アードラ②~宵の花に酔う~
バターーーン!!
人の気配が薄い館の中に激しい衝動音が轟く。
「かったいな、この扉?!」
元々防音効果のせいだろう。
ただでさえ分厚くて重い扉は、文系で非力の僕の蹴りごときではびくともしない。仕方ないので体当たりをした結果がこうである。
コロコロと転がる深紅の宝石を懐にしまうと、一目散に駆け出した。
(早くこの場から立ち去らないと!)
恐らく、先ほどまでいた場所はこことは全く違う異空間だろうが、こんな危なっかしい場所に長居は無用だ。転がるように再び玄関に向かうと、ものすごくちょうど良いタイミングで扉が開け放たれた。
「アードラ大丈夫?!」
「‥ご主人様。今は逃げよう!!」
「…ただ事ではありませんね。行きましょう!」
こういう時、ユリウスがいるとなんて心強いんだろう。
緊張とか、色々な真実を知った衝撃とかで、僕のメンタルは相当ダメージを食らってしまった。
「ああ‥もう駄目だ。ご主人様運んで~」
猫くらいの大きさの小動物なら、あのふくよかな胸元で思う存分甘えられるし、と思ったのだが。
ひょい、と首根っこを掴まれると、ユリウスの固い胸板とジャケットの隙間に押し込まれてしまう。
「君は分別というものがないのですか?」
「‥羨ましいならそう言いなよ」
あ、図星だな。
というくらいわかりやすくカッと顔が赤くなっている。
「…否定はしません!ハッ!」
いや、否定しろよ。
コイツ、僕がいない間にカサンドラと何かあったんじゃなかろうか。馬は棹立ちになるほど思い切り叩かれ、ぐんぐんとスピードを上げていく。
そうして、あっという間に森を抜けてしまったのだった。
気が付いた頃には、空はもう夕闇で赤い色に染めあがっていた。
「いつまでも戻ってこないから、心配したわ」
「‥僕も、まさかこんなに時間が流れていたなんて気が付かなかったよ」
ここは、森から遠く離れた河のほとりだった。
流石の馬も、全速力で駆け抜けたので疲労したのだろう。今は鞍を外してのんびり草を食べながら休憩している。
「何があったんです?…無事、二階には行けましたか?」
「ああ。行くことは行けたけどね。…ファルケンに遭遇した」
「…やはり、あの奥の部屋はファルケンの…」
(さて‥どこまで語り、どこまで話すのがいいだろう)
「ひとまずこれを見て」
そう言って懐から深紅の宝石を取り出した。
先程眩い程放っていた赤い光は今はすっかり影を潜め、落ち着いている。
「これは?」
「‥確信はないから、詳しくは言わないけど‥本当に大事な物だから、取っておいて」
この赤い宝石の正体について、なんとなく察しがついている。しかし確定要素が薄い上に、あまり気分のいいものではないので話さなかった。
「‥ユリウスが期待しているような文書やメモはなかったよ。‥ただ、なにかを実験していた痕跡があるくらいだ」
あの狭苦しいごちゃごちゃした空間は、なるべくならもう二度と行きたいとは思わない。
「わかりました。私は祖父の日記‥というか、手記を見つけました」
「手記?」
「恐らくずっと若い頃に使っていたモノでしょう。晩年に残した研究文書の内容程濃密な物ではありませんでした。‥ただ、未完成ではあるものの驚くべきはその研究内容の詳細でしょう」
ユリウスが見せてくれたのは、なめし皮のカバーがかぶさっている手帳だった。
パラパラとめくると、一ページにびっしりと細か文字が刻まれていて、目がちかちかしそうだった。
「この手帳の後半部分‥ちょうどこのあたりです。【人造物の作成と経過について】」
「人造物…」
「人間によって人間は作り出せるか‥そういう内容です」
恐らくそれは、彼が語った【作品】についての前衛的な内容だろう。
「それは、きっと僕のことだろう」
「…え?」
二人の視線がこちらに集中する。
「二人が知るように、僕は『造られた存在』だ。‥その原理はよくわからないけど」
僕がそう言うと、ユリウスの表情がみるみる怒りのものへと変わっていく。
「…研究文書の通りなら、原型の骨を使って決められた手順と材料で入れ物を作ると書かれています」
「じゃ、そういうことなんだろうね」
「ファルケン‥奴こそ、冥界にずっと閉じこもっていればいいものを‥!」
「ユリウス‥」
あまりにもあっけらかんと言いすぎただろか。
まさか二人がこんな悲壮な顔をするなんて。
(‥まあ、その事実が辛くないわけじゃないけれど)
今は自分の気持の整理ができない。
「‥ごめん。やっぱり、少し整理してからでいい?」
苦しいのか辛いのか、不快なのか‥自分の気持は今、どの言葉が正しいのだろう。
**
部屋に戻ると、御主人様は夜の食事をとるから、と出ていった。
「…色々、聞きたくないことを聞いたり、会いたくない奴に遭ったり、大変な一日だった‥」
カサンドラのベッドでごろごろと時間を過ごし、彼女が帰ってくるのを待ち続ける。ジッとしていると、良くない方に思考が偏るものだ。
そういえば、よくラヴィもウサギの姿でカサンドラのベッドにもぐりこんでいたな。と思い出す。
(あいつも‥不安だったんだろうな)
僕やラヴィにとって、ご主人様は全てだ。
この世界で、唯一自分たちを知ってくれているかけがえのない存在。
(この世界自体が夢‥)
本人は自覚しているかどうかは分からないが、彼女は僕たちをいつも傍においてくれる。それがどれだけ支えになっていることか。
「アードラ、大丈夫?」
ふと、顔をあげると、空色の瞳が僕を見おろしていた。
ふわりと花のような香りがするのは、湯浴みの後だからだろうか。少し濡れた髪がどこか艶っぽく、目のやり場に困り、顔を背けてしまった。
「‥ッ。なんだよ、風呂上り?」
「何よ。慌ててきたんだもの、仕方ないじゃない」
「慌ててって‥なんで」
「‥元気ないでしょう、アードラ」
つまりは、心配してくれたということだろうか。
今は、それだけで心の底から嬉しい。
「‥抱き締めていい?」
「だめよ。あんたには前科が‥」
ぎゅうっと抱きしめると、思った通り暖かくて柔らかかった。
(いい匂い‥それに温かい)
「ラヴィに遭ったんだ」
「‥ラヴィ?!なんでそんなとこに」
「ファルケンと一緒にいたよ。‥どうやら二人は手を組んだみたい」
「‥‥そう。元気だった?」
「元気も元気。‥僕のことを剣で襲うくらい」
「!怪我は?」
彼女がばっと顔をあげると、至近距離で目が合う。
瞬間、見つめ合うが、すぐにさっとそらされてしまった。
「怪我はないよ。‥でも、少し疲れた」
「‥それだけじゃないでしょう。他にも何かあったんじゃない?」
(話していいのだろうか。この世界のこと、その他にも)
「世界は二つあるそうだよ。‥正しい世界とそうじゃない世界と」
「‥‥やっぱりそうなのね」
やっぱり?
思っていた反応とは違って、こちらが驚いてしまった。
「なんで?知ってたの?」
「ずっと前に、言われたことがある。『女神に仕える巫女と、白い王子様との恋物語』。それは、影に飲み込まれて崩壊したもう一つの世界の話だった。‥ごめん、黙っていたわけじゃないんだけど」
「‥じゃあこれは?リオンと僕は違うと思っていたのに、同じ存在で、僕は…」
「ストップ」
彼女はグイ、と僕の身体を押しのけた。
「落ち着いてよ。‥らしくない」
「…たまには、慰めてよ」
僕がそういうと、さらに距離を取られてしまった。
「何落ち込んでるの!いい?こうして生きてるってことは、ある意味ファルケンのお陰よ!」
「あいつのお陰とか‥冗談じゃ」
「だーから。今生きているのはアードラなんだよ?死んでたら、こうして私と話すこともできないし、出会うことすらなかった。‥いっそ感謝してやりましょうよ」
「‥かんしゃあ?」
「そうよ!!自分をいじめた相手に対しての最大の復讐は相手に感謝することよ!!」
「何それ?!」
別にいじめられたわけでもなく嫌がらせを受けた程度なのだが。
どや、とあまりにもはっきり言うものだから、本当にこの人は面白いと思う。
「いじめる奴の目的は相手を苦しませてやりたいと思うこと‥なら感謝してやれば、最高の復讐が成立するわ!」
ものすごく得意げに演説するのだが‥とてもそんな気分にはなれない。
逆転の発想と言う奴だろうが、ちょっと今の僕には難しい。
ただ、彼女が言うなら、なんだか本当にそうなのかもしれない、と思えるから不思議だ。
「君は強いなぁ」
「そうだよ。生きたもん勝ち?って奴よ!だから元気だし‥」
ぐっと触れた身体を再び引き寄せ、自分の腕の中に閉じ込める。
今度こそ逃さないように、しっかりと抱きしめると、少し火照った白いうなじが目に入る。
「‥アードラ?」
(‥白くて、簡単に跡が付きそう)
長く濡れた髪を払いのけ、白い首筋に唇を滑らせる。
すると、腕の中に納まる彼女の身体がびく、と微かに動いた。
「ッ‥ちょ ちょっと」
「‥僕だって、男だよ?そんな隙だらけで‥何もしないと思った?」
「や やめ‥」
彼女が僕を拒むように身体を動かす度、花の香りが鼻を掠める。
その香りに包まれると、それだけで不安も迷いも融けていくようだった。
「ごめん」
逃げられないように右手をしっかりと抑え込み、不満を延べようとする唇をふさいだ。何度も食むようにそこに吸い付くと、彼女の唇から時折甘い吐息が漏れ、どんどん夢中になっていく。
「‥っ」
ほんの少し、彼女の力が抜けたその一瞬を逃さず、薄い肌着の上に羽織ったガウンを剥がす。
シルクの薄布で覆われたしなやかな肢体がくっきりと闇夜に浮かび上がり、その豊満な胸元に手を伸ばした、次の瞬間。
ガキッという鈍い音に、飛びかけていた意識が急激に戻っていく。
「~~っ痛い!」
「もう一発!!」
強烈な衝撃と共に星がちかちか見え、おかげで正気に戻ることが出来た。
(くそう、左手が空いていたか)
「いってぇー‥っ」
「全く!!こんな格好でうろうろした私も悪いから、二発で許してあげる!」
カサンドラは乱れた服をパパっと整えると、再び厚手のガウンを羽織った。
「髪、乾かしてくるから、頭でも冷やしなさいな!」
バタン、と勢いよく扉は閉じられた。
なんとなくその姿を見送ると、僕はそのままベッドの上にばたりと倒れ込んだ。
自分の理性が吹っ飛んだ行為に赤面し、悶える。
(柔らかかった―‥それに、触り心地が)
未遂とはいえ触れた唇が熱い。
少しだけ残る花の香りと感触に余韻に浸りながら、目を閉じる。
(アレは中毒になる。本ッとうに気を付けないと、寝室の出入り禁止なんて冗談じゃない!!)
気を付けよう、心を締め直そう。
そんなことを考えて、ふと、あの暗い感情の嵐からいつの間にか抜け出していたことに気づく。
「あれ、なんだ。僕、元気じゃん」
ふっと笑みが零れた。
いつか彼女が僕だけのものになる日が来ればいいけれど、敵は多いからなあ。
もし、カサンドラが僕を不要とする時が来たら、潔く身を引くつもりだ。
でも、今を生きていけば、未来はつながるはずだ。そうしたら、万が一の可能性もあるかもしれないしね。
最後の別れの日まで、傍に居たいと願ってやまないのだった。




