間章 秘密の手紙~リオンとカサンドラ~
「今日は返事が来るかしら?‥それとも来ないかしら」
しとしとと、雨は優しく降り続いている。
窓の下の庭園の花達は優しい雨に打たれながら生き生きとその葉を天に向かって伸ばしていた。
「雨‥あの人も見てるかしら?」
窓の外に広がる世界は、私にとってはまるで物語の世界のよう。
私の世界は、この部屋の中だけ。
お気に入りのリボンも、ぬいぐるみも‥私の好きなものが全部ここにあるから。
でも、私の世界に、新しく大切なものが増えた。それが‥あの人からの手紙。
(次は、なんて書こうかなあ)
きっかけは些細なことだった。
どうしても、探している本があって、それを探していたら執事のトーマスがその本を持っている人をこっそり教えてくれた。
だから、貸してほしいと手紙を書いて送った。‥それだけ。
顔も知らない、声も聴いたことがない。
【彼】は、とある有名な公爵家の公子様で、本と一緒に手紙の返事をくれた。
その文章がとても綺麗で、また読みたくなって‥そんなやり取りを繰り返してもう2年くらいだろうか?
「‥リオン様」そっと名前を呟くと、部屋をノックされて、びっくりしてしまう。
「お嬢様、お手紙が届きましたよ」
「!分かったわ‥ありがとう」
トーマスがにこにこと一通の手紙をそっと渡してくれた。
これは、ヘルトお兄さまも、アリーも、みんな知らない秘密のこと。
手紙を受け取ると、早速中を開けてみる。
今日はリオン様が見たという夢の話だった。
「鳥の姿で空を飛んで、海の向こうに‥なんていいなあ、素敵」
私の夢‥は何だろう?
本当は、あなたに会ってみたい。私の世界じゃない、違う場所…たとえば街で有名な噴水公園とか、凄く人気だという素敵なカフェーとか。
「光の中で‥貴方に会いたい‥」
もっと私がスタイルも良くて、強くて美しくて‥堂々とした女の子だったら、胸を張って逢うことが出来るのに。
(‥今の私じゃ、きっと失望されてしまうわ)
家に閉じこもってばかりの、弱い自分。どうやったら変わることが出来るんだろう?
部屋を一歩出て、庭に出てみたこともあるけど‥途中で怖くて引き返してしまった。
怖がることなんかないのに。
「もっと、心が強くなりたいな‥そしたら、あなたに会いに行けるかしら」
そっと呟いた言葉に自分でも驚くと、みるみる顔が熱くなる。
それを誤魔化すように首をぶんぶんと振りながら、私は机に向き直った。
**
同じころ、振り続く雨の音を耳を寄せていたリオンは、壁に寄りかかりながらそっと瞳を閉じた。
(優しい音だ。…まるで一つ一つの音が澄んで、音楽のよう)
最近はあまり体調が良くない。
医者の話ではただの風邪というが、そうじゃないことをリオンは知っていた。
「‥兄さま、体調はどうですか?」
「ああ、ユリウス。大丈夫、入っておいで」
恐る恐る扉が押し開かれると、弟のユリウスがそうっと顔をのぞかせた。
少し頬が紅潮しているのは、走ってきたからだろうか。
「えっと、見てください!無事に司祭になる試験に合格できました!」
女神神殿の聖職者は皆、神殿の紋章入りの青いローブを身に纏っていた。
くるりと一回りすると、女神のシンボルである天秤の刺繍が目に入る。
聖職者を目指す全てを束ねるのが司祭であり、その者の象徴でもあるその青ローブを着るということはとても名誉なことだった。
「おめでとう、ユリウス。気分はどうだ?」
「はい!とても身が引き締まる思いです…兄さまが勉強を教えてくれたおかげですよ」
「それはよか…っごほ!」
「!兄さま‥」
ここの所、急に咳き込み発作を起こす回数が増えてきた。
苦しそうな姿を弟の目の前にさらすわけにはいかないので、ゆっくりと息を整えながら少し笑って見せる。
「大丈夫、むせただけだよ。それより、水をもらってきてくれないか?‥もう、瓶が空になってしまっていて」
「は、はい!ただいま‥!」
弟が去っていく姿を見届けてから、ベッドに横になる。
天井を見上げながら、息を深く吸って吐くを繰り返すと、呼吸も落ち着いてきた。
(ただの風邪が…こうも長引くものか。それにこの胸の痛みは、今に始まったことじゃない)
ユリウスが着ていたローブは、良く似合っていた。
きっと、彼はこれから学び、もっと成長を遂げることだろう。
それを間近で見届けられないのは、少し心残りだと思うが、仕方のないことだ。
医者は言う。
心を強く持つことが大切で、立ち向かう勇気と希望を持てと。
(勇気と希望…)
勇気などはとうに失った。けれど、希望は‥時間と共に増えてくのに、増えていけば増えていくほど、今度は失うことの方が怖くなってきてしまう。
ふと、窓辺に置いてある手紙の束が目に入った。
手を伸ばしてその一枚を開くと、薄赤色のリボンを手に取った。空色の糸で縫われた刺繍の『C』の文字は、彼女の頭文字だった。
(小さな僕のお姫様。…僕の、希望)
リオンにとって、一度も逢ったことがない、けれど最も心を通わせている存在‥それがカサンドラという一人の少女だった。
彼女から贈られてくる手紙は全て希望の欠片だった。
それが積もりに積もって、大きな絶望を感じてしまうようになった。
「逢いに、行ければいいんだけど‥」
最初はただの好奇心だった。
本を貸してくれたお礼に、と貰った手紙を読んだ。
それが自分と同じように母を亡くした少女で、探していた本が母親がよく読んでくれた本だったということ、家に閉じこもりきりだということ…重なる部分が多くて、文通を申し出たのが始まりだった。
時には他愛のない内容から、可愛らしい夢の話まで。
元々床に伏せがちだった自分にとって、家族以外で唯一外からの関りを持つことが出来たのだ。
日に日に弱っていく身体と戦ってきたが、時に疲れるときもある。そんな時、贈ってくれたのがこのリボンだった。
ハルベルンには、戦場に旅立つ騎士にお守りとしてリボンが贈られる習わしがある。
「病気に負けないでほしい」と、贈られたこの薄赤色のリボンは、自分の髪と同じ色だという。
わざわざ瞳と同じ色の刺繍をいれてくれたのだ。
全てを投げ出しそうになっても、ずっと続く手紙が未来をつないでいった。
「…まだ、負けない。‥‥だから、もう少し待ってて」
ああ、それでも。
もし、その未来が閉ざされてしまう日が来るとしたら。
それでもその先で、君に会えたらいいのに。
(その時は…もっと自由に、逢いたい人にすぐ逢いに行ける翼があればいい)
***
それは、どこか切ないような、哀しい夢だった。
内容は覚えていないのに、涙が止まらない。
身を切るような想いも一緒に感じて、心が苦しくなって私は目を覚ました。
(今のは‥夢?)
自分だけど自分じゃない、色々な『誰か』の物語の映画のワンシーンだけ見ているような。
それでも、そこに【想い】も【心】もあって。
何もできない自分がもどかしい。そんな気持ちになる…そんな夢。
少しだけ重い体を起き上がらせるが、辺りはまだ真っ暗だった。
遠くに虫や鳥の声が聞こえる。少し開いた窓から流れるのは、少しだけ湿り気を含んだ風。一緒に雨の匂いも風に乗って運ばれてくる。
降り注ぐ雨音が優しく包み込んでくれるようで、瞳を閉じた。
(‥大丈夫、カサンドラ、あなたの想いも心も、ちゃんと私が知っているから)
『彼女』の抱いていた夢も希望も、自分の中にある。
それをしっかりと刻んで、私はまた深い眠りに落ちた。




