13.5dB ◇ わたしが贈る静けさ(side story 詩音)
完成品のアクセサリーを指先でそっと撫でながら、わたしは思っていた。
これは、音の波。
でも、きっとわたしの〝音〟は、本当の意味では永遠に0dBのまま。
──それでも。
わたしは、この〝静けさ〟を、凪さんに贈りたいと思った。
プレゼントを考え始めたのは、凪さんの誕生日が8月15日だと知った日。
わたしに「音を届けたい」と言ってくれた人。
わたしが「音を知らない」という事実を、悲しみではなく新しい可能性として抱きしめてくれた人。
そんな彼に、何を贈れるだろう──。
そんなことを考えながら、眠れずに動画を見ていた時、ふと気づいたのだ。
水面に落ちる一粒のしずく。そこから、静かに広がる波紋。
(ああ、これは……〝音〟だ)
音が聴こえないわたしでも、波の動きはわかる。
ふるえて、ひろがって、遠くまで伝わる。
それは、音が目に見える形で存在する、唯一の瞬間だった。
〝さざ波〟
それが、わたしにとっての音のイメージ。
デザインのアイデアは固まった。
でも、どうやって形にすればいいんだろう。
できれば、耳につけられるもので、世界にひとつだけのものを贈りたい。
そう思ったけど、実際に形を作るとなると、難題は山ほどあった。
まず、イヤーカフにするか、ピアスにするか。
でも、凪さんは穴を空けてないし……わざわざ空けてもらうのは違う気がする。
(うーん、フックっぽくする?けど、引っかかりそうだし落としそう……)
(やっぱりカフにする?それだと普通すぎる?)
スケッチブックを机に広げ、ペンを何度も走らせる。
最初は、耳に沿って小さく波打つだけのシンプルなカフを描いていた。
〝さざ波〟をそのまま形にしたような、細い線のアクセサリー。
(これならわかりやすい……でも、なんだか物足りない)
描いては消し、また描いて。
(波っぽい……けど、これだと魚の骨みたい?うーん……)
(もう少し丸く?でも、丸すぎると貝殻っぽいし……あっ、今度はアメーバみたいになっちゃった)
(わたし、センスなさすぎ……!でも、でもっ!凪さんに似合うのは絶対こういうイメージで……!)
ひとりで唇を尖らせて、眉間に皺をよせながら、ぐりぐりと何枚も描き直す。
消しゴムのカスが机いっぱいに積もって、気づいたら夜が明けていた。
繰り返すうちに線はだんだん大きくなり、波紋は渦のように丸みを帯びていく。
耳全体を包む曲線。水面に広がる波紋が、耳を守るように寄り添うデザイン。
フックでもない、カフでもない、不思議な形に変わっていった。
(これだ……!)
ペン先が紙の上で止まったとき、横から涼くんが「なにそれ」と口を動かしながら覗き込んできた。
(……いつの間に。涼くんったら、いつも気配なく入ってくるんだから)
涼くんはスケッチブックを勝手にパラパラめくったあと、表情を変えないままスマホを操作し始めた。
「ちょっと待ってて」と言われるままにしばらく待っていれば、くるりと向けられたスマホの画面。
《俺の先輩でアクセサリーショップ経営してて、オーダーメイドもやってる人がいるんだけど、今聞いてみたら最短で作ってくれるって言ってる。
どうする?頼んでみる?》
涼くんのその言葉に、わたしは大喜びでこくこくと頷いた。
オーダーメイドだと既製品よりもだいぶ高くはなるけど、幸いにも大学に入ってから始めたアルバイトのおかげで、そこそこ自由に使える貯金がある。
聾学校を卒業する時に福祉サポートの紹介で始めた、医療事務のアシスタント。
そこでコツコツ貯めてきた大切なお金は、まだほとんど手を付けていない。
それを彼のために使えるなら、少しも惜しくはないと思った。
──数日後。
アクセサリーショップの裏にある小さな工房で、涼くんの先輩が金属を曲げたり削ったりする様子をじっと見ながら《もう少し丸く》《ここは波の線を残したい》──と気になる部分を次々に口にしていく。
そのたびに彼はにやりと笑って「こだわり強くていいね」と言いながら、丁寧に形を整えてくれた。
刻印で入れた〝from 0dB to you〟
0dB──それは、わたしの世界。
音が存在しない。でも無音ではない、澄んだ空間。
その0dBの世界で生きるわたしから、あなたへ。
この音のない世界にも、確かな〝想い〟があることを、どうか受け取ってほしい。
もうひとつ悩んでいたのが、メッセージカードだった。
小さなカードを前にして、ペンを持つ手が止まる。
(なにを書けばいいんだろう……「誕生日おめでとう」だけじゃ足りない。
でも、重すぎる言葉はきっと違う。わたしらしく……)
何度も書いては丸め、机の端に積み上げていく。
「ありがとう」だけでは足りないし、長々と説明するのも伝わらない気がする。
目を閉じて、凪さんの笑顔を思い浮かべた。
初めて「音を届けたい」と言ってくれたときの表情。
そのとき心がふっと温かくなった感覚。
(あ……そっか)
ペン先が、自然に動いた。
《音のないわたしを、見つけてくれてありがとう》
書き終えた瞬間、肩から力が抜けた。
うん、これでいい。
これは、わたしの気持ちそのものだから。
***
プレゼントを渡す瞬間、緊張で手が震えていた。
凪さんが箱を開け、刻印を見て、ふっと目を細めたとき。
「……0dB」
その小さな呟きに、心が震えた。
(ああ、届いたんだ)
耳ではなく、心で。
きっとこの人は、0dBにすら音を灯すことができる人。
それが、わたしが恋をした人。
わたしは、彼の耳元で揺れる波紋を指先でなぞりながら、そっと心の中で誓う。
──ありがとう。
そして、これからも。
from 0dB to you.
この想いが、ずっとあなたのそばにありますように。