カサンドラ・グランシア②~白昼夢~
その日の朝はとても澄んだ青空の日で、風が気持ちの良い日だった。
どこか、居心地が良くないような、落ち着かないような気持でグランシア邸に向かう。
(恐らく正式に休日に誘うのは初めてかもしれない‥)
襟を正して望むものの、次の瞬間、それは音を立てて崩れた。
「おはようございます、ユリウス様」
「…おはようございます、カサンドラ様」
出てきた彼女は、まるで別人のようだった。
目の前に立っている人物、それは、まぎれもなくカサンドラ本人の姿だった。
なのに、どこか様子が違って見える。
(雰囲気が違う…というか、全体的に大人しいというか淑やかというか)
ちら、とアードラを見ると、鷹の姿の彼はあからさまに目をそらした。さらに視線を追い、じっと見ると、やがてこちらの方に飛んできた。
「…鷹、何かあるのか?」
「僕にもさっぱり。でも、まぎれもなくご主人様だよ」
「……」
彼女を見ると、彼女は困ったように微笑んだ。
誰かからの贈り物なのだろうか?胸に飾られたピンクゴールドのネックレスがきらりと光った。
「大丈夫。‥少しの間だけです」
「…わかりました」
「あの、一つ‥お願いがあるのですが」
「え?」
・・
夏は終わりに近づいており、あちらこちらにコスモスの花が見え始めている。
野原を馬で駆けて行くと、彼女は馬上で眩しそうに景色を見ていた。
「綺麗ですね」
「え?ええ‥」
手には急遽拵えた白薔薇の花束とバスケットを抱えている。
(それにしても‥まさか、リオン兄さまの墓参りとは…二人は何か関りがあったのだろうか)
彼女のお願いは、なんとリオンの墓参りだったのだ。
あまりの予想外の出来事に、下手に抗うよりは、と流されることにした。
生前のリオンにそういう話は聞いたことがなかったと記憶している。最も、当時の自分はまだ幼く物事の分別がやっと着くようになった頃だ。
司祭の道を歩き始めたばかりの時でもあり、実際病床のリオンの元に行きたくともいけないような状況が続いていた。
けれどもリオンは今わの際まで病に向き合い、投げ出さずずっと一人で戦いぬいた。
その証であるかのように、彼の葬儀の際に手首に巻かれていたリボンだけは特に強く印象に残っている。それはまるで戦場に赴いた騎士勲章のようだった。
(初めて聞いた。それにアードラも‥)
悶々と考えるものの、結局のところ、何もわからない。
そうしてただひたすらに、私はフォスターチの植物園の方角に向かって馬を走らせた。それを察したのか、頭上すれすれに飛ぶアードラは、飛びながら苦言を述べた。
「まさかまたあそこに行くの?」
「あそこはフォスターチ家の私有地だからね。‥嫌なら来なくてもいいが」
「まさか、こんな状態のご主人様をほっとけるわけないだろう」
こんな状態。
見ると、当のカサンドラはきょとんとした表情でじっとアードラを見つめていた。
「‥ふふ、本当にすごいのねえ」
「‥??このご主人様‥やりにくいなあ」
アードラのぼやきに不本意ながらも同意してしまう。
植物園を横目に通り過ぎると、海側にあるフォスターチ家の鎮魂の場へと向かった。
鍵のかかった扉は重苦しい音を立てて開くと、潮の香りが入り混じった風が通る。
「足元、ご注意ください」
「ありがとうございます」
馬上から少しふらつきながら地面に着地する彼女を支えるが、なんとも複雑な気持ちだった。
(本来の彼女なら手も借りずに馬から元気よく着地できそうだ)
敷地内に入ると、フォスターチ家の紋章が刻まれた聖堂が見えてくると、その向こうが墓地になっている。アードラは鷹の姿から猫の姿になって、並んで歩き出す。
「‥その姿のままでいいのか?」
「なんとなく、この方がいいかなって…ぇ?」
とことこと歩き出すと、その身体はカサンドラの手によって掬い上げられてしまった。
びっくりして硬直しているアードラの尻尾はタヌキのように膨らんでいる。
(‥一応自然の摂理の通りに身体が反応するんだな‥)
などと感心してみているが、暴れるのは気が引けるのだろう。当の本人はこちらを見て目で必死に何かを訴えている。
ここまで反発するとなると、やはり、このカサンドラはいつもの彼女ではないのだろう。
「‥猫を触るのはもしかして初めてですか?」
「はい。‥とてもふわふわで、暖かいですね」
何だかんだでのどを鳴らしてくすぐったそうに撫でられている猫の姿を、なんとも複雑な気持ちで見つめた。
「…兄とは、どこで?」
「ずっと前に、手紙のやりとりをしておりました。……忘れられない思い出です」
「‥‥そう、ですか」
忘れられない思い出。
その一言にはどんな思いがこもっているのだろうか。自分は勿論、カサンドラさえも知らない特別な何かがあるのだろう。
「兄は最後まで病に立ち向かった…強い人です」
「はい。存じています」
「…」
フォスターチ家の墓地には、過去二回しか訪れたことがない。
一度目は母が亡くなった時、そして二度目はリオンが亡くなった時。
命日の墓参りという習慣はなく、できるだけここに来るのを避けていた。
ここに葬られているのは、【フォスターチ】という血塗られた歴史に色濃く関わっている人間達のものだから。
「立派な墓地ですね」
「‥見た目はそうでしょうが、中身は偽物ばかりです」
歴代の公爵傍系の墓は、無意味に規模が大きい。
自分たちを誇らしく思っているからこそ、華やかに飾り立て、自分の背丈以上の規模の大きい墓石を建ているのだろう。
どのほとんどは、歴代の公爵家の人間達が作り上げた昏く闇深いものを誇りに思う者たちばかりだった。自分にとって忌み嫌う場所なのだ。
「…リオンの墓はあちらの方にあります」
父は母とリオンを無意味に立派な墓石の中に葬ろうとはしなかった。
ただ、公爵家の中心からそっと離れた場所にある、海が見えるひときわ高い場所に墓地を構えた。
緩やかな坂の階段を上ると、爽やかな風が通る。
「‥ここ、ですね」
「はい」
雲の合間から光が漏れ、ひっそりと並ぶ二つの墓石を映し出す。
カサンドラはその一つの前にかがむと、持っていた花束をそっと置いた。
「……猫、向こうに行こう」
「…」
長い尻尾を左右に揺らし、猫の姿のアードラはくるりとその場所から背を向けた。
そっと後ろを振り返ると、カサンドラは兄の墓石の前でずっと、佇んでいた。
なんとなく気まずい空気の中、近くの木陰に寄りかかると、アードラもまた、もとの人間の姿になり隣に並んだ。
少し強い風が吹くと、木々が葉を揺らした。それは誰かが喋っているようにも聞こえた。この家に眠っている者たちの声のようで、はたまた彼らに命を奪われた者たちの恨みの声なのかもしれない。
「…思い出とか、記憶とか‥過ぎ去ったものばかり、輝いて見えるのはなぜだろう」
「必要だからだろう」
自分がなにげなく呟いた一言に、まともな返答があり、少し驚いた。
「ユリウスは、自分に厳しいな」
「…?突然何を」
そういうと、アードラは穏やかに微笑った。
その笑い方が、あまりにも生前のリオンに似ていて戸惑う。
「もっと、やりたいことや言いたいことを押し殺さず、直接伝えればいいものを」
「‥‥時と場合によるでしょう」
「僕も大概だが、物分かりが良すぎるのかな、ユリウスは」
(言いたいことや聞きたいこと…)
どんな時でも言葉というものは、場面を違えば毒にもなるし、人を救うものになる。
特に知名度のあるものはその発言によって状況を左右する武器にも防御にもなるのだろう。だけどそれは大局の場面においてであって、『個』に対しては違う。
「‥きちんとした言葉に出さないと、肝心なことは伝わらないだろう?自分がどうしたいのか、相手に何をしたいのか。自分の中で抱えているだけじゃ、一生誰にも分からない。…墓場まで持っていくのなら別だけど、ね」
「‥‥」
「たとえそれで傷ついても、何もしないよりずっと幸せなことだ。次に向けて新たな改善点を見つける材料が生まれるのだから」
これは夢だろうか。
今、目の前にいる人間は本当にアードラだろうか。それとも。
「…私は、リオン兄さまのように強くありません」
「そんなことはないだろう」
「いいえ。不安ばかりです。…いつも迷っている」
これでいいのか、とそればかり考えてしまう。
「僕は一人じゃなかったから。ユリウス、お前もだろう?」
「‥カサンドラ様ですか?」
「僕のレディーは、希望そのものだったよ。だから、負けるな、ユリウス」
「希望‥」
すると、額に何か水の雫が当たった。
「雨だ。空は晴れているのになあ」
空には晴れ間がのぞいているのに、空から糸のような細い雨が落ちてくる。
ぱたぱたと雨露は草花に落ち、雨の日の独特の香りが辺りに充満する。
「!行かないと」
カサンドラの元に駆け寄ると、上着のジャケットを脱いでそのまま彼女に被せ、手を引いて走り出した。
「‥今日はありがとうございました」
「え?」
「彼女にも、お礼を伝えておいてください。…ユリウス様、頑張ってくださいね!」
走りながらパッと後ろを振返ると、彼女はにっこりと微笑んだ。…その目は、涙で濡れていた。
次の瞬間、バサバサ!という翼のはためきが聞こえると、どこからか二羽の白い鳥が空の彼方に向かって飛んでいくのが見えた。
・・
「びっくりした。急に降ったかと思ったら、すぐに止んだ」
そう言ってどこからかアードラがひょっこり現れた。
つい、まじまじとその姿を見つめるのだが、いつも通りの飄々とした様子に何故か安堵した。
「‥虹だわ」
「!カサンドラさ‥」
「ユリウス。ジャケットをありがとう。濡れずに済みました」
ジャケットを被りながら、カサンドラが微笑む。
先程の印象とは異なり、それは紛れもなく自分の知っている彼女の姿だった。
「…?どうしたの?」
「…いえ、少し。白昼夢、でしょうか」
先程まで感じていた違和感のようなものは全て消え、そこはいつもの空気に戻っていた。
「ありがとう、寄り道をしてくれて。そろそろ行きましょう?」
「‥そうですね」
そう言って、彼女は首に下げていたネックレスをそっと外した。
お盆も近いということで。




