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9.空飛ぶまもの

第2章 神殺しの剣


9.空飛ぶまもの


夢を見ていた。

それは随分と、久し振りの感覚だった。


目の前にはポートレア商会の、懐かしい顔ぶれが揃っていた。

自分もどうやら同じように、その輪に加わっている。

だからこそ、これは夢だと明晰に分かっていた。


「姉さん、帰ってたんだ」

四女であるユイエルの唯一の弟、末子のジェク・ポートレアがそう言った。

歳の頃はシロムと同じくらい。

巻き癖のある黒髪と表情は軽薄な印象だが、目つきの悪さが全てを台無しにしている。


ただ目つきとは裏腹に気弱で心優しい少年であることを、商会の人間なら誰もが知っている。

そのおかげで商人らしい計算高さもドライさも持ち合わせていない、無い無い尽くしの弟である。


「大漁祭、ユイも行くよね?」

三女のフミが食卓に着きながら穏やかに笑う。

「一緒に行こうよ。父さんたち朝早いらしいし」

ユイエルは何かを言おうとした。

だが声が出ない。

多くの夢がそうであるように、コントロール出来ない何かが存在しているようだった。


「シロムと行くんじゃないの? 姉さんは」

妬けちゃうね、とジェクは冗談っぽく口を尖らせて、

「フミ姉さん、僕と行く?」

「あんたと行ってもなあ……ジェク、私と食べ物の好み違うんだもの。

 お祭り楽しめないよ」

「僕は普通だよ。フミ姉さんが辛いもの苦手なだけでしょ」

普通じゃないって、とフミが返す。

何にでも赤い粉ぶちまけるじゃない、あんたは。


あまりにも平穏なやり取り。

あまりにもいつも通りの光景に、ユイエルは泣きそうだった。

これが夢だと、最初から分かっていたのに。


いや。分かっていたからこそ、なのだろうか。



「懐かしい?」

不意に目の前に立って、タマが言った。

揺らめく影でしかない彼の姿が、気のせいか歪んだようでもある。


「君が呼んだの?」

ユイエルが問いかけると、「そうだよ」と返ってきた。


「いいの? 思い出は見飽きたかい?」

そんなことないけど。ユイエルは首を振った。

「私に出来ること、ないみたいだから」

「あっさりしてるね。ほんとに人間?」

タマがやれやれと手を広げた、ように見えた。

前に見た時よりもその姿は希薄で、人の形かどうかは大分と怪しくなっている。


「せっかくの追加機能だよ? 楽しんでくれなきゃ」

「さっきの、あんたが見せてたの?」

「ちょっと違う、かな。夢を見れるようにしてみたんだ。

 僕らには難しいことじゃないよ。眠ることに比べたらね」


けらけらと笑うタマの声は落ち着かないが、会話が成立するのは久し振りだった。

それにどうやら今は、人間の姿をしているらしい。

視界にかざした両の手は、懐かしい5本指である。


見回すと、ここは以前と同じ場所のようだ。

薄暗くだだっ広い部屋には、相変わらず何の飾りっ気も無い。



「見て欲しいものがあってさ」

「……それより私は、シロムの無事を確かめたいのだけれど」

「ああ、あの剣士でしょ? 大丈夫、元気だよ」

タマはあっさりと言った。

「ま、今は眠っているから……もしかしたら蛇かカラスかに突っつかれちゃうかも知れないけど」


抗議しようと口を開くユイエルを「しーっ」と制して、タマは招くように移動した。

「見てよ。今さ、皆いるんだよ」


見やると、壁の一部がまた、開くようになっている。

だが今度は扉ではなく、顔の高さの一辺が、窓のように開くだけである。


「大丈夫」とタマが笑う。

「あっちからこっちは見えないからさ。覗いてごらん」


窓の向こうはまた部屋になっている。

つまるところこの場所は、部屋の連なりなのだろうか。などと考えつつ、窓を覗き込む。


高級そうな木製の机を、これまた高級そうな革張りのソファで囲んだ、応接間のような部屋である。

青い長髪の男が、ソファのひとつに手を着いて立っていた。


ビショップ。

思い立った名前に、ユイエルは思わず窓にかじりついた。

咄嗟にイザを探して中を見回す。姿は見えない。


「誰を探してるの?」

タマは不思議そうだ。

「ああ、あの魔女かい? ただの人間が、ここに居るわけないじゃないか」

ここは「神の領域」だよ。

タマはまた、けらけらと笑った。


「ああ、まったく、忌々しい」

窓の向こうで、ビショップは苦虫を嚙み潰した。声が重い。

「あの竜の小僧め。小賢しい。ますますあの女に似てきたんじゃないか?」

「なんだ、『剣』は手に入らなかったのか」


ビショップの会話相手の声には、聞き覚えがあった。

あれは都市アルカの教会前で出会った、老人のものではなかったか?

ユイエルに、逃げろと耳打ちした老人である。


果たして暗がりからひょいと姿を見せてソファに座ったのは、ポーン老人であった。

今は杖を突いていない。

ただ眼帯は変わらずあって、唯一の瞳で部屋の中を見回している。


その視線が窓の前を通ってどきりとするが、止まらずに行き過ぎてしまった。

なるほど、向こうから見えないというのは本当らしい。


「剣は手に入った。取られやしない」

「だが噂に依ると、人間をひとり、取り逃がしたらしいな?

 計画には危険因子が残った。そうなるのかな」

ポーン老人の声は弾んでいる。

ビショップはそれも面白くなさそうに、

「何が噂だ」

と吐き捨てた。


「あんたが引いた糸だろう」

「ほう、気付いていたか」

「気付いたわけではない。カマを掛けたのだ。で、たった今知った」

ビショップはきっと老人を睨み付けた。


「何がしたい?」

「敢えて言うなら、君の邪魔をしたいだけだよ。

 正確には、君とキングの、かな」

「貴様……」

「なんだなんだ、何を揉めている?」


新手の声。

また暗がりから現れて、親し気にポーン老人の隣に腰を下ろす。


それは大層恰幅の良い大男であった。

がちゃがちゃとうるさい銀鎧を着こんで腰には2本の剣を帯びているが、そのどれもが、おもちゃのように小さく見えた。


「やあナイト君」

ビショップの視線をかわして、ポーン老人は穏やかに言う。

「『領域』に帰って来ていたのかね」

「またすぐ出かけるさ。俺には管理すべき地があるからな」

ナイトは見た目通りの豪快な笑い声を上げた。

「もちろん、邪魔はすまい?」


「むしろ僕の敵の敵が、ちょうど君になるのだろうよ」

ビショップが口を挟む。

「せいぜい、手は出さんでくれたまえよ」

「なにをピリピリしているんだ」

ナイトは意に介した風もない。

「機嫌が悪いな、どうにも」


「彼は私が嫌いなんだよ」

とポーン老人が茶化すのを「どの口が」と睨んで、ビショップはその場を離れた。

暗がりに向かう途中で一瞬立ち止まって振り返ったが、そのまま何も言わずに姿を消した。



「愉快だろう?」


一緒に窓から見ていたタマが、ぽつりと言った。

感情の読み取れない声だが、口調のせいか、やはり楽しげである。

「あの人たちは……?」

「彼らはゲームをしているんだ」


タマがすいと窓を離れるので、ユイエルもそれに倣った。

途端に、窓の向こうの声は聞こえなくなる。


「永劫の時間を持て余して、世界を時に守り、時に滅ぼしている。

故に『盤の神々』だ。単純な名前だよ」

タマの光る目が、ユイエルを見ていた。

揺らめく瞬間の中で、彼女はそれが金色であることを知った。


「神さま、なの?」

「そう呼ばれているだけさ。魔物と何が違う? と僕は思うね」

「何が目的で……?」

「はは、言った通りだよ。

 目的なんか無い……暇つぶしさ。巻き込まれる君たちには、迷惑な話だろうけど」

良いことを教えよう、とタマは仰々しく言った。


「神を殺せるのは神の力だけだ。例外なくね」


「あんたはそれを持っているの?」

「良いところに気付く。良いね」

「笑っていないで……」

「すぐに分かるよ。すぐにね。もしも君がその力を望むなら、だけど」


タマが笑う。けらけらと笑う。

瞬間、世界は暗転して。

眼前の景色は、再び森の中へと戻っていた。



身を起こすと、くりくりした大きな瞳が、ユイエルを見ていた。

「わ、起きた!」

彼女はぴょんと飛びのいて、大げさに拍手をした。

「全然息をしないだから、死んでしまったと思ったよ!」


舌っ足らずで高い声は、幼い少女のそれである。

視界に広がる鬱蒼とした森に似合わない、袖の短い軽装で、にこにこと笑っている。


袖口から生えるものが人間の腕でなく鳥の翼であることを除けば、ただの可愛らしい少女に違いなかった。

ただ1点のその特徴のせいで、少女の大きな目も尖った耳も、どうにも人間離れして仕方ないが。


騒ぎを聞きつけて、「ジャック」とユイエルのことを呼びながら、シロムが近付いてきた。

ユイエルの今の姿がオルカジャックなので、シロムは彼女をそう呼んでいる。

それだけで、どうやらこれが現実なのだと理解出来た。


頭はシャチ、体は犬の、六足の魔物――オルカジャック。

それがユイエルが、現世と呼ぶべきこの世界で持てる唯一の姿である。


無事だったんだね。

とユイエルは駆け寄って、頭をずいと押し付けた。

言葉を使えない今は、このくらい獣染みたコミュニケーションの方が気楽である。


「ジャック」ともう一度言って、シロムは気まずそうに傍らの少女を見た。

「なんだか魔物ばっかり寄ってくるな」

「ばっかりはなんだ、スズが守ってなかったら、森のカラスに食べられてたよ?」

少女はふんぞり返った。

「お前もそいつも森に倒れてた。道の真ん中にね!」


「2人はどうしたかな」

少女を無視するように、シロムが言った。

「もう!」と憤って、少女は羽を広げて飛び立った。

忙しない子である。



「何が何だか分からないんだけど」

彼はその場にぺたりと座り込んだ。ユイエルもそばで倣う。


「迷宮跡に勇者の剣がある。占い師はそう言った。

 まあその占い師が魔王だったわけだけど。

 で、魔王が勇者の剣を取りに来た……ってことは俺が必要だったわけだ、手に入れるために」

声に困惑の色がある。

「勇者の剣って何なんだ?

 それに、ええと……ビショップとか言ったっけか、あの男」

誰なんだろう、とシロムが呟く。


ユイエルは「神の領域」を知っている分、彼よりも少しだけ、状況に詳しい。

もっとも、あれは神さまだよと言ったところで、何の信憑性もないだろうが。


「……イザだったら、何か知っているんだろうか」

イザが何を考えていたにせよ、ビショップと一緒に居て、シロムたちよりも彼の味方であることを選択した。それが事実だった。

「メリスは何も知らないようだった。けど、イザは……」


魔王トックムゥブ。

占い師に扮し、勇者を招いた少年。


ビショップ。

神を称し、領域に現れた男。


ユイエルは頭を振って立ち上がった。

考えていても仕方ない。

魔王だの、神だの。

登場人物のスケールが大き過ぎて、彼女にもシロムにも、きっと手に余る。


「メリスはまだアルカに居るのかな。

それとも、セレ・マトスに戻ったんだろうか?」

ユイエルは首を傾げる。

どうだろう。あの場を無事に切り抜けたとして、あの街に留まりはしないだろうけど。


「セレ・マトス、行きたいの?」

木の枝に小鳥よろしく止まって、先程の少女が見下ろしていた。

「スズが案内しようか?」

「ここから近いのか?」

「近いよ。ほら、寒いでしょ」


スズはその黄色い羽を広げて、やはり笑った。

「困っている人助けなさいって、母さんの教えなの」

「人間相手でもか?」

「関係ないよ」と言って、スズは飛び立った。

「出口で待ってる。ついて来て!」


シロムが戸惑ったようにこちらを見るので、ユイエルは尾を振った。

行こうよ。と身を伏せた。


恐る恐る跨るシロムをひょいと担ぎ上げて、木々の間を進み始めた。




いつの間にか雨が降り出して、森の大地はぬかるんでいる。

手綱も何も無い獣には乗りづらかろうに、シロムはユイエルの首筋の、わずかに長い毛を器用に掴んで乗っていた。


木は北に行くほど青くなる。というのはグレス大陸でまことしやかに囁かれる定説である。

いわゆる緑色をあおいと評するのではなく、海で見て空で見る、あの青色のことだ。


てっきり与太話の類だと思っていたけれど。


なるほど周りの木々の葉は進むほどに青く、子供の頃に見た、海の底を思い出すようだった。

シロムもユイエルも一様に。

2人でふざけて海深く潜って、色んな大人に心配をさせた。

そんな頃の記憶である。


「寒くないか?」

不意にシロムが言った。

声が存外に優しいのでユイエルは戸惑って、つかの間歩みを止める。

大丈夫だよ。私の姿を見たでしょう。

こんなに毛皮がふわふわなんだよ?


首を捻ってシロムを見ると、彼は後悔するような、それでいて照れるような顔でこちらを見ていた。

それから「なんでもない」と打ち消して、

「港町とも王都とも、全然違うな」

と天を見上げた。


「あの町にも雨は降るけど。

 もっとザッと降って、サッと止むもんな」

サモンのカラ雨というやつである――いわゆる。

だから港町サモンの民は傘を持たない。


「メリスも言っていたろ。平原の風は乾いてるって。

 故郷とは全然違うよって」

それきり彼は口をつぐんだ。

メリスの身を案じたか、あるいは魔物に語りかけることの無為さに気が付いたのか。

それはきっと、その両方に違いなかった。



ユイエルは再び歩き始めた。

歩く、といってもこの6本足は素晴らしく速くて、一足飛びに風景を塗り替えて、森はますます青くなる。


雨は降り続いた。

青い森に降る雨はひどく青く、むしろ色彩を失うようでもある。


「着いたよ」

やがて枝の一本に待ち構えていた、スズが言った。



シロムもユイエルも、その時揃って天を見た。

森を一歩出た群青色の空からは、冷たく輝く氷の粒が、次から次へと落ちてきていた。


雪だ。と彼が言った。



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