二
二
「それほどのものでもないがね、ああ」
盲人の旦那は、またチュッと一口茶を啜って、しょぼくれている割りにぷっくりとふやけた、紫がかった舌先と、春たけなわなこの陽気にいっそう火照った唇に湿り気を与えて、そこでグッと一息に湯飲みをあおると、薄い眉毛をぴくぴくとさせた。これは相手がどこにいるのか、見当をつけているのである。
「でも、そこはちょっとでも素人との違いがないとね、長年弦を弾いて苦労した爪に対しても申し訳がないぞね、ねえ、太夫」
「さようでございますともな」
「とはいっても、鶯の声を聞くのに、勘がいいとなると、音曲の才がここにも、へへっ」
と、うつむいて薄笑いをする。
その笑いが、奇妙な鼠色の斑になって、あたかも靨のように、蒼黒い頬骨に滲みだす。
「ねえ太夫、なんとなく気持ちのいいものじゃないかね。お互いの仲だとか、そんな気遣いは抜きにして、ねえ、太夫。ヘヘッ。しかしいい声や、ああ、そこや、なんとも言えへんがね」
「まったく、めったにあるもんじゃありませんよ。苦労をしましたよ、この鶯にゃ……毎年、早春には崖の椿の木に来て鳴きますのを、二ヶ月、三ヶ月毎日のように狙って、つかまえるのに三年かかりましたが。藪でも野でも、同じ鳥でも上等な奴は、不思議なことに、なかなか人の手には入りませんね」
「そうやとも、ほんまに、ヘヘッ」
と例の薄笑いを浮かべて、
「そこは昔取った杵柄で、太夫、女としての経験があるからのお……なにかね、三年かかって突きとめたというのは、若妻かね、年増かね、後家ではあるまいね……」
そこまで言うと盲人旦那は、陰気にぶらりとさせた手の甲で唇を擦って、
「……それとも、たまらないほどに美しい、人の女房ででもあったかね」
「はてさて、『闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬ先の親ぞ恋しき』と禅問答をおっしゃるようで、さっぱりわかりません」
かつての太夫は、聞きかじりで悟ったようなことを言ったが、じろりと盲人を見て、いやな顔をして、
「どっちにせよ、この鶯はな、こりゃメスじゃござりませんよ」
「お寄りやす、お掛けやす、一服お吸いやす」
と小女が、間延びした、勢いのない、そのくせやたらと早口な声で言う。
盲人の旦那はその小女に向けて首を伸ばして、頭を傾けながら、
「通るのはオスけ、メスけ」
と洒落た冗談でも言うように訊ねたが、いかにも偉ぶった態度である。
「書生さんですけ」
「はあ、オスの。……書生が靴を履いてぽかぽかと通るようになっては、花見も終わりや。なるほどいっこうに人出がない。真っ昼間の春の公園でも、こうなるともう寂しいもんだと言いたいね。しかしいい陽気や、とろけそうな塩梅や」
と帽子を脱ぐと、軽く膝を撫でながら、帯から煙草入れを取って立てて置くと、ちょっとくどいようだが、筒を見てくれ、煙管を見てくれと言わんばかりに指の先で小刻みに道具を叩いた。自慢の品なのである。
「只今お茶を入れ替えます」
そう言って太夫は上体を揺すりはしたが、立ってなにかするわけでもなく、柱に掛けた藁包みから、小さな串に刺した、べろべろとした、柔らかく、青白い肉を手に持つと、遠火で火鉢の火にあてて焙りながら、
「陽気というよりもな、若旦那、金があるからでございますな」
と、投げやりな調子で言って、串に刺した肉の一片を、中指の腹でちょっと触った。