見えざる者への探求
「随分と、深い森ですね。どこに向かっているんでしょう?」
「もうすぐ着きますので、大丈夫ですよ」
昼間でも薄暗いこの森は、まるで来るものを拒むように木々が鬱蒼と茂り、いつも全体的に湿った空気で覆われている。
少し不安そうにカサンドラが呟くと、上空を飛ぶ鷹のアードラが呑気に声をかけてきた。
「大丈夫だって。夜なんてもっと不気味だから」
「…まあ、否定はしませんけど」
ハルベルンに流れている数々の噂を思うと無理もないが、自分にとっては思い出深い場所でもあり、あまりいい気分ではない。
「でも、‥昼間だと少し不思議な感じがする」
「不思議?」
(さすがということか)
アードラの鋭い言葉に少し感心してしまう。
「よくわかりましたね。実は、この森全体にある種の魔法がかけられています」
「魔法?‥‥魔法というと、今はもう使える人がほとんどいないと言われる?」
「僕は使えるけどね。…なるほど、夜来たときは分からなかったけど、微かに何かの気配を感じるな」
アードラはそういうと、ぐるりと回りを見渡した。
「道迷いみたいな幻惑の術‥か?正しい道のりを進まないと入り口に戻されるっていう」
「‥正解です。この森の正しい道のりを知っているのはフォスターチ一族の直系血族のみ。血に纏わる魔法の様です」
「じゃあ、ユリウスは分かるんですか?」
「ええ。…まあ、ほとんど直感のようなものですけれど、…こちらです」
私がこの森を歩く時、不思議と迷うことはなかった。
例えば、フォスターチ家に長年仕えている一族のだったり、血を分けた傍系の者達でも、決してこの森の正しい道順は分からない。
地図もないこの森では、目に見えない何かの力が働いているのだ。
「着きました」
「ここは…古い洋館のようですね」
「ええ。ここは、かつて私の祖父‥ファルケン・ビショップが晩年を過ごした館です」
「‥ファルケン・ビショップ‥あの、影を操る紳士…」
馬から降りて手を差し出すが、カサンドラは手を借りつつも危なげなく降りた。
(‥やはり、昼間の彼女とは別人だったのか)
「ちょっとユリウス。‥ご主人様を危険な目に合わせたら、ただじゃ済まない」
「大丈夫。彼女に何かあったら、私が自分を許さない」
「……」
「ちょっと、二人とも。私だって自分の身は自分で‥」
不満とばかりにぐっと握りこぶしを見せる彼女に、私とアードラはそろってため息をついた。
「逞しいのは存じてますが、カサンドラ様の場合はどこか危なっかしいので」
「無茶しかしないでしょ、ご主人様は。喧嘩に強いのは認めるけど、ここは黙ってて」
「‥う、なによう」
思わずアードラと目が合うが、互いに苦笑しあう。
「で。なんでまたここに?」
「‥関係があるかどうかわからないが。以前、君が【大いなる意志】とやらの話をしてくれただろう?」
そう言葉に出した瞬間、カサンドラはぎょっとしたようにこちらを見た。
「‥あ、そうか。そういえば二人で情報を共有したって」
「ええ。…これで除け者になんてさせませんよ」
とはいえ、自分にどれくらいのことが出来るだろう、と考えるがそれは心の奥にだけ留めた。
「ふうん。それで?」
「…祖父について改めて調べた時、気になる記述を見つけたのです」
「気になること?」
「祖父個人の記録というのはほとんど残っておりませんでしたが‥フォスターチ家に関する歴代の記録の中に、祖父の残した研究文書が残っていました」
フォスターチ家には、門外不出の歴史が記されたものが数多く残っている。
一族に連なる者達は、あらゆる方面に多岐にわたって分家が存在しており、それぞれの役割を持っているが、その中でも【記録】を受け持つ分家が膨大な全ての文書を何かしらの形で保存しているのだ。
「ファルケン・ビショップは、歴史上の表に残っている功績から毒公爵として名高いですが、あくまで『毒』は、彼の研究の成果ではなく一族の歴史から生まれたもので、それがたまたまハルベルンの王家にとって役に立ち、容赦なく利用しただけに過ぎません」
記録から見ても、『毒』はフォスターチに昔から伝わるもので、ファルケン個人の功績というよりも、歴代の一族がもたらしたレシピや薬学の知識による功績が大きい。
「容赦なく利用‥」
「ええ。…もちろん、ファルケンの知識があってこその功績には違いありません。ですが、彼はそれよりももっと深く研究した項目があるんです」
「深く研究…?」
「魔法と錬金術の関りについて、だそうです」
記録係は言っていた。
「ファルケン・ビショップは天才です。それは本人も自覚していたようで、彼の研究を理解するには時代が追い付いていない程でした」と。
「‥あの、すみませんユリウス。私は勉強不足で。錬金術について、教えていただけますでしょうか」
「‥わかりました。錬金術は単純に鉄を金に変える研究と一般的に言われておりますが、その研究は人ならざる者達、目に見えない事柄への探求と知識です。‥魔法と似て非なる物ですが、同一とする考えが一般的でしょう。」
ハルベルンには、古来より『女神神話』と一緒に『魔法』も伝わっていた。
ただ、目に見えない『魔法』の原理は難解で誰にも理解されず、時代と共に廃れていった。しかし、『錬金術』に関する文書が異国より伝わり、その関りについても次第に注目を浴びていくこととなる。
それが今から50年程前のこと。
時は流れ、現国王の後継争いが起きた二十年前。
女神神殿の力が強くなると、『錬金術』や『魔法』は、女神固有の力による非現実的で根拠なきもの、それを人間が理解しようとするのは傲慢だと排斥する動きが高まった。
「神殿の軋轢により、権威ある研究者たちはこぞって処罰の対象となり、多くの知識人が日の目を見ることなく処刑台の露と消えていきました。
だからこそファルケンは今の国王に尽力し、毒を扱うことで自身の価値を高めていったのでしょう」
自身の生涯をかける知識を守り、あわよくば神殿の力を掌握しようとした。‥彼なりの復讐かもしれない。今のフォスターチの力を見れば、彼の復讐は成されたと言えるだろう。
「錬金術による研究方法やその過程は、女神神殿的に言うと、道理に外れているものです」
「道理に外れる?」
その問いの答えは私ではなく、アードラが答えた。
「女神アロンダイトの道理が愛と恵と生あるものすべての許しだとしたら、錬金術や魔法の道理は死と破滅、それによる再生だ」
「死と破滅‥それによる、再生?」
さっとカサンドラの顔色は青ざめる。
「‥カサンドラ様、大丈夫ですか?」
「あ はい。‥ちょっと、色々驚いてしまって」
(‥?様子がおかしい)
「‥死と破滅による再生、まるで僕やファルケンのことを言ってるようだけど、元々女神さまが使っていたのも魔法なんでしょ。‥矛盾している。おかしな話だ」
どこか自虐的にアードラが呟いた。
「…錬金術は、壊して分解して、初めて新しいものを作り出すこと、としています。【大いなる意志】という言葉は、錬金術師たちが使う神の名前です。世界の原理は大いなる流れの意志によってもたらされる法則と摂理の中で存在している‥ということらしいです」
「大いなる意志によってもたらされる法則と摂理‥‥あの、ユリウス。錬金術において、【影】というのはどんな役割を持っているのですか?」
カサンドラの瞳が不安そうに揺れている。
経緯はどうあれ、見えない【影】に二度も彼女は襲われているのだから、仕方のないことだと思う。
「私も祖父の研究文書を読んでの知識にすぎませんが‥【影】は見えざる者で唯一物理的でもあり、心理的概念であり、正体が明らかな物である、と祖父は考えて居たようです」
「‥む、難しいですね…??」
正直に言うと、自分で読んでみた感想としても、その全てを理解することは出来なかった。
それほどまでに、綿密な根拠と原理が研究文書に記されていた。‥長年の執着が見てわかるほどに。
「女神神話において【影】は悪意であり、女神が討つべき権化である‥つまりは【悪】とされていますので‥そういう面においても錬金術は【悪】と認識されてしまったのでしょう」
「‥‥」
「カサンドラ様」
何かを考えこむ彼女に、たまらず声をかけてしまった。
「‥申し訳ありません。ファルケンの存在について少しでもと何かわかればと思って調べてみたことなのですが、混乱させてしまったようですね」
「あ、いいえ、違うんです!‥その」
「ユリウス」
「アードラ?」
「この館の二階‥もしかして、ファルケンの錬金術の研究書庫だったんじゃない?」
「‥その通りだ。」
本当は、アードラを連れて来たのには理由があった。
この館の二階へ上がる階段は朽ち果てている。しかし、いくら年月が経っていると言っても、外観や中身の様子と比べて、こんなに早く階段だけ朽ち果てるというのは、どこかおかしい。
と、なると誰かが故意に壊したという可能性が浮上してくる。
「‥ただ、壊すだけなら館ごとなくせばいいものを。誰にも二階へ行けないようにしてわざわざ残すということは、何か理由があるはずだと思ったんだ。」
「それで、僕の出番ね。了解、ちょっと調べて来ようかな」
「アードラ、大丈夫?」
「もちろん。僕にはご主人様が付いてるからね。ちゃんと待ってて?あ、ユリウスにも気を付けて」
「‥う、うん。気を付けて」
カサンドラがそう言うと、アードラは早速鳥の姿に変わり、二階を目指して飛び立った。
ちらり、と隣を見ると彼女は心配そうに二階を見つめていた。
「‥申し訳ありませんでした」
「えっ?」
「あなたの心配事を増やしてしまいました。‥結局彼の手を煩わせてしまうことになり、すみません」
「何言ってるんです。そんな風に思わなくてもいいのに‥アードラなら大丈夫」
「‥でも」
「それより、せっかくお弁当を作ってきたんです。一緒に食べませんか?実はもうお腹がすいてしまって」
言われてみれば、と思い出す。
墓参りの後、その足でこちらに向かってしまったので、あれから一度も休憩をとっていない。
「す、すみません、気が付かなくて!」
「さっきから謝ってばかりですよ、ユリウス。…この辺で休める場所はありませんか?」
「それならあちらで。‥湖も見えるし、景色も良いでしょう」
思った以上に自分は先走り、焦っていたのかもしれないと思うと、なんともいたたまれない。
こんな風に自分の感情をコントロールできないなんて騎士失格だろう、とも思ってしまう。
(‥こんなのは、全く初めての経験だ)
「‥お手を」
「ありがとうございます」
だが、それ以上にこういう失敗も自覚も悪くない。そう思った。




