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7.平原の夜

7.平原の夜


王都デリアを出た勇者一行が目指すのは、サマリナ平原の東端の都市アルカである。

アルカは女神の教えの色濃い宗教都市であるが、教徒以外にもその門戸は広く、サマリナ平原の中では王都に次いで大きな町と聞く。


占い師の告げたバーパスの迷宮跡は、都市アルカと目と鼻の先だった。

というより、迷宮跡と呼ばれる広大な土地に無尽蔵に建物を建てた結果、それが都市になったという話である。


王都デリアから北と東に広がるサマリナ平原は広大だが、都市アルカへの道のりはさほど厳しいものではなく、魔物や盗賊の類も少ないとされている。


だが魔王軍の動きがあると、ベマ山脈のスケルトンが言っていた。

あの場にミノタウロスが居たことも、「勇者」と無関係ではないのだろう。

なんとなく、ユイエルにはそんな気がしていた。


だから警戒を怠る理由はなく、一行一丸となって進むべきなのだろうが、なんというか、このパーティにはまとまりがない。

王都を出て数日にして、ユイエルはすっかり困り果ててしまった。



「へえ、剣士とテイマーの複職なんて器用なのね」

イザはその台詞とは裏腹に驚くほどユイエルに興味を示さず、しきりにシロムに感心した。

「流石は勇者サマ、ってとこ?」

「勇者だから、ってのは良く分からない理屈ですけどね」


テイマーになった経緯を知るメリスは、これ見よがしに溜息を吐いた。

「その魔物に裏切られて壊滅するパーティに、ならなければ良いですが」

「あら、魔物は嫌い?」

「好き嫌いじゃないでしょう」

むっとするメリス。

「敵ですよ。当たり前のことです」

「いいじゃない。魔物なんて、利用しちゃえば」


イザは投げるように言い捨てて、ようやくユイエルを見た。

黒く艶やかなその瞳に、強い感情は見えなかった。

意思なきものとして魔物を見ているのなら、不思議ではないのだろうが。

「それにほら、言っている間にお客さんよ」


イザが顎で指す先で、オークが3体、ぎらぎらした目でこちらを見ていた。

棍棒やら刃先の錆付いた鉈やらといった打撃武器を各々握って、にじり寄ってきている。


二足歩行のその顔はこの上なく豚に似ていて、でっぷり肥えた肢体を、煤けた短パンで取り繕っている。

サマリナ・オークとも呼ばれるオーク種の代表的な魔物で、サマリナ平原ではありふれた魔物である。


ただありふれている癖に素行が悪いので討伐クエストもしょっちゅう出ていて、王都デリアのギルドにはオーク専門のハンターも居るという。


ユイエルは平原の草を踏んで、人間たちを庇うように前に出た。

「初陣ね」とイザが呟く。

「でも魔物ちゃん、私の前は塞がない方が良いわよ」

彼女はマントを軽くめくって、腰に提げた円筒形の容器に手を置いた。


魔力タンク(マナ・バッファー)といって、魔導士には珍しくない装備である。

人間の持てる魔力生成能力には限度があるので、予め作っておいた魔力を貯めておくための容器である。という、細かい説明はまあ、この際良いだろう。


タンクに添えた手からばちりと火花が散って、稲妻が地面に落ちた。

「<地を這う雷撃(ライトニング)>」


オークの1体が目を見開く。

その足元から雷撃が駆け上がって、魔物の全身を貫いた。

どうと倒れるその体を踏み越えて、別の1体が跳躍する。

錆付いた鉈がシロムを狙う。

シロムが剣を抜く。


だが彼が斬り合う暇も無く、身を乗り出したユイエルが鉈を受けた。

切れ味の無いそれに皮膚を裂く力は無く、彼女が首を振るだけで、オークは鉈を取り落とした。

シロムは空手になったそいつに、剣を突き刺した。

血と魔力粒が溢れ出す。

市井の娘には見慣れないはずのグロテスクな光景であるが、いい加減感じるものもない。


残る1体はメリスと対峙している。

彼女の剣から放たれる炎の柱がオークの武器(そいつは棍棒だった)を丸焼きにして、既に大方の勝負は付いていた。

念のためにとユイエルも近付くが、その甲斐も無く、メリスの魔剣はオークを切り裂いた。


ふうと、3人の内の誰かが息を吐いた。



「やあ、見事だねえ」

通り掛かった行商のキャラバンが、彼らに目を留めた。

王都へ戻るらしい馬車は昔ながらの牽引式で、えらく足の短い馬が引いていた。


「ギルドのクエストかい?」

「いや、そういうわけでは……」

「なら、どこかのギルドに立ち寄った時にでも、討伐報告をすると良いよ」

それだけでもちょっとした稼ぎになるから、と言う。


「ありがとう」

応えるシロムの顔を、行商人はじっと見つめた。

「どこかで会ったことあるっけ?」

と首をひねり、やがて、

「ああ、思い出した。ポートレア商会の護衛でよく来てた子だね?」

「じゃあ、アニムの?」

シロムの問いに、彼はひらひらと手を振った。

「あちこち回ってるから、最近は滅多に帰らないんだけど。

 ユイエル・ポートレア氏は元気かい?

 王都に寄った後アニムに戻るから、是非お会いしたいね」

「死んだよ」

「え?」


ユイエルの位置から、シロムの顔は見えなかった。

ただその声の硬さを聞くしかなかった。


「そんな……いつ?」

「最近。魔物に殺されて」

「そうか」と行商人は肩を落とした。

その様子を、死んだ張本人であるユイエルは、黙って見ていた。

シロムはそうでもないだろうが、彼女にとっては知己の相手である。


生きていた頃のユイエルを知る者。

そして今、彼女が死んだことを知った者である。


ユイエルはあの荒れ果てた教会での、シロムの顔を思い出していた。

喪失感と無力感をごちゃ混ぜにして人間に塗りたくったら、皆きっと、こんな顔になるのだろう。


「ポートレアの鉱石商は、今誰が?」

行商人はようやく言った。

いかにも商人らしい、現実的な疑問だ。ユイエルは苦笑した。


「彼女の姉が。商会の三女が継ぐと聞いています」

ユイエルには初耳である、思わずシロムを凝視する。


三女、フミ・ポートレアはユイエルのひとつ年上で、からからと笑う快活な女性だった。

私は商会を継ぐ気はないの、と常日頃言っていたのだが。

自らの死が彼女の人生を巻き込んだのだとしたら、申し訳ないことである。


ポートレア商会の6人兄妹、ユイエルから見れば4人の兄姉と1人の弟であるが、彼らの平穏な運命もまた、多少は変わっているらしかった。



王都へ向かうという行商人を見送ってから、

「彼女は居ない。分かっていることだ」

と唐突にシロムは呟いた。

行商人は居なくなり、彼の目には平原が映るばかりである。


「俺が殺した。そうだろう?」


メリスとイザが顔を見合わせる。

同行者の不気味さに、今更気が付いたとでも言いたげに。




それからサマリナ平原の地平線に太陽がとっぷりと沈む頃。

シロム達一行は、ブルー・ナイトという宿泊所に身を置いていた。


サマリナ平原は広大な割に移動手段に乏しく、ギルド所属の旅人のほとんどは、徒歩で移動する。

魔法技術は間違いなく発展しているもののその速度は歪で、分野によって発展度合いは大きく異なる。

移動手段、とりわけ個人の陸路はかなり置き去りにされていて、未だに徒歩が一番楽で、確実な手段なのだった。


だからサマリナ平原の道沿いにはそんな旅人たちが休めるよう、こういった宿泊施設がいくつも点在している。

そしてブルー・ナイトがそうであるように、そのどれもが、結構繁盛しているらしかった。


シロム、メリス、イザの3人はブルー・ナイトの食堂で木の机を囲んでいた。

その表情は晴れない。

どころか、誰もが言葉少なである。


なお、この場にユイエルは居ない。


ブルー・ナイトの店主は「テイマーさん?」と露骨に嫌な顔をして、

「泊まるのは良いけど、魔物は中には入れないでね。

暴れられても困るんだから」

と言うから仕方なく、彼女は店の外で夜風に当たっていた。


「ところでさ」

口火を切ったのはイザだった。


ユイエルは壁に身を寄せて、耳をそばだてた。

彼らの席が壁際なのだろうか、案外鮮明に聞き取れる。


「私との契約、今のうちに決めておかない?」

「契約?」とシロム。

表情は分からないが、脱力したような、安堵の色が声にある。

何を訊かれるのかと待っていた構えを、その時外したようだった。


「ほら私ってさ、今ギルド所属じゃないじゃない?

成功報酬の割り振りとか、それこそこういう所の支払いとか」

と言って、イザは机を拳の裏で軽く叩く。

「ちゃんと決めておいた方が良いでしょう?」

「あー……まあ、そうだな」


狼狽えて、シロムはメリスを見る。

彼女は肩をすくめて、

「私の分はいいですよ。なんかその……出世払いみたいな感じで」


どうやら彼女も固い話は苦手らしい。

同類らしいことに、シロムの心はまたひとつ軽くなった。


「訊かれるのかと思った」

などと自分から言い出す程には。


「何を?」

「随分改まった物言いをするから。……彼女のこと、とか」

「言いたいの?」

気だるげにイザが問う。


シロムは悩んで、それから首を左右に振った。

「じゃ、いいわよ。別に」

イザは目の前の食器をようやく空にして、少し奥へと押しやった。

ブルー・ナイト特製だというミートパイは美味で、荒事の多い旅人向けとは思えない程、上品な味付けだった。


「私、旅のパーティってビジネスだと思ってるから。

プライベートには、特に興味ないの」

「命を預け合う仲間でしょうに」

メリスは不服そうだ。

「そういう考え方もあるでしょう。珍しくもないよ」

けど私はそうじゃない、とイザは笑う。


「私も訊いて良いですか。なんで『死に誘う魔女』だなんて呼ばれているんです?」

「なんでだと思う?」

問い返すと、

「剣士ギルドでは」とシロムが口を開いた。

「仲間を失って一人生還した剣士が、そんな風に呼ばれていたな。

死地に魂を置いて来た者、だとか言って」

「ああ、そんな感じ」


イザはまた気だるげに――話すのが心底億劫だという風に、

「今までに3回、こういう長旅をしたわ。

魔物討伐とか、遺跡探しとか。で、3回とも私だけが生き残った」


彼女はシロムを見つめている。

黒い視線と蒼い視線をぶつけて、何かを探ろうとするみたいに。


「パーティは全滅。ま、私が居るから、全滅じゃないか。

ともかく皆死んじゃって、それで気味悪がって誰も組んでくれなくなって、ギルドも除名」

「それは……」

「怖くなった? 別に良いわよ、私を外してもらっても」


まだ契約前だしね、とやはり笑うイザ。


シロムは「気にしないよ」と前置きして、

「俺はこういうパーティとか組むの、今回が初めてだけど。

一緒に旅、というか、クエストで出かけた相手が1人だけ居てさ。

で、その人ももう、居ないんだ」


メリスは何か言いたげに、シロムを見た。

一緒に育った人。旅した人。「彼女」。


彼の会話の端々に覗く誰かが、少しずつ像を結んで行くようである。


「もとより家族は居ない。俺が魔女に引き込まれて死んだって、誰も困らないから」

「……勇者が死んだら、困るんじゃないですか」

「ああ、確かに。困るか」

でもまあ、別の誰かを勇者にするんじゃない? とおどけてみせる。


「人が死ぬのは、嫌ですよ」

ぽつりと、メリスが呟いた。

「だからそんなこと、言わないでください」


シロムは目をしばたいた。

「ごめん」

「別に……謝って欲しいわけじゃ、ないです」

「そっか……じゃあ、ありがとう」


ぷいとメリスがそっぽを向く。

それが照れ隠しであることを、気が付かれないといいな、と願った。




そして壁の向こうで、ユイエルも立ち上がった。

といっても伏せていたのを、6足歩行に戻しただけであるが。


よっぽど乗り込んでやろうかと思ったが、要らぬ世話であった。

メリスの存在には感謝しなければならない。

自分がその役になれずに歯がゆい、というのは、今改めて思うことでもない。


壁の中の会話は無くなっていた。

解散して眠ることにしたのだろうか。



夜もだいぶ更けたらしく、ブルー・ナイトを新たに訪れる客足も絶えている。

遅くに到着した旅人やら行商人の一団やらが、今また食卓を囲んで、がやがやと騒いでいた。


曰く、西のエレン町では、魔物による被害がいよいよ深刻らしい。

曰く、王都デリアでは、奔放と噂の王子がまた問題を起こしたらしい。

曰く、勇者の一行が平原の先を目指して、王都を旅立ったらしい。


ユイエルは首を振って、その場をそろりと離れた。


とその時、ふいに視線を感じて立ち止まる。

振り返って、ブルー・ナイトの入口にぽつねんと立つ、シロムと目が合った。


どうしたの、と言うつもりで尻尾を振ってみせる。


彼は立ち尽くしたまま、悩むようにこちらを見ている。

そうしてどのくらい時間が経っただろう、やがて決意して、シロムはユイエルの前までやって来た。


「ジャック」と呼びかける。


ユイエルは黙ってその場に座り込んだ。

もっとも今のところ彼女の声は攻撃手段だから、黙っているしかないのだが。


「お前でもさ、死んだら悲しむ相手が居るのか?」

まさか既に死んだ身だとは思うまい。

シロムは物言わぬユイエルの頭を、つるりと撫でた。


ユイエルはシロムの言葉を待たなかった。

ただ頭をシロムの胸に寄せて、ぐいと押し付けた。

ともすれば凶器に成り得る体格であるから、力加減には気を付けた。

それはもう、気を付けた。

その甲斐あって、シロムは体勢を崩すこともなく、静かにそれを受け入れた。


シロムの言いたいことは分からなかった。

いや正確には、予想は付くのだけれど、分かろうとする意思は無いのだった。


家族が居ないことが寂しかろうが、帰りを待つ者が居ないことが悲しかろうが、どうだって良かった。

彼がそんなことを、考えることそのものが嫌だった。

その点ではメリスと全く同意で、人間の娘であったなら、手を取り合って共感を示すところである。


そのどちらもを失った身であれば、尚更だった。


ユイエルは寸分悩んで、2本の前足、ヒレのようなそれらをシロムに巻き付けた。

そうしてぎゅうと抱き締めた。


魔物が人間にする行為としては危険極まりないものに違いないが、シロムは戸惑うだけで、振り払おうとはしなかった。


サマリナ平原の夜は静かとは程遠く、ブルー・ナイトの中からは相変わらず飲み明け暮れる旅人たちの声が聞こえていたし、平原の向こうからは魔物か獣か、何かの遠吠えが響いている。

だがシロムもユイエルも黙りこくって身動きひとつしないものだから、2人に限っては、物音ひとつ立てなかった。


その限られた静寂の中で、シロムは気付いたろうか。

ぴったりと寄せたユイエルの体からは、心音ひとつ、脈動ひとつしなかった。


そしてまたその静寂の中で、ユイエルは気付いたろうか。

シロムはユイエルの頭を見つめたまま、涙を堪えるのに必死だった。


寂しさや不安に襲われてどうしようもなくなった夜などは、よくポートレア商会に顔を出して、ユイエルを訪れた。

それを思い出していた。

もちろん、ある程度大きくなってからは、こんな直接的なスキンシップを取ることもなくなっていたのだけれど。



サマリナ平原の夜は、静かだった。

静かに更けていった。


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