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泉鏡花『桜心中』 現代語訳  作者: らいどん


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十四

十四


「まあ、あなた」

 と先んじて言って、男がことばを()ごうとするの抑えるかのように、

「お疑り深いのですね。(ほか)のこととは違います。死ぬなどということを、嘘や冗談で口にできるものですか」

「聞き棄てなりません。もしもほんとうだとすると、どういう理由(わけ)で、死ぬの、生きるのと、そんなことがおありなのですか」

理由(わけ)を申したら……あなたはどうなさいますお気がおありなのですか。死ぬな、とお止めくださいますか」

「申すまでもありません。……きっと止めます。……無理にでもお止め申します。どうあってもお止め申します」

「でも、どうしても死なねばなりませんでしたら?」

(かね)のためか、権力のせいか、義理ゆえなのか、あるいは秘密のままになさるのですか」

 彼は声をくぐもらせて呼吸(いき)をついた。

「神のように、仏のように上にいて、あなたに死ぬな、という力はない。勢いもありません。何事も(しの)んで、(こら)えて、死なないでくださいと、地に膝をつき、這いつくばってお願いしましょう」

「ああ、もったいない。お優しいあなたという人が、世間にただ一人でもあると知りましたら、そのときの女性も死ぬのを思いとどまりなさったでしょう。もし自殺をするのでしたら、なにがどうあろうときっと思いとどまったはずです。ですが、ですが、私の場合は、死ぬ覚悟はしたものの、卑怯(ひきょう)なのです、未練(みれん)なのです。苦しいのです、生きたいのです。……

 自殺をするのではありません。人に殺されるんです」

「人に?」

「ええ、人に斬られて死ぬんです。命を断たれて枯れるんです。どうしても逃げられない、逃げられない運命になりました」

 そのとき、不意に花が散りかかったように、軽い、優しい、柔らかな女の顔が胸もとに寄り()って、男は(かすみ)を吸うような気持ちになった。……そんなとき、冷ややかな死の氷が骨を貫くかのように思われたのは、はらはらと触れる後れ毛の(かお)りであった。

可哀相(かわいそう)だと思ってください。可哀相だと思ってください、わずかな間でも不憫(ふびん)だと思ってくださいましな、ね」

 男は声を震わせながらも、

「相手は」

 と強い声で聞いた。

「兵隊さんなの」

 と女は、不思議なほどに軽い調子で答える。

「軍人ですか」

「ええ、騎兵さんですわ」

「お待ちなさいよ」

 七穂は、殺される、斬られて死ぬと言いながら女がひしと(すが)ったとき、うっかり相手の背中に手を置いていたことにハッと気づいて、指を開いて引き離しながら、

「あなた、なんだか助かる方法があるような気がします」

「いいえ、いけません。助かろうと思ってもだめなんです……」

 身を(ひるがえ)して避けようとする七穂の胸に、なおも女はすがりついて、

「許してください。もうちょっと、こうしていさせてください」

「あなた、きっと冗談をおっしゃってるのだ」

「ほら、きっと冗談だとおっしゃると思って、それだから、こうやって暗い場所でお話をしたかったんです。……でも、きまりが悪い、暗闇になれたせいか、ほんのりとお顔が見えますよ」

「私にも見えています」

「仕方がない。あなたの顔を見たいと思えば、私のほうもこんな顔をお目にかけねばなりません。あなた、殺される女の顔は(みにく)いでしょう」

「いいえ」

「でなければ、影が薄いでしょう、ぼんやりとしているでしょう、蒼ざめているでしょう。可愛い、優しいあなたのお顔は、ほんのりとしていらっしゃる。あの、切籠燈籠(きりこどうろう)の光が差したようにね」

「えっ」

「そして、それを草葉(くさば)(かげ)から見るように、暗い、深い、心細い、穴の底から覗くように、(ひつぎ)のなかの女の死骸が、目だけ開いて見るように……」

 七穂のわななく手が、今度は女の(そで)を取ってすがりついた。

「たよりのない、やるせのない、はかない私を、死骸だと思って抱いてください。死骸なんぞ、肉体なんぞとお嫌いでしたら、我慢して、魂だと思って、あなた、一度抱きしめてください。そのまま消えてしまえるように、なくなりますように……」

 七瀬はひしと女を抱いたが、手を離すとよろよろと樹に、そして女は根元に身を崩した。

「ああ、嬉しい。これで思いが満たされました。許してくださいまし。私は人間ではないのですよ」

「あ、あなたは?」

「お化けではありません」

「あなたは?」

「幽霊ではありません」

「あなたは?」

「ですが、人間ではありません。ですが、死んだ女工さんというわけでもありません」

「あなたは?」

「非情のものです。草木です。枝の影です。花だというのは恥ずかしい。(おぼろ)な夜闇にまぎれて花の色を、恋心を表に現して、月に(かす)んだ桜ですよ」


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