カサンドラと家族のエトセトラ
「なんかね、知らない人がこの邸にいるみたいなの」
「…どんな人?」
中庭に造られたブランコに揺られながら、クレインは目の前で腕を組んで渋い顔をしている妹・フェイリーに尋ねた。
「豚お姉さまと同じ色の髪の女なんだけど、すっごくスタイルがよくて‥あれ、絶対お兄様の愛人よ」
「ヘルト兄様の?‥まっさかあ、兄さまはぼくねんじんって奴だって、みんなが噂しているよ」
「それじゃあとうさまの愛人よ!!」
「‥愛人じゃなきゃダメなの?」
クレインの冷静な突っ込みに、フェイリーは二の句を告げない。
むすっと頬を膨らませていると、こちらに向かって大きな人影が歩いてきた。
「ここに居たのか、フェイリー、クレイン」
「!!ヘルトにーさま!」
フェイリーはててて、と勢いよく駆けだすと、思い切りヘルトに抱き着いた。
「にーさまに―さま!抱っこして」
「しょうがないな。もう9歳になるんだから、もう少し落ち着かないと、みんなに笑われてしまうぞ」
「ここはおうちだからいーもん!ねえ、ヘルト兄さま、わるいおんなに騙されちゃだめよ?!」
「…一体どこでそういう言葉を教わるんだ。クレイン、お前か?」
「えー違いますよぉ。それにしても、兄さま自らこちらに来てくれるなんて珍しい」
8歳のフェイリーと11歳のクレインは、それぞれ母と侯爵が主に生活拠点としている敷地内の別邸に住んでいる。本館にはカサンドラとヘルトが何部屋かそれぞれ使っており、別邸の家族とほとんど顔を合わせることはない。
稀に本館で朝食や晩食を取ることがあることはあるが、まず、あり得ない。だからこそ、カサンドラと他の家族との距離は広がっていくばかりなのだ。
「‥今日はサンドラの回復祝いもかねて、朝食を本館でとるようにと父上からの指示だ。」
「ああ!兄さまってば!!あの豚姉さまを名前で呼んだー!いっつもあいつ、とかばっかりなのに」
こういう時、子供というのは妙に鋭いものである。
「‥そういう呼びかたはするもんじゃない。まあ、今のサンドラを見たら二人とも驚くだろうなあ」
「…??」
**
「…おっお…お前は誰だ――!!」
「カサンドラです‥。確かに体系は変わりましたけど、娘の顔を忘れるなんて…」
先日ヘルトからも聞いていたので、父に回復報告もかねて挨拶に来たものの…なんとも予想を裏切らない驚き方をされてしまった。
「‥幽霊かと思ったぞ。‥本当にカサンドラだったのだな」
そういうと侯爵は少しだけ目を細めて、眩しそうにこちらを見た。
(これがカサンドラのお父様‥白いおひげの紳士だわ…。大志を抱け―とか言いそう)
なんとも教科書にでも出てきそうな男性だった。髭にばかり目が言ってしまうが、顔を見れば意外と若いかもしれない。
「‥そんなにお母様に似てらっしゃいますか?」
カサンドラの部屋にある絵画やアルバムを見ても、母の写真は見つからなかった。もしかしたら別のところに保管場所があるのかもしれないが…父の反応を見る限り、相当似ているのかもしれない。
「‥そ、そうだったな。お前はアレクシアの顔を見たことがなかったか」
カサンドラの実の母親、アレクシアという女性は、生まれつき身体が弱いためカサンドラが二歳の頃には亡くなってしまったらしい。その五年後、後妻をめとるわけなのだが‥カサンドラの記憶をどれだけ遡っても母親の気配がないのはそれが理由だろう。
「おとーさま!!その女に近づかないで―――!」
と、突然小さな子供らしい叫び声が邸内をこだまする。
ヘルトに抱っこされてやってきた少女は、ぴょんとその腕から逃れると、こちらをきっとにらみつけた。左手は腰に手をやりながら、右手でびしっと決めポーズでカサンドラを指さした。
「…怪しい女!!とう様にも兄さまにも近づかないで!!」
そのままとことことヘルトの前に立ち両手をばっと広げた。
‥こういうのは仁王立ちというのだろうが、申し訳ないけどすごく可愛らしい。この子がフェイリーだろうか?燃えるような赤い髪に、くりくりとした大きな黒い瞳。まるで人形のような女の子だった。
「…フェイリー、お前なあ」
「‥もしかして、サンドラ姉さま‥?!」
ツンツンしたフェイリーとは反対に金髪の弟のクレインは、キラキラと目を輝かせながら、こちらに向かって歩いてくると、優雅な手さばきでさっと私の手を取ろうとした。
「いやあ、すごい!見違えるほど美しくなられて!!」
なんだろう…この子もヘルトには敵わないとはいえ、相当な美少年だが、性格はまるで違うらしい。
どちらかというと将来が心配になってしまうのは、気のせいだろうか。
私の手まであと数センチのところまで来ると、その小さい体はひょいっと、ヘルトに持ち上げられてしまう。
「ちょっと~首根っこはやめてよ、兄さま。ブラウスが着崩れちゃう」
じたばたと暴れてみるが、ヘルトの腕力にかないっこない。
「‥その辺にしておけマセガキめ。子供はそんなことせんでいい」
「え~じゃあ兄さまならいいの?成人したオトナは女性に触り放題だって…あいた!」
「そういう下世話な話しは一体誰から仕入れてくるんだよ、クレイン!」
クレインの金色の頭のてっぺんにタコ焼きみたいな大きなたんこぶができる。どこの世界でも悪ガキっていうのはいるものなのねえ…。
そして、フェイリーはというと…
「じいーーーっほんとに豚ね‥カサンドラ姉さま?ほんとはわるいまじょじゃないの?」
「…」
今、この子豚姉さまって言おうとしたのよね。‥ちょっと驚かせてやろうかしら。どうせ悪女レベル見習いだし。
「‥‥ふふふ、さてどう思う?あ~ら…こんなところに随分と可愛らしいエモノがいるじゃあないの」
「な、なによ」
じりじりと後ずさりするフェイリーの手を思い切り掴んで握る。
「どう料理してあげようかしらあ…?」
「‥ひっ…うえっ‥うう‥うわあああん!!」
「えっ…わわわっ!ご、ごめんねフェイリー!驚かせるつもりじゃ」
なんてこと、泣かせてしまった…!今更どうしようもできずおろおろとしていると。
「何しているのよ!!!」
後ろから血相を変えた表情の女性が現れ、ぱっとかばうようにフェイリーを抱きかかえる。赤い髪が炎のように揺らめく。これが継母のタリアだろう。
「フェイリーに何をするつもり?!」
「あ‥いや、その、ごめんなさい…」
タリアはものすごい形相でこちらをにらんでくる。思わずたじろいでしまうのだが、見かねたヘルトが私をかばうように間に立ってくれた。
「カサンドラが悪気がないのは見てわかるでしょう。‥落ち着いてください母上」
「…ヘルトが、そう言うなら。…行きましょうあなた。私これから用事がございますの」
「…あ、ああ。タリア‥」
おろおろとする公爵が後をついていく。…どうやら支配権は父ではなくタリアにあるようだった。
(うう‥なんだか随分嫌われているなあ)
なんて、一瞬、落ち込んだりもしたのだけど。まあ、元々冷え切っていた家族仲みたいだし、いきなり痩せたからって全部が変わるわけじゃないよね。
「よし!とりあえずは、ご飯食べないと‥」
一人、気合を入れ直していると、ツンツン、と誰かにドレスの裾を引っ張られた。…クレインだ。
「サンドラ姉さま、お近づきのしるしに、明日僕のお茶会にいらっしゃいませんかあ?」
こそっと内緒話をするように手を添えて喋るクレインに合わせる為少し屈んでみる。
「‥お茶会?」
「そーでーす。美味しいお菓子もたくさん用意しますか…」
「なるほど、それは面白そうだな、クレイン俺も混ぜろ」
いつの間にか、ヘルトが話に割り込んでくる。
「…ちっ。で、でも兄さまはお仕事が」
ん?舌打ちしたのかしらこの子?まさか、気のせいよね。
「そんなもの、お前が俺の休日に合わせれば済むことだろう?それとも明日じゃないとならない理由でもあるのか?」
「うーん。そうね、ごめんなさいクレイン。私も明日は仕立て屋に来てもらう予定だから…何なら、ヘルト兄さまと都合を合わせます」
「‥そういうことなら‥仕方ありませんけど」
クレインの不満そうな表情とは対照的に、ヘルトはどこかしら得意げな顔をしているように見える。二人の仲はいいのか悪いのかよくわからないけれど‥男兄弟ってこういものかしら?
その後、タリア婦人と居心地が悪そうなフェイリーに挟まれて窮屈な朝食を終えたのだった。
(うーん‥家族みんな仲良し!になるまで、道のりは遠そうだわ‥)
**
「は―‥つっかれた」
「お疲れ様です、お嬢様。いかがでしたか?」
「いいえ、相変わらず‥なのかしら。タリア様には嫌われているようだったわ」
侯爵とタリアは大恋愛だったというらしいし、もしかして、私がアレクシアに似ているから‥気に入らないのかもしれない。
「そうですか…すみません、やはりこちらにお食事を持ってきた方がよろしかったですね‥」
「いいのよ、アリー。私が別に何かをしたわけじゃないもの。逃げも隠れもしないわ」
正直、劇的に全てが180度変わるなんて思っていない。
今日は全員の顔を見れて、反応が分かっただけでも問題ないだろう。
どれだけ嫌われていようが、ある程度カサンドラには自由に使える資産もあるようだし、結果オーライだろう。
「お、お嬢様…ぐすっ、ありがとうございます…!ええと、マダム・ベルヴォンには明日の予約をしておきました!」
「そう、良かった。…ねえ、かの有名なバルク・ベルヴォンも来るのかしら…?」
「え?ああ、そうですね。今はマダムの助手を務めていらっしゃるとのことですし…、いらっしゃるんじゃないでしょうか??」
「ふふふ、だといいわねえ」
ああ、明日が楽しみ。悪だくみはする前が一番楽しいわよね!