ノエル・シュヴァル②君の名前
『彼女』は、はっきり言って謎だらけだ。
初めて出逢ったのは、恐らくは四月の公開裁判の時だろう。
ヘルトに血のつながらない義理の妹がいるのは知っていたが、話題にものぼらないし、仲が冷え切っているのだろうと思った。
彼自身の性格もあるだろう、気にはしていたようだが、今更どう関係修復をすべきなのかわかりかねていたようだ。良くも悪くも不器用な人間だ。
オレだったらどうするだろう?‥やはり、ヘルトとは違って、いないものとして見ていたかもしれない。
ヒト同士の関係など、まるで水のように泡沫で曖昧だ。
その中でも、互いに何かしら利害やメリットがあるもの同士だけがつながり、時として奇跡のように結ばれたり、反対に手ひどく裏切られて人生を覆されるものもいるだろう。
「私もいつか自分で馬に乗りたいなあ」
「その時はオレが教えるよ」
馬上で気持ちよく風を受けながら、深呼吸をする。
薄赤色の髪は三つ編みでまとめられており、ひらひらと風になびいてく。白い花飾りの帽子を飛ばされないようにしっかり押さえながら『彼女』がこちらを見て笑った。
「ねえ、どこに行くの?」
急な申し出にも拘らず、有能なメイドたちは『彼女』を瞬く間に美しい貴婦人へと変身させてくれた。彼女たちは本当に心底『彼女』を慕っているんだろう。いかに美しく見せるか、を徹底している。…チップをあげるまでもなかったかな?
「うーん、夏といえば?」
「ええ?海、とか‥山とか?」
「どっちがいい?」
「うーん‥引きこもりには夏の日差しは強烈だから‥」
あの鬼教官ヘルト先生指南の訓練を毎朝こなしているレディーは、引きこもりの分類には属さないと思うのだが。
「今日行くところは、ちょっと変わったところ…少し仕事も兼ねているけど」
「変わったところ?…またノエルの秘密の場所?」
「まあね。でも、きっとご満足いただけると思うよ」
気になるのは、空模様が少し怪しいところか。
(この程度なら大丈夫だろう)
日はまだ天頂に昇っていない。一日っていうのは、短いからこそ有効に使うべきだろう。
馬には申し訳ないが、少しだけ、足を速めることにした。
日差しを避けて木陰の多い道を進んでいく。
青々とした葉が覆い茂る農牧地を横目に通り過ぎると、幾人かこちらを見て手を振ってくれたので、それに応える。
「あ、そっか、ここは前見せてくれたギルドの農場の道なのね」
「そう、覚えててくれてありがと。」
空を見ると、先ほどよりは厚い雲は散り散りになり、天候は回復をみせているようだ。
「あの、馬は大丈夫?私は乗っているばかりだけど、ノエルも疲れてない?」
「これしきでへばるようじゃ、ギルドの統領として失格だろう。もうつくから大丈夫」
それから、森の小径を抜けると目的地へと到着する。
小さい赤い屋根が連なるその村は、白煉瓦の壁で覆われている。村の半分は閑静な森で囲まれており、村の合間を縫って小さな川が流れている、なんとも素朴な村だ。
馬を厩のある宿へ休ませ、二人で歩き出す。
「…?ここって」
「ここはサリサと言って、レースや染物で有名な村なんだ」
「レースに‥染物?」
「そう。ほら、看板」
「ほんと…看板にいろんな柄の旗が飾ってある!」
それぞれの店先の看板には、色とりどりの旗がひらひらとたなびく。
サリサで最も有名なのは、景観は勿論のこと、その店特有の柄や色彩で彩られた看板と旗だろう。ペナントのように複数枚括りつけられたものや、旗をカーテン替わりにしているところもある。
「柄も大きさも様々で、見るだけでも楽しくなるよね」
職人同士の腕を競い合うのも勿論、今年の新作などを他の職人やお得意様にアピールするのが始まりらしい。ちょっとした観光名物にもなっている。
「実はここでフェイリーの贈り物を買おうと思っていたんだ」
「フェイリーに?あ、そうか、お出かけの約束って言ってたものね。きっと喜ぶわ!」
「君は?」
「え?」
自分が聞かれるとは思いもしなかったのか、少しだけ『彼女』は目を見開いてこちらを見た。
「どの柄が好き?」
「うーんと‥そうねえ。‥少し見て回ってもいい?」
「もちろん、その前に何か食べない?あっちにお勧めの店があるから、行こう。‥ついでに調査報告もしたいし」
ちらりと『彼女』を見やると、どこか遠くを見ながら小さく頷いた。
「うん…そうね」
・・・
「以上で、報告終わり。…何か質問は?」
「ううん。ない。…でも、思ったよりも普通の情報なのね?…さぞかしカシルはがっかりしたんじゃ?」
「まあね、あいつはもう少し別の情報を求めていたみたいだけど、そういうネガティヴな情報を教える客はオレが判断するから。」
実際、そう言う情報を欲しがる連中というのは山のようにいる。
しかし、どれだけ好条件だろうが教えて良い相手とそうじゃないと相手は必ず選ばせてもらう。‥それがオレなりの矜持だと思っている。
どこかほっとしたような複雑な表情をする『彼女』の様子に少しだけ苦笑してしまう。
「…ほっとしてる?」
「べ、べつに。ふっ、ふ、ふっふつぎょうなことはない!」
「はは、噛んでる噛んでる」
(動揺が丸見えで隠す気があるんだか、ないんだか)
「‥‥ノエルは」
「ん?」
「‥‥ううん、何でもない。」
「……」
(まだ、足りないかな?…君が自分のことを話してくれるまで)
遅れて運ばれてきた白身魚のソテーと少し固めの生地にベーコンが練り込まれたパン、名物の香草スープを堪能する。
サリサの名物は、川魚や燻製もの、それに香草料理が多い。
デザートは搾りたての牛乳で作ったアイスに、キイチゴのソースがたっぷりとかけられており、女性に人気のメニューだった。
「‥なんというか、ノエルはすごいわ。エスコート慣れしてるっていうか‥安心感がある感じ」
「そりゃあ、好きな女性は喜ばせたいし。どんな店がいいかなっていつも考えるよ」
「そ、そう言うことは軽々しく言わないでよ。…もう」
おや、と少しだけ笑みがこぼれる。
思っていた反応とは少し違うようだ。もっと簡単にあしらわれるかと踏んでいたのに、『彼女』の頬が少しだけ赤く染まっているように見える。
(ちょっとは意識してくれているのかな?)
店を出ると、太陽はすっかりと陰り、強い日差しも幾分か和らいでいるようだった。
「あ、曇り空なら歩くにはちょうどいいね!ねえ、あっちに行きたい!」
「はいはい。どこへなりとも。‥転ばないようにね」
「なあに、保護者みたいなこと言って!それよりも気になってるところがあったの、行こう!」
時折見せる子供みたいな無邪気な姿は、見てて微笑ましい。
公爵家の令嬢ともなると、幾分か周りには気を遣うものだろうけど、せめてこういう時位は自然に笑っていて欲しい。
美しいものから綺麗なもの、様々な色と柄があふれるこの村の隅々まで回ってみる。中でもリボンばかり並ぶアクセサリの店に入ると、『彼女』は楽しそうに一つひとつ手にとっては眺めていた。
「フェイリーの髪はすごく素敵な赤だし、‥やっぱりワインレッドとか、ピンク色のリボンが似合いそう」
「でも、ちょっと大人っぽい気もするかな?ピンクは良いけど、ワインレッドならきっと君の方が似合うと思うよ」
「‥‥あの、ノエル」
呟くように言った『彼女』の表情はどこか苦しそうに見える。
「…ん?」
「今日は、私の事をカサンドラ、と名前で呼ばないのね」
「…‥」
どう応えるべきだろうか、迷う。
オレにとってこの女性は『カサンドラ』だけど、そうじゃないもう一人の『彼女』に見える。
名前も知らない、けれどもたまらなく惹かれるたった一人の女性。
「…なんて、呼ぶべきか迷ってしまって」
「‥ノエルはほんと、鋭い。いっその事、あの金色の瞳で私の心がわかるなら、もっと楽なのに」
「‥‥君は君だけど、カサンドラではない、だろう?」
「…うん、ごめん、一度、店から出ましょう?」
うつむきながらも、オレの腕をつかんだ手は、少し震えているようだった。
・・・
村のはずれまで歩いていくと、木々が覆い茂る森に出た。
ひんやりとした空気が、先ほどまで感じていた暑さを忘れさせるようだ。
(やはり、言わない方がよかったか?)
本当は彼女が自ら話してくれるのをいつまでも待つつもりだった。
アードラやラヴィたちとは何か見えない絆のようなものでつながっているように見える。そこにどんな事情があろうとも土足で踏み込んでいいとは思えない。
けれど、待とうとすればするほど、彼らと一緒に過ごそうとすればするほど、焦りが生じる。
いつか何かがあって彼らは全員消えてしまうような、どこか危うい存在のように思えてならないのだ。
(もっと、頼ってくれればいいのに‥‥そんなに、信じられないのか?)
もどかしいような、いらだつような感情が沸き起こってきたころ、ピタリと足は止まった。
「…?」
「‥‥嘘、すごい。」
そうっと顔をあげると、『彼女』は目の前を呆然と見つめている。
ちょうど開けたその先にあったのは、水たまりと呼ぶには規模が大きく、家一軒くらいは建ちそうなくらいの池だった。
驚いたのは、その色。
まるでインクを流し込んだかのように、宝石みたいに透き通った深い瑠璃色をしている。深さは思った以上にあるらしく、底の方に行くにつれて青が濃くなり目で確認できないほど。
「へえ、これはすごい‥なんだろう、光の屈折のせい…か?」
「‥底が見えないくらい真っ青だなんて…いったいどうし え」
ずるっと、『彼女』の身体が傾いた。
「?!カサンドラ!!」
そうして、派手な水しぶきをあげて、二人そろって池の中に落ちた。




