六
六
小女が歩みの板を渡る前に、別室の障子は向こうから開かれていた。そこには、紋付の黒縮緬の羽織の片袖を引きずりながら、肩を支えるように畳に腕を支き、もう一方の手を窓枠に掛けて、褄を深く合わせて着た大島紬の御召の一枚小袖を、腰をずらして斜め横に浮かせた姿の女客がいた。張りのある凜とした目をして、しかも睫毛は優しく、眉は涼しく、春の水に藤が映る、艶めかしくて気高い柄を着こなしている。……
彼女の袖の近くには、盆に乗せた柳団子が置かれているが、そんなものにすら十五夜の月の面影に、玉を捧げた風情を感じさせる。
「女中さん」
小女は、しおれて細縁に座っていたが、
「へい」
「お帳場に行ってご主人にうかがってくださいな」
「なんでござりますか」
いや、こちらでは、太夫より盲人旦那が、どれほど聞き耳を立てたことか! 驚いたのと慌てたのと、不意を食らって、なんでも心得ていると決めつけていた自尊心を傷つけられた口惜しさと、腹立ちと、物珍しさとが、顔じゅうに渦を巻いて、鼻はその匂いを嗅ごうと、口はしゃべろうと、額は睨みつけようと、眉は気どろうと、ぶるぶるぴくぴくと動くのが手の先にまで伝わって、蜥蜴の尻尾が動くかのよう。例のすりこぎ棒を火鉢に突っこんだが、真正面に向き直って、正気を取り戻したように身繕いをすると、
「ああ、鶯やな」
と、照れ隠しをするように、かつ威張りくさって、人を馬鹿にしたようなことを言うと、
「なんともいえないね」
ここでニヤリとして身体を落ちつかせた
太夫は盲人がじたばたするめまぐるしさに気を取られて、その端麗な女客の話の内容が聞き取れないのが苦々しいという顔つきで、火鉢のなかを火箸でぐいぐいと突いていたが、蝮肉のくっついたすりこぎ棒に灰がかかって、なぜか火葬場で骨拾いでもしているように見える。
「なんとおっしゃったのかな」
小女が帰ってきた。女客からの伝言を待ちかねて、太夫は先に声をかけた。
「あの」
「なんだとな」
「お客様が、あの、おっしゃるのでございます」
「素的な美人だろう。声でわかる、違いあるまい」
と盲人は、できうるかぎり声を密めて、話している二人の間に、これはたまらんと溶けそうな顔を割りこませると、その口の臭さに、太夫はむかつきながら鼻を覆った。袖を捌くしぐさは、さすが元女形である。
「あの、鶯があまりにもいい声なのでその姿を見たくなった。……こちらに籠を持ってきて、ちょっと見させてくださいませんか。……そう言ってこいと、あの、おっしゃるのですや」
「ようござります、いいともな。それ、籠を下ろして持って行ってお目にかけな。……気をつけるんだよ、ぞんざいにあつかうと鳥が逃げてしまう」
「声のよさに姿が見たいというのか……太夫、こりゃ三十両の価値は折り紙付きや」
小女はその鳥の値が三十両だと聞いた上に、雲の上にいるような女からわざわざ言いつけられたせいで、急に鶯が尊いものになって、籠のなかで軽くひらひらとその鳥が飛び回るのが、金無垢が踊っているように感じられたようで、重いものででもあるかのように、目の上に掲げながら両手で抱えて、腰を据えた姿勢を保った危なっかしい歩き方で歩み板を渡って行った。
もともとつり上がった目をした少女なので……狐が鳥を狙って歩いているように見えてしまう。
美人は待っている間、片肘を支いたままでいる。睫毛が濃くて品のいい、そして色っぽい、艶やかな丸髷で伏し目になって、駒下駄のそばに舞う蝶をじっと見ていた。