パーペチュアル・ゲーム
「すごいなぁ、カシル君は。チェスがものすごく強いんだな」
カシルは子供の頃から、チェスに勝つと必ず強い、と褒められた。
チェスの盤上では身体の弱さも体格も関係がなく、皆平等だ。
その盤上での勝利は…純粋にその強さをほめてくれているようで、嬉しかった。
(父上には敵わないけど、ほかの大人達には負けたことがない。)
それがカシルにとっての自負でもあり、誇りだった。
「君はチェスが得意だそうだな」
ヘルトが先手でポーンの駒を動かす。
「ええ、僕が今まで唯一勝ったことがないのは、父上位です」
カシルも同じようにポーンの駒を二歩進めていく。
二人を遠巻きに見守りながら、応接室内はしん、と静まり返っていた。
「父上‥か。俺は父グランシア公爵にチェスを教わった。…子供の頃は一度も勝てなくて、何度も挑んだものだ」
「貴族として、当然の嗜みでしょう。ああ、失礼、貴方の出自を鑑みれば、当然ではありませんでしたか」
カシルの言葉に、思わずカサンドラは飛び出しそうになったが、ぐっとこらえた。
(あいつ‥全部終わったら一発殴ってやりたい)
その様子を見てユリウスはふっと笑うと、カサンドラにそっと告げる。
「心理戦、というつもりかもしれませんが…相手が悪すぎる。カサンドラ様が前に飛び出さないようにしてくださいね」
「‥ご忠告、痛み入りますわ」
ふいっとそっぽを向くと、二人のゲームに集中する。
「君は俺と違い、社交界にも顔が利くようだし‥顔も広いのだろうな」
「ええ。僕がクレイン様の年齢の頃には、もう既に様々な夜会にも父や姉と共に参列しておりました。著名な公爵家とは違い、我々伯爵家は自身の努力で未来を切り開かねばなりませんから」
「そうか」
時にチェスは、相手の集中力をかき乱すことも戦略の一つとなりうる。
しかし、ヘルト・グランシアはカシルの返答にも構わず着々とゲームを進行させている。
(なんだ‥?嫌味のつもりか?)
カシルは目の前の敵に注視するが、肝心の相手はその視線に気づいても全く動じる様子は見せない。
「カシル・フラムベルグ」
「っはい?」
「君は12歳の頃、その場にいた大人たちを全員負かしたそうだな」
「!!!‥え、ええ」
それだけ言うと、彼は黙りこむ。
カシルは何を言われるのか、どう対応すべきか、頭をフル回転させる。
「君の番だ。」
「わ、わかっています」
急かされながらも放った一手だったが、それによって自分の駒は相手の駒に取られてしまう。
「‥それは、君が身分も何もないただの少年だったとして…結果はどうだっただろうな」
「な、何を」
「チェックだ」
「!!」
見れば、白の駒は中央に集中しており、黒の駒はそれ以上前に出ることは出来ない。
黒のキングは奥に退き、他の駒を前に出して難を逃れるが、同時に別の強力な駒を失ってしまった。
「テイク、またチェックだな」
かこん、とまた一つ駒がとられた。
容赦なく倒される黒い駒に、なすすべがない。一手先も二手先を読んでいるのに。
「!‥ま、まだです」
盤上に並ぶは、黒の陣にはキングとポーン、それにビショップのみ。反対に、白の陣にはポーンをはじめクイーン、ルーク、ビショップ、ナイトがそれぞれ一つずつ残っている。
(せめて‥負けなくとも引き分けまで持ち込めば‥)
「そうまでして、負けを認めるのが怖いか?」
「!!」
どきどきと心臓が波打つ。全身から汗が噴き出すほど緊張している自分とは反対に、向かい合うヘルト・グランシアはまるで王様のように足を組んで椅子に腰かけている。
焦る様子もなく、かといって笑うでもなく、ただ淡々と駒を動かしているのだ。
「社交界という舞台に慣れてしまうと、大事なことを忘れてしまうものなのかな。」
ため息交じりにそう呟くと、ヘルトは余裕の笑みを浮かべ、カシルを見た。
「君は次の一手…先ほどと同じ場所に置くつもりだろう?」
「‥え?」
「パーペチュアル・チェック。…三回、盤上が同じになったら引きわけ」
「!!」
「だが、君は忘れているようだが、俺には他の駒がある」
黒のキングは、白のクイーン、それに白のルークによって逃げ道をふさがれ、身動きができない。
「ダブル・チェックメイト‥俺の勝ちだ」
「そ、そんな」
「…忘れるな。三度目はない。」
まるで強大な獣に睨まれた獲物のように、カシルは身動きが出来なくなる。
呆然とするカシルを見ながら、ヘルトはゆっくりと立ち上がる。
「この駒のように、大人たちは皆、社交界という戦場で駒のように動いている。時には打算をして、油断させて相手を搾取しようと目論む人間が必ずいる。‥幼い子供一人を増長させることくらい訳ないだろう」
「幼い子供を‥増長‥」
「君は強くて勝っていたんじゃない。相手が負けてくれていただけだ」
「ち、違う!!!」
ヘルトの言葉に、カシルは激しく動揺し、立ち上がった。
その拍子に、テーブルの上にあったチェス盤の駒は全てバラバラになって床に落ちる。
ヘルトはその一つ一つを丁寧に拾い集めると、全て箱に収めた。
「君は一度も父上に勝ったことがないと言っていたな。」
「‥‥」
顔を紅潮させながら、カシルはぎっとにらみつける。
「伯爵はきっと、社交界でのチェスの噂を聞いて、一切の手を抜かずに君の相手をしていたのだろうな。…気づいてもらうために」
「気づく…?」
「だが、君は気づかずにいた。有頂天になって‥そして、さらに君の勝ち星は増え続けていった。違うか?」
「そ、それは」
「自分を無敵、と思い込む程危険なことはない。‥戦いの場において、それは致命的な欠点だ」
「!!!」
(なんなんだよ、こいつ…何なんだよ!!)
次々と刺さる言葉に、わなわなとカシルは震えた。
今まで自分は強いと思っていたし、誰にも負けることはないとも思っていた。
それだけの自信があったつもりだった。
だが、そうじゃないことを認めるなんて、とてもできなかった。それはカシルにとって、自分自身への敗北を意味する。
(‥致命的な欠点、だと‥?!)
「お‥前に、何がわかるっているんだ!僕はまだ負けていない!!!」
カシルはそう叫ぶと、懐から例の小瓶を取り出した。
「‥ったまたま公爵家に取り入られただけの庶民のくせに!!」
「ヘルト!」
カサンドラが飛び出そうとしたのだが、それよりも誰かの手刀が素早く動き、小瓶を弾いた。
行き場をなくした小瓶は、宙を舞いそのまま壁に叩きつけられる。
そして、バリン!と派手な音を立て、砕け散った。
「もうやめろ!!カシル!!」
「!!レイヴン‥」
「自分の弱さを認めることは決して恥ではない!!」
「馬鹿を言うな!僕は、僕はこの伯爵家の嫡男で‥」
「いい加減になさい!!!カシル!!」
パシン!と良い音が響くと、カシルは呆然となった。
「誰もあんたにそこまで過度な期待なんてしてないわよ!!」
「‥‥!!」
わよーゎょー…
凛とした声はまるでエコーのように応接室に響く。
カサンドラは、なんとなく見ていられなくなって目をそらしてしまった。
(…うわあ、はっきり言うなあ、あの子‥)
これは流石にカシルに同情してしまう。
「そ、そんなはっきり言うこともないだろう!!リンジー!!こいつだって必死に頑張って‥」
「頑張っているからこそ言うのよ!!!遠くばかり見ていないで足元を見ながらゆっくり成長すればいいでしょう?!」
「と、遠く?」
リンジーの言葉に、カシルははっと目を見張る。
「急に何でもできる人間なんてこの世にいないわ。あんたはまだ15歳になったばかりなんだから‥い、急がなくてもいいってことよ!‥その内追いつけるんだし」
「リンジー‥」
「‥私だって、お姉さまだってお父様だって‥母様だっているんだから。一人でしょい込む必要なんてないじゃない」
なんとなく、その場の雰囲気が和らいだ。
それを認めると、ヘルトはくるりと踵を返す。
「‥帰るぞ、サンドラ、ユリウス」
「そうですね。…これ以上はご家族でどうぞ」
「‥‥」
カサンドラはなんとなく二人の騎士とカシルを見くらべた。
カシルはさっと目をそらすと、そのまま黙りこくってしまう。リンジーはふるふると首を左右に振ると、にっこりと微笑んでカーテシーで三人を見送る。
「カサンドラ様、グランシア卿、フォスターチ卿」
「!クロム卿」
ヘルトはちらりと視線を動かし、ユリウスは振り返った。
「…後日、非礼を詫びにお伺いします」
「…わかりました」
**
テレビ画面に映るカシルを見て、夜空の瞳のヴィヴィアンはため息をついた。
「あーあ。負けちゃった。‥所詮、機械は生きている人間には敵わないのね。ね、結奈。貴方もそう思うでしょ?」
可愛らしく小首をかしげる仕草に、結奈はかつて自分が攻略対象者たちに向けていた行動を重ねてみる。
(‥これも、こいつの計算通りに動かされていたってこと‥?)
すると、テレビ画面にノイズが走り、何も見えなくなった。
と、同時にあたりの景色も徐々に歪みだしていく。
「え…なに…」
思わず結奈は立ち上がるが、周りと同じように自分の身体も乱れる映像のようにぐにゃりと歪んだ。
「ひぃ?!い いや なにこれ!!」
「経緯はどうあれ、カシルのフラグも壊れたみたい。‥あとは」
ちらりと結奈を見ると、ヴィヴィアンは右手を天にかざした。そしてその手には白く透き通った剣が姿を現す。
「その剣‥見たことある」
「そりゃあそうよ、だってもともと女神の剣だもの」
結奈は何度もその剣を見た。女神の祈りの場で、巫女としての祭祀の最中に。
それは、女神アロンダイトの持つ正義の剣だった。
しかし、その光は禍々しく歪んでおり、神聖とは程遠いものに見える。
「どういうこと‥?」
「ただの登場人物のあなたには、知る必要がないことだわ」
言いながら、ヴィヴィアンは剣をかざし、結奈に向かってそれを突き刺した。
「…ぇ あ」
「お疲れ様。…偽の巫女。本物は私よ」
まるで紙きれのように結奈の身体はゆらりと傾く。
(あたしは)
「ばいばい。後は、私の物語‥貴女はここで退場」
崩れ行く身体はなすすべもなく、ただ、視線だけは悪魔のように微笑むヴィヴィアンを見つめた。
(ここで、終わるの?ヒロインにもなれず、誰にも気づかれず…)
「い や。 たす‥けて」
(お願い、カサンドラ。私を見つけて…)
激しい光が交錯する中、結奈の瞳は闇の向こうへ閉ざされた。
参考までに
※パーペチュアルは千日手のことで、不利な側が同じ駒で同じ配置を三回繰り返した時にできる強制的に引き分けに持ち込むことが出来る。同じように同一局面が三回続いた時、同形三復といい、これは自分の手番に指摘して初めてなる引き分けのこと。
※チェスは何だかんだで引分けになったとしても「負け」にはなりません。
※ダブル・チェックは、二つの駒による同時チェックのこと。




