アードラ①~比翼~
時間も午後に差し掛かった頃。
グランシア邸で誰もいない部屋で留守番をしていた僕は、重い足取りで階段を上がってくる音に気が付いた。
「はあ‥ただいま~…」
「ご主人様!!お帰り!!」
「ぅわ!」
部屋に戻るなり、僕は全身の力を込めて愛しのご主人様に抱き着いた。
すると、勢い余ってバランスを崩したまま長椅子に押し倒す体制になってしまったが、あくまで不可抗力と言う奴だ。
「ちょっとアードラ?!」
「あ、ごめんごめん。つい勢い余って!うーーん、三日ぶりの感触」
ぎゅうっと更に強く抱き締めると、さすがにご主人様も黙ってはいない。そのまま関節技をお見舞いされ、彼女の方が馬乗りになった。
久しぶりの空色の瞳がきっ、と僕を見下ろしている。‥これはこれで役得、というものか。
「積極的なご主人様も素敵だよ」
実はファルケンに貫かれた左腕はまだ完治していないので、かなり痛いのだが、そこは我慢する。
しかし流石ご主人様、やせ我慢など、お見通しだ。
「‥何かあったの?」
「‥少し怪我して、左腕…いてて」
押さえつけた左手には赤黒く血が滲んでいた。
「嘘、血が出てる!早く言ってよ!」
それを見たご主人様は、さっと顔色が青くなると、なんと、力づくで上着とブラウスを引っぺがされてしまった。
「う うわっ?!」
心配そうな彼女には申し訳ないのだが…経緯はどうあれ、現状僕は長椅子に押し倒され、ちょうどお腹の辺りにカサンドラの柔らかい身体が乗っているわけで…気恥ずかしいんだか、なんだか。
「ちょ、ちょっと、カサンドラ、僕にも心の準備ってものが?!」
抵抗もできずされるがままになっていると、左腕にばっくりと口を開いたような傷跡があらわになる。
「どうしたのよこれ?!‥本当に、何があったの?他は?怪我していない?」
僕としては、とにかくこういう不意打ちには滅法弱い。
赤くなる顔を手で隠しながら、さっと目をそらした。
「…あ、う、うん、魔法である程度は治せるんだけど‥以外に深かったもので」
「ど、どうしよう、誰か呼んだ方が」
「いや、本当に大丈夫。もう少し魔力が戻れば、自分で治せるから‥だからその、僕から、降りて?」
「!!!!」
まるで猫が飛び跳ねるように、カサンドラが僕から離れた。
心地よい重みは離れがたくもあったが、羞恥心が勝っているので、何も言うことはなかった。
「ご、ごめん‥、ねえ、魔力ってどうやったら戻るの?私に何かできることはない?」
「あ―‥うーん、実は僕もそこはよくわからないんだけど‥傍にいてくれたら、それで」
「そ…そう?あ、ご免ちょっと着替えるから、アードラはベッドに寝てて?大人しくしてるのよ!」
この部屋はベッドが置いてある寝室と衣裳部屋は別にある。
カサンドラはさっと席を立つのだが、なんとなく心細くなり、つい手を掴んで軽口をたたいてしまう。
「ここで着替えてくれても‥」
「何か言った?」
「いや、何でもないです…」
するりと手をほどくと、僕は一人、寝台に横になった。
(また、雨…)
開いた窓から雨の匂いが流れ込んでくる。
立ち上がり窓辺に立ち、降り注ぐ雨を見つめた。雨音がどこか胸が締め付けられるような、せつない気持ちになるのはなぜだろう?
「雨‥最近多いな」
「私は雨って好きだよ」
ほどなくして、普段使いのドレスに着替えたご主人様が戻ってきてくれた。
「‥腕、見せて。あ、それとも他の姿になった方が治りやすい?」
「‥ううん、このままの方が楽だから」
「そお?安心して、包帯位はきっちり巻けるから!ほら座って」
僕と彼女、向かい合わせに座ると、手際よく包帯を巻いてくれる。
「だいぶ前に、包帯と薬を取っておいたのが残ってるから」
「‥う、うん」
なるほど、こう言っては失礼だが、とても上手だ。
少し暖かい手が自分の素肌に触る度、ぞくりと震える。それをうち消すように、自分から話題を切り出した。
「…ご主人様」
「ん?」
「実は昨日までユリウスと一緒にいたんだ」
「‥ユリウス?なんでまた」
「手紙の束。見たよ」
「…ああ、実は私もたまたま見つけたの。…カサンドラの秘密の手紙」
(‥知ってる。)
「…差出人は?」
「リオン・フォスターチ。…私は会ったことがないけど、もしかしたらユリウスの亡くなったお兄さんかも、って…」
「それ、僕だよ」
包帯を巻くご主人様の手がピタリと止まる。
え、と小さく声をあげると、こちらをじっと見つめた。
「‥以前、君が言っていただろ?僕らにはモデルがいるかも、って。‥僕の原型は彼みたい」
「アードラが‥リオン‥?え、待って‥でも」
「そう。‥‥僕も、片眼鏡の紳士も、恐らくラヴィも、死んだ人間を元に新しく作り直された存在みたいだ」
「‥そうなんだ、それでユリウス‥」
なんだか、自分で口に出してみると‥自分がひどく醜い化け物のように感じてしまった。
どういう理由で、どうやって、とかいろいろな思いが交錯するが、その答えを誰も知らないだろう。
「片眼鏡はファルケン・ビショップ・フォスターチ。そして、僕がリオン・フォスターチ。恐らくラヴィもそうだろう。…二人もフォスターチ家から出てるのは偶然かもしれないし、そうじゃないかもしれない。‥知ってはいたけど、言葉にすると、嫌なものだね」
ユリウスには平気で話せたのに、今はとても後ろめたく、逃げ出してしまいたい。
少なくとも、普通の原理の下で産まれた存在ではないことは確かなのだ。
「…まるで化け物だ」
そう口に出した途端、ぎゅっと左腕に鋭い痛みが走る。
何かと思ってみると、どうやらご主人様が思い切り包帯の結び目をきつく縛り上げたようだ。
「い、いててて‥‥もうちょっと優しく」
「馬鹿ね」
「‥え? い゛っ」
更にべちん、傷口を叩くと、ご主人様は笑ってくれた。
「誰か化け物よ。‥なあに、弱気になって。」
「‥‥‥」
「らしくないわよ、アードラ。あんたが化け物なら、私だって同類になる。」
包帯をしまいながら、彼女は僕の隣に並んで座ってくれた。
「手紙を見たわ。…でも、私には初めて見る手紙で、今の今まで本当に知らなかった。誰がくれたかも、どんな理由でやり取りがあったのかも。」
「カサンドラ‥」
そう言って、申し訳なさそうに目を瞑った。
「…でも、全部私宛てなのよ。‥おかしいじゃない。私は初めて読んだのにね」
「……僕も、読んでみてもいい?」
「ええ。いいんじゃない?アードラも知る権利があるでしょう」
一枚、一枚、大事そうに取ってある手紙を開いてみる。
どれも、カサンドラを想いやるような優しい手紙だった。そして、それはリオンが命の灯を燃え尽きる最後の時まで続いていった。
「元がどんな人物だったのか、興味がなかったけど‥ユリウスに言われたことがある。」
「…うん」
「今の僕の姿は、リオンが理想としていた姿なのかも、って。」
きっと、迫りくる死の向こうにある夢を想い描いたのは‥望むままに自由で、大切な人とどこへでも行ける。そんな存在だったんじゃないだろうか。
彼にとっての、夢そのもの。
「もしかしたら、の話だけど。…君に逢えたのは、リオンの執念かもしれない」
「執念ねえ。だとしたら、がっかりしちゃったかもね‥」
そう呟くご主人様は、どこか寂しそうに見える。
そっと彼女の肩に頭をのせて、寄り添った。
「どうして?‥ご主人様こそ、リオンに逢いたくなった?」
「違うよ、‥むしろ、カサンドラの方がアードラを引き寄せたのかも。二人は逢えたのかなあ」
「逢えたよ、きっと。だから思い残すことなんかなくて、僕の中に彼はいないんじゃないかな」
どれだけ思っても、リオンを知ろうとしても‥僕の中に彼はいない。
それは、単純に僕に伝えることなんてなくて、思いを残していないからなのかもしれない、と思う。
「…思い残すことがない、かあ。‥その考えは素敵だね。なら、カサンドラもそうかなのかなあ」
「そう、思った方がなんか嬉しく感じない?」
「‥それもそうね」
ぴったりと寄り添いあうと、ふと身体の隅々まで何か見えない力が流れ込んでくるような気がした。
ずっと不足していたものが補われていく。
「ん?…ああ、なるほど」
「どうしたの?」
「今、僕とご主人様、心が通ったよね?…だからかな、魔力が戻ってくる」
互いを想い合い、互いを認めることで、魔力は増減するのかもしれない。まさに、使い魔と主人の関係性がもたらす『絆』が力の元なのだろう。
「じゃあ、怪我も?」
「まだ痛むけど‥さっきよりは大分ましになってきたかも」
「良かった…」
彼女がほっと安堵した表情を見せると、胸がぎゅう、と締め付けられるような感じがする。
それがたまらなく不安で、御主人様を縋りつくように抱きしめた。
「‥君は、僕の事、どう思ってる?」
「どう…って」
「僕にとって‥君は」
ドンドンドンドン!!
「「?!」」
突然けたたましい音が部屋中に鳴り響く。
(お、驚いた‥)
びっくりしてお互いの身体が離れると、自分でも信じられなくらい赤い顔をしている自分に気が付く。ご主人様もそうだったらいいな、と期待を込めて見やるのだが。
「‥‥‥まずい」
「え」
残念ながら、対照的に真っ青‥どころか蒼白、というのが正しいかもしれない。
つられて僕自身も急激に熱が冷えていくのがわかる。
「やばい‥昨日外泊した言い訳を‥考えていない!!」
「‥…昨日、何してたの?」
「かくかくしかじか、ノエルと色々と話をしているうちに‥その、泉に落ちて…」
「どうして泉に落ちるの??」
そういえば、と。
ノエルもあの黄金の瞳の力だか何だか知らないけど、カサンドラの秘密に気が付いているようだった。
つまりは、そういうことだろう。
「あ~…それで、ヘルトか…ふうん。何もなかったんだろうね?」
「な、ないわよ!」
(怪しいけど‥まあ、仕方がない。ご主人様を巡る恋敵が多いのは間違いないから)
「じゃあ、ありのままを話せばいいんじゃない?うしろめたいことはないんでしょ?」
「いや、ありのままを話すしかないのはそうなんだけどっ!」
まあ、穏やかじゃないだろうな、と思う。
しかも自分以外の異性と二人きり…だなんて、面白いわけがない。
そう言ったところで、ご主人様にはきっとわからないだろうなあ。
「カサンドラ!!帰ってきてるのか?!」
「は、はい!ヘルトお兄さま!!」
僕は鳥の姿になって、改めてリオンの手紙を見てみる。
「初めまして、リオン・フォスターチ。」
とりあえずは、と。
最初の一通目から読むことにしたのだった。
個人的には、人に宛てた手紙を誰かに読まれるくらいなら、捨ててくれ、と思います。
読んでくださってありがとうございます。




