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ツイ廃とダイモクジラ

「何事もない方がよかったぁあああああ!」


 どぱっ、と。


 せりあがった()()()()が船体の腹を叩き、傾けさせる。


「ひぇぇぇぇえ!」

「トワ……!」


 短い手でマストの支柱にしがみつくトワが、傾きに合わせて滑りながら悲鳴を上げる。俺は──


「……がんばれ!」

「が、がんばるでありますぅぅ!」


 応援しかできない。実体がないから。


 ──異変の始まりは、昼を過ぎて日が傾き始めたころ。


 この船の船長である漁師が、トワに相談を持ち掛けてきた。なんでも、ダイモクジラ討伐のために仕掛けている網が、このペースでは足りなくなる可能性があるらしい。


 トワは作戦の準備には関わっていないが、この船で一番身分が高いのはトワになる。そのためトワが、網の残量やここまでの網の投げ方、航路に問題がないか等の調査の指揮を執ることになった。


 そうして調査が始まってしばらくしたころ。


 海が──緑色に染まった。「魔獣だ!」と見張りが警告したその一瞬後、最初の大波が船に叩きつけられて──


 そして今、船はもみくちゃになっている。甲板は波に洗われ、船体は軋みながら揺れる。


「くそっ、あいつ遊んでやがる!」


 誰かが言う。もはや船の上では誰もまともに動いていなかった。みんなどこかにつかまって落ちないようにするのに精いっぱいで、何の抵抗もできやしない。こんなの、いくら魔法があっても無理だろ……!


『ハハハ──』


 そして──笑い声。巨大なトンネルの中で反響したかのような。


『ハハハ、ハハハハ……!』

「なんだ……!?」

「これは──魔獣の笑いでありますか……!?」


 魔獣。ダイモクジラが、船をもてあそんで笑っている。そして、再び緑の海が割れ──巨体が姿を現す。続いて衝撃。緑色の藻に包まれた巨体が、船を押して傾ける。


『さあ、さあ。食わせろ……!』


 言葉を……知性があるのか、こいつ!?


「うわっぷ!?」

「トワ!」


 揺り返しで船が魔獣の方へ傾き、ついにトワが腕の力を失ってマストの支柱から振り落とされ、甲板を滑り、手すりに当たって止まる。すぐそばに藻に包まれた巨体──そして、それがカーテンのように開き、巨大な黄色い瞳がギョロリと──


 ──俺を見る。トワの移動に引きずられて、一番近くにいた俺を。


『まずはこの男から──』

「させるかッ!」


 男の声。ドンッ、と甲板を踏み鳴らして飛び出したのは、騎士のフリード。抜剣して超人的な跳躍をし、風を切って魔獣の瞳に向かって剣を突き──


『邪魔だ』

「ぶッ」


 魔獣の藻からダムの放水のように水が噴出し、真正面からそれとぶつかったフリードは吹き飛ばされた。後方で、海に落ちる音が聞こえた気がする。


 ……え、マジ?


 それも魔法? 無理じゃん、質量が違いすぎるだろ。


『あまり恐れるなよ。記憶が()()ばかりになっても困る』


 船に乗っていた唯一の騎士が、あっというまに無力化され、誰もが絶望し身動きが取れない中。魔獣だけがせせら笑う。


『さあ、男よ。食らわせてもらおうか』


 改めて魔獣が、俺より大きな黄色い瞳で俺を見て──


「だ、ダメッ」


 トワが立ち上がり、小さな腕を広げて俺の盾になる。だが。


『無駄だ』


 魔獣は一笑に付すのみ。


『では記憶をいただこう。退()()()()()()()()()()()


 次の瞬間、俺は、俺と魔獣ダイモクジラの間に、強烈な繋がりを感じ──身動きを止めた。



 ◇ ◇ ◇



 記憶の底に眠っていた、幼少期に母と一緒に見た幼児番組。アニメ。絵本。読んだことさえ忘れていた本。小説。漫画。映画。Twitter。バラエティ。ドラマ。ブログ。Wikipedia。Twitter。YouTube。ニコ動。Twitter。演劇。音楽会。Twitter。スポーツ。ニュース。Twitter……──


 あらゆるコンテンツが、その一瞬ですべて鮮明に蘇った。漫画の1コマ、小説の1文字、アニメの1フレーム、タイムラインのクソリプの1つ1つに至るまで思い出せるように。


『ウオオオオオオオォォォ……!?』


 吼えている。魔獣が。いや、俺も?


『ウオオオオオオオオォォ……』


 ざぶん、と。船が平行を取り戻す。


「姫様!」


 ずぶ濡れのロレッタが、同じくずぶ濡れのまま魔獣の前で手を広げて立ちはだかるトワに駆け寄る。


「危険です、こちらへ!」

「あ、ああ……」


 ロレッタに引かれて、トワが手すりから遠ざかる。俺もそれに引っ張られるように魔獣から離れ──


『待て。待ってくれ』


 魔獣のすがるような声に、止まる。


『名を』


 魔獣は──俺にだけ聞こえる声で言う。


『……ツツブキ、ヤスキチだけど?』

『ヤスキチ』


 喜びの滲んだ声。


『ヤスキチ……ヤスキチ。お前は一体何者だ。お前の中には、人間ひとりの記憶より、はるかに巨大な情報量がある。その片鱗に触れただけでも分かる。おお、なんという……』


 情報量。俺が突然思い出せるようになった様々な創作物、俺が見聞きしてきたもの。


『ヤスキチ、その記憶が欲しい。見せてくれ、我が退屈を埋めるために。この目が灼けんばかりの情報量、ひと時では味わいつくせぬ。頼む。我と共に海を行こう』



 ここだ。



『条件がある』


 絶体絶命のこの状態をひっくり返すにはここしかない。ここで交渉に持ち込む。でなければ蹂躙の続きが始まるだけだ。やがて船が壊され、乗組員は全員──トワも死ぬ。


『聞こう』


 ──乗った。


『……お前は退屈を紛らわせたいんだな? そのために人を襲っていた?』

(しか)り。我は長い時を生き、そして眠れない。塩水と魚だけの海中に娯楽はなく、退屈だけが我を蝕んだ』


 眠れないのか。そこは親近感を持てるな。


『人は魚と比べて多様な記憶を持っている。だからそれを食らうために襲っていた。味わい、退屈を紛らわせるために。……だが、普通の人間の情報量は、我を満足させない。直近の記憶を除けば、過去はあいまいで、年を取った者ほど薄れゆく』


 人間の記憶って結構曖昧らしいからな。一説には確たる記憶はなく、その時々で条件に応じていちいち組み立てなおして思い出しているとか。


『だがヤスキチは違う。薄れることのない記憶、精細な情報量。我をもってしても、味わい尽くすのにどれだけ時間が必要か……』


 俺が急に、まるで完全記憶能力のように思い出せるようになったコンテンツは膨大だ。


『しかも信じがたいことに……我が情報魔法でも、その片鱗を感じることしかできぬ。その記憶を見るには、ヤスキチの許しが必要だ』


 そうなのか。よく分からんがそれはかなり有利に立てるな。


『故に聞こう。条件とは?』

『今この時から、ナイアットの人間に危害を与えるのをやめてくれ』

『易いこと。もはや普通の人間に用はない』

『俺が側にいるときは記憶を見せてやる。だがつきっきりってわけにもいかない。こっちにも予定がある』


 俺がダイモクジラの側にいるためには、トワがいないと駄目だ。だが、トワの立場でそうするわけにもいかないだろう。


『それは……承服しかねる。この場を凌いだ後、二度と姿を現さないのでは?』

『別れ際には次に会う日を決めよう。それとも、二度と記憶が見れない方がいいか?』


 果たしてダイモクジラが、そこまで俺の記憶したコンテンツを欲しているかどうか──


『……いいだろう』


 ──通った。


『条件は以上だ』

『契約は成った。……だが』


 だが?


『これだけでは不安だ。ヤスキチが我に会いたくなるようにしよう』

『ッ、待て!』


 大きな波を立てて、ダイモクジラが海中へ沈む。その緑の巨体はあっという間に見えなくなり──


「う、後ろだ!」

「うわああああああ!」


 船員の悲鳴で気づく。船の反対側で、海が膨れ上がってダイモクジラが姿を現した。


『人間よ、これ以上危害は加えぬ。さあ受け取るがいい』


 ダイモクジラは、今度は全員に聞こえる声で言うと、そっと船に身を寄せる。そして上に乗っかっていたものを、ごろりと甲板の上に転がした。


「騎士様!?」


 それはダイモクジラに吹き飛ばされて海に落ちていたフリードだった。船員たちが駆け寄ると、フリードはむせながら身動きをする。かなり長い時間海の中にいたと思うんだが、無事なようだ。


『どうだ』


 戸惑いの声と歓声が上がる中。ダイモクジラは、俺の方を見てこっそりと言った。


『恩があったほうが、約束を守る気になろう?』


 いやマッチポンプじゃねーか。



 ◇ ◇ ◇



「あれ、やっぱ気づいたかな?」

「気づいたかもしれませんね~」


 俺の問いかけに、トワは手で双眼鏡を作るようにして船の進行方向を見る。


 そこには陸地があり、港町があり──そして、大きな船が慌てて出港して隊列を整えていた。


「あれ、軍船?」

「であります。騎士が乗り込んでいるのも見えるのであります」


 視力いいんだな。しかし、そうか、軍船かあ。


「……やっぱり騒ぎになったじゃねーか」

『仕方なかろう』


 心の声が響く。それはこの船を後ろから押している……緑の藻に覆われた巨大なクジラから発せられた。


『旅路を急ぎ、早く予定を済ませるのだ』


 ぐん、と船が押される。めっちゃ速い。帆が邪魔になるので畳んだぐらい速い。


「いや、だからってお前、そんな姿を見せちゃってさあ」

「ははは……まあ、ダイモクジラ殿の気持ちも分かるのであります」


 トワは苦笑し──寝不足でクマの出た目をこちらに向ける。


「鑑賞会は楽しかったでありますから!」


 魔獣、ダイモクジラと契約を交わした後。


 さっそく記憶を見たいというダイモクジラのため、俺の記憶からコンテンツを引っ張り出し、映像として再生することになった。異世界のコンテンツをおおっぴらに見せるわけにもいかないので、俺、トワ、ダイモクジラの3人? で鑑賞会だ。


 最初の頃は登場するものすべてに質問攻めだったが、やがて異世界のことに慣れてくると純粋にコンテンツを楽しめるようになったようで、鑑賞会は大盛り上がりだった──トワとダイモクジラの間で。トワなんて完徹だからな、今めっちゃ眠そう。


「ヤス殿は楽しくなかったでありますか?」

「実況した気分にはなったけど、物足りない」


 そもそも『完全に思い出してしまった』ので、アニメを見てても先の展開が分かっていていまいち盛り上がれないんだよな。


「それに、やっぱり実況っていうのはもっと大人数で、滝のように流れる感想の元でタイミングよくお決まりの言葉を書いたりするもんなんだよ──バルス!」

「なんでありますかそれ」


 Twitterを止める魔法の言葉だよ。


『我は先ほどまで見ていたアニメの続きが気になる。あれからどうなる?』

「ネタバレはしないぞ」

『クッ……』


 いやあ、衝撃の3話だからなあ。気になるだろうなあ。だからこそチョイスしたわけだが。


『おのれ……早く用事を済ませてくるがいい』


 というわけで、ダイモクジラは船を押している。当初の目的地である、網を仕掛ける終点のシモンセイクの街ではなく、ササ領のハイジェンス大学がある、ハイジェンスの街へ向かって。


 ダイモクジラがこうして人を襲わない約束をした以上、網を仕掛ける意味はもうない。であれば用事があるのはハイジェンス大学のみで、ダイモクジラの速度をもってすれば今積み込んでいる物資で十分に間に合う──ということで、直行することになった。


「とりあえず一週間は陸にいるからな。その間大人しくしてろよ」

『仕方あるまい』


 ダイモクジラはため息を伝える。


『その間は、見せてもらったドラマとアニメをリピートしておこう』

「え。そういうことできるの?」

『できるとも。ほれ』


 俺の目の前で映像が再生される。それは記憶と寸分違わない内容だった。え、マジ?


「見たもの全部覚えてるのか?」

『然り。これまでは不漁の時、人間の記憶を振り返っていたが、これほど鮮明で刺激的なものは初めてだ。しばらくは退屈も凌げよう』


 全部覚えてる……記憶してる、か。うーん。


「それも情報魔法の力なのか?」

『然り』

「人の記憶を食べていたのでありますよね? まさしく常識外れの魔法であります」


 情報魔法で人の記憶は覗けない……とトワは言っていた。だが、ダイモクジラはできる。魔獣だからか……いや、それはともかく。


「あのさ。情報魔法じゃ、情報の保存はできないんじゃなかったっけ? 劣化するとかなんとか……」

「あー、ちょっと説明が足りてなかったのであります」


 トワはもさもさヘアを掻く。


「一時的な情報の保存なら、情報魔法で完璧にできるのであります。技術も魔力量も必要なうえ、魔法を維持している間だけ、でありますが……そしてどんなに魔力を費やして維持していても、寝てしまえば維持できないのです。ですから、起きたら思い出して保存しなおす……そこで劣化するのでありますよ。しかし……ダイモクジラ殿は寝ないそうですので」

『我が魔力に際限はない。情報を忘れることなどありえぬ』


 なるほど……。


「人間は揮発性メモリで、ダイモクジラは不揮発性メモリ……いや()()()()()ってところか」


 電源を切れば揮発し(きえ)てしまう情報(メモリ)。しかしダイモクジラは眠らない……電源が切れないから、情報を保存し続けられる。……その理屈だと、俺も同じなんだろう、おそらく。


「……想定外だな」


 この先ちょっとマズい気がする。


「そうでありますねえ……」


 トワが呟く。


「確かに、想定外であります」


 軍船が近づき、こちらの意図を問うてきた。魔獣に追われているのか、助けを求めているのか? それとも?


 ──それに応えるのは、興奮したこの漁船の船長。


「大丈夫だ、危険はない!」


 大きな声で叫び、伝える。


「魔獣、ダイモクジラは、マツニオン領が領主の娘、トワイラ・エスリッジ様が調伏された!」

明日も更新します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やべぇ一気に色々解決したぞw
[良い点] 衝撃の3話ってだけでどのアニメかわかっちゃうよね もう何も怖くない!
[気になる点] ヤスキチを永遠に消せない理由ができてしまったので、トワの結婚がまた遠退く、と。
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