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「それほどのものでもないがね、ああ」

 盲人の旦那は、またチュッと一口茶を(すす)って、しょぼくれている割りにぷっくりとふやけた、紫がかった舌先と、春たけなわなこの陽気にいっそう火照(ほて)った唇に湿り気を与えて、そこでグッと一息に湯飲みをあおると、薄い眉毛(まゆげ)をぴくぴくとさせた。これは相手がどこにいるのか、見当をつけているのである。

「でも、そこはちょっとでも素人との違いがないとね、長年(げん)を弾いて苦労した爪に対しても申し訳がないぞね、ねえ、太夫」

「さようでございますともな」

「とはいっても、(うぐいす)の声を聞くのに、(かん)がいいとなると、音曲(おんぎょく)の才がここにも、へへっ」

 と、うつむいて薄笑いをする。

 その笑いが、奇妙な鼠色の(ぶち)になって、あたかも(えくぼ)のように、蒼黒い頬骨に(にじ)みだす。

「ねえ太夫、なんとなく気持ちのいいものじゃないかね。お互いの仲だとか、そんな気遣いは抜きにして、ねえ、太夫。ヘヘッ。しかしいい声や、ああ、そこや、なんとも言えへんがね」

「まったく、めったにあるもんじゃありませんよ。苦労をしましたよ、この鶯にゃ……毎年、早春には崖の椿(つばき)の木に来て鳴きますのを、二ヶ月、三ヶ月毎日のように狙って、つかまえるのに三年かかりましたが。(やぶ)でも野でも、同じ鳥でも上等な奴は、不思議なことに、なかなか人の手には入りませんね」

「そうやとも、ほんまに、ヘヘッ」

 と例の薄笑いを浮かべて、

「そこは昔取った杵柄(きねづか)で、太夫、(おなご)としての経験があるからのお……なにかね、三年かかって突きとめたというのは、若妻かね、年増かね、後家(ごけ)ではあるまいね……」

 そこまで言うと盲人旦那は、陰気にぶらりとさせた手の甲で唇を(こす)って、

「……それとも、たまらないほどに美しい、人の女房ででもあったかね」

「はてさて、『闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬ先の親ぞ恋しき』と禅問答をおっしゃるようで、さっぱりわかりません」

 かつての太夫は、聞きかじりで悟ったようなことを言ったが、じろりと盲人を見て、いやな顔をして、

「どっちにせよ、この鶯はな、こりゃメスじゃござりませんよ」

「お寄りやす、お掛けやす、一服お吸いやす」

 と小女(こおんな)が、間延びした、勢いのない、そのくせやたらと早口な声で言う。

 盲人の旦那はその小女に向けて首を伸ばして、頭を傾けながら、

「通るのはオスけ、メスけ」

 と洒落た冗談でも言うように訊ねたが、いかにも偉ぶった態度である。

「書生さんですけ」

「はあ、オスの。……書生が靴を()いてぽかぽかと通るようになっては、花見も終わりや。なるほどいっこうに人出がない。真っ昼間の春の公園でも、こうなるともう寂しいもんだと言いたいね。しかしいい陽気や、とろけそうな塩梅(あんばい)や」

 と帽子を脱ぐと、軽く(ひざ)()でながら、帯から煙草入れを取って立てて置くと、ちょっとくどいようだが、筒を見てくれ、煙管を見てくれと言わんばかりに指の先で小刻みに道具を叩いた。自慢の品なのである。

「只今お茶を入れ替えます」

 そう言って太夫は上体を揺すりはしたが、立ってなにかするわけでもなく、柱に掛けた藁包(わらづつ)みから、小さな(くし)に刺した、べろべろとした、柔らかく、青白い肉を手に持つと、遠火(とおび)火鉢(ひばち)の火にあてて(あぶ)りながら、

「陽気というよりもな、若旦那、(かね)があるからでございますな」

 と、投げやりな調子で言って、串に刺した肉の一片(ひとひら)を、中指の腹でちょっと触った。


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