ツイ廃、船に乗る
「船……ですか?」
トワに黒い液体──封魔液をぶっかけた翌日。領主代行のトワの叔父、ゼインは、昼食の席にトワを呼ぶと、食事が始まって早々に「船に乗れ」と切り出した。フォークに刺した芋を口の前まで持ってきて止まったトワは、慎重に問い返す。
「そうだ。すでに手配している」
一方でゼインの叔父様はパクパクと料理を口に運びながら言った。
「情報魔法のことは、情報魔法の専門家に任せればよい。ハイジェンス大学にお前の師匠がいるのだろう? それに調べさせるため、船に乗って行け」
『大学の研究者も、ソレ扱いか』
『情報魔法の研究しているなど、奇人変人の扱いなのであります』
まあ確かに熱線が出せるような世界で、翻訳とか短距離のテレパシー程度じゃ重用されないだろうな。こうやってこっそり会話できて便利なのになあ。
「ハイジェンス大学……ササ領行きの船ですか? 魔獣のため航路は封鎖されているはずでは」
「たかが魔獣に、何年も手をこまねいているわけにはいかん」
ゼインは声を大きくする。
「ヤツのせいで交易も漁もままならぬ。特に運輸だ。大量の物資を運ぶのに陸路など使っていられん。船を使わなければ、このままでは我がマツニオン領が干上がってしまうわ」
『ここ、マツニオン領って言うんだ?』
『言ってなかったですね。あとで地図をご覧にいれましょう』
しかし、どうやら考えていた以上にこの領地はピンチっぽい。
「他の領に先立ち、我らこそが魔獣を、かのダイモクジラを討たねばならん」
ダイモクジラって言うのか、魔獣。そういや名前まで聞いてなかった。……でっかい、藻がついてるクジラ……なんだろうな、画像もそんな感じだったし。
『マツニオン領が退治しないといけないのか?』
『影響が大きいのは事実でありますが、困っているのは内海に面するすべての領地であります。……叔父様としては、父が不在の間に功績を上げたいのだと思います』
なるほどね。兄弟間の権力闘争か。
「それでは、魔獣討伐の準備ができたと?」
「そうだ。まずは内海の出口に網を張る。ヒョウツ領のシモンセイクまで届く巨大な網をな」
ゼインは得意そうに唇を曲げる。
「それから多数の船で追い込んで仕留める。そういう計画だ」
「内海の出口を横断するような網を……」
「作らせていたのだ。この間ようやくすべてそろってな」
『物量で押す作戦? 行けるのか?』
『ダイモクジラも網は避けて泳ぐそうですから、避ける場所がなければあるいは?』
脳筋的な回答だが、時にはそういうパワープレイでないと解決できない場合もあるし、悪くなさそうだな。
「では魔獣を討伐し、その後に船で行くと」
「そんな余裕が貴様にあると思っているのか!」
轟、と。ゼインが吠え、トワが身をすくめる。
「追い込み、仕留めるには時間がかかる。それを待つ時間はお前にはない。よいか。今お前とワイス家の末子との婚姻の話を進めている最中なのだ」
「それは……そうだったのですね」
『知ってる相手?』
『いえ。しかしワイス家といえばこのマツニオン領の東、ウバラ領の高名な騎士の家。それほどの家であれば、エスリッジ家の名誉を保つこともできるでしょう』
騎士も貴族だったっけ? なるほどね。
『父様も自分の結婚相手を探すのは苦労していましたが、叔父様は最上の相手を見つけてきたと言えます。……魔力のない相手と結婚したい貴族など、考えられませんので』
ゴリ押しの方がそういうのって上手くいくかもしれないな。お見合い相手を探すおばちゃんみたいに。いや、ゼインがゴリ押したのかどうかは知らんけど。
『でも変な相手だったら嫌じゃね?』
『わはは。こんなブサイクの変人と結婚してくれるだけありがたいことであります』
『かわいいと思うけど』
「ふェ!?」
あ、やっべ。なんか漏れた。
「何だ!」
「な、なんでもありません」
『悪い。小動物的なかわいさがあるって言いたかった』
『か、勘弁してほしいのであります』
うわ、ゼインがめっちゃ俺を睨んでる。まあ、疑うよなそりゃ。
「とにかく、近々顔合わせする予定だ。その時、余計なモノがついていては困る」
「……そうですね」
余計なモノもそう思います。
「明日、内海の出口に網を張るため、船を出す。それに乗れ。どうせシモンセイクまで行くのだ、ササ領に寄り道するぐらい大したことではない。魔獣は今日、レントーカからミカリオへ向かったのが目撃されている。この機を逃す手はない。わかるな?」
地理が分からんが、たぶんここより遠いところ、反対方向へ向かっているのだろう。
「護衛にはフリード・フロウをつける。今日のうちに港まで行け」
◇ ◇ ◇
あわただしく出立の準備をし、トワとロレッタ、そして護衛の騎士フリードは城を出た。トワは馬に乗って、フリードがその馬を引く形だ。……馬に乗らないのに騎士? 俺の認識の問題か?
俺? 俺はトワの後ろで馬に乗るフリだよ。馬にぴったり張り付いて歩くフリするのも面倒だし、足が止まったら映像だってバレそうだからさ。いやあ、実際はしてないけど乗馬してる気分になるな。写真撮ってつぶやきてえなあ……。
しかし初めて街の外に出たけど、あの街っていわゆる城郭都市っていうやつではなかったらしい。城にはぐるっと囲うように壁があったけど、街にはない。何か建物がまばらになってきたなあ、畑が増えてきたなあ……と思ったらすでに街の外だった、という感じだ。
「これがナイアット全土の地図であります」
そんなわけで、トワは馬の上で地図を広げて俺に見せている。ローマ字のCの開いた方を下側にしたような感じの国土だな。
「マツニオン領はここ。城があるのがトナミナウの街で、これから向かう港町がタイタ」
Cの右側の足の部分の半島を指す。
「反対側がヒョウツ領で、ここにあるのがシモンセイクの街」
Cの左側の足の部分がヒョウツね。
「普段なら頻繁に船が行き来して交易している相手であります」
「船で2日だったか。よくそんな距離に網を仕掛けようと思ったな」
まあそれだけ困っていて、本気だということだろう。
「ところで、ナイアットの首都みたいなのはどこなんだ?」
「中心、ですか。大領地のトゥドか、神子様の住まうヤコクになりますが……まず、マツニオンがここで、トゥドがここ」
Cの内側の海岸線を沿って北上する。トゥド領はお隣さんか。
「トゥドは大きな川がたくさんある大平原に位置する領地で、多くの人が集まっているのであります。ナイアット全土の方針をヴァリア家が決めているので、各領地から代表者が滞在しておりますね」
しばらく説明を聞くと、どうやら参勤交代のような仕組みっぽい。
「今はトワの親父さんが滞在してるのか」
「ええ。……向こうで体調を崩してしまい、ここ数年はトゥドで療養しています」
それで領主代行のゼインが、領地を仕切ってるわけか。
「長いな、病気なのか?」
「肺を患っていまして」
「魔法で治んないの?」
「傷を治す魔法はあっても、病気は治らないのでありますよ」
「……そうか」
魔法もそう便利にはいかないようだ。トワは少し寂しそうな顔をして──ぷるぷると頭を振って地図に向き直る。
「トゥドからさらに北上するとマギサ、レントーカ。そして西のレイネの山を越えるとミカリオ領……──」
内側の海岸線をなぞって反対側へ。ちらほらと地名が上がる。
「──……で、ヒョウツ領の北にある大きな島、その内海側にあるのがササ領でありますな」
「こりゃ陸路は大変そうだな」
どうも平地が少ない大陸らしく、トワのなぞった道筋は海岸線が多かった。
……いや、横断に徒歩で一カ月かからない土地を大陸っていうのもどうかと思うけど、そう言ってるし。この世界ではそういうものかもしれん。うん。
「あー、トワはササ領の他に、どこに行ったことがある?」
「いえ、他には行ったことはないですね。レイネの山の温泉など、一度は行ってみたいものですが」
「ふーん、温泉があるのか……」
しかし旅行は大変そうだな。基本は徒歩だろ? この道も全然整地されてないし、足で踏み固めただけでデコボコしてて歩きづらそう。大八車みたいのを引いてる人もいたけど大変そうだった。
「そうだ、あんたはどうなんだ? 演習とかで他の領地に行ったりするのか?」
「………」
馬を引く細身の騎士、フリードの背中に問いかけると──フリードは力なく振り返った。
「どうかご容赦ください。エスリッジ家に仕える身としては、問われれば答えないわけにはいかなかったのです」
『え、なんで急に謝ってきてるんだ?』
『ヤス殿のことを叔父様に話したことだと思いますよ』
『……ああ。そんなの気にしてるんだ?』
『フリード殿は真面目でありますからね~』
トワとゼインの間で板挟みって感じか。
「フリード殿、自分は気にしていないのであります。ね、ヤス殿?」
「ああ。そんなことより少人数で大丈夫なのかな、ってことの方が気になってるよ」
仮にもお姫様なのに、同行者はこれだけだ。あと騎士ってわりに軽装だよな……鎧って着ないのかな?
「仕方ないでしょう。あなたの存在を、これ以上広めるわけにはいきません」
「アッハイ」
後ろから冷たい声でロレッタに突っ込まれて気づく。そりゃそうか。
「てことで、一番後ろめたいのは俺っぽいから、気にしないでくれよ」
「そうおっしゃっていただけると……助かります」
ホッと息を吐いたフリードは、ようやく会話に普通に参加した。
「他の領地ですか。演習でウバラ領に、ネモ様に同行してトゥドには行ったことがありますが、他はまだ。ササ領も初めてです」
「ネモって?」
「父様のことであります」
トゥド領で療養してるトワの父ちゃんか。
「ロレッタはどうよ?」
馬の後を追うロレッタは、しばらくこちらを見て、ため息を一つ。
「……姫様に同行してササ領まで。いつか長い休みをいただきましたら、レイネの山の温泉には行きたいですね。神子様の住まう大神殿にも行ってみたいものですが……」
「護衛が必要でしたら申しつけください」
「いえ、騎士様の手を煩わせるわけには」
「御婦人を守るのは騎士の本分です」
『お? トワ君、これはそういうことかね?』
『そういうことでありますよ、ヤス殿』
身分違いの申し出をしているフリードを見て、俺とトワはニヤニヤとする。いやあ、これでつぶやけたら最高なんだけどな……指先が寂しいぜ。
「ではいつか、みんなで温泉に行けるといいでありますね。フリード殿に護衛してもらって。ね、ロレッタ?」
「姫様が行かれるなら……そうですね」
ロレッタが頷くと、フリードがこっそりと拳を握っていた。じっとそれを見ると、気づいたフリードはわざとらしく咳払いする。
「さあ、日の暮れないうちに急ぎましょう」
そんなフリードの様子に、俺とトワはニヤニヤしながら馬に揺られる。海が見えてきたのは、ちょうど夕日で海が赤く染まる頃だった。
◇ ◇ ◇
「潮風が気持ちいいでありますね~!」
甲板でトワが、潮風にもさもさヘアをなびかせながら言う。青い空、青い海、吹き付ける風。実体があったらさぞ気持ちいことだろう。──いや。
「酔ってるやつらもいるけどな」
ロレッタとフリードが、そろってダウンして手すりにつかまってぐったりしていた。仲がいいことで何よりだ。……俺もあれの仲間入りをしていた可能性もあるんだよな。実体がなくてよかったわ。
「ロレッタはいつもああなのであります。せっかくクーフの山もあんなにきれいに見えるのに!」
「ナイアットで一番高い山だったか」
水平線から茶色い山の三角形が見える。他の地形は見えないところを見ると、かなりの高さがありそうだな。
「であります。港からも見えたでしょう?」
「ああ」
……港はヤバかったな。全然活気がなかった。近海で漁はやってるみたいだが、どう見たってそんな漁村みたいな規模の港じゃない。人通りも少なかったし、道は汚れてたし……魔獣による経済的な被害はかなり深刻そうだ。
「ですが船の上から見るクーフ山は、また違う趣があるでしょう!」
「あのふたり、そういう違いが汲み取れる状態にはなさそうだな」
「まったく、情けないのであります」
トワは腰に手を当てて、ノックダウンしている二人を見ながらフンッと息を吐く。
……威勢のいいこと言ってるけど、トワはトワで、昨日の夜は馬に揺られたケツを冷やすのに苦労してたんだよなあ。いやあ、引きこもりに乗馬って辛いらしいわ。俺は実体がないからノーダメージだけど。
ケツの現状? さすがに朝一で治癒魔法の使い手に処置してもらってたよ。外傷に関しては結構簡単に治る世界みたいだな。
「まあ、二人とも1泊2日の辛抱でありますよ」
「順調にいけば、なんだろ?」
俺は船を見渡して……心の声に切り替える。
『なんかちょっと不安なんだよな』
『なんででありますか?』
『軍船には風魔法が得意な騎士がつくって聞いてたけど』
港に用意されていたのは帆が一枚の帆船だった。
『これはただの漁船で、運行するのもただの漁師たちなんだろ?』
『内海で凪が起こることはほとんどないですし、今回は網を張るだけで、戦闘はしない予定ですから。網を張るのは漁師の仕事ですし、不自然なことではないと思いますが』
『網の量もあれで足りるのかね?』
船に山ほど積み込んでいるし、なんなら曳航している小舟にも積んでいるのだが……足りるのかな?
『自分もわかりませんが、専門家が計算しているので問題ないと思いますよ。しばらくして沖に出たら、設置も始まるはずであります』
『そう聞いてはいるけどさ』
『何が心配なのでありますか?』
『いくら時間がないからって、姫様を魔獣に襲われる可能性があるのに船に乗せるのか? って』
魔獣、ダイモクジラは1日で内海を横断するという。昨日西の端にいたからといって、今日ここに来ない保証はないはずだ。
『叔父様の意図としては、自分に箔をつける意味もあるのかと思いますよ。ダイモクジラ討伐の作戦の先駆けを担った……となれば、いくらかは評価されるでしょう』
なるほど。物騒な嫁入り道具だな。
『ダイモクジラって、どんな感じで船を襲うんだ?』
『急に海が緑に染まると大波がおき、船が転覆して海に落ちた人間を食らう……との噂ですね』
『おっかないな』
『その割に水死体が岸に上がることが多いそうなので、実は小食なのかもしれません』
食われて死ぬのと溺れて死ぬのの二択か……どっちも嫌だわ。
『まあまあ、いざとなればフリード殿がいるでありますよ』
『あいつが?』
『風魔法の魔力量はなかなかのものと聞いております。きっとダイモクジラからも逃げきれますとも』
なるほど。だから他に騎士を用意しなかったのかな?
俺たちはフリードの方に目を向けて──
「ウッ……オロロロロ……──」
あ、ちょうど吐いてる。汚ね。……ああ、でも水魔法で口をすすげるから、その辺は清潔か?
「……まあ、何事もないといいな」
とりあえずは、退屈に耐えられるかどうかが心配だ。何も変わり映えのしない海の景色にそろそろ飽きてきたし。
何事もないのは、それはそれで困るんだよなあ……ここにスマホとTwitterがあれば……はぁ。
明日も更新します。