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泉鏡花『桜心中』 現代語訳  作者: らいどん


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十一

十一


「あの、お聞き申したいのはほかでもありません。無理にお聞きしたいというわけじゃないんですけど、あなたはどうして、私が死ぬ、自殺するかもしれないとお気づきになりましたんでしょうか」

「大事なことです。それを申さなければならないのです。――一言で申せば、お顔は知らずに、後ろ姿だけを見て思いついたことなんです。……あなた、失礼ですが、煙草を()みますか」

「さあ、どうぞ……私は、そんなご遠慮をなさいますような人柄の者ではありません。ですが、マッチをお()けになるでしょう。……私はこうしていますわ。……びっくりなさいますといけませんから」

 彼はわざと見ないようにしながら、脇目もふらずに目と鼻の間でマッチの火をつけた。それでも、先刻、遠くから見たのと同じ後ろ姿を、さらに鮮やかに、くっきりと白い(えり)と、丸髷(まるまげ)(つや)を見た。同時に浮きだしたのは、黒縮緬(くろちりめん)羽織(はおり)(もん)で、それは裏梅鉢(うらうめばち)であった。

 そして女の(きぬ)がするすると柔らかに冷たく近づいて、彼の(そで)に指先がそっと触れたとき、七穂(ななほ)は、今この場所の桜が咲く朧夜(おぼろよ)の底にあるどこかにヒヤヒヤと沈んで、春の季節を後戻りしつつ、過ぎ去った雪を探って、梅の花に手が届いたような気持ちになった。

 (きぬ)(かお)りも、気配の()も、その花のものであった。

「ちょっとお座りなさいまし。……水が近くって石が湿っていますから、こちらへ」

 (がけ)の木の根にハンカチを敷いたが、それも梅の香がする。

 それ以前に棄てたマッチの火は、水にも届かず消えていた。

「山で()るから山伏(やまぶし)という、私もそのたぐいの男ですから、野宿くらいは慣れております。あなたの手から敷物などとは」

 七穂はそのまま腰を下ろした。

「では、私も敷かないでいます」

 地べたに座った彼の(たもと)から、女はつかんでいた手を離すと、すらりと立ち上がり、(とが)の小枝に手を掛けた。

「どちらへ?」

「ここに、高いところに、木の枝に、私は留まっていますわ。ほほほ、鳥のように」

「御紋を見ました。梅に留まる鳥となれば、あなたは(うぐいす)でしょうな」

 闇のなかではあるが、面影(おもかげ)に笑顔が浮かんだようで、

「鶯はもう逃げました。――これはあなたがご存じないことですが。(ふくろう)だか(からす)だかわからない私に、さあ、先ほどの続きを聞かせてくださいましな」

「ちょうど十年前のことです。あなたと同じ後ろ姿の女性を、さきほどと同じ場所で――日付は忘れました。でも、月も今月、この公園の花のなかで見たことがあるんです」

「まあ」

 と女は、やや沈んだ声を出す。

「ですが、もちろん、あなたより寂しい姿でした。ただ一重桜(ひとえざくら)があちこちに、もうちょっと残っていて、富士見桜(ふじみざくら)は咲き沈むとでもいいたいような満開の夜。そして月が、もう少し澄んでいました。もう一つ違うのは、その女性は髪を櫛巻(くしまき)に結っていて、紋付(もんつき)ではない、(しま)羽織(はおり)を着ていたのです。

 最初にその女性の後ろ姿を見たのは、馬場にある茶店の一つで、面影亭(おもかげてい)という店のあたりです。時刻は今夜よりもずっと遅かったので、当然店は閉まっていましたが、彼女は暗いその軒下(のきした)を離れて、片側を月明かりに照らされながら、松並木のあるところに出たところだったのです」

 女は息を殺して聞いていた。

「次に目に留まりましたのは、滝の茶屋という店のあたりで、茶屋とはいってもこれは料理屋で、足もとのこの水が落ちる先にある、白糸(しらいと)(たき)の下に、細いながらも御殿風に造られている。その店から張り出して造られた桟敷(さじき)の前を、廊下を伝うように飛び石を渡って行くのを、私はふと、傘型の四阿(あずまや)の陰から見ていました。

 そしてその姿は、崖の暗いところで見えなくなりました。……あなたとまったく同じ後ろ姿で」


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