ユリウス②~二人の時間~
さあっと風が吹くと、一緒に草の香りが流れてくる。
古びた館より少し離れた場所に、湖が見えるガーデンテーブルがある。多少の汚れはあるものの、白い大理石のモザイクタイルの天板は傷がほとんどなく、表面を拭けば使えそうだ。
着ていたジャケットを脱いで、そこに広げると、カサンドラは一瞬驚いたような表情になるが、恐る恐る座ってくれた。
「お気になさらず、どうぞ。」
「ありがとうございます。‥よ、汚さないように気を付けないと」
「汚れた所で何ら問題はありませんよ」
公爵家の令嬢ともなると、こういう気遣いは当然のように振る舞うものだろうに。
こういうところは、彼女ならではの感覚だろうが、少しくすぐったく感じてしまい、慌てて表情を取り繕う。
「こ、ここは子供の頃に避暑を兼ねて家族でよく訪れた場所でした。ちょうど、風が通って気持ちの良い場所でしょう?」
「はい!‥素敵な場所ですね」
(…ここは相変わらず美しいな)
幼い頃はよくこの辺りで兄弟で遊んだものだ、と思い出す。
今でこそ兄弟間の関係は互いに複雑になってしまったものの、かつては仲が良かったのだ。
…そう思うと胸が締め付けられるようだ。
「今紅茶を淹れますね」
「‥随分色々と準備してくださったんですね。重かったでしょう?」
「いいえ。そこは我が家の使用人たちが気を遣って木造の食器で用意してくれたので‥少し味気ないけれど、素敵でしょう?」
彼女はそういうと、バスケットから次々に簡易食器を取り出していく。
出された食器は全て木で作られたもので、軽くて扱いやすかった。
「これは‥グランシアで行っているリサイクルの事業ですね」
「そうなんです。‥名誉あるものの責務というところです」
実は、こういった変わった食器などはグランシアで扱っている事業の一つだった。古い木材を食器や道具に職人が作り直す‥華美な物や格式あるものばかりではないということだろう。
今度は陶器のポットを出し、中身をカップに注いでいく。
「これは?」
「フルーツティーです。さすがにお湯は用意できなかったので、冷製の紅茶にしてみました。これが意外と美味しいんですよ?‥サンドイッチもどうぞ。」
レモンやオレンジ、リンゴなどたっぷりのフルーツが入った紅茶は香りもよく、思った以上にさっぱりしていて、風味も良かった。
「美味しい。‥もしかして、これはカサンドラ様がお造りに?」
「えっ、よくわかりましたね?!」
言うつもりもなかったのだろうか?彼女は目を見開いて驚いた。
「‥あのグランシア邸のコックにしては、パンの切り方が独特というかなんというか」
「ちょっと!それ、造りが雑、ということ?‥もう!」
「え?!いいえ、手作り感があるというか、なんというか。でも美味しいですよ?!」
まずい、怒らせただろうか、と焦ってしまう。
しかし、カサンドラはなぜか笑顔を浮かべている。
「ふふ、フォローがなってませんよ?でも、味は大丈夫なはずです。私が手を出したのは、具材を挟めるのと、ベーコンを焼いたくらいですから」
「‥そ、それは失礼しました」
「いいえ!それより、今朝はびっくりしたでしょう」
「!」
(今朝のことを切り出すべきかどうするか迷っていたのに)
思った以上にあっさりと彼女から話を振ってくれたのに驚き、危うくサンドイッチを地面に落としそうになった。
「…そ、の。聞くべきかそうでないべきか迷っていたのですが‥」
「あはは、あの状態だもの。おかしいと思うのは当然のことでしょう?‥‥彼女はどうでした?」
カサンドラはあっけらかんと、まるで友人のことを話すように尋ねる。
「どう、と言われると…その、普段のあなたとはまるで正反対の‥淑やかな方でした」
「それじゃ、まるで私は普段淑やかじゃないみたいに聞こえますよ?」
「‥ッ?!えっと、あの」
またもや失敗したかと、落ち込みそうになってしまう。しかしそんな様子を察したのか、彼女は楽しそうに声をあげて笑ってしまった。
「今日のユリウスはなんだか面白いですね!‥いつも一線を引いてどこか余裕がありそうなのに」
くすくすと笑う姿を見て、全身がかあっと熱くなる。
「‥こんなものですよ。昨日だって、貴方を誘ってからというもの、緊張して眠れなかったくらいです。」
「えっ、そ、そんな風には見えませんけど‥」
「そういうふりをしているだけです」
まじまじと顔を見られるので、つい目をそらしてしまう。
気のせいじゃなければ自分の顔は熱いので、あらぬ方向を見て誤魔化した。
(‥ふたりきりじゃないと分かっているのに、情けない)
「今朝については…私からあなたに改めてお伺いするようなことはありません。ですが、兄と文通していたことについては、正直驚きました」
「‥素敵な文章を書く人でした」
ちらり、と彼女を見る。
カサンドラはどこか懐かしむように、遠くを見ている。
(アードラと同じなのだろうか)
カサンドラであって、カサンドラではない。
ただ、自分にとっては、目の前にいるこの人物こそがカサンドラであることには変わりない。
「‥私の知るあなたは、今のあなたです。私はそれで十分です、カサンドラ様」
一瞬、驚いた様子でこちらを見ると、空色の瞳と視線がぶつかる。
「‥触れても?」
「え あ‥は、はい」
一応彼女に触れるのは許可制なので、その手を取って甲にキスをする。
途端にカサンドラの顔は耳まで赤くなった。
(…可愛い)
「そういえば、カサンドラ様こそ、昨日から様子がおかしかったですね?」
「え?!な、何のことでしょう?そ、それより!昨日はどうしてカシルの勝負をかわしたんですか?」
「‥そうですね。ヘルト殿が仰っていたように、彼の場合は作られた勝利の上に成り立つ実力。例えば、私がカシルとの勝負を受けたとして、負けることはないでしょう」
これはきっぱりと断言できる。
社交界において、特定の個人の良い噂が拡大するのは理由が二つある。
一つは、その個人の能力を買って、それを他人が自分の利益の為に利用しようとする場合。
もう一つは、噂ばかり先行させてその特定の個人の足元を掬おうとする場合の二つだ。
どちらも似たような理由で、噂自体が好意的なことはまずあり得ない。
「彼が目を覚ますには、自分よりも遥かに高い実力で完膚無きまでに敗北すること‥ならば、私よりもグランシアの公爵の後を継ぐ実力を持ち、かつあなたの兄であるヘルトの方が、カシルも認めざるを得ないでしょう?」
「そ、そこまで考えていたなんて」
「と、言うのは建前です」
「‥‥え?」
きょとんとして、カサンドラがこちらを見返す。
(本当はこれは話すつもりはなかったのだけど…)
リオンにも、言いたいことや聞きたいこと言うべき、と教えられたばかりだ。
それを実践してみるとしようか。
「‥‥実は、ちょっとした反抗心のようなものです」
「‥反抗心??」
「ヘルト殿に負けたくないのです」
「ヘルトに?」
「‥あなたが私を代理の騎士として立ててくれようとしたのに、申し訳ありません」
レイヴン・クロムとのやりとりの時、彼があのように対処しなければ恐らく状況は悪化していただろう。あの液体を被ると、自分もカサンドラに何をしでかすかわかったものじゃない。
今こうして二人きりでいるだけでも、こうも落ち着かないのだから。
(ヘルト・グランシア‥)
彼はグランシア公爵家の後継にして、カサンドラ・グランシアの兄とされている。
質実剛健、性格実力ともに非の打ちどころのないと名高いあの騎士はグランシアの養子として迎えられた為、彼女と血のつながりはない。‥それでもカサンドラ様に対する思慕は深いと見える。
もっともそれが、妹を想う「思慕」なのか、「慕情」なのか判別できないが、ノエル君辺りは気が付いているのだろう。
「カサンドラ様、あなたにとっての唯一の騎士は私でありたい。‥心から、そう思っています。あなたも、そう思ってくれたらいいのに」
「‥あの」
(全く、正直な方だ)
「今すぐにあなたに答えを問おうなど、思っていません。‥時間はまだありますから」
「…ユリウス」
「サンドイッチ、もう少しいただいてもよろしいですか?」
「も、もちろんです」
ざわざわと風が通り抜ける。
午後になり、緩やかな時間が流れている。
適度に空腹は満たされ、くすぶっていたものを言い切った安堵感のようなもののせいか、少し眠たく感じてしまう。
(少しだけ‥)
**
「‥ユリウス?」
見ると、隣ではすうすうと健やかな寝息が聞こえてくる。
手をひらひらさせたり、何度も確認して。ようやく、ほっと胸をなでおろした。
(あ―――、心臓が止まるかと!)
先程のやり取りで、私としては生きた心地がしなかった。
(あ‥あ‥あんな目で見つめられたら!!び、びっくりした!!)
勘違いかもしれない。いや、勘違いなわけはないだろう。それこそ、彼に失礼だ。
(こんなにもったいない位、私を想ってくれているなんて…)
頬に熱が嫌になるくらい集まり、今この瞬間の私の顔を誰も見ていないことを願った。
三年後まで‥心臓が持つだろうか。
私はなんとなく、空を見上げてしまった。




