ナナさんの平凡な一日
現地人視点です。
【ナナ・バズデリックの記録】
からーん、からーん、と教会の鐘が鳴る。
「むにゃ……」
私はなんとか目を開いて……窓の外がそんなに明るくないことにホッとする。よかった、夜明けを告げる一の鐘だ。
「もっと起きやすい鐘の音にしてくれたらいいのにな~」
それはもうジャンジャンバリバリと鳴らして欲しい。私が目を覚ますまで鳴りやまないで欲しい。今日みたいにすんなり起きれる日ばかりじゃないのだから。
ベッドから抜け出し、トイレに行って用を足し──家の裏で両手をお椀の形にする。
「ムッ」
集中。思わず声が出てしまうのは、チャーミングなクセだと思う。水魔法で水を出して顔を洗った。冷たーい。
寝間着から着替えたら、お母さんを手伝って朝食の準備。小麦粉に水魔法で水を加えて練る……魔力の調整が大事なポイント。初めの頃はパンにならなかったなあ。
通りで火種売りがあげる声を聞いて、硬貨を握りしめて飛び出る。うちは火魔法を使える人がいないから、火種を買うしかないんだよね。火種を貰ってかまどへ。よしよし、ちゃんとついた。昨日の野菜のスープを温めて、と。
「いただきまーす」
お父さんお母さん、それからちょっと年の離れた弟。家族そろって食事。パンと野菜のスープ。
『夜はお魚が食べたいなあ』
『魔獣のせいで今は高いからねえ……』
木製のスプーンを咥えつつお母さんに心の声で訴えてみるも、芳しくない返事。そうは言っても2年も経つんだし……領主様はなんとかして欲しいなあ。
ちなみに心の声を使ったのは、別に食べながらしゃべったら汚いからっていうわけじゃなくて、お父さんに聞かせないためだよ。稼ぎが少ないって責めるわけじゃないんだけどね。
「ごちそうさま。さあ、お仕事の準備しよう」
それに私だって働いてるんだからね。なんたって、あの天下のナイム商会! ……の、マツニオン領トナミナウ支店の下働きだけど。
身だしなみを整え、バッグにお弁当を詰めて。
「ほら、行くよ。行ってきまーす」
弟を連れて家から出る。みんな似たようなスケジュールで動いてるから、この時間は道も混む。弟の手を引いて、まずは教会へ。
「司祭様、おはようございます」
「はい、おはようございます」
「しっかり勉強してくるんだよ」
教会の入り口に立っている司祭様に弟を引き渡そうとして……なんか動いてくれない。
「どうしたの?」
「勉強したくない」
「ええ、どうして?」
「だって、勉強しなくても言葉は分かるし、数も分かるもん」
あーあー、そういうことね。よくある話だ。
「あのね、いくら神様が情報魔法を授けてくれていても、自分の知識が増えないと難しいお話は分からないんだよ。計算だって、複雑なものはちゃんとやり方を知らないとできないんだから」
情報魔法のおかげで私たちは言葉を使って意思疎通できる。けど、難しい言葉は知識がなければあいまいにしか分からない。勉強は大切なのだ……といって、子供が素直に納得できるわけでもなく。
「それでは、今日は少し難しい問題を出してみましょう。それが解ければ、お姉さんも考え直してくれるのでは?」
「そうする!」
司祭様が助け舟を出してくれる。弟は得意げな顔をし……司祭様はこっそりとウインクした。よし、司祭様、やっちゃってください。
「それじゃあ、お願いします」
今度こそ弟を教会に任せて、商会の店舗に向かう。
「おはようございます!」
「はい、おはよう。じゃ、在庫のチェックよろしく」
どん、と紙の束を渡される。まずは店頭在庫のチェックから。朝はね、基本的に盗まれていないかどうかのチェックで済むから楽。店を閉めた後の在庫の移動は、ちゃんと書類が残っているから……あれ、この数合わないなあ……書類は……?
「あのー、ここの書類がないと思うんですけど」
「ああ……えっと、これか。はい」
うわ、文字汚い。情報魔法のおかげで読めるけど、文字が汚いと能力も疑っちゃうよね。……うん、合ってる、よかった。ペンにインクをつけて記録して……と。
「終わりました。問題なかったです。それじゃあ御用聞きに……」
「あー、ちょっと待ってくれる?」
「あッ、は、はい!」
びっくりした。店長のハイラムさんから声をかけられる。
「昨日忙しくて聞けなかったからねえ。さて、お城の様子はどうだった?」
そういえば昨日、お城で変わったことがあったら報告するようにって言われてたんだった。でも。
「ええっと……特にはなかったと思いますけど」
「ほう。……まあ、引き続きよろしく。些細なことでも構わないから」
「は、はい……それじゃあ行ってきます」
うー、あの糸目で何を考えてるのか分からなくて、ちょっと苦手なんだよね。でもすごい発明家で、ナイム商会の跡取り候補って言われてる人なんだから、ここで顔を売っておかないと!
「それじゃ、御用聞きに行ってきます!」
メモを持って出発。まず向かう所は、お城だ。
「おはようございます、ナイム商会です。御用聞きに伺いました」
「おはよう、いつもご苦労さん」
騎士様に挨拶して、使用人用の門を通してもらう。お城に勤める使用人さんたちが集まってきて、いろいろと注文をし始める。
「ナナちゃん、肉を仕入れたいんだが、いいのはあるかな? ゼイン様が急にねえ、肉がいいと言い出して……」
「今朝は仕入れたって話は聞いていないですね。確認してまた伺います」
「ロウソクが切れそうなんだ」
「在庫があったはずです。お持ちしますね」
お肉はいつでも手に入るわけじゃないから、ちょっとお店まで戻らないと分からない。ロウソクはたぶん大丈夫……他の所と注文がかぶっても、エスリッジ家を優先しない理由なんてないし。
「布をいくつか見繕ってほしくて……」
「針と糸が……」
「はい、はい」
メモメモ。終わるまで待ってもらうのが申し訳ないけど、メモを忘れる方が大変だからね。
「ナナさん、おはようございます」
「あっ、おはようございます、ロレッタさん」
メイドのロレッタさんに挨拶される。美人で優しいロレッタさんは、お城勤めなんて鼻にかけずに対応してくれて嬉しい。
「先日は助かりました」
「いえいえ、ロレッタさんの頼みなら! ……でも、あんな大きな仕切り板なんて何に使ったんですか?」
3日前のこと。ロレッタさんから至急の依頼ということで、自立できる仕切り板を用意したんだよね。ドアよりちょっと小さめぐらいで、立たせないといけないから、大工さんに依頼して作ってもらった。しかも二つも。
「運び込むのもお一人で大変そうでしたけど……」
「それはトイレ……いえ……なんでもありません」
ロレッタさんはため息を吐く。う~ん、お城勤めも大変そう。
「何かご注文はありますか?」
「そうですね……石鹸が足りなくなるかもしれないので……」
「はい、いつものをですね? いくつでしょうか」
「そうですね──」
ロレッタさんは途中で止まる。
「……はぁ。ええと、匂い付きのものをいくつか見繕ってください」
「えっ。いつもの安いやつじゃなくていいんですか?」
「はい。私は無意味だと思うのですが……」
「そ、そうですか。わかりました」
……ロレッタさんも気になる人ができたのかな? いい匂いのやつ選んで行こう!
あっ……これも報告対象なのかな? うーん、ハイラムさん、ロレッタさんのことが気になっているとか……? よくわかんないけど、一応報告しておこう。
その後は、他の貴族様の家も回って、お店に戻る。そして在庫のチェック。うーん、在庫の一覧とか持ち出せれば、もっと効率よくなるんだけどなあ。外に出るのは私だけじゃないし、そのために写すのは現実的じゃないし。
とりあえずお肉の件は担当者に引継ぎ、その他の商品の確保をして、お昼休憩。お弁当に持ってきたパンと蒸かし芋。屋台に食べに行きたいけど、節約も大事だよね。ちょっと固いパンを水魔法で流し込んで、さあ次の仕事だ。
午前中に受けた注文を、今度は荷運びの男の人と一緒に届けに行く。この人はいざという時は荒事もこなせる……お金を持ち運びするから、護衛も兼ねてるんだよね。
ちょっと楽しみなのはロレッタさんの石鹸選び! ロレッタさんが好きそうなのを選んだんだよね。どれを買ってくれるかな?
……ってワクワクしながら行ったら、ロレッタさんは不在だった。なんでも、急に港町のタイタまで行くことになって、先ほど出発したんだって。
知ってたらお昼を後にして来たんだけどな……仕方ない。他のお仕事を頑張ろう!
ということで貴族様の家を回り、商品を届け、硬貨で支払いを受けて、重くなった硬貨袋を持ってお店に帰る。売れ残りを在庫に戻して、売り上げを記録して……はー、店舗勤めになりたいなあ。そうしたら常に在庫が分かるのに。
それにしても、魔獣の影響は大きい。2年前の記録と比べると明らかに流通量が減ってるよね。細かいことまではよく分からないけど……前は持ち帰る硬貨袋ももっと重かった気がする。
そんなことを考えながら他のお店から移動してきた在庫とか、新しく仕入れたものとかを処理してるとあっという間に日が暮れる。お仕事終了だ。
「ナナ。城に関して報告はありますか?」
「あっ、ハイラムさん。ええと……」
ハイラムさんにロレッタさんのことを報告する。港町に行った、と言うと、扇子で口元を隠して何か考え始めた。
「なるほど……少し調べるか。引き留めて悪かったね、帰っていいよ」
「はあい。お疲れ様でした」
ぶつぶつと独り言を始めるハイラムさんに頭を下げて、店を後にする。
晩御飯はお母さんがやってくれるから、しばらく自由時間。といってもお小遣いがたくさんあるわけじゃないし……通りの屋台を見るだけ楽しんで、吟遊詩人の音楽にちょっと耳を傾けて、偶然鉢合わせた友達と話をして、家に帰る。
「ただいま~」
「ちょうどよかった。風呂屋に行っておいで」
家に入った途端、お母さんから硬貨を渡される。その後ろにいる弟は……泥だらけだった。なるほど。
「はあい。行くよ」
お風呂屋さんの近くで、弟の頭の上から水魔法をぶっかける。うん、これぐらいなら迷惑にならないかな。
「寒いよ」
「はいはい、早く入ろうね」
男湯に弟を送り出し、女湯に。ふー、あったまるなあ。きれいになってホカホカになってお風呂屋さんの前で弟を待つ……待つ……まだ? いつまで入ってるの?
『早く上がってきなさいよ!』
……と心の声を飛ばしたいけど、弟の具体的な場所が分からないからなあ。お店の応接室の裏みたいに床に印がついてるわけじゃないし……はあ。情報魔法って本当、役に立たないなあ。
私はちょっと水魔法の魔力が多いけど、貴族様ほどじゃない。貴族様ぐらい出せたら、こういうお風呂屋さんだって営めるのにね。でもやっぱり火魔法の才能が一番いいかなあ。魔力量が少なくても、火種を売って生計を立てられるし。
「姉ちゃん」
「やっと来た。もう、行くよ」
怒る気もなくして家に向かう。弟は……大人しい。勉強のことを言わないところを見ると、司祭様がうまくやってくれたのかな?
「ただいまあ」
「おかえり、晩御飯準備できてるわよ。今日は魚の干物!」
干物かあ。ちょっと固くて苦手なんだよね……でも贅沢言ってられない、ありがとうお母さん。パンと野菜スープと干物、豪華な食卓だなあ~!
夜はあっという間に暗くなる。ランタンが消されるまでちょっとだけ読書。でもすぐにおしまいになる。布団を敷いて、それほど眠くないけどもぐりこむ。
『姉ちゃん。俺、大きくなったら学者になろうと思うよ』
『え? あ、そ、そう。早く寝たら?』
弟に何があったんだろうか。ちょっと心配になってきたけど……あんまりじっくり話すのもなんか気恥ずかしいし。寝よう寝よう。早くしないと、一の鐘で起きられない。
明日もきっと今日と同じ日常が続く。そうやって日々を過ごしていくのが、私の人生なんだろうなあ。
明日も更新します。明日からは基本1話更新です。