悪魔の証明
館に入ると、相変わらずかび臭い匂いがつん、と鼻を刺激する。
翼を広げて館の中を回ってみるものの、二階に続く全ての階段は不自然な程に塞がれていた。
奥の部屋に続く廊下もまた同様に粉々に砕け散っているように見える。
「余程隠したいのかね。‥ユリウスの言った通りだ」
一回りしてから、エントランスホールに戻ると、上を目指して飛んでいく。
不思議なことに、玄関から見える階段は見事に落ち、奥に続く廊下もほとんどが半壊状態。空を飛ばない限り、進むのは困難のように思える。
(内装を見れば綺麗な物なのに、これじゃ誰も二階に眼もくれないだろうな)
倒れかけた壁の木くずや積み重なったガラクタの合間を縫って奥に進むと、そこだけ異様に綺麗な状態の大きな扉の前に行きついた。
「部屋の構造からすると、おそらく結構な広さの部屋があるはずだけど」
扉に触れた途端電流のようなものが全身を駆け巡る。一瞬構えるが、それ以上は何も起こらずに扉はすんなりと開いた。
「これは‥」
その場所はどこか懐かしく、言いようのない不快感と閉塞感が同時に沸き起こってきた。
(僕はこの光景を知っているぞ。‥ここはかつて自分がいた切り離されたあの空間に似ている)
部屋の中央には大きなテーブルが置かれていた。
その上は雑然としていて、大小さまざまなガラスの容器や分厚い本、それに怪しげな液体やら何かの骨、異臭を放つしおれた花など、気持ちの悪い物が所狭しと置かれている。
四方の壁に窓はなく、何かが書き込まれた走り書きのメモがびっしりと隙間なく貼られており、わずかに見える白い壁はどれも汚れているように見える。
「にしても、この場所‥なんだ?」
壁際に置かれている机の上には、異様な赤色を放つ深紅の宝石のようなものが二つ、置かれてあった。
近づいてみてみると、その赤い光はどこかで見たことがあるような気がする。
(気のせいか‥?この赤色はどこかで)
ふと、ウサギの姿を思い出した。
「‥ウサギ。ラヴィと同じ、色?」
そしてもう一人、彼女もまた同じ瞳の色をしていた。
(…まさか、冗談だろう)
「美しいだろう、その光」
「!」
ぎょっとして振り返ると、現れたのはファルケン・ビショップ・フォスターチだった。しかし、その姿は以前見たものとは異なり、あの時よりもさらに若返ったように見える。
「やあ、リオン。まさかこんな場所で我が孫に会えるとは」
なじみのない【孫】という言葉と、リオンと呼ばれたことに両眉をひそめた。
「その呼び方、鳥肌が立つからやめてくれない?それに、僕の名前はアードラだ」
「ふ、アードラか。しかしお前は元はリオンという一人の人間だろう?」
「元は、ね。でも今はジジイの孫でもないし、その名で呼ぶにはリオンにも僕にも失礼だ」
「それは失礼」
くつくつと笑う若き姿のファルケンは、どこか余裕じみていて、凄みがある。
気後れしないようにきっとにらみつけると、姿勢を正した。
(まずいな‥ここでこいつに遭遇するなんて思ってもいなかった)
可能性の一つとしてはあったはずだが、まさかジョーカーのカードを引いてしまうとは。
「ところで、なにその姿、錬金術でおなじみの賢者の石でも作った?」
「おや、お前は私が生涯を捧げた研究に興味があるのかい?‥ハハ、それは嬉しいねえ」
「誰が。」
(コイツのペースに呑まれるわけにはいかない)
ユリウスの時と同様、こいつに油断も隙も見せたら食われる。‥神殿を牛耳り、毒で時代を創った人間だから。そう、心に留めておく。
「あんたが錬金術に傾倒していたというから、調べに来たまでだ。‥【大いなる意志】は錬金術において神と等しい存在なんだろう?」
「【大いなる意志】ねえ…。お前はその正体に気が付いているか?」
「…確信を得られないから、こうして調べている」
元をたどれば、自分をはじめ、ラヴィもファルケンもこの世界を構築する機能の一つだったということはわかる。しかし、確信もない。
もっとも、こいつはその正体を知っているんだろうけど、それをわざわざ教えてもらう必要もない。
「フム…リオン、お前は世界が二つあるということを知っているかい?」
「…この世界の他に?」
「もう、何度も考えただろう?お前と、故人のリオン・フォスターチ。何故二人の相容れないリオンが存在しているのか。‥答えは分かったか?」
「‥‥」
どきりとした。
なんとなく、はじめは自分とリオンは別の存在のように思っていた。しかし、彼を知れば知るほどそうじゃないのかもしれないということに気が付き始めたのだ。
「思い当たることがあるだろう?特にお前は」
「…何、その知ったような口ぶり」
「だってお前は【リオン】だ。正確に言うと、彼が描いた理想の夢の姿だろう?」
「夢‥だと?」
ふと、リオンの手紙に書かれた「夢」の話を思い出す。
カサンドラが見せてくれた手紙を読んでいた時、夢の話がいくつか書いてあった。
鳥になる夢、会ったこともないカサンドラと出逢い、二人で街を歩く夢。
なんとなく、リオンの願ったことはほとんど自分が果たせているような気がして、不思議なつながりのようなものを感じたものだ。
しかし、それが偶然じゃないとしたら。
「おや、知らなかったかい?ここは、正しい世界が描いた【夢】の世界なのだよ」
「何‥?」
本当は、うすうす気づいていた。
ただ、それを認める勇気を僕は持ち合わせていなかった。
「‥そんな、世界一つを作れる存在、だと?」
「【大いなる意志】とは、神にも等しい。‥いいや、女神など霞む程素晴らしい存在なのだよ!!」
まるで謳うようにファルケンは告げる。
「神は私と取引をした」
「取引だと?」
「正しい世界で、死を迎える直前‥私は成すべきことも成せずに死ぬことを恐れていた。‥しかし、死の直前、私は昏き影に触れ真の闇を識ったとき…世界の道理と摂理の究極を理解した」
「理解‥ねえ」
ユリウスが言っていた。こいつの研究を理解しようとしてもできない、と。
無理もないだろう。
不確かなものや言葉にできない感覚などは当人にしか理解しえない。
それがたとえ間違っていようと、それを【道理と摂理】と言い切ってしまえばそれが当人にとっての真実になる。それを他の誰かが証明する手立てなどありはしない。まさに『悪魔の証明』だ。
「取引ね‥それ、神じゃなくて悪魔の間違いじゃないの?」
「どちらであれ、私を生かしてくれればそれが私にとっての【神】に相違ない。」
コイツと話していると、こちらまで頭がおかしくなりそうだ。
要するに神だのなんだの口に出したところで、こいつは自分しか信じていないだけの話だろう。
「それにしても、よくできた身体だ。‥リオンも私に感謝していることだろう。」
「‥…は?なにそれ。なんであんたに感謝しなきゃならない」
「その身体」
ファルケンは僕の全身を嘗め回すようにじっと見つめる。満足げにほほ笑むと、こちらをすっと指さした。
「どこも異常のない健康なその現身を作ったのは紛れもなく私自身なのだ」
「‥…なんだと?」
「賢者の石、お前はそれを知っているのだろう?」
その言葉に、絶句した。
(こいつが作っただと?この身体を?錬金術ってのはそんなこともできるのかよ!)
「‥たとえ名前をもらったからと言って、お前が私の作品であることには変わらないのだよ」
「は 作品?そりゃ、御作成戴いきありがとうございますー。‥でも」
多少驚きもするし、やっぱりな、という複雑な想いも交差する。
けれどもたとえ、こいつに何を言われようと僕の存在意義は絶対に揺るがない。
「出自はどうあれ‥僕はリオンであり、アードラでもある。」
「ふむ、だからそれは‥」
「フン、分からない?この世界に僕が居る理由なんて、あの子の側にいる為に決まっている」
例え世界中が彼女の敵に回ろうと、‥‥例えば彼女が誰かの元へ行くことになったとしても傍にいる。重いと言われようがそんなもの知るか。僕がそう、誓ったのだから。
「だから、あんたの出る幕はないんだよ!」
瞬間。
僕は咄嗟に壁際の机の上に並んでいた深紅の宝石を掴んで、走り出した。
「!待て!!止めよ!!」
「?!味方が他に‥っぅわ!!」
ひゅっ!と空を切る何かを辛うじて避けると、体制を立て直して攻撃してきた主をにらんだ。
「‥それを渡すわけにはいかない」
突如聞こえた耳慣れた声にぎょっとする。
そこに居たのは、赤い宝石のついた小剣を持った白い燕尾服の長身の男性だった。
その姿は‥かつて自分と同じ世界の一部だったはずの者だ。そいつが僕に攻撃している。
「…ラヴィ?ここで何を?‥それより今までなにをし‥」
言いながら、ぬぐい切れない違和感を感じた。
穏やかな話し方も佇まいもそのままなはず。けれど、なにかが決定的に違う。
「お前は誰だ?」
「‥‥」
目の前の青年は、うつむいていた顔をあげる。
そうして、琥珀色に輝く瞳と交差した。その瞳はどこか悲し気で、何かを諦めているようにも見える。
「‥すまない。私は君たちに詫びることしかできない」
言うが早いが、彼は持っていた小剣を駆使し、襲ってきた。
「?!」ぎょっとして半歩下がり、辛うじてその一撃をかわした。
「お前、ラヴィのオリジナル、だな?…ウサギはどうした」
「…ラヴィじゃない。私の名前はヒューベルト・ハルベルンだ!」
「ハルベルンて‥王族か?」
ラヴィと言う奴は、またとんでもない人物がオリジナルだったものだ、と感心してしまう。
ヒューベルトは追撃の手を緩めることなく、追い詰めてくる。
「おいおい、僕は文系だ。体育会系ではないんだけどな!」
(ユリウスくらいだったら何とか対処できるだろうけど‥これは!)
一撃一撃をかわしながらも、彼の持つ武器を見やる。
(あいつの持つ武器‥アレはなんだ、小剣のようだが‥何か魔力を感じる。‥いちかばちか)
持っていた深紅の宝石の二つの内一つをヒューベルト目掛けて放り投げだ。
「馬鹿者!!それを壊してならん!!」
背後からファルケンの焦りが混じった叫び声が聞こえる。
「思った通り。これは‥!」
「‥ッく」
手に持っていたもう一つの方の宝石をヒューベルトに向かって掲げると、赤い光を受け彼は一瞬怯んだ。僕との間に距離ができると、二つの赤い光はまるで共鳴し合うように輝きだし、部屋全体を赤く染め上げる。
「じゃあね!」
最初から名前のある【ラヴィ】と名前のない僕とファルケンと、何が違ったのだろう。
そんなことを想いながら、僕はその場をあとにした。




