。

できるだけ負担をかけないよう、必死にこらえようとしたのに──あんな潤んだ目で、あんなとろけきった顔をされたら……。


(無理だ……我慢できなかった……)


指先の温もりに気づいたのか、詩音がゆっくりまぶたを開ける。

目が合うと照れたようにはにかんで、そのまま俺の手をぎゅっと握りしめた。

その温度に、胸がじんわりと満たされていく。


《ご飯にしようか》


スマホを見せながら声をかけると、詩音は小さくうなずいて、もぞもぞと身体を起こした。

リビングへと移動してダイニングテーブルの椅子を引けば、詩音が素直に腰を下ろす。


まだ少しだけ気怠そうにしている様子を見て「ごめん」と心の中で謝りながら、用意していた朝食兼昼食をリビングのテーブルに並べていく。

塩昆布とチーズのおにぎり、だし巻き卵、鯖の塩焼き、そして豚汁。

和食好きな詩音が、中でも特に大好きだと言っていたものを選んだ。


俺は一人暮らしが長いけど、普段は自分が腹を満たせればいいくらいの雑な料理しかしない。

だから今回ばかりは、おかんにビデオ通話で作り方を教えてもらった。

前日に仕込んでおいて、温め直したり焼き直したりするだけで食べられるようにしておいたのだ。


(……ちゃんと美味しくできてるといいけど)


少し緊張しながら様子をうかがうと──


詩音は食卓を彩るメニューを見て、目をきらきらと輝かせながら嬉しそうに微笑んでいた。

口に運ぶたび、噛みしめるように目をきゅっと閉じるその仕草から「美味しい」と感じていることが伝わってくる。


(こんなに美味しそうに食べてくれるなら、いくらでも作ってあげたくなるな)


食事のあとは部屋を少し暗くして、プロジェクターで壁に映像を映す。

起動したのは音やテキストがなくても楽しめるアート系のインディーゲーム。


美しい色彩の世界を、声を失った少女が旅する物語。

詩音は最初こそ戸惑っていたが、すぐに画面に惹き込まれていった。

声を失くし色を失った世界に、少しずつ赤が、緑が、青が戻っていく。

そのたびに、詩音の表情がはっと息をのむように輝いた。


(……声を取り戻す物語)


凪はコントローラーを握る詩音の横顔を見つめる。

頭をよぎるのは、ブログで読んだストーリーの考察。

これは、母親を失った少女が悲しみを乗り越えていく物語なのだと。


だとしたら、詩音は──。


彼女は、この声のない主人公に何を重ねているのだろう……。


ゲームが一区切りついた頃、窓の外はやわらかい夕焼けに染まっていた。


《……送ってく》


スマホにそう打って見せると、詩音は少し寂しそうにうなずいた。

玄関で靴を履きながら、ふと振り返る。


「今日は、本当にありがとう」


唇の動きだけでそう伝えると、詩音は微笑んでプレゼントの入った袋とクマを胸に抱えたまま、俺の方へ一歩近づいてきた。

そして、ためらうことなくぽすんと俺の胸に身体を預ける。


「誕生日、一緒にいられて……本当に嬉しかった」


手話も言葉も使わず、ただ、ぬくもりだけで伝える。

──俺は彼女のそばに、確かにいる。


***


玄関のドアを開けると、リビングには明かりが灯っていた。

ソファに腰かけて待っていた母と弟。

いつもより、家の中の空気がやわらかく感じられる。


詩音の姿を見るなり、立ち上がったのは弟の涼だった。

彼の視線は、彼女の首元と耳元で控えめにきらりと光るそれに釘付けになっている。

そこから、手にしていた2つのショッパーバッグへと移る。

印刷されたミニマルで洗練されたブランドロゴに気づくと、その目が見る見るうちに見開かれていった。


(嘘だろ……ここのブランド、先輩が言ってたやつじゃん……!

『一般人が手を出せる値段じゃない』って……!)


「まさか、全部……凪兄から?」


掠れた声で尋ねる涼に、詩音は笑って頷き、手に抱えていたクマの頭をゆるく撫でた。


(マジかよ……!)


涼は心の中で叫び、頭を抱える。


(ネックレスと……イヤーフック……?あのブランドでオーダーメイドとか……!

っていうかあの人、本気で姉ちゃんに人生賭けてるじゃん……!)


涼の言葉にならない驚愕には気づかず、詩音はにこにことプレゼントの袋をテーブルに置いた。

彼の内心の葛藤は、どこか悔しそうな、でも姉を想われて嬉しいような、複雑な色を帯びていた。

大切な姉が本気で愛されているという事実に、彼は安心しているのだろう。


母は何も言わず、微笑みながら詩音の手からクマを受け取り、代わりにスマホを取り出す。

「ちょっとそのまま、そこに並んで」と手振りで伝えてきたあと、ぱしゃり、とシャッターを切った。


次の瞬間、スマホが小さく震える。

画面を開くと、家族のグループLINE──【佐々家+凪】のトークに、今撮ったばかりの写真が送られてきていた。


涼「凪兄、マジでプレゼントのスケールがおかしいって!」

ママ「でも、こんなに幸せそうな詩音を見るの、初めてかも!」

凪「それはもはや、俺へのプレゼントですね」

涼「……はいはい」

ママ「いいわね~ラブラブで!」


スマホの画面を見つめるうちに、詩音の胸がじんわりとあたたかくなっていく。

腕の中のクマを抱きしめると、ふわふわの毛並みが頬をくすぐった。


(そういえば、まだ手紙見てなかった)


胸ポケットの中には、カードキーと小さな手紙が入っている。

取り出した小さな手紙を開くと──そこには、凪の手書きでこう書かれていた。


《どんなに遠くにいても、詩音の音が、鼓動が、ちゃんと届く場所にいたい。

だから、これからも隣にいさせてください》


詩音は涙を滲ませながら、その言葉を目に焼き付けた。


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