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10.禁忌の国

10.禁忌の国


大通りに連なる店々は、恐らくストライプ柄であろうひさしを、めいめいに並べていた。

恐らくと述べたのは、それらが一様に、うっすらと雪を被っていたからである。


「初めて見た」と思わず呟くと、

「雪?」

スズが穏やかな目で振り向いた。

「スズも好きだよ、涼しいよね」

「……むしろ寒いけどな」

「不便だね、人間って」

彼女は肩をすくめた。

「服を着ないと、保温も出来ないなんて」

お前も着てるだろう、と言いたいのをぐっと堪える。

彼女のそれが飾りにしろ実用品にしろ、紳士たり得ない言い分である。


「なにも付いてくることなかったのに」

「いいでしょ。面白そうだもん、ふたりとも」

「ふたり?」

「ふたりだよ。初めて見る魔物だけど、優しそうだね?」

スズは羽を器用に畳んで、ユイエルの前にしゃがみ込んだ。

「仲良くしようよ」

真っ直ぐにユイエルを見る彼女は、まったく普通の子供のようだった。


ぐいと頭を寄せて挨拶してやるとくすぐったそうに身を寄せて、「可愛い」と笑った。

それから、可愛いか? と反射的に呟くシロムを横目に立ち上がって、

「それにしても」

通りを見回すスズ。

「静かだね?」


ユイエルにも気にはなっていた。

店が並び建物だけは賑わいある通りに人はまばらで、どこか恐ろしそうに、遠巻きにこちらを見ているようだった。



手近な商店に顔を入れて、

「すみません」

と呼びかける。

すると「はあい」と声がして、やはり怯えたように店主が応えた。

「おたくら、魔王軍?」

とぶしつけに訊くので、シロムは思わずスズと顔を見合わせる。


布1枚の外套(ポンチョ)を被った彼女は羽も足もすっぽりと隠して、ほぼ人間と変わりない。

それでも尖った耳や大きな目は人間離れしているから、よくよく見たなら、確かに魔物に違いなかった。

だいたい、ユイエルもいる。

だがそれにしたって、

「魔物連れだからって魔王軍ってのは乱暴じゃないか?」

ただのテイマーだ、とシロムが笑う。


店主は恐ろしげに首を竦めたまま、

「よく入れましたね……セレ・マトスに魔物連れでなんて」

「珍しいのか?」

「珍しいというか……」

「この国で、女神は禁忌だから」

と後を継いだのはスズである。


「それとこれと、何の関係があるんだよ」

尋ねると、

「知らないの?」

と呆れるように返ってきた。

「女神教は、魔物を許容するんだ。

 だからそれを許せない国が禁忌にする。ね? おじさん」

スズが人懐っこく身を乗り出すと、大袈裟に一歩下がられる。


「なら良いですけどね……

 魔王軍相手に商売しただなんて言われたら、どんな目にあうか」

「誰に?」

「ほうら、おいでなすった」


呆然と店の外を見つめて、店主が言う。

「出たら駄目ですよ」

釣られて外を見る一行にそう言って、

「まだ命が惜しいならね……私も、あなた方も」



セレ・マトスの大通りには浅い雪が降り続いて、辺りの音を吸い込んでいた。

通りに面した店にも家にも物音はなく、軒先の植木鉢には地域特有の青い低木が並んでいる。


そんな通りをがしゃり、がしゃり、と、大仰な音と共に大男が歩いて来た。

銀に金縁の鎧はひどく立派な装備であるが、男の体格に大きく負けて、おもちゃの騎士のようである。


ユイエルには見覚えがあった。


あれは確かに「神の領域」に居た男である。

ナイト。

そう呼ばれていた。


リアルの街中で見るナイトは、身長2mくらいの大男に見えた。

がちゃがちゃ鳴る鎧は相変わらずだが、だだ広い「神の領域」と違って、常識的な人間のサイズ感に収まっている。


ナイトはシロムたちの居る店の少し先で立ち止まって、通りの向こう側をすいと見た。

すると、向かいの店先の店員が、その時たまたま外へ出た。

何か品物でも切らしたのか、やけに慌てた様子である。


彼はきっと、ナイトが居ることを知らなかったのだろう。

でなければ、この国の民がこんなタイミングで出掛けるはずもなかった。

鎧の音を聞き損ねたか。

何にしても、これ以上の不幸は無い。


果たして哀れ不幸な男は、通りでナイトと鉢合わせた。

あ、しまった、というように、彼の目がきゅっと細まった。


次の瞬間。

男の首がごとりと地に落ちた。

浅い雪が跳ねて、赤く染まった石畳が晒された。


悲鳴は無かった。

ただ雪に吸い込まれるままに、静寂がその場に残された。


「礼儀がなっとらんな」

ナイトは言った。

男を切り捨てた自らの剣を、そしてすらりと腰に戻した。


雪模様とは言え辺りはまだ昼間であるのに、ナイトの金の瞳は夜の月のように煌々と光っていた。

まるでそれだけが、世界で唯一の光源であるかのように。


蒼白になって動けずにいる店主をぼんやりと見上げて、ユイエルは思った。


ーーなるほど。これが神を名乗るものか。


人間ひとり斬り殺すのに、一瞬の躊躇も無かった。

それは肩の雪を払うのと、一体何が違ったのだろう。



通りに運悪く居合わせた何人かの人々は、その場にうずくまって顔を伏せていた。

こんな場面にはお決まりの、悲鳴も騒ぎもひとつもなかった。

目を付けられれば、次は自分だと。

恐らくその場の全員が理解していた。


ユイエルもその場に留まった。

ひとりであれば飛び出して自らの頑強さを確かめてみたかも知れないが、シロムや店主を巻き込むわけには行かないのも、また事実なのだった。


だが代わりに、通りを同じように歩いてきた男が、

「ごきげんよう、ナイト卿」

と声を上げた。

こちらは大男とは随分違って、すらりと背の高い、金髪の青年である。


「これはこれは」

ナイトは何故か嬉しそうに彼を見た。

「こんな所で、何を?」

「それはこちらの言葉だ」

青年はわざとらしく溜息を吐いた。

「我が国民が、何か失礼を働きましたかな?

 あまり悪戯に剣を抜かれると、騎士道に反しはしないのかと、心配になりますが」


「はは、叔父上とは随分と違う物言いだ。

 本当に血が繋がっているのかな? リファス殿は」

「何を今更」

青年は大きく手を広げた。


「貴公に疑う余地は無いはずだ。貴公と叔父上の仲ならね。

 叔父上ーーつまりもちろん、セレ・マトス国皇陛下のことだが」


身動きひとつしない他の人々とは対照的に、その場を支配する自信に満ちて、不敵に笑っている。


リファスってさ、とシロムは不意に呟いた。

「メリスが言っていたよな」

ユイエルが見上げる。

「リファス兄さま……って」

メリスの姉が皇国皇女であるのなら、兄もまた皇国皇子に違いない。


なるほど言われてみれば、通りの青年リファスは皇女ソフィアによく似ていた。

柔らかそうな金髪に整った顔付きが、雪国らしい色白の肌でまとめられている。

メリスにも似ていると思うのは、先入観故の贔屓目に違いないが。


果たして彼は、こう名乗った。

「このリファス・グリルオール・ルイス。

 実利はどうはどうであれ、少なくとも私と貴公は対等のはずだ。違うかい?」

「なるほど、違いはしないな」

ナイトはふん、と鼻を鳴らして、

「貴殿の言う通り、実利はどうであれ、な」

「ご理解頂けたのなら、この場はお引き取り願いたいね。

 私の顔を立てるためにね」

「生意気な言い草だが、良いだろう。

 我も忙しい身でね」


そうしてナイトが立ち去って、すっかりその背中が見えなくなってから、

「叔父上も馬鹿な真似をしたものだ」

とリファスは吐き捨てた。

「神と取引?

 馬鹿馬鹿しい…あんなもの、魔物と同じごろつきだ」


それから傍の、首の無い屍の前に膝を付いて、

「どうか安らかに。

 来世はせいぜい、自由な鳥にでも成れると良いな」


「殿下…汚れますから」と近寄ってきた近衛兵らしき兵士に促されて、リファスもまたその場を立ち去った。


直前、ユイエルは一歩踏み出しかけたが、

「やめた方が良いよ」

とスズが諌めた。

「ここは禁忌の国…ましてやその皇族なんて。

 魔物を愛してはくれないよ?」


どこで息を潜めていたのか、通りには民たちがわらわらと現れて、諸々の後処理に追われていた。

すなわち屍の身元を改めたり、掃除をしたりと、そういうことである。

彼らの手慣れた様子は、どうやらそれが日常であるらしいことを、如実に表していた。


ユイエルは空を仰いだ。

「神の領域」がどこにあるのかは知らないし、天空にあるような高尚なものだとは思えなかったが。


魔物と一緒だよ。

タマもそう言っていた。それを思い出していた。




それから幾日。


セレ・マトスの日々は、忙しく過ぎていった。

ギルドの剣士というのは意外にも事務仕事に追われる職業で、倒した魔物とクエストを照らし合わせたりするのに、時間はいくらでも必要だった。


ただもちろん、そんなのはシロムだけの仕事である。

ユイエルはひどく退屈していた。


この国ときたらあらゆる店も宿も当然のように魔物禁止を掲げていて、ギルドにすら立ち入ることを望まれなかった。

だから馬房のある宿をようやく見つけて、そこに身を寄せていた。


そうすると困ったことに、一切の外出が出来ないのである。

馬車も引かず人も乗せない馬が出歩かないのと同じで、この国での魔物の身は、ひどく不便であった。



だから、出掛けるのなら夜しかなかった。

月の無い雪の夜。

静かでしんしんと暗く、何の気配もしない夜。


ユイエルは硬い木塀と鉄柵で囲まれた馬房をひょいと乗り越えて、通りへ出た。


行き先は決めていた。

雪の向こうにうっすらと見える三角屋根のシルエットは、城たる何かに違いなかった。


なるべく影の濃い建物の裏を選んで近づいて行くと、思いのほかシルエットの存在は近く、そして大きいらしかった。

最後にぐねぐねと曲がりくねる坂道を残して、眼前にセレ・マトスの城が建っていた。


王都をはじめ他の城々は、武骨な傷痕で過去の戦の記憶を物語るのに、セレ・マトスの城はまったく童話の顕現のように、白く美しい外見であった。


ユイエルはその場で息を吐いた。

歴史家ではないから、この北国の歴史は知らない。

それでもこの国がきっと穏やかな生い立ちであったことは、想像に難くなかった。



坂道には見張の兵士が絶えず行き来して、猫の子一匹、キマイラ一匹通すまいという様相である。

だがユイエルには、黒くなめらかな己の身を信じていた。

こんな仄暗い夜であれば、いくらランタンで照らそうとも、草葉に伏せたオルカジャックなど、探せるはずもなかった。


果たして難なく、彼女は城の塀前に辿り着いた。

「寒いなあ、今日は」

という呑気な誰かの声が、塀の中で聞こえている。


ユイエルはその声を避けるようにぐるりと距離を取ってから、思い切って塀に飛びかかった。

5、6メートルはあろうかという塀の7合目に爪を引っ掛けて、後ろの4本の足でえいと体を持ち上げる。

そうするとちょうど前足が塀の頭に届いて、それにぶら下がるような格好になった。


逡巡悩んでから、ひょいと頭を出してみる。

塀の中には誰も居なかった。


刈り揃えられた芝生と花壇の連なりが、ここもやはり厚い雪に覆われていた。

飛び降りると、ぐしゃりと霜の割れる音がした。

肝を冷やすが、気配は相変わらず、無い。


ユイエルはヒレの前足を持ち上げて、残り4本の足跡を付けながら、その庭園か何かを進んで行った。

雪が降り続けるので、振り返ってもしばらくすれば消えてしまう跡である。



やがて、光の漏れ出す大窓の前へと行き当たった。

同じ要領で飛び付いて窓枠にぶら下がってみると、中から僅かに声がするようだ。

その声は曖昧である。


ええい、女は度胸だと腹をくくって、窓のガラス部分を押してみる。

きい、と聞こえない程の小さな軋みと共に、窓は開いた。

再び中から見えないように頭を下げて、ユイエルは耳を澄ませた。


「君らしくもない、思い切ったことをしたものだ」

リファスが言った。

声は空洞に飛んで反響している。

たまさか玉座の間を突き止めたわけではなくて、大広間とか廊下とか、そんな場所のようだ。


「王都へ行くと言うから、何かと思ったが。

 魔王の陣営など加わって、何の得がある?」

「彼は神と戦うつもりです。ならばいずれ、ナイト卿も出てくるでしょう?

 あの者の振舞いは、余りにも暴虐です……

 乗じて倒すには、またとない機会ですわ」

応えた皇女ソフィアの声に、ユイエルは思わず頭を上げた。

窓は太い柱の影になって、彼らの姿を見ることは出来なかった。

もっともそれは、あちらからも見えないということで、良いことに違いない。


「確かにかの神はこの地を守ってくれました。

 そうでなければ、とうに魔物の住処になっていたでしょう……

 けれど、それももう、終わりにしなければ」

「魔王と組んで神を倒して。それで、どうする?

 今度はその牙が、こちらに向くだけだろう」

「兄さま……戦うだけの時代は終わるのです。

 終わらせなければ。そうではなくて?」

「夢物語だ」

リファスは声を荒げた。


「叔父上も初めはそうだったのだろう。

 魔物からこの国を守るために、ナイト卿と盟約を交わした。

 協力し、戦うことを誓うと。

 その結果がどうだ?

 民を悪戯に失い、あげく、己の命を取り上げられたではないか!」

「兄さま!」と、ソフィアの声が悲鳴になった。

「こんな場所で……」

「ふん……いずれ隠してはおけなくなる。

 “現”国皇陛下が我らが神ーーナイト卿に殺されて、とっくに居ないことなどな!」


微かな反響の後。しん、とその場は静まり返った。


やがて息を吐いて、「すまない」と呟いたのはリファスである。

「王都への道中は危険もあったと聞く。

 まあ……無事で良かった」

「ああ、それは。メリスのおかげです」

「あの子は?」

「もう城には戻っています。ええと……その。

 彼女はとても怒っていて。

 まともな話は出来ていないのですが」

「自業自得……と、俺の言えた義理じゃないか」


リファスは声色を緩めて、

「勇者の存在は聞いた。

 人間ひとり犠牲にして、魔王と組む大義名分を得るつもりなのか?

 随分と強行な手段を取ったものだ」

誰に似たんだか…と言い結ぶと、もの言いたげな沈黙があとに続く。



ユイエルはまた、きいと窓を押した。

今度こそ彼らに聞こえるほどの音が鳴って、誰か居るのか、と硬い声が返ってきた。


滑り込んで、ユイエルは大きな廊下の中央に歩み出た。

なるほどそこには先日のリファスと、いつか遠目に見たソフィアが並んで立っていた。


リファスは反射的に腰の剣に手を置いて、妹を背後に庇った。


ユイエルは慎重に、一歩を踏み出した。

赤い瞳が、真っ直ぐに彼らを捉えていた。




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