ツイ廃とトワの師匠
「いやぁ、大変なことになったねぇ?」
トワの部屋よりもごちゃごちゃした室内。ゴミみたいな何かを避けた机の上にお茶を出しながら、その女は言った。膝まで適当に伸ばした黒い髪が、ばさばさと顔にかかっている。
「大変なのでありますよ」
ロレッタもフリードも部屋の惨状に眉をしかめる中、気にせず安心した様子でいるトワが頷く。
「うん、うん」
女は向かい側のソファーに座ると、ローブの裾をまくって手を組んで──俺を見た。
「おおっと、挨拶がまだだったねぇ」
女は片手で前髪をかき上げて言う。
「やあ、私はミュー・ブロッケン。ここハイジェンス大学で、情報魔法の研究をしている変わり者さ。よろしくね」
魔獣、ダイモクジラを従えて港に入った船は、大歓声でハイジェンスの街に受け入れられた。
マツニオン領主の娘、トワイラ・エスリッジが魔獣をねじ伏せて配下にした話は、あっという間に広まる。このままでは様々なところから声がかかり、話を聞かれることになりそうだった為、さっさと滞在先を告げて逃げるようにハイジェンス大学に移動した。
大学……というよりは、なんか宗教施設のような厳かな雰囲気のある建物に入り、手続きをしてやってきたのがこの女、トワの師匠であるミューの研究室だった。
「よろしく。ツツブキ・ヤスキチだ」
「おお~、すごいねえ! これはトワ君の情報処理による応答じゃ、ないね?」
「であります。自分は本当に何もしていないのです」
「いやあ興味深いよ。まず人間にしか見えないのがすごい。とても情報魔法とは思えないねえ。ま、けど、とりあえずお茶をどうぞ。まずは、落ち着いたほうがいい」
勧められて、トワがお茶を飲む。……俺にも用意されているけど、俺は飲めないんだよなあ。なんかお供えされてる気分になってきた。
「うん、うん。いろいろ、大変そうだねえ。ヤスキチ君のこともだけど、トワ君も」
「それなのですよねえ……」
トワはため息を吐く。
「まさか、自分がダイモクジラを退治したことになるとは……」
「いいことなんじゃないのか? みんな困ってたんだろ?」
マツニオン領の港町は干上がる寸前に見えた。ということはどこの領地の港も、似たり寄ったりだったろう。
「確かにそうなのでありますが、自分が退治してしまったことになったのが問題なのです」
「……退治してくれるなら誰でもよくないか?」
「もちろん、ナイアットの民にとってはいいことなのですが、エスリッジ家にとっては……ですね」
トワは、真剣な目でこちらを見る。
「自分の事情について、まだヤス殿に話していなかったことがありますね。そうですね……自分は8歳の頃にこの大学に来たのですが、なぜだと思いますか?」
「……天才だからとか、箔をつけたいからとか、か?」
「惜しいのであります。正解はですね、魔力量を上げる訓練のためであります」
そういえば、トワは情報魔法以外に適性がなくて、貴族としては出来損ない……と評価されているんだったか。
「貴族として認められる程度の魔力さえあれば、他の貴族との結婚も問題ないですからね。父様は当時、かなり無理して入学金を工面したと聞いております」
「結局その訓練、効果なかったんだよな? っていうかそれ、実績はどれぐらいあるんだ?」
「血筋的に問題のない子供のうち、10人に1人は魔力量が貴族並になるそうであります。在学中に成功例を見たことはありませんが」
そんな確率でも試したいほど、この世界の貴族社会にとって魔力量というのは重要なのだろう。
……気づきたくなかったが、『血筋に問題がない』ことを証明したいという面もあるかもしれない。本来魔力量が両親から引き継がれるのであれば、魔力量の少ない子供は……不義の子と周囲に疑われるのだろう。
「まあ、それでも見限られずに、父様の子として家においていただいているのはありがたいことであります。同じ境遇の子は……あまりいい噂を聞きませんから。よくて平民に落とされたとか……同い年の子は造幣局に送られたとか」
「あれは地味に手首を酷使する重労働だからねえ。つらいとは思うけど……」
「働けているだけまだ……というところでありますね」
……少なくとも、トワは血なまぐさい話からは免れたというわけだな。
「だから自分は、これまでエスリッジ家から受けた恩を返したいと思っています」
「それならなおさら、ダイモクジラを討伐したって功績は役に立つんじゃないか?」
「いや~、問題なのであります」
トワは苦笑する。
「エスリッジ家の次期領主は、ロナン兄様と決まっているのでありますが……兄様は側室の子。自分が正妻の子なのであります」
おっとー?
「この世界じゃ女領主ってアリなの?」
「アリであります。魔力と功績さえあれば」
トワは頷く。
「ナイアット全土の問題だったダイモクジラを討伐した。それは魔力量なんて吹き飛ぶほどの功績なのであります。トゥドのヴァリア家からは報奨金だけでなく、お褒めの言葉もいただくことになるはずで……」
これまでの話からして、トゥド領がナイアットの中心の領地で、ヴァリア家ってのが王様みたいな感じらしい。そんな相手が褒めようとする相手が、平民並の魔力しかない小娘……というのは問題だろう。どんな貴族も成し遂げられなかったことなのだ、何かしらの箔がいる。
「……自分をマツニオンの次期領主に、という声が上がるでしょうねえ。自分と違って母様は美人で、領民からも人気でしたので……」
「……でした?」
「3年前に病で亡くなりました。元々体が強くなかったのですが、自分に関する心労がたたったのでしょう……その葬儀のため、自分は大学から出てマツニオンに帰ることになったのであります」
地雷踏んだわ。……もう吹っ切れているみたいだけど、3年で吹っ切れなければいけない環境というのもな……。
あー、どうしてこうなったんだろう。Twitterに逃避したいよ。そんでもってマジレスを食らってクソリプバトルしたい。
「というのが、ダイモクジラに関する問題であります。いやー、箔が付きすぎてしまいました。こうなると帰りたくないであります。兄様と政争する気はないですし……また大学で、師匠のもとで世俗を忘れて研究する生活に戻りたいですよ」
「おっ、歓迎するよ? 特に事務仕事をする人間が足りなくてねえ、困ってたんだ」
ミューがニマーッと口を三日月のようにして笑う。
「予算はないけどね。ンフフ」
「ないのかよ」
「ンフフ……情報魔法を研究するなんて変わり者でしかないよ。私も普段は、読み書き算術とか、他の分野の講義とか、事務仕事をしているよ。情報魔法の研究は、実費、趣味だね」
まあ情報魔法は誰でもある程度使える代わりに、伸びしろがあまりなさそうな印象はあるな。情報の保存さえできれば活用できそうだが、寝たら忘れるんじゃなあ。
「だからヤスキチ君には興味津々なのさ。トワ君も、ダイモクジラのことで私を訪ねてきたわけじゃないよね?」
「ええ、ヤス殿についてが本命であります。……いったん、ダイモクジラのことは置いておきましょう」
トワは俺について話し始める。異世界を見る魔法。俺を異世界から写し取ったこと。寝ても俺が消えないこと。どうにかして俺を消さないといけないこと……──
「いやあ、すっごいねえ!」
一通り聞き終わって、ミューは興奮した様子で口を開いた。
「異世界を見る魔法だって!? 私も使いたいな。ちょっとやって見せてくれないかい?」
「あー……それなのですが」
「使えなくなっちゃったんだよな」
「はい、ヤス殿の転写をきっかけにして。ですが、実は別の問題もありまして」
トワはもさもさヘアを掻く。
「……実はその異世界を見る魔法、自分にしか見えなかったのであります」
◇ ◇ ◇
「え、嘘だろ。俺には見えたぞ?」
マンホールの中でぐったりしてるところも、救急車に乗せられているところも見た。
「情報魔法で作った映像って、人に見せられるんだろ? ならトワにしか見えないのはおかしくないか?」
「そうなのでありますが、実際、ロレッタにも兄様にも見えなかったのであります」
後ろに控えるロレッタに目を向けると、ロレッタはしっかりと頷いた。
「街中で使ってみたこともあるのですが、やはり誰にも見えませんでした。逆に、見えたのはヤス殿だけということになりますね」
「ふぅん。なるほどねえ?」
ミューは小刻みに頷く。
「それじゃあ、異世界を見る魔法の原理の説明はできるかな?」
「あ、はい。きっかけは情報補完の応用を考えついたところからであります」
「情報補完の応用って?」
「やや、それはですね、なかなか高度な技術なのですが……例としては、遠くのぼやけて見えるものを、ハッキリと見る魔法なのであります。これに使う魔力を増すと、結構遠くまで見えまして」
ん?
「原理としては、見ている景色を写し取る時などに、自分がしっかりと意識していない部分も写し取れていることに注目したのです。ある程度なら魔法が情報の取得を手助けしているのですよ。それを応用しまして──」
「──それって眼鏡でよくね? もしかしてこの世界に眼鏡ないの?」
「や、ありますよ? でもこの魔法は眼鏡を持たなくていいから便利なのであります。いや魔法を開発してから本当に楽になりまして」
「え。眼鏡って持つものなの?」
「持たずにどうやって目の前に固定するのでありますか?」
……あー、そういう眼鏡は発明されてないのか。でも眼鏡はあるんだな。高度な魔法って言ってたし、使えない人もいるだろうから、そのためか。
「いや、すまん。続けてくれ」
「あ、はい。えーと、魔力をつぎ込むと遠くまで見れることに気づいたのですが、どう見ても自分の目で見た情報を処理しているにしては鮮明だなと。もしかして直接見ていない、遠く離れた土地のことも見えたりするんじゃないか。そう考えていろいろ試行錯誤したのですが、これが上手くいかなくて」
そういえば船の上で双眼鏡みたいなことやってたな。
「いっそ全然知らない土地のことが見えないかな~、と魔力をぶち込んだら、ヤス殿の世界が見えるようになったのであります」
「なるほど、なるほど……うーん」
ミューは頷き──
「ちょっと意味が分かんないね。ハッハッハ」
笑った。
「いや、笑う所じゃないが」
「いやあ、もう私がトワ君に教えることなんて何もないよ」
「そんな、師匠」
「師匠と弟子、っていうより、トワ君はもう立派な研究者さ」
「あ、う……照れるのであります」
トワは顔を赤くしてもさもさヘアを掻く。
「それじゃ結局、トワの師匠でも状況に進展はなしか」
「おっと、そう言われちゃ心外だな。それじゃ、ひとつだけ」
ミューは三日月のように笑う。
「ヤスキチ君が消えない理由……が、分かったかもしれない」
大進展じゃねーか。
「し、師匠! それはいったい?」
「うん。ヤスキチ君はね」
ミューは俺を指す。
「トワ君の魔法で維持されてるんじゃなくて、ヤスキチ君の魔法で維持されてるんじゃないかなあ?」
「──は?」
「いやあ、だって、ヤスキチ君は情報魔法が使えるんだよね?」
使え……使える? そう、かもしれない。いや、使ってるだろう、翻訳の魔法とか。そういや、アニメを映像として出したのだって魔法だよな。他のことが衝撃的過ぎて意識してなかったけど。
「君が喋ってるのも情報魔法だし。喋ってる、ってみんなに認識させてるけど、実態はそうだろ?」
実体がないんだから、空気の振動である声を発せられるわけがない。無意識に喋りと心の声を切り替えていただけ……?
「トワ君から離れられないから、二人の間に何かの繋がりはあるんだろうね。でも」
ミューは、三日月にした口を楽し気に開いた。
「ヤスキチ君は、魔法が使えて魔力も自分で持っている……独立した存在、なんだろうねえ。ンフフ……」
明日も更新します。




