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 小女(こおんな)(あゆ)みの板を渡る前に、別室の障子は向こうから開かれていた。そこには、紋付(もんつき)黒縮緬(くろちりめん)羽織(はおり)片袖(かたそで)を引きずりながら、肩を支えるように畳に腕を()き、もう一方の手を窓枠に掛けて、(つま)を深く合わせて着た大島紬(おおしまつむぎ)御召(おめし)一枚小袖(いちまいこそで)を、腰をずらして斜め横に浮かせた姿の女客がいた。張りのある(りん)とした目をして、しかも睫毛(まつげ)は優しく、(まゆ)は涼しく、春の水に藤が映る、(なま)めかしくて気高い(がら)を着こなしている。……

 彼女の(そで)の近くには、盆に乗せた柳団子(やなぎだんご)が置かれているが、そんなものにすら十五夜の月の面影(おもかげ)に、(たま)を捧げた風情を感じさせる。

女中(ねえ)さん」

 小女は、しおれて細縁(ほそえん)に座っていたが、

「へい」

「お帳場に行ってご主人にうかがってくださいな」

「なんでござりますか」

 いや、こちらでは、太夫より盲人旦那が、どれほど聞き耳を立てたことか! 驚いたのと慌てたのと、不意を食らって、なんでも心得ていると決めつけていた自尊心を傷つけられた口惜(くや)しさと、腹立ちと、物珍しさとが、顔じゅうに渦を巻いて、鼻はその匂いを嗅ごうと、口はしゃべろうと、額は(にら)みつけようと、眉は気どろうと、ぶるぶるぴくぴくと動くのが手の先にまで伝わって、蜥蜴(とかげ)尻尾(しっぽ)が動くかのよう。例のすりこぎ棒を火鉢に突っこんだが、真正面に向き直って、正気を取り戻したように身繕(みづくろ)いをすると、

「ああ、(うぐいす)やな」

 と、照れ隠しをするように、かつ威張(いば)りくさって、人を馬鹿にしたようなことを言うと、

「なんともいえないね」

 ここでニヤリとして身体(からだ)を落ちつかせた

 太夫は盲人がじたばたするめまぐるしさに気を取られて、その端麗(あでやか)な女客の話の内容が聞き取れないのが苦々しいという顔つきで、火鉢のなかを火箸(ひばし)でぐいぐいと突いていたが、蝮肉(まむしにく)のくっついたすりこぎ棒に灰がかかって、なぜか火葬場で(こつ)拾いでもしているように見える。

「なんとおっしゃったのかな」

 小女が帰ってきた。女客からの伝言を待ちかねて、太夫は先に声をかけた。

「あの」

「なんだとな」

「お客様が、あの、おっしゃるのでございます」

素的(すてき)な美人だろう。声でわかる、違いあるまい」

 と盲人は、できうるかぎり声を(ひそ)めて、話している二人の間に、これはたまらんと(とろ)けそうな顔を割りこませると、その口の臭さに、太夫はむかつきながら鼻を(おお)った。(そで)(さば)くしぐさは、さすが元女形(おんながた)である。

「あの、鶯があまりにもいい声なのでその姿を見たくなった。……こちらに籠を持ってきて、ちょっと見させてくださいませんか。……そう言ってこいと、あの、おっしゃるのですや」

「ようござります、いいともな。それ、籠を下ろして持って行ってお目にかけな。……気をつけるんだよ、ぞんざいにあつかうと鳥が逃げてしまう」

「声のよさに姿が見たいというのか……太夫、こりゃ三十両の価値は折り紙付きや」

 小女はその鳥の値が三十両だと聞いた上に、雲の上にいるような(ひと)からわざわざ言いつけられたせいで、急に鶯が尊いものになって、籠のなかで軽くひらひらとその鳥が飛び回るのが、金無垢(きんむく)が踊っているように感じられたようで、重いものででもあるかのように、目の上に(かか)げながら両手で抱えて、腰を()えた姿勢を保った危なっかしい歩き方で歩み板を渡って行った。

 もともとつり上がった目をした少女なので……狐が鳥を狙って歩いているように見えてしまう。

 美人(たおやめ)は待っている間、片肘(かたひじ)()いたままでいる。睫毛(まつげ)が濃くて品のいい、そして色っぽい、(つや)やかな丸髷(まるまげ)()し目になって、駒下駄(こまげた)のそばに舞う蝶をじっと見ていた。


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