6.谷の案内人
6.谷の案内人
剣士、商人、鍛冶職人……。
世の中に仕事の種類は数多いが、同じ職業の人間が集まって、それぞれ組み出したのはいつの頃だったか。
少なくともそれらをギルドと呼称するようになったのは、魔王が活動し始めたのと同時期だった。
それはシロムやユイエルが産まれるよりもずっと前の話で、シロムが物心付く時にはもう、ギルドは社会を支える基盤として、強固な存在となっていた。
だが反面、ギルドの種類そのものが増えたことで、市民には遠い存在となったのも事実だった。
「どれが何のギルドか分からない」という、もっともな理由により。
そこで出来たのがギルド本部、なる組織である。
これはギルド案内センターとも呼ぶべき存在で、とりあえずここへ行けば、大抵の事はまとめて解決できる。
ギルド本部の在る町はまだまだ少ないが、王都はそのひとつに数えられる。
そして王都は、ギルド本部が各ギルドを取りまとめる、という色が顕著であるらしく、ギルド本部の巨大な建物が、各ギルドのちょうど中央に建てられているのだった。
「シロム・エルだ」
ギルド本部の受付でそう名乗ると、「ああ」と相手は合点して、
「お待ちしておりました」
とにこやかに言った。
「旅の仲間をお探しなんですよね?」
受付の男はシロムとメリスを交互に見て、
「今は剣士2人。なるほど、なるほど。
では残りは魔導士と重騎士。あるいは医療術者をご希望で?」
男の値踏みするような視線は気に入らなかったが、
「重騎士は間に合っている」
無意識のうちに胸を反らせて、シロムは言い返した。
正確に言えば「騎士」ではないが、この際細かいことは言いっこなしだ。
「え? まだ他に居るんですか?」
驚いたのはメリスだった。
シロムはそれを目で制して、受付の男に向き直る。
「というわけで、魔導士を探している」
「ははあ、承知致しました。
となると該当は魔導ギルドか、あるいは呪術ギルドか……」
男は言いながら帳簿をめくり、やがてぴたりと手を止めた。
「あ、いや。待てよ……勇者の旅か。なら、ぴったりな魔導士が居ますよ。
残念ながら、今はどこのギルド所属でもないのですが」
「所属じゃない?」
「除名されたのでね……おおい、ちょっと呼んできてくれ」
男は不穏なことを言う。
「除名と言っても、別に犯罪者じゃない。
ちょっとばかし、王都では有名人なんです」
「どんな奴なんだ?」
「彼女は、こう呼ばれています。死誘の魔女、と」
「シユウ?」
オウム返しに訊き返すと、
「死へと誘う魔女、で死誘の魔女よ。名はイザ・チルバイス」
受付の男とは別の声が、シロムの背後で答えた。
振り返る。
と、大きな人影が手を伸ばしてシロムの額に手を当てた。
「私のことよ。何か御用かしら?」
黒地に金模様のローブに、大きな三角帽子。
魔女の呼び名にふさわしい、コテコテの服装である。
影が大きかったのはこの帽子のせいだろう、中身の人間そのものはさほど大きいわけではなく、シロムと同じくらいの背丈である。
ただ一点、ローブから覗く胸元は「大きい」という形容詞がきちんとふさわしいが。
失礼な話、ユイエルやメリスには無い存在感であった。
イザはくすくすと笑って、
「ご指名なんて久し振りね。それもこんな美男子くんに」
「勇者のシロム・エル殿だ。魔王討伐の仲間をお探しだそうだ。
イザお前、勇者が来たら呼んでくれって、そう言っていたよな」
受付の男は急にぞんざいな口振りになる。
厄介払い。そんな言葉が、シロムの頭で閃いた。
「言ったわ。勇者サマには、是非ともご一緒したいのよね」
イザの瞳がふいに光を得て、シロムに据えられた。
黒く大きな瞳である。
見る者を吸い込むような、妖艶な瞳。
「強い魔導士なら、文句は無い」
シロムは彼女の目を睨み返した。
己の蒼い目もまた、イザを吸い込むだろう。
シロムには自信があった。
自らの容姿をことさら美しいと思ったことはないが、この瞳だけは、「彼女」が愛した色である。
睨み合いは長く続くことなく、
「嬉しい。行きましょう」とイザはあっさりと言った。
シロムは拍子抜けした。
「そんな簡単に決められるものか?」
メリスといい、イザといい。
「面白そうだもの。それに、私強いし」
イザはぱっと目を逸らして、またくすりと笑った。
それからシロムの腕を取って、
「よろしくね、勇者サマ」
と身をかがめて頬ずりした。
シロムは慌てて手を引いた。
イザはそれも笑って、
「あら、つれない」
と口を尖らせた。
隣ではメリスが硬直していた。
それでもようやく、「メリス・メルフィです」と名乗った。
イザはそれも面白そうに笑って、
「シロムと、メリスね。楽しい旅になりそうだわ」
と満足そうに言うのだった。
そして時は夜へ進み。
ベラの山々に、再び闇が落ちる。
ユイエルはしばらくその場に蹲っていたが、辺りがとっぷりと夜に染まったことで、ようやく重い腰を上げた。
シロムはもう王都を出てしまっただろうか。
それとも一泊くらいして行くのかしら。
寝るも食べるも要らない体というのは不便なもので、何もしたくない、とじっとしていても、時の流れを感じられないのだった。
この世界に朝と夜があって良かった。
ユイエルは空を見上げた。
ぽつぽつと光り始める星空が、物も言わずにユイエルを見返していた。
堪らず逃げ出して山道を彷徨ってみたものの、結局行くところなど無いのである。
とぼとぼと山道を辿り直して、ユイエルは山の端っこから、王都デリアを見下ろしている。
城壁の見張り塔の兵士と時折目が合うようだから気付かれてはいるのだろうが、魔物一匹、特に珍しくも無いのだろう。
警戒している様子もなく、辺りは静かであった。
がさり、と茂みが鳴った。
風かと思いかけたが、それにしては凪いだ夜である。
目を凝らすと、緑のぼやけた光が闇の中に浮いて、続いてこつこつと硬い足音が響いた。
「血生臭いと思ったら、妙なヤツが居たもんじゃ」
茂みを踏み鳴らして、そいつは声を上げた。
身長の倍はある長い杖の、地面と反対の方、すなわち上側の先端に緑火のランタンをくくりつけている。
先程見えたのはこのランタンの光だろう、今時珍しい旧式の(非魔法式の)ランタンは、杖を突くたびにちゃぷりと油の揺れる音がした。
杖を持つのは骸骨である。
平均的な成人男性と言うべき骨格には何の肉もなく、歩く度にカタカタと骨が鳴った。
アンデッド種スケルトン。
これは全くお互い様であるが、ベマ山脈では見慣れない魔物である。
「あなた、誰?」
ユイエルの喉が声にならない音を鳴らす。
スケルトンは立ち止まって、ちゃぷ、と杖を突いた。
するとランタンの緑火がくるりと揺れて、
「ねえ骨爺、こんな奴ほっとこうよ! 何言ってるか分かんないしさ!」
と甲高い声で喋り始めた。
「ミノタウロスは死んじゃったんでしょ?
じゃあいいじゃん、もう帰ろうよー」
「これミリー、あんまり騒ぐな……お前の声は響き過ぎる」
スケルトンはまたちゃぷ、と杖を突く。
そうすると緑火は静かになって、スケルトンは困ったように首を傾げた。
「その姿、キマイラ種の者か。
アタマの違うヤツ、とワーウルフどもが騒いでおったが、お前さんかな」
「たぶん、そうだと思うよ」
と答えてみるが、スケルトンは相変わらず首を傾げている。
どうやら、言葉が通じているわけではないらしい。
「私にはあなたの言葉が分かるのに。魔物の世界も複雑なんだね」
伝わらないのは承知で、やけっぱちに話しかける。
するとまたちゃぷ、とランタンが揺れて、
「ねえあんたさ、魔王軍じゃないんでしょ? 骨爺の勘も鈍ったみたいね」
「魔王軍?」
「ワーウルフどもは煩いし、ミノタウロスの声なんぞ聞こえるし。
てっきり魔王軍でも攻めて来たのかと思ったが」
「馬鹿だなあ、骨爺は。こんな辺境で、そんなことあるわけないじゃん?
いくらここが、『領域』に近いって言ったってさ」
緑火がくすくすと笑う。
ウィプスとかいうのだったか。
小さな炎や人魂の形をした魔物のことを、ふいにユイエルは思い出した。
人間を死の沼に誘う、小さき魔物。
「でもさ、あのミノタウロスは魔王軍だったね?
あんな槌にまで、格好付けて魔王紋章なんか入れちゃって。馬鹿みたい」
「ミリー……魔王紋章を馬鹿にするのは口が過ぎるぞ。
あれはな、先代魔王が女神から賜った…」
「あーはいはいゴメンナサイ。
現魔王はキライなのに先魔王はスキなの、やっぱ変だよ骨爺」
話が見えずに固まるユイエルに気付いて、スケルトンはその空っぽの眼窩をすいと向けた。
「なんじゃお前さん。産まれて初めて魔物を見たような顔をして。
魔王のことも知らないみたいに」
「知らないんじゃない? 若そうだし、田舎者みたいだし」
「ミリー」とスケルトンが緑火を諫める。
「魔王軍、すなわち魔王トックムゥブの配下の魔物は今時珍しくも無いが、この辺に住んでいれば会うこともないだろうて」
そうなの?
ユイエルは首を傾げた。
「ワシら在野の魔物は魔王に従っているわけではない……崇拝しているような変人を除けばな」
そんなものだろうか。
子供の頃――かつて人間だった頃、魔物に自我は無いと教わった。
魔力を得て理性を失い、女神の教えも届かなくなった存在を、魔物と呼ぶのだと。
だとしたら魔王とは何だ、理性も無いのに王を名乗ることが可能なのかと、子供心に疑問もあったが、女神の教えによれば魔物とはそういうものであった。
だが目の前のスケルトンとウィプスはヒトと変わらず会話を紡ぎ、何より自分は食べるも眠るも何もかも失くしたが、どうやら心だけは失わずにここに在る。
なれば魔物に心があり、意思があるのだということは、真実なのかも知れなかった。
「まあもっとも、先代の魔王の頃はそんな括りもなかった。
魔王軍なんて一握りの魔物たちで、あとは寄り合わせの軍隊だった」
ちゃぷ、ちゃぷ、と杖を突いて、スケルトンは悲しげに言う。
「現魔王の考えていることはよく分からん……。
『盤』の神々と事を構えて、一体何を得る気なのか?」
神々って何、どういうこと、と問うが、これは伝わらなかったらしく、スケルトンは静かに杖を突いていた。
ユイエルは前足をぺたりと顎に当てて考えた。
ミノタウロスが、魔王軍?
それがセレ・マトス皇国の人間と知っていたかはともかく、明らかに高貴な恰好の人間をさらう魔物が「魔王の配下」と言うのであれば、事態は少しばかりキナ臭い。
人々は魔物を意思あるものとして扱わないから、魔王も人間に害なす者、としか伝わっていないが、「軍」と名が付くくらいである。
そこに何者かの意図があって、何かしらの目的が存在するのは確かであろう。
「どちらにせよ、魔王も神々も、既に動き出した」
スケルトンはぽつりと呟いた。緑火がふんとせせら笑って、
「神々とか仰々しいこと言っちゃって。
結局『勇者』が死んでからが本番なんでしょ?」
「勇者!?」
思わず出た大声に、びりり、と周囲の木々が揺れた。
スケルトンは「急にどうした」と杖を引き寄せる。
「随分とまた、慌てた様子で」
選ばれし勇者、とは大仰な言い方であるが、勇者と言う以上シロムのことに違いない。
「もしかして勇者の知り合い? って、それはないか。
人間と話す機会なんて、無いもんね」
「そもそも話せもしないだろう。彼らは魔物の声を聞こうとはしない」
スケルトンは悲しそうに空を見た。
「勇者を礎に世界は回る。
同じ命じゃ、不憫に思うことこそあれ……考えても仕方の無いことじゃ」
神のお告げを聞いた占い師が示した勇者が、その使命に従い魔王を倒す――。
それがユイエルほか人々の知る、「勇者」の像である。
それが可能か不可能かなんて、誰も考えていない。
ああ良かった、勇者が倒してくれる、これで安心だと、胸をなでおろすだけである。
ユイエルも釣られて空を見る。
考えてみれば、「魔王討伐の旅」だなんてそれらしく呼ばれているが、シロムはただの剣士である。
それこそ、オルカジャック1匹に負けそうになるくらいには。
けれど「勇者」という肩書が付いたことで、魔王に勝てるはずだと、皆に送り出されている。
その奇妙さに、ユイエルの背中は粟立った。
なんと英雄に似合わない姿だろう。まるで犠牲になれと嘲笑っているようではないか。
空は俄かに白みだして、濃紺の雲の背に朝日が滲んでいた。
「朝だね」
と緑火が呟いた。
「帰ろう? もう眠くなっちゃった」
ちゃぷ、とランタンが揺れる。
そうするとやはり、緑火は静かになった。
だがランタンの灯り自体が消えるわけではなく、緑の炎は変わらず楽しそうに揺らめいている。
スケルトンはこつりと向きを変えて、それから思い出したように振り返った。
「ああ……名乗ってなかったな。ワシは『谷の案内人』」
ちゃぷ。
「ワタシはミリアリアだよー。
死者に会いたくなったら、また会う機会があるかもね?」
ちゃぷ。
「お前さんとは、また会うことになりそうじゃ。
外れてばかりのワシの勘が、そう言っておるわ」
スケルトンが再び茂みの向こうに消えるのを見守ってから、ユイエルは王都への道を下り始めた。
彼女は決めていた。
もしもこの生き返りに意味があって。
この図体に使い道があるとするのなら。
木々の向こうに王都の物見塔が見えてきて、ユイエルは立ち止まった。
これ以上進めば、見つかって厄介なことになる。
シロムはどうやら自分を殺す気を失っているようだが、一般に見れば、この身は人に害する魔物である。
多人数戦をこの身がこなせるかどうかに興味はあるが、王都の兵士団とそれをする程、無意味なこともないだろう。
悩んでいるうちにもどんどん日は昇り、そうして間の悪いことに、陽の光が葉の表裏を掻い潜ってユイエルの身を照らし出した。
まずい、と身をひねるが、敵襲を意味するラッパの音が物見塔に鳴り響く。
一度逃げるしかないか。
ぐずぐずしてはいられない、と立ち上がるが、その時、
「待ってください!」
と声が掛かった。
見ると、武装した兵士の一団の前に、紺の剣士服が飛び出した。
シロムだった。
そして、
「ジャック、こっちに来い」
などと毅然とした声で言うものだから、ユイエルは戸惑った。
どうした、何か悪いものでも食べた?
訝しりながらもシロムの傍に寄ると、彼は兵士に何かカードのようなものをかざして見せた。
何が書いてあるかは読み取れなかったが、ケースに収められたそれを見るなり兵士は剣を下ろして、
「なんだ、テイマーかよ」
とぶつくさ言った。
「自分の魔物なら、分かるように鎖でも繋いでおきたまえ」
「いや、すみません」
とシロムがへらりと笑うと、兵士たちは王都へと戻って行った。
「……久し振り」
と言っても、2日も経っていない。
「待っていてくれたんだね」
シロムはシロムで、思うところがあったのだろうか。
安堵したように、彼はその場にへたり込んだ。
「メリスが訊いてきたんだ」
シロムが手招きするので、ユイエルもその場に腰を下ろした。
「お前がもう、ここに居なかったら。どこかに行ってしまっていたら。
探すのかって、訊くんだよ」
ユイエルの滑らかな頭にこつんと額を当てて、シロムは低く笑った。
「はは。そんなの、考えるまでもなかったんだ」
くぐもった声が、少しばかり掠れてユイエルを捉えた。
「だから、お前が居てくれて良かった。ありがとう、ジャック」
ずるいなあ。
ユイエルはほんの少し力を入れて、シロムの頭を押し返した。
胸の奥がきゅうとしぼむのを隠したくて、まるで無邪気な獣のように尾を振った。
「守るよ」
通じないのを承知で、そう言った。
どうせ一度失った命である。
一度も二度も変わりはあるまい。
世にもおぞましきこの姿を、彼を守ることに使えたのなら。
こんなに嬉しいことはない。