絡まり合う鎖
ハルベルン帝国の貴族たちは、郊外と首都の周辺と邸宅を二つ構えている場合が多い。
首都・アンリの中でも富裕層の多くが邸宅を構える5番街には、爵位を持つ著名な家も数多くある。
その中でも5番街の一等地に建つ、どこかこじんまりとしているが荘厳な造りの邸宅は、ユリウス・ファスターチの住居となっている。
元は。街を訪れた際の居住地としてフォスターチ公爵自ら夫人へと贈った建物だったが、母亡きあとそのままユリウスが受け継いだのだ。
フォスターチの本邸は、街よりやや離れた場所に位置しており、今は公爵しか住んでいない。通勤するにしても、こちらの方がはるかに楽で、他の兄達も同様にこの辺りに居住を構えている。
「旦那様、朝食がご準備できました。」
「ああ、ありがとう。‥今行くよ」
窓辺の籠で寝込む猫をちらりと見やると、そっと頭を撫でた。
「…一応、この野良猫にも‥野菜でいいかな?あげてもらえるか?」
「かしこまりました。」
若き執事のアランは、窓辺にある籠を珍しそうに見た。
「‥その猫様はどうされたんですか?」
「…怪我をしていてね。保護者が見つかるまで預かっていようかと。‥一応外に出ないように注意しておいてくれ」
「さ、触ってみてもよいでしょうか」
灰色の柔らかい毛をそっと撫でると、猫は籠から出していた肉球を引っ込めた。
「う、動いた」
「はは、それじゃあ、私が帰るまでそこを動かないようにね、猫」
「‥‥‥」
じっとりとにらみつけるアードラだったが、ユリウスは自室にしっかりと鍵をかけて居なくなってしまった。
「ち、完全に猫扱いか…はあ、今は怪我も治っていないし、大人しくしているかな…」
いっその事鳥の姿のままだったら、窓を開けて飛んでいくこともできたのだが、いかんせん今は魔力も戻り切っていはいないので、転変は無理だし、下手に動いて傷口が悪化するのは避けたい。
元気であれば腹いせに部屋でも荒らしてやるのに、などと考えて居ると、ふと窓の外の景色に目を見張る。
(この景色は…知っている気がする。‥リオンの身体の記憶か?)
いくら自分の中に問いかけてみても、そこにはからっぽで何もない。
もしかしたら、自分がカサンドラに名をもらったことで、わずかに残っていたかもしれないリオンの心も書き換えられてしまったのだろうか?
柄にもなく少しだけ落ち込んでいると、昨晩のユリウスとファルケンの会話を思い出した。
(…ファルケンは、ユリウスにしかわからないような痕跡をわざと残して、あの植物園に導いた。その理由は‥もしかして、純粋にユリウスに何かを気づかせるためかと思っていたけど)
「名前‥そうか。片眼鏡は…ユリウスに自分が【ファルケン・ビショップ】だと認めさせたかったのか?」
仮面舞踏会の時、ファルケンはヴィヴィアンの力を無理やり引き出して影を操っていた。けれども自分が襲われたときは、明らかに力も強くなり、影も強力になっていたように思える。
「あの時、自ら名を名乗り、ユリウスもそれを認めた。‥それであいつは力を得たのか。」
アードラの場合は、名付けたのはカサンドラで、それを認めたから彼女が主となる。しかし、ファルケンの場合は、自ら名乗り他者に認めさせたことで自身が主となった。
ならばやはり、ファルケンは帽子屋と同じく、名前の持たない【システムの一環】ということになるだろう。それが独立したとなると。
「あまり気は進まないけど‥ユリウスと手を組んだ方がいいかもしれないな」
カサンドラには事後報告となってしまう前に、何とか会えればいいのだけど。
アードラは何よりも、今は身体を治すことに集中することにした。
**
「え?日曜日フラムベルグ家でガーデンパーティー?」
「ああ」
「‥なるほど。ではその護衛任務に私もヘルト義兄様と一緒に就けばいい、ということでしょうか」
「まだ兄と呼ぶには早いと言ったつもりだったが」
「いいえ、そこはやはり周囲にも公然の事実となるよう、徹底しておくべきでしょう」
二人の間になんとも言えない空気の渦が取り囲む。
やはり遠巻きに見ていた他の騎士たちは、更に二人と距離をとる。
「いつも思うのですが…ヘルト義兄さまは、カサンドラ様のことをどう思っているのでしょうか」
「…幸せになってくれれば、と。そう思っている」
「ふうん…そうですか」
(ヘルト殿もなかなか腹の内を見せない方だな。)
ユリウスは短く息を吐くと、気を取り直して再びヘルトに向き合った。
「‥先日、仮面舞踏会で見つけた興奮剤について、調べてまいりました。」
「!…やはり、フォスターチ由来のものか?」
懐から黒い手帳を取り出すと、あるページに印をつけてヘルトに手渡した。
「紫スズラン?」
「ええ。過去、現皇帝陛下のご即位のいざこざの時に活躍した過去の遺物です。」
この帝国にも、昏い歴史は確かに存在している。
特に、現皇帝の即位の時は、不義理や裏切りが日常茶飯事で起こりえる時代だった。
あらゆる手を尽くして今の地位を確立したものであり、表沙汰にはされていないものの、歴史の闇に葬られた数多くの事実が二度と冷めない眠りを続けている。
「‥本当に存在していたとは。それでこれが原料か?」
「もちろん。その花自体は今もなお、ある場所で生育を続けています。作ろうと思えばバリエーション豊かなあらゆる薬剤が作れることでしょう。ですが…そこは我が家の管理の元厳重に隠されています。本来ならば、疑うべきは身内なのですが‥今回はどうやら犯人は違ったようです」
「…誰か調べはついたのか?」
ユリウスは頷く。
「クレイン公子が誘拐された事件、覚えていらっしゃいますか?」
「ああ。」
「あの時現れた、片眼鏡の紳士。…奴の正体がわかりました」
少し間をおいて、ヘルトは眉を顰める。
「‥‥あいつは人間なのか?」
「いいえ。…姿かたちは、フォスターチ家の先代、毒公爵の名を世に知らしめたファルケン・ビショップと同じですが‥人間よりも悪魔や魔物、そう言った類のモノです。」
「ファルケン・ビショップ…彼は死んだはずだろう?‥そうか。だから、悪魔や魔物‥そう言うことか」
「ええ。会話もしました。…彼がどういう理由で何を目的に行動しているかまではわかりませんでしたが、少なくとも、誰かの命令の元、自由に動ける権限の中で動いているようです。…そして」
「…?どうした」
ふと、ファルケンと似たような存在である亡き兄リオンに似ている彼のことが脳裏によぎるが、それは黙っていた。
「いいえ。なんにしても、どうやら目的はカサンドラ様の身を脅かすもののようなので‥」
「‥…そうか」
ヘルトもまた、何かを考え込むような仕草を見せるが、多くは語らなかった。
全ての手の内をさらけ出すことが互いの為になるとは限らない。ユリウスにもそれには言及はしなかった。
「ひとまず、杞憂であればいいのですが…このタイミングでフラムベルグ公子の問題も絡んでくるとなると、それも偶然ではないように思えてなりません」
「ああ。…このことは決して他言はしないように」
「‥それともう一つ。…気になることが」
「…?」
「先日調べた際、新たに何かしらの薬を作成できる少量の紫スズランが刈り取られていた様子でした。‥そのほかには、ベラドンナ、スパイス系の香草が少し」
「???申し訳ないが、野草については詳しくないのだが。」
少し困った様子でヘルトが言うと、ユリウスは頷いた。
「はい、…それらを調合し、定められた工程をすると、ある効能を持った薬が出来上がります。」
「‥もったいぶらずに教えてくれ」
たっぷりと間をおいて、ユリウスは答えた。
「惚れ薬です。」
「‥…」
「‥もしくは意識操作の一種、とでも言いましょうか」
互いに顔を見つめ合うと、二人そろって首を振りながらため息をついた。
「なるほど、そこで、フラムベルグの結婚問題、か」
「だから、杞憂であればいいと先に言ったじゃありませんか‥」
考えたくはないが、カシルには前科もある。
二人はその可能性について考えざるを得ないのだった。
**
その頃、鳥とウサギと二人がいない部屋で、カサンドラは整理をしていた。
「しばらく放っておいたけど…一応きちんと確認しておいた方がいいわよね」
鍵のかかった机や本棚、様々な場所は弄らずにそのままにしている。
なんとなく後ろめたさも働いて、中を調べるのは秘密を暴くようで避けていたのだが‥、ノエルの元にカシルが自分を調べてほしいとの依頼を受けたと聞いて、いてもたってもいられなくなった。
(うーーん。バレなければいいけど、どこかでぼろを出すわけにはいかないものね)
とはいえ、いつまでこの状態が続くのかも分からない状況なのでなかなか動けずにいたが、いずれはどうにかしないとならない問題になりそうなので、打てる手は打っておくべきと考えたのだ。
(カサンドラが日記をつけてれば良かったけどなあ。‥でも、本当にないのかなあ??)
色々と物色して、少しづつだが、【カサンドラ】という人間についてその片鱗に振れることが出来た。
衣装ダンスの奥には大事そうにしまってあるリボンがかかった熊のぬいぐるみがあったり、鍵のかかった箱の中には、華美ではないがカサンドラの瞳と同じ色の宝石がはめ込まれた美しいピンクゴールドのネックレスも入っていた。
カサンドラの瞳と髪の色と同じなんて‥おそらく誰かから贈られたものだろうか?
(恋人…なんていないよねえ?ずっと引きこもりだったわけだし。ヘルトは…こんなセンス持ち合わせてなさそうだし、亡くなったお母様の形見‥というわけでもなさそう)
ううむ、と頭を抱えてみるが、とんと検討が付かない。
おそらくアリーをはじめ、他の侍女たちが見たらきっと怒られるだろう。カサンドラは大の字になって床に寝転がった。
「は――…痕跡という痕跡が少ないわ‥カサンドラぁ…ん?」
寝転がって初めて気が付いたのだが、ベットの下の奥の方に何かがちらりと見えた。
まるで何かを隠すように奥の方に押し込めてあった。布団をはがして手を伸ばしたら届くかもしれない。そうして出てきたのは、なんともシンプルな小さな木箱だった。
「‥ごめん、カサンドラ。中、見せてもらうわ」
開くと、どこか懐かしい音楽が聞こえてくる。
「これってオルゴール?」
中には緑色のリボン括らた大量の手紙の封筒が大事そうにしまってあった。
何度もほどけては結び直したのだろうか?
よれよれとはいえ、美しい光沢が残っているところを見ると、上等なサテンかシルクだろう。
「全部カサンドラ宛て…この手紙はいったい誰から?」




