ツイ廃と単一障害点
「いやー……社会インフラ、始めちまったな」
「社会インフラ、ですか?」
夜。トワは寝間着に着替えてベッドの上に座り込むと、俺の独り言を聞きつけて首を傾げた。
「社会の基盤……という意味ですか?」
「そうだな。その社会になくてはならないものだ」
電気、ガス、水道、インターネット、Twitter。そういう社会を支えるなくてはならない基盤。
「ついに明日、ヴァリア家に最終的なトワネット決済サービス事業の承認を貰うだろ?」
「でありますね。今回はいろいろやることが多くて、時間がかかったのであります」
ジラコイン──からいろいろあって『トワネット決済サービス』となったサービス、およびグゲン商会がヴァリア家と共同で銀行業務を行うにあたり、さすがに新しく決めなければいけないことが多すぎた。法律を検討し、仕組みを決めて、土地に建物を建て、人を雇い、決済サービスを設計して……一朝一夕では決まらないことばかり。
おかげさまで気づいたら秋だし、銀行はグゲン商会とヴァリア家の共同事業になるし、トワネットは拡大してナイアットの約半分──人口の多い中央部の全域をカバーしつつあるし、残るはナイアット北部と南西部といったところ。
いやあ、時間がかかった。ジラッターがなければ俺もジーラも退屈で気が狂っていただろう。
「銀行、電子マネー……というか、既存通貨のオンライン決済サービス。この普及にヴァリア家も力を入れている。もうすでに国家事業だ。どちらも社会になくてはならないサービスになるわけで」
つまり。
「……プレッシャーを感じてるよ。もう引っ込みがつかないもんな」
「いやいや、何をいまさら、でありますよ。トワネットにジラッター。そしてジラシート、ジラドキュ、ジラサイト……みんな仕事に使い始めていて、もう代わりのない社会に不可欠なサービスなのであります」
「まあそうだけどさ。今提供してるサービスは最悪消えちゃっても、ギリギリ元に戻れるかもしれないじゃん?」
トワネットを初めてようやく半年というところだ。半年だったらなかったことにして元の生活に戻れるかもしれない。
「でも銀行、決済サービスとなると、始めたらもう止まることはできない。責任感が違うんだよな。だからちょっと怖いんだよ」
「ヤス殿はこれまでも責任をもって働いてこられたと思いますよ」
責任か。俺が責任を感じてるのは──
「そうじゃぞ、ヤスキチ! 自信を持つのじゃ! ヤスキチは世界一のオスじゃぞ!」
ジーラが割り込んできて、手を握ってぶんぶんと振ってくる。
「ああ、うん、気持ちは嬉しいよ」
この見た目幼女のダイモクジラが、今動いているサービスをすべて支えてるんだよなあ。懸念していた記憶の総容量も全然余裕みたいだし、処理速度についても未だに限界が見えない。
それもこれも、ジーラの情報魔法の魔力量によるものだという。人間じゃ束になってもかなわないだろうな。俺も相当な魔力があるらしいが、ジーラには劣るという感覚がある。ジーラ以上の魔力の持ち主なんて、きっとこの世界にはいない……。
「うん……うん?」
……ジーラ以上の魔力の持ち主は、いない。
それって……つまり?
「……やべえ。24/7で稼働してるからすっかり頭から抜けてたぞ」
「二十四時間七日……?」
「ジーラ」
俺は眠らない魔獣、ダイモクジラのジーラの、きょとんとした黄色の目を見て言う。
「お前って、単一障害点だったんだな」
◇ ◇ ◇
「えっと……ヤス殿。単一障害点とは?」
「その一箇所が動かないと、他のすべてのシステムが動かない──全体が障害、停止するような部分のことだ」
たとえば一般的なご家庭における光回線の終端装置は、単一障害点だろう。あれが壊れたらもう、交換してもらうまでインターネットにはつながらない。……いやまあ、スマホの4Gとか5Gが代替と言えなくもないけど。
「そういう事態を避けるために、冗長化──同時に動かしておいて片方が故障したらすぐにもう片方が機能を担う、というような仕組みをすることが、システムでは重要だという」
トワイラネットワークは、冗長化が進んでいる。以前、トワの叔父ゼインが基地局を封魔液で機能不全にして一部地域と通信不能になったことを教訓に、最低でも2つの基地局が代わりを果たせるような設置をするようにマニュアル化していた。
「しかし」
ジラッターや決済サービスなどの核……記憶装置や演算装置を務めるジーラは?
「ジラッターや各種サービスは、ジーラなしには動かない」
ここまで稼働率100%を続けているジーラ。トワネットの範囲外から出たことによるサービス提供不能はあったが、ジーラの中にあるサービス自体は稼働していた。だから、いつの間にかすっかり忘れていたんだが……ジーラに何かあったら、ジラッターは停止する。
いや停止だけならまだしも、この世界の情報魔法による記憶保存は揮発性、電源を切ったら消えるタイプだ。うっかりジーラがうたた寝するだけで、すべてが失われるかもしれない。
「なのに……代わりはいない」
つまり、ジーラの冗長化が必要じゃないか?
「なんじゃ、ヤスキチ。わしの心配か? 照れるの~」
「……ジーラって、本当に寝ないんだよな?」
「わしが寝たところを見たことがあるかの?」
ないけど。
「わしだって寝ようと努力したことはあるんじゃぞ? 寝て退屈をしのごうとな。しかしどうやっても無理じゃった」
「いや、それでも……生物である以上、脳に打撃を受けたら気絶するんじゃないか?」
「まあ……実体はするかもしれないのう」
する可能性が捨てきれないんだ!?
「大岩に全力で頭をぶつけても眠れなかったから、それ以上のことができる存在がいるとは思えんがの!」
「いやいや、世界は広いからな?」
深海に潜ってればほぼ無敵だと思うけど、魔法や魔獣なんてものがいるこの世界じゃ何があるか分からん。
「そもそも……」
ついに聞かなきゃいけない時が来た。
「……ジーラって何歳なの?」
「500歳ぐらいかの? ここまで強力な魔力を身につけ自我が確立したのは、つい2年前のことじゃが」
……よし、少なくともロリじゃないな。動物だから1歳で人間でいう何歳、とかもなし。うん。
「同類って、いるのか?」
「昔はいたかもしれんの~。魔力が高まるより前のことはよく覚えておらぬが、数百年は会っていないはずじゃ。世界中の海を探せば、どこかにはいるかもしれんのう」
「同類を見つけたとして、そいつにジーラと同じことは……?」
「できるわけないのじゃ。昔は人間ほどの魔力もなかったのじゃぞ。フツーに寝てもおったし」
ジーラがジラッターを支えることができるのは、魔獣になったからこそ、か。なら同類を探し出したところで、冗長化にはならないか……いや、待てよ。
「……その、えっと」
「なんじゃ?」
「いやその……同類を見つけたらさ。その、そいつと……子供って作れるわけ?」
親から子への魔力の引継ぎは、両親の平均になることが多いらしい。無尽蔵の情報魔法の魔力を持っているジーラなら、半分にしたところで大して変わらないだろう。
「それは無理じゃの~」
ジーラは──腕を組んで体ごと首を傾ける。
「魔獣となった時点で、この世の理とは外れた存在になっておる。わしの同類を見つけたとして、そいつの子種で孕むとは考えられんの」
「そ、そうか……」
「しかし、じゃ」
ニッ、と。ジーラはギザギザの歯を見せて、妖しく笑う。
「同じ存在同士であれば、分からんの?」
「同じ?」
「わしとヤスキチは、同じ、魂を人の姿の殻で覆った存在じゃ」
そっ──と。ジーラの指先が俺の胸に触れる。じんわりと広がる指先の熱。
「じゃから、こうしてヤスキチに触れることができる。ならば──」
囁く。
「──ヤスキチの子を孕むことはできるかもしれんのう?」
「は!? え、あ、えぇ!?」
いや……いやいやいや!?
「ば、お、おま、何言ってるんだ、意味わかってるのか!?」
「わしをおぼこと思っては困るのう。経験こそないが、性風俗知識はジラッターに溢れておるのじゃぞ?」
溢れてる。やっぱそういうことしたい層は少なからずいて、そういう写真とか動画とかがこう。
「知っておるぞ。ヤスキチがそういうのを見てムラムラしておるのを」
してる。実体がなくてもムラムラってできるらしい。いや、ジーラに会ってから──他者に触られることがわかってから、意識し始めたというか。
「ヤスキチは、わしが認めたオスじゃ。海の中で気が狂いそうになっていたわしを助けてくれた存在じゃ。だから、いいんじゃぞ? わしを好きにして。ほれ、興奮するじゃろ?」
ジーラが緑のセーターの胸元を指先でかけてひっぱり、舌でギザギザの歯を蠱惑的に舐めていって──
「──いいや、興奮しないね!?」
しないしない興奮しない!
「おぉ?」
「ジラッターに投稿されてるようなナイアットの性風俗なんて、まだまだ幼稚で未成熟な文化だね! あんな低レベルなものを学んだところで、現代日本の性知識には負けるね! 興奮できないね!」
「そのとおりであります!」
「へ!?」
急に──思わぬところから、トワが割り込んだ。拳をぎゅっと握って、顔を真っ赤にして。
「ヤス殿のいた世界の性風俗は、それはもうすごいのであります!」
「え、え……?」
「確かにヤス殿は自分たちのようなサイズの子を好んでおりましたが! もっとすっごい紐みたいな衣装を着てたりですね!」
「な!?」
「女の子の側がすることも、ジラッターでやってるような生ぬるいことではなく!」
「まままま待って!?」
トワッ! お前、やっぱ俺の深夜のソロ活動で見てた画面、見てたな!? 性癖暴露大会はやめてくれぇ!
「ですから、そういう知識を持っている自分の勝ちなのであります!」
「ほ~。しかし、ヤスキチと触れ合えるのはわしだけじゃぞ?」
「いつまでも優位にあるとは思わないことであります!」
トワはそう言うと、バッと俺に手を突き出して──
「……え?」
──とす、と。俺の胸に、手を触れた。
「貫通、しない? トワ、いったい……」
「んふっ。これはですね!」
トワはグッと胸を張る。
「自分が新しく開発した魔法であります!」
魔法。
「味覚を再現する魔法を作ったでしょう。あれで気づいたのであります。触覚も、適切な情報を取得すれば再現できるのでは? と。そしてようやく完成したのであります──ヤス殿に触れる魔法が!」
情報。確かに触れた感触をあらかじめ用意しておいて再生するとかすれば……口の中でできることが、他でできないわけがない。
「そしてですね……ヤス殿、自分の頭をなでていただいても?」
「あ、ああ。……!?」
「感触があるでしょう。触覚も心の声と同様、伝えられるのであります!」
「それどころか、髪が……動いているが?」
トワの、もさもさの髪を梳くように手を動かすと、俺の手にその感触が残り、髪がぱらぱらと動く。ちょっと気持ちいい。
「んふっ。その辺は身体魔法の応用であります。軽い衝撃程度なら、身体魔法で強制的に体を動かすことができるのでありますよ。自分程度の魔力でも、無茶な動きでなければ再現できるのであります!」
フィードバックがある、ということか。お姫様抱っこする──とかいう物理的に無茶なことさえしなければ。
「だから、その……」
「ん?」
「いや、その」
トワが上目遣いで俺を見てくる……俺の手を……あ、撫でっぱなしだった。
「わ、悪い」
「い、いえ」
お互い目をそらす。
「……と、とにかく、そういうことでありますので!」
「お、おお」
え、何? どういうこと? 分かんないよ助けてフォロワー!
「なんじゃ~。興が削がれたの~」
ジーラが長く息を吐きながら言う。あ、うん、終わりって感じ? だ、だよな!
「ま、ともかくヤスキチが何を不安に思っているかは分かったのじゃ。そのうえで言うと、わしの実体の寿命はこれから先もまだまだ長い。眠ることも気絶することもないから、気にする必要はないのじゃ」
「そ、そうか」
まあ、ジーラに何かあったらすべておしまい、って覚悟しておけばいい話か? ジーラみたいな話のわかる魔獣もそうそういないだろうし、いたとして情報魔法の適性があるかもわからんし……子ども……いかんやめやめ、はいっ、ナイアットはジーラと心中することで決まり!
「そもそも、わしもヤスキチも魂として実体から分かれた存在じゃから、たぶん不滅じゃぞ?」
「ああうん、そうなのか……えっ?」
「もう魂はこうして独立してしまっておるじゃろ?」
独立。俺の実体は、この世界にはない。え、あれ?
「じゃから実体が滅んでも、魂は滅びぬ。つまり、わしらはずっと一緒じゃぞ、ヤスキチ!」
明日も更新します。




