ツイ廃と味覚
「これは……ヤバいな」
俺はその衝撃が過ぎ去ってから言った。
「規制が必要かもしれん」
「え、それほどでありますか」
「いやマジでヤバいよ。なあ、ジーラ」
「すごいのじゃぁ~」
ダイモクジラのジーラは──幼い体にいくらかでも残していた非人間的な威厳を投げ捨てて、両手で頬を押さえて床にごろごろ転がっていた。
「知らなかったのじゃ……ニンゲンがしている食事ってものが、こんなに甘美な快楽を備えているとは~!」
「いやあ、苦労した甲斐があったな」
情報魔法による食事情報の取得。
「食べ物を食べたとき、人間は目で見たもの、嗅いだもの、舌触りや歯ごたえ、咀嚼音、そして味──それらを総合して味わっている。視覚、嗅覚、触覚、聴覚、味覚──五感のすべてを再現してようやく、情報魔法で食事の再現ができた」
これほどの難しいプロジェクトだとは思わなかった。しかし、可能にした──食への執念によって!
「いわばこれは、トワの口の中を俺たちに再現する魔法!」
「そ、そう言われると恥ずかしいのであります」
トワは少し顔を伏せて照れるが、魔法の開発にはノリノリだった。情報魔法オタクだからな。サンプルの提供も進んでしてくれた。
「しかしこれは、あまりに記憶しないといけない情報が多くて、人間だけでは使えない魔法でしょうね。ジーラ殿の魔力あってこそ可能な魔法であります」
「フフン、そうじゃろ? すごいじゃろヤスキチ?」
「ああ、すごい」
っていうか、この世界の食のレベルもすごいわ。パンとか現代日本並、っていうかそれ以上かもしれない。ふわふわでほんのり甘いやつ、さくさくで口どけのいいやつ、カリカリで歯ごたえのあるやつ……高級店じゃおかずに合わせて数種類もパンが出てくるらしい。例の米っぽく育つ麦が主食だからこそ発達した文化なんだろうか。
「すごい……が故に、ジラッターで取り扱うには制限が必要だろうな」
「そうなのですか?」
「俺はそう思うけど……ま、他の人の意見も聞きたい」
もしこの味覚再現をジラッターに載せることが出来たなら、新たな独自性が加わることになるだろう。
独自の道を進むジラッター……そのためには、やはり最後に整備しないといけない部分に手を付けるべきだろう。
「関係者を集めよう」
◇ ◇ ◇
「これは……」
エスリッジ家の屋敷に集められ、情報魔法による味覚再現を体験したハイラム、ミュー、ケイス君、ダラスは、四者四様の顔をした。
「新しい広告になりそうですなあ」
「すごいねえ!」
「すげえッス、おかわり!」
「規制が必要では?」
最後のダラスの言葉に、残る三人が首を傾げる。
「やっぱり、ダラスさんもそう思うか」
「ダラス様、なぜ規制が必要だと?」
ハイラムが問うと、ダラスは顎に手を当てて考えながらゆっくりと言った。
「料理店の存在意義がなくなるでしょう」
「味を知ったからこそ来る客もいると思いますけど?」
「これをジラッターに投稿できるようにするのでしょう?」
「まあな」
「う……また作業が……」
単純に感激していたケイス君が、工数を考えてうつろな目をし始める。が、それをダラスは無視して先を続けた。
「ジラッターで、無料で味わえるとなれば──わざわざお金を出して食べに行く必要などありますまい」
そうだよなあ。粗食で腹を満たして、娯楽としての食事はジラッターの味覚再現で満足する……という手段が取れる。なんなら粥でも飲みながら味覚を再現するとかいう力技もいけるかもしれない。
「またこれを誰でもジラッターに投稿できるようになってしまえば、味の窃盗とでもいうべき状況になりましょう。ですから規制があったほうがいい。例えば……投稿できるのは料理店の公式アカウントに限る、というのは?」
「その辺は法律で対応してほしいかな……料理の著作権っていう感じ?」
ジラッターに保存される写真や動画には、作成者の情報も保存している。これらはジーラの中で作られるデータだから正しい著作権が取得できるわけだが……料理の場合は現物があるのは物理世界だから、そうもいかない。
「家庭料理の披露とか、採った野菜の披露とかにも使って欲しいし、あんまり投稿者制限はしたくないんだけど、最初のうちは仕方ないか。後々、対象を拡大していく方向でいくよ」
「承知」
最初に触れる味覚共有が激マズ料理だったりすると二度と使ってもらえないだろうし、当面はプロに限定してもいいだろう。
「ああ、それと健康問題もあると思うんだよ」
「健康……というと?」
「ほら、麻薬中毒とか……あ、麻薬ない? じゃあ煙草……もないんだ?」
ナイアット、結構狭いから植物の種類が少ないみたいなんだよな。
「……幻覚症状を起こす植物のことなら聞いたことがございますが、ヤスキチ様の言葉のニュアンスとは少し違うようですな」
「まあ何を懸念しているかっていうと、中毒……何かに夢中になって他のことがおろそかになってしまう状態って感じかな。それを引き起こしかねないと思ってる」
ジーラを横目で見る。このクジラは、いまだに口をもぐもぐとさせて目をトロンとさせていた。
「料理はさ……普通ならどんなに美味いものでも、食べたら終わりだろ? でもこれはジーラの中に保存している情報だから、何度でも再生して味わうことができるんだ。もし無制限に再生できるようにしたら……食事中毒者が出るかもしれない」
「食事中毒者」
「ギャグじゃないぞ。摂食障害とかにもつながりそうだし」
ここに人生初の人間の食事を味わってダメになってるクジラもいるし。
「健康問題で言うと、アレルギー反応があるんじゃないかってのも気になるんだよな」
物理的な接触はないから大丈夫だと思うんだが、人間の精神力は馬鹿にならない。思い込みで体調悪くなったりするし、ここまでリアルな再現ならアレルギー反応を起こしてもおかしくない。
「ちなみにこの中で誰か、食べたら蕁麻疹が出るとかそんな食べ物ある? ない? ないか。じゃあこれは要検証ということにして──」
もう一つ確認しておきたいことがあるんだよな。
「これ、味覚の再現の主体がどっちなのかを確認したいんだよ」
「主体……とは?」
「味覚って人によって好みがあるじゃん。おいしいと思って保存した情報が、実は他の人にとってはマズいのか、それともおいしく感じるのかは気になるだろ?」
「お、確かに気になるねえ」
ミューが髪の奥の瞳を輝かせ始める。
「だろ? だからさ、誰か死ぬほど苦手な食べ物ってないか?」
「ンフフ。そういうことなら、うってつけの食べ物があるよ」
妖しく、ミューは笑う。
「シイタケさ。実はハイラム君は、シイタケが大の苦手でねえ」
「なッ」
ハイラムが目を見開く。珍しい焦り方だ。
「何を言うんです!?」
「事実だろう? ンフフ」
「し、シイタケというのは倒木に生えるカビのような物で、食べ物ではありません」
「そんなことはない。焼くとジューシーでおいしいよ。調理法だっていろいろあるんだ。いやあ」
ミューはニマニマと笑った。
「私の主張がついにハイラム君に受け入れてもらえそうだ」
◇ ◇ ◇
受け入れられなかった。
「ふーむ、どうやら料理をどう感じるか、については情報取得者に主体があるようだね」
「そうみたいだな」
悲鳴を上げてじたばた動き回り、今はケイス君に背中をさすられながら涙目でガブガブと水を飲んでいるハイラムを見て、俺たちは納得した。
「てことは、味覚情報を共有するにあたっては……いちおう原材料の表記とか、注意書きが必要だな。中断もできるようにして……そして中毒を防ぐために、同じ味覚情報は一度しか再生できないようにしよう。……ジーラ、いいよな?」
「もぐもぐ……はッ!? う、うむッ、まあ仕方がないのう。ニンゲンは脆い生き物じゃからな……それに、もっとたくさんの情報が集まるようになるわけじゃし、色々楽しんだ方が得じゃからの!」
ようやくジーラは正気に返ったようだ。さすがに飽きたんじゃないかと思う。たぶん。
「いやあ、トワネットで味覚情報を共有するなんてワクワクするよ。いろいろ面白くなると思わないか?」
「そ、そうですなあ」
ようやく復活したハイラムが、扇子で口元を隠しながら言う。
「店の宣伝にもなりますし、説得力のある口コミをまとめたサイトなんかを作るのも儲かりそうですな」
「あ、いッスね、そういうの!」
「ああ、んじゃそれはケイス君に任せるわ」
「え、僕ッスか? いいんスか?」
味の確認できる店舗の検索サイトとかすごく需要ありそうだし、ケイス君の経験にもなるだろう。だけど、俺の仕事じゃない。まあ、五段階評価をするとか、そういうこと言い出したら口出しはしようと思うけど。
「俺は他に整備しないといけないサービスがあるから、そっちの陣頭指揮をするよ」
「ほう、何のサービスで?」
「何だと思う?」
「では、当てましょか」
ハイラムが目を細める。
「……ジラッターや他のサービスに、広告を載せるサービスでしょう?」
「いや──」
グラグラ。おっ。
@ブッキー
うわあああああ地震だ世界の終わりだあああああああああああ!
「ジラッターに書き込んでる場合ッスか?」
「ここの誰も驚いてないから寂しくて」
「そりゃ……この程度は慣れてるんで」
やっぱり何回も繰り返されると危機意識って薄れていくものなんだろうな。実際、ナイアットの建物はこの程度の揺れでは壊れないらしく、これまで地震の被害が報告されたところを見たことがない。
「えーっと、で、なんだったっけ。広告か」
「ええ。ジラッターやその関連サービスのすべてを制しているのはヤスキチ様です。例えばジラッターを開いた全員にひとつ広告のツイートを強制的に表示する……なんてことをすれば、大儲けでしょう? それを考えているのかと思いましたが」
ハイラムの商売人としてのセンスは本当に鋭いな。
「俺の世界では確かに似たようなことをしていたよ。でも、それはサーバーやインフラ周りのあれこれ、そして従業員のために金を稼ぐ必要があったから導入されたものだ。俺とジーラは生きていくコストが必要ないし、ジラッターの維持も同様だ」
ジーラが情報から生きていくエネルギーを得ている、というのが大きいな。食費さえ要らない。
……あれ? そう考えると俺も似たようなものか? Twitterなければ死んじゃうし……いやいや……?
「だから必要以上の金儲けは考えてない。ケイス君たち開発チームのために多少、有料オプションを用意して稼ぐことはするけど。全部無料にしたい気持ちもあるんだが……人間ってやっぱ、金を払わないとその価値に気づかないこともあるじゃん?」
無料配布されたゲームは全然プレイしないけど、金を出して買ったゲームは遊ぶだろう? そんな感じだよ。
「必要以上には、不便にしない。広告はやりたいやつに任せるよ。ジラサイトで作ったサイトにバナー広告を置くとか、儲かると思うからやったらいい」
「なるほど。それで」
ハイラムは扇子を少し扇ぐ。
「ヤスキチ様が整備しないといけないサービス、とは?」
「いやあ、やりようによっては広告より儲かるサービスだと思うんだけどさ」
才覚次第なんだけど。
「ハイラムさんさ──銀行、やってみる気ない?」
明日も更新します。




