ツイ廃と親子の再会
「おう、だいぶコツを掴んできたようじゃの、フリードよ? ではスピードアップじゃ!」
「あぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?」
洋上に騎士の悲鳴が響き渡る。
「いやー、魔法ってすごいな」
「さすが騎士なのであります」
悲鳴を上げる背中を見ながら、俺とトワは頷き合う。
「いやあ、風魔法にこんな使い方もあるなんてねえ」
髪の間からニヤーと笑いながらミューも感想を述べた。
「だ、大丈夫でしょうか」
たぶん、純粋に心配しているのはメイドのロレッタだけだな。
「どうじゃ、ヤスキチ!」
騎士フリードの隣で哄笑をあげていたのじゃロリ娘──ダイモクジラの作った映像がドヤ顔でこちらを振り返る。
「わしの背中の乗り心地はなかなかのものじゃろ! これならすぐにトゥド領につくぞ!」
──お偉いさんに、ナイアットの中心であるトゥド領まで行ってダイモクジラを調伏したことを報告しに行け、と言われて半日。
俺とトワ、ロレッタ、フリード、そしてトワの師匠であるミューは、ササ領とトゥド領の間の内海をまっすぐに進んでいた。乗っているのは船ではなく──緑色の藻に包まれた巨大なクジラ、ダイモクジラの背中だ。
ダイモクジラは一日で内海を横断するという。「可能な限り急いで来い」というなら、使わざるを得ない移動手段だ。
俺たちを載せる都合上、体の半分を海の上に出さなければいけない。そのため波を切る必要があって全速力は出ていないらしいのだが、それでもものすごい速度が出て……一回、全員背中から落ちかけた。向かい風がすごくて。
風を何とかしないと速度が出せなくて船で行くのと変わらない。どうしたものか。何か風を切る方法でもあればな、俺の世界じゃ風防なんてパーツもあったけど、なんて話しているうちに、フリードの風魔法で似たようなことができるのが分かった。
そういうわけで、フリードはダイモクジラの鼻先に立ち、全力で魔法を行使している。
「ああ、揺れないし乗り心地はすごくいいよ。魔法で制御してるのか?」
「うむっ、水魔法でバランスをとっておるぞ! 人間に危害を加えぬためにな! そこに気づくとは、さすがヤスキチじゃのう!」
ダイモクジラはギザギザの歯を見せてニパッと笑う。……そこまでされると心が痛むな。
「そこまで褒めなくたって、約束通りアニメは見せてやるよ」
「そ、そうか? そんなつもりじゃなかったんじゃがの~、約束の日時でもないし? でも、見せてくれるって言うなら、見せてもらおうかの~!」
態度が分かりやすすぎるし、気持ちもわかる。夜に眠れない者同士、退屈の恐ろしさは身に染みている。
「ところでさ」
アニメの鑑賞会をしながら、ダイモクジラに話しかける。今日はフリード以外全員参加だ。ロレッタもミューも異世界の文明に慣れないながらも、興味深そうに見ている。
「お前って、これまで食ってきた人間の記憶を全部保存してるのか?」
「食ったのは人間の記憶だけじゃぞ」
あ、人間自体は食ってないのか。でも記憶を食われると人間は動けなくなって、船が沈むから死ぬ、と。うん、結果は変わらないぞ?
「もちろん、記憶は全て保存しておる。海の中ではそれを何度も再生して退屈をしのいでいたものじゃ」
「他者の記憶を覗いた、というだけでも驚きでありますが……」
トワが小さくため息を吐く。情報魔法では普通そんなことはできないらしい。さすが魔獣、埒外の存在といったところか。
「情報魔法で記憶を保存してるんだよな? それって限度はあるのか?」
「わしを見くびるでないぞ。わしの情報魔法の魔力量に限りなどない。ゆえにこの世のすべてを保存しても魔力が尽きることはないわ!」
マジ? と目でトワに問うと「たぶん。魔獣ですし」と頷かれた。まあ実際にはやってみないと分からないだろうが、大抵のことじゃ検証にもならなさそうだな。
「そんなにたくさん記憶してて、頭一杯になったりしないんだな」
「なんじゃ、わしが心配か? 全然平気じゃぞ?」
「ヤス殿。記憶することと、魔法で情報保存することは別なのですよ。いうならば保存した情報はメモ書きであります」
情報魔法は記憶とは別枠扱いか。そしてダイモクジラの保存量には際限がない。……やはりこのままだと問題あり、か。
「それよりヤスキチ! 今のアレはどういうモノなんじゃ?」
「ああ、あれはな……」
アニメの解説を受けながら、ダイモクジラは進む。さすがに魔法の長時間行使は難しいのか、時折フリードのために休憩を挟んでの航海になったが、それでもどんな船よりも早く俺たちはトゥド領に向かうのだった。
◇ ◇ ◇
「今日、トゥドの領民は奇跡を見た」
たくさんのランプで照らされた広い室内で、灰色のひげをたくわえた長身の男が、安楽椅子に深く背を預けながら言う。
「黄昏の海、トゥドの湾内を悠々と進む、巨大な緑の獣。その上に一人立ち、獣を導く少女の姿。領民の恐れは畏敬に変わり、歓喜に打ち震えたことだろう……」
男は目を閉じて天を仰ぐ。室内には他にも多くの騎士が控えていたが、男の言葉を聞いて感嘆の声を漏らしている。……うーむ。
『美化しすぎてないか?』
『父様はちょっとばかり感動しいなのであります』
トゥド領ダンガー港。指定されたその場所へ、夕日の中ダイモクジラは悠々と進んだ。漁船は恐れをなして慌てて岸へ向かい、軍船が様子を窺うように近づいてくる。誰何の声に、この一団の代表者であるトワが応え、ゼンカ領名代の書状を見せることでなんとか入港が叶い……そして、慌てて駆け付けたマツニオン領の騎士の案内で、エスリッジ家の屋敷にやってきた。
対面するのは、マツニオン領主、エスリッジ家の当主。ネモ・エスリッジ。
「我が子、トワイラよ。この度のダイモクジラ調伏、見事であった」
「はい」
トワが床に膝をついたまま頭を下げる。
「私一人だけでなく、多くの力を借りて成し遂げました」
「そのようだ」
ネモは俺たちを見回して、少し咳き込んだ。喉が良くない音を立てている。
「……ヴァリア家からは追って呼び出しがあるだろう。トワイラからの詳しい報告は儂が直々に聞く。騎士はフリードが残ればよかろう。みな、いつお声がかかっても良いよう準備にかかれ」
ネモが手を叩くと、騎士たちは一礼して部屋から出て行く。そして気配が完全に消えたころ。
「……残ったのは、すべて事情を知っている者か?」
「はい、父様」
ネモの問いにトワが答え──ネモはさらに深く椅子にもたれかかると、大きくため息を吐いた。
「まさかこのようなことになるとは……」
「申し訳ないのであります」
「いや、お前が謝ることはない。よくぞ成し遂げた。よくぞ無事であった」
ネモは老いた顔に、先ほどの威厳ある表情を消して柔和な笑みを浮かべる。
「ゼインがお前をダイモクジラ討伐のための船に乗せたと聞いた時は、肝が冷えたものだ」
ネモは俺に目を向ける。
「トワの隣から不審な男の映像が消せないから、という説明を受けた時の混乱もまたひとしおだったが……どのような理屈なのだ?」
「こちらはツツブキ・ヤスキチ殿であります」
トワが何度目かになる説明を行う。
「──なるほど。消す方法は見つからずか。確かに無視もできぬし、人間のように見えるが……物を突き抜けるところを見るに、映像なのだろうな。厄介なことになったもの……しかし、彼のおかげでダイモクジラを調伏できたこともまた事実」
ネモは──俺に向かって小さく頭を下げた。
「娘を救ってくれて感謝する」
『えっと、発言していいのかな?』
『父様は大丈夫であります。身分を気にされない方なので』
「いや、こちらこそトワ……トワイラ様にはいろいろ世話になってる……迷惑をかけて申し訳ない」
「トワでいいですぞ、ヤス殿!」
『いやでもさ』
「普段通りで良い。始まりは娘の不始末、であれば娘が苦労するのも当然のこと。己の存在を消すなどという恐ろしいことに協力的でいる、それだけでヤスキチ殿の懐の深さが知れようというものだ」
いやあ、Twitterできないし寝れないしで退屈だから消えたいだけだったんだけどな。
「ヤスキチ、何の話じゃ? ヤスキチは消えるのか? そんなのだめじゃぞ!?」
「あー、その話は後でな」
俺の隣でダイモクジラが目を丸くして叫ぶ。どころか腕をつかんでくる。痛い。いやー実体を失ってから久々の痛みだな。人間の埒外にあるダイモクジラがここまで大人しくしてくれただけでも、ありがたい話ではあるが、もうちょっと我慢してほしい。
「あー……ゴホン。問題はいろいろあるようだが……ひとまずは目先の問題について話をしたい。情けない話だが、よい知恵があれば貸して欲しいのだ」
ネモは咳払いをして続ける。……弟のゼインと違って親しみやすい感じだな。
「問題とは、今後のトワの扱いについてだ。ダイモクジラを単身で調伏した少女……すでに城下町ではその噂で持ち切りという。これまでの不景気をひっくり返すにはもってこいのめでたい話だ。ヴァリア家もトワの功績をあえて下げるようなことはしたくないだろう」
「そうでありますねえ……恥ずかしい話ではありますが、吟遊詩人もしばらくネタに困らぬでしょう」
「であれば、トワへの褒賞は事前に定められていたものよりも大きくなるだろう。ヴァリア家は英雄に見合う褒美を出す、と知らしめるためにも。そして……ヴァリア家の評価に見合う対応を、エスリッジ家も行わなければならない」
ヴァリア家が認める英雄を、エスリッジ家は冷遇するのか──といういちゃもんをつけられるからか。
「普通であれば、トワをエスリッジ家の次期当主とすればよいのだが……」
「自分は魔力量が低いですからねえ」
トワはもさもさヘアを掻く。
「もし魔力量の高い相手と結婚できても、子供がどうなることか……師匠、どうでしょう?」
「うーん、トワ君みたいな子が、貴族と結婚した例はないと思うからなんともわからないねえ。これまでの記録では、両親の魔力を足して割って、そこから少し上下する……という感じだとは分かっているけど」
「自分の場合は、お相手の半分以下の魔力が引き継がれる可能性が高いですねえ」
「マツニオンを治める者としては、それでは不足だ」
ネモはため息を吐く。
「魔力不足は、騒動の火種にしかならぬ」
「でありますねえ。それに、自分は兄様と争いたくもないですし……」
「アレはトワに甘いからな。お前が当主になっても文句を言うことはなさそうだが……周りがな」
そういや第一声が「妹を汚した輩」だったもんな。ロナン・エスリッジ、シスコンだったか。
『周りって、叔父様とかか?』
『どうしてそう思うのでありますか?』
『ダイモクジラを実際に見て思ったんだが、こいつを網でどうこうしようなんて無理だろ』
ダムの放水のような水を放つ生き物だ。泳ぐのもジェット噴射で加速してたし、高いどころか人間並みの知能を持っている。逃げに徹されたら手の出しようがない。
『実はトワを葬るために船に乗せた……ってのは、考えすぎか?』
『うーん、正直半々ぐらいだと思うのであります。上手くいけば良し、いかなくても良しの妙手ですね』
『……トワは、怒らないのか?』
『いや~……死ぬのは嫌ですが、貴族としての事情も分かりますから』
……こんな小さい子が、自分の死が望まれていることを受け入れているなんて、どうかしてる。──いや、17歳だったか。
「金を出すという手もあるが」
俺がモヤモヤした思いを抱えている中も、ネモの話は続いている。
「内海での交易が収入の大半を占めていた我が領は、この2年でだいぶ蓄えを吐き出してしまった。ヴァリア家の出す褒賞に見合う額は用意できないだろう」
「ネモ様。物品ではいかがでしょうか。家宝の剣にはずいぶんな値がついていたかと」
「うむ、フリードよ。それはずいぶん前に質に入れてしまってな……」
フリードが目を丸くしている。
「父様、では自分がもらう褒賞金をお貸しして買い戻し、その後下賜いただくというのは?」
「娘に借金をするか。ゼインがうるさそうだが……一番マシな案だな」
そこでいったん話が途切れる。……まあ、訊くだけ訊いてみるか。
「あー……あのさ。ヴァリア家とは事前に交渉して、褒賞の内容を変えられないのか?」
「希望はある程度聞き入れてくれると思いますよ」
「俺が読んでた物語とかだと、新しい領地を貰って新しい家を興す、なんてのもあるんだが、それはダメなのか?」
「残念ながらヤス殿、ナイアット全土が天下統一されてから200年、空いている土地はもうないのであります」
未開拓の場所は残っていないらしい。っていうかこの大陸、統一されてるんだな。
「領地が欲しい、などと要求したら、どこかの家を取り潰す必要があり……いやあ、ナイアットが荒れますね」
「そういう物騒な話じゃなくてさ。……俺の知ってる国際的な法律だと、固有の土地とそこに住んでいる人さえいれば国家を名乗れるんだけど……それを逆手にとって、船を国にしちゃう物語があるんだよ」
正しくは船じゃなくて潜水艦だけど。
「同じことがダイモクジラでもできないかな?」
「わしか?」
「ダイモクジラ殿の背中を、領地にでありますか!?」
うーん、と貴族たちは首をひねる。
「なんとも斬新な案でありますが……いくら自分から要求したと言っても、それを飲んだヴァリア家は頭がおかしい……と思われるでしょうから、無理そうであります」
「ヤスキチ殿。ダイモクジラを領地にしたい、というのは、どういう目的があってのことだ?」
「ダイモクジラの身を守りたい、というのがひとつ」
「なんじゃ~、ヤスキチ。わしの心配か~? 嬉しいが、人間ごときにやられるわしではないぞ?」
ダイモクジラがすり寄ってくる。くすぐったい。やめなさい。
「もうひとつは、なるべく自由が欲しかったというか……」
「待て」
ネモが威厳のある声で止め、部屋の扉の方を向いた。
「入れ」
「はっ」
扉を開けて騎士が入ってくる。
「口頭で申せ」
「面会の希望です。日も落ちましたので明日にするように言ったのですが、どうしてもネモ様のご意思を確認してほしいと」
「このような時間に誰だ?」
「はい、御用商人の者で」
それは、今俺が最も話をしたい相手だった。
「ナイム商会のハイラムになります。いかがしましょうか?」
明日も更新します。




